58話 きみがすき


 どうしよう……! どうしよう……!

 

 ここはドラフガルドの族長の屋敷。

 自分に割り当てられた部屋、灯りもつけず暗闇の中、わたしは一人、ベッドの上で突っ伏していた。

 彼の部屋から出るところまでは、精一杯平静を装っていたけれど、自分の部屋に戻って一人になってしまったら、それももう限界だった。


「ああー……うううー……」


 枕を胸元に抱きしめて、ごろんと転がり仰向けになる。


 心臓が早鐘のように鼓動を打ち、頭の中がぐらんぐらんと揺れているような気がした。


 どうしよう――、抱きしめられちゃった――!


 わたしは先ほどまでの出来事を思い出して、ベッドの上で足をジタバタとばたつかせた。


 ヴォルカヌスとの決戦前夜。

 なんとなく目が冴えてしまったわたしは、彼と話がしたくなって、彼の部屋を訪れた。

 

 最初は、単純に彼の声を聞きたかっただけだ。

 寝る前のわずかな時間、取り止めのない話ができれば、それでよかった。


 だけど、彼と二人で話しているうちに、いつの間にか、わたしがずっと心のうちに抱えている不安――彼がわたしの前からいなくなってしまったらどうしようという不安が、口からこぼれでてしまったのだ。


 わたしは彼に、ヴォルカヌスとの戦いで、決して無茶をしないでほしいことを伝えた。


 うん、ここまでは別によかったんだ。

 

 問題はこの後だ。


 そのうえで、わたしは彼に、あなたがいなくなってしまったら……生きて……いけない……的なことを……


 わーわーわー! ゔー! あーあー!


 ベットの上で身体をよじって再びうつ伏せになる。


 ついさっきの出来事だけど、今思い返しても、なんであんなことを口走ってしまったのか、自分でも意味不明だ。

 わたしはいつからこんなにめんどくさい女になってしまったんだろう。

 自分らしくないにも程がある。


 でも仕方がないじゃないか……

 だって、しょうがなかったんだよ。気がついたときには、もう口から言葉それが出ていたんだ。

 わたしは誰ともなく、部屋の中の虚空に対して言い訳をした。


 そして、そんなめんどくさい女から、極めてめんどくさい言葉それを向けられてしまった彼は――


 

 わたしを抱きしめて……くれた。


 思い返すと、顔から火が出るほどに頬が熱くなる。


 一瞬、何が起きたかわからなくて、彼がわたしを抱きしめてくれていることに気がつくのに時間がかかった。

 自分の状況に気がついた後は、消えてしまいたくなるほどの恥ずかしさと、飛び上がりたくなるほどの嬉しさが同時に込み上げてきて。

 津波のように押し寄せる感情に、どうしていいか分からなくて、声にならない声をあげて、わたしはただ彼に身を委ねるしかなかった。

 

 彼は、そんなわたしを抱きしめながら、彼の想いを言葉にして伝えてくれた。

 彼の言葉一つ一つが、わたしの心の奥底にある氷塊のような不安を溶かしていくようで。

 その溶けた水滴は、目尻から頬へと流れ落ちていった。

 わたしは彼の胸に抱かれながら、気がついたら声を上げて泣いてしまっていた。

 

 あの時感じた彼の温もりや匂いを思い出すだけで、身体中が熱くなり、胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなる。


 彼と初めて出会ってから今日まで、彼に対してずっと抱いていた、わたしの気持ち。

 ずっとその気持ちの名前を知りたいと思っていたし、同時に、その気持ちの名前を知ることを恐れていた。


 だけど、とうとうわたしは気づいてしまった。


 

 わたしは彼が好き。大好き。


 

 白黒モノクロだったわたしの世界にいろどりを与えてくれた彼のことが、ほんとうに、どうしようもないくらいに好き。

 

 この先もずっと二人で一緒にいたい。できるだけ長く彼の傍にいたい。彼の隣で声をずっと聞いていたい。彼に触れたいし、彼にもわたしを触れてほしい。

 

 そう自覚してしまったら、とめどなく溢れてくる彼への想いを抑えることができなくなってしまった。


 うー、どうしよう……

 

 明日は強力な魔族との戦いが控えているというのに、わたしは本当に何をやっているんだろう。

 

 彼への想いを少なくとも今は一旦断ち切ろうと、枕に顔を強く押し当てる。

 だけど、視界が遮られて、出来上がった暗闇に浮かんでくるのはやっぱり彼の顔だった。

 

 だめだ、とてもじゃないけど眠れそうにない。

 

 わたしは仰向けになってもう一度枕を抱え直してから、部屋の天井を見上げた。


「――き」


 ぽつりと呟かれたわたしの言葉は、しんとした部屋の空気の中に吸い込まれていき――やがて消えた。


 今は、この想いに身を委ねるしかない。

 だけど、明日の朝。彼と会った時は、頑張っていつもどおり振る舞おう。

 彼の相棒として、冷静沈着ないつものわたしに。


 そして、彼と一緒に戦うんだ。

 

 わたしがこの世界で、生きていくために――



***



 翌朝。

 案の定わたしは一睡もできなかった。


 鏡の前に立ち、自分の顔を見つめると、目元にひどいクマができていることに気がついた。


「こんな顔で――彼に会いたくないな……」


 わたしは目元を右手で触れて――


「スキル展開、【幻術】――」


 そっと、まやかしで覆い隠した。

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