第十八章:天神の摂理

 道真は庭を眺めていた。


 まだ梅の木は花を咲かせてはいない。しかし、道真は花の色をありありと思い浮かべ、其の香を嗅ぐ事さえ出来た。


 幾度の春、此の庭を、此の梅を眺めて来た事であろうか。否、道真が過ごした歳月を梅は見守って来た。


 時は誰の上にも平等に通り過ぎて行く。良き時も、悪しき時も。淀みなく、容赦なく時は流れる。


「大宰府での時は、都の其れよりも早いのであろうか、遅いのであろうか……」


 道真は既に高齢であり、其れを追い遣る時平は若い。最早道真が生きて都に戻る道は閉ざされていた。


 二年。そう考えていた。


 左遷された自分の存在を時平が、そして世の中が忘れ去るまでの時間である。


「さて、其れから何処へ行くべきか……。今少し若ければ、唐土もろこしに渡る気力があった物を」


 遣唐使を廃止した道真であったが、唐との交流其の物を否定した訳ではなかった。朝貢貿易という政治的な、しかも屈辱的な手段に頼らずとも、民間交易で文化及び経済の交流は果たせると考えたまでである。


 唐から学べる知識や技術の価値は、誰よりも道真自身が知っていた。だが、道真には時が残されていなかった。


 唐に渡り、学を修め、帰国するまでの四、五年の時。運が悪ければ十年掛かるかもしれないのだ。


 無事に日本へ戻れたとして、修めた学を役立てる時がどれだけ残されているか。そもそも自分は、世の為に働く機会さえ奪われてしまった。


「時の流れが止められぬのであれば、時と共に生きる者を創り出すしかあるまい」


 其れが己に残された最後の務めである。


 時に置き去りにされず、時と共にあり続ける者。其れが「天神」であった。

 道真が天神になるのではなく、天神というシステム・・・・を残すのだ。


 自分に時がなくとも、天神には無限の時がある。世を乱す者あらば現れて、是を取り除く。人であれ、獣であれ、天災、疫病の類であろうとも。


 藤原氏を縛る祟り神と成れと藤原良世から告げられた時から、道真は天神の有り様をデザインし始めた。此の二年で既に打つべき手は打って来た。


 河内地方の道明寺に伝わる伝承では、道真は大宰府への出発前、道明寺(当時は土師寺)で数日を過ごし、伯母である覚寿尼に別れを告げたと言われている。


 しかし、実質上の流刑者である道真に行動の自由はなかった。


 実際に当地を訪れたのは赴任の途上ではなく、左遷が決まる前の事であった。雷神調伏が行われていた期間、病気治療と称して屋敷に籠ったが、実は秘かに抜け出していたのだ。


 三輪山周辺、葛城そして信楽等に土師氏の拠点は存在したが、其の本拠と言うべき地は河内の国であった。道真は土師寺を故郷と呼び、此処に天神の拠点を置いた。


 土師寺の境内に小屋を建てさせ、寺男として梅若を住まわせた。


「主様、どうしても御供をさせては戴けませぬか?」

「御前が為すべきは、吾に仕える事ではない。天神の力を蓄え、吾に代わって其の務めを果たす事だ」

「……」


 梅若は黙って俯き、膝に置いた手を握り締めた。


「良いか、梅若。天神は世に顕れる物にあらず。陰の力として人の苦しみ、災いを取り除くのだ。此の務め、御前にしか出来ぬ」


 道真には息子達がいたが、彼らは所詮只の学者に過ぎなかった。「普通の人間」が天神の務めを果たす事は出来ない。


 天神とは血筋ではなく、其の使命を継ぐ者・・・・・・の系譜なのだ。


 葛彦は技術集団を率いて梅若に仕えた。


 道真の考えに沿い、工房は幾つかの集団に分けて各地に配置する事になった。

 紡織技能集団は和泉に配した。泉穴師神社を祀る土師氏の一族に是を任せたのだ。


 泉穴師神社は勿論、穴師坐兵主神社と同じ系譜にあるが、其の祭神の一つとして栲幡千々姫命たくはたちぢひめのみことを崇める。栲幡千々姫命は紡織神であり、和泉土師氏がその祖業を守る神として祀った物である。


「栲(たく)」とは「たたく」であり、植物を敲いて繊維を取り出す事を言うのであろう。


「幡(はた)」は細く長い布であり、織り上がった布を指し、「機(はた)」に通じる。


「千々(ちぢ)」とは、沢山ある事を意味する。

 沢山の織物が生産されたと言う事であろう。


 近くにある堺では金属系の技術、精錬、冶金、鍛冶等が行われた。葛彦は、堺に住む土師氏の生まれであった。


 勿論、大和では鉱山土木を、出雲や播磨では製鉄を、古くから伝えていた。

 薬学や医学も天神の重要な技術的ジャンルであった。


「工房の手配は滞りないか?」


 道真は葛彦に尋ねた。


「へい。総て滞りなく整いました」


 葛彦は各地の里を回り、子飼いの弟子たちを配して来た。


「どの弟子も儂がしっかり仕込んだ者達です。里の生業をを支え、民の幸せを守って呉れる事でしょう」

「そうか。苦労を掛けたな」

「とんでも御座いません。何でもない事で」


 葛彦は顔に血を上らせた。


「主様、御願いが御座えます」

「何じゃ、葛彦? 申してみよ」


 葛彦は居住まいを正した。


「大宰府行きの事で御座えます」

「うむ」

「儂を御供に加えて下せえ!」


「御前には梅若の下で、里々の工房を纏める務めがある」

「へい。其れは伺いました。ですが、儂がおらずとも弟子達がおります。其の為の備えは致しました」


「大宰府に参れば、都へは何時戻れるか知れぬぞ」

「主様のお側近くにお仕えするのが、儂の仕事と思うとります」


 道真を支える事以外にも、葛彦が考えている事があった。


「周防の国に天神の備えを根付かせる務めも御座えます。儂の業が御役に立てると思っております」

「確かに、御前が行ってくれれば周防の一族も大いに助けられるであろう」


 葛彦には造り物師としての知識と技術に加えて、其の土地の特徴に合わせて生業を立てる才覚があった。


 道明寺粉という食品がある。餅米を蒸してから乾燥させ、石臼で挽いて粉にした物である。保存食として用いられ、「」と呼ばれた。


 此の製法を確立して土師寺、後の道明寺の売り物としたのも葛彦の発案であった。道明寺の干し飯は現在でも伝えられており、その包み紙に書かれた文字は豊臣秀吉の手になる物である。


 道明寺は信長、秀吉、家康に安堵された寺であった。それは信長が天神の力を利用して成り上がった為であるが、それは六百年近くも後の事である。


 葛彦が最も力を注いだのは、紡織産業の確立であった。此の時代、まだ綿花の栽培は始まっていなかった。繊維を得る原料は、蚕の他は麻、葛、苧麻ちょま等の植物であった。


 是等の植物から如何に効率良く繊維を取り出し、糸を紡ぎ、布を織るか。其の技術が一族の富を築き、繁栄をもたらす。


 鉄器の普及は農業生産性を飛躍的に高め、富の蓄積を可能にした。次に富の集中をもたらしたのは繊維であった。


 言うまでもなく人の生活の基礎を為すのは衣食住である。食わねば、人は死ぬ。二十一世紀の現代社会でさえ、飢えで死ぬ人が如何に多い事か。


 文明が地球上に起こってから八千年か? 人類は未だに「食の充足」という課題の解決が出来ていない。其れ程食の問題は、深くて重い。


 其れでも日本は食に恵まれている。湿潤温暖な気候であり、南北に伸び、平地から高地まで変化に富む地形が、生物・植物の多様性を生んだ。


 不作に悩まされる事はあったが、平時に於ける食物収穫量は十分に豊かであった。


 平安時代でも、食は足りていた。余力があればこそ、寺を建て神を崇め、朝廷に貢ぐ事が出来たのだ。


 食が足りると、次に何を求めるか? 冬のある日本では「衣」であろう。暖を取れねば命を繋ぐ事が出来ない。


 必要量以上に収穫された作物は余剰な財として、「衣」と「住」の充実に当てられる。財貨の移動が楽なのは「衣」である。余剰食物は生糸や絹織物、麻、葛、苧麻の糸や布と交換された。


 交換経済の発達によって、「食」の豊かな所に「衣」が集まる事になる。その反対に、紡織の産地には生産量、販売量の上限まで富が集中する。


 通貨が経済の根本と成る迄は、穀物と織物が富の基準であった。近世風に富を黄金でイメージするなら、紡織産業とは「草」から「金」を生み出す錬金術・・・と言えた。


 農業生産量は土地の広さに規制される。開拓や技術向上で伸び代はあるものの、上限は硬直的だ。対して紡織産業は、生産設備と人手を確保すれば自由に規模を拡大する事が出来る。


 嘗て繊維が産業の「コメ」であり、国力の要である時代が永く存在したのだ。


 土師氏は「鉄と草」を操り、富を築き、世を動かす力を得た集団である。天神の力の源泉は其処にあった。


「病気や悪天候に強い稲を探して、種籾を集めやした。稲扱きも機も、ふいごと同じ様に足で踏んで使える様に工夫してありやす」


 葛彦は誇らし気に報告した。


「女も働ける様に、お蚕と糸紡ぎ、機織りの仕事を仕込みやした。滅多な事では里の者が飢える事はありやせん」

「そうか。ようして呉れた」


 道真は静かに微笑んだ。


「畑仕事を楽にする為に、田起こしには牛を使わせやす。牛が使うすきも拵えやした」

「牛か。牛は良いな。力が強いが、本性は大人しい。良い工夫だな」

「へい。ありがとうございます」


 どうやら自分が大宰府に流されても、一族が食うに困る事はなさそうであった。


 糸や織物を売り歩く行商人、山を歩いて人里を渡り什器を作る木地職人、渡りの研ぎ師や鍛冶職人等を各地に配して、里と里の間に連絡網を築いてある。是は道真自らが指揮を執って行った。


 住之江から瀬戸内に沿って大宰府まで。現代でも道真所縁ゆかりとされる土地が残っている。


 幾つかは天神社を有する土地であり、窯業ようぎょうが栄えた土地もあった。其の中に天神の拠点も含まれていた。


「是で良い。是ならば天神は生き続ける事が出来よう」


 道真は満足気に頷いた。


 後は藤原氏に天神の祟りを、骨の髄まで畏れさせるだけである。生ある時の雷神の力は封じた物と思わせてある。しかし、死して天神と成った道真には、封印術等効かない事を示さねばならぬ。


 人の命を絶つ事は道真の本意ではなかったが、天神を末代まで続く物とする為には、血を流す事も避けて通れないだろう。


 覚悟していた。


 其ればかりではない。畏れ多くも主上までも呪詛の対象とする覚悟であった。そうでなければ国中から畏れられる祟り神に成る事は叶わない。


 皇家の盾と成らんと念願した自分が、あろう事か帝を呪う大魔縁となる事で其の役目を果さんとしている。道真としては身を引き裂かれる思いであった。


「苦しゅうない」


 醍醐帝は道真の計略を許した。自分の名が傷付く事等何でもないと言い切った。


 賢帝であった。既に朝廷の権威が崩壊しつつある事を悟っていたのだ。律令制と荘園制度、国を治める基と成っている仕組み其の物が実体経済と懸け離れた物に成っていた。


 群雄割拠。富は地方に拡散し、朝廷には集まらなくなった。


 毒を以て毒を制す。地方の台頭を少しでも押し戻す為の対抗勢力として擁したのが、藤原家という存在であった。天皇は藤原氏を自らの身代わりとして、汚れ仕事を請け負わせたのである。


 しかし、権力には魔力がある。其のままでは、藤原氏が天皇家に成り替わってしまう。


 革命を起こさせぬ為の抑止力。其れが菅原家、天神であった。

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