第十一章:葛の葉
「随分派手な話になったね」
つい冷やかし気味に、私は感想を言った。
「源内先生より九百年以上も前に、エレキテルを使っていた訳か?」
「先生、猫を飼った事あるかい?」
「ないけど、其れがどうした?」
須佐は右手の爪の先を眺めながら、言った。
「冬場に猫の背中を撫でると、パチパチ静電気が起きるんだよ」
動物は嫌いなので、碌に触った事がなかった。
「暗い夜に触れば、火花が飛んで見えるのさ」
「静電気位で火花が散るかね?」
私には、暮らしの中で静電気の火花を見た記憶がなかった。
「現代の夜は明る過ぎるのさ」
須佐は呟く様に言った。
「何処でも良い。人里離れた山の中へ行って御覧よ」
其処には本当の「闇」があるのだと言う。
「其の闇の中でじっと目を凝らしていると、古い昔が見えて来る様な気がするんだよ」
須佐の目は、平安の闇を遠く眺めている様であった。鬼の棲む闇を懐かしむかの様に。
「鍵は
唐突に、須佐は語り出した。
「葛餅の葛?」
「そうさ。葛が全ての母なんだ」
私には、謎なぞの様な言葉だった。
「いいかい? 黒色火薬の原料は、木炭、硫黄、硝石だろ。手に入り難いのは硝石だ。梅一族は唐の文献を頼りに、硝石を探し回った訳さ」
「でも、日本にはないんだろ」
「『殆どない』という事さ。ゼロって訳じゃない。探して探して、梅達は硝石を見付けた」
「やがて奴等は、硝石が見つかるのは葛が繁茂する場所に集中している事に気付いた」
「何か関係あるのかい?」
須佐は両手で自分の顔をゴシゴシと擦った。
「其れは明日のお楽しみとしようや」
気付けば、既に十二時を回っていた。
「明日も八時になったら、此の店に顔を出すよ」
そう言うと、欠伸を挨拶替わりに、須佐は店を出て行った。
狸に化かされるというのは、こんな気分だろうか。そんな呑気な感想を抱きながら、私は勘定を頼んだ。
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次の日、言われた通り八時に其の店「権太」に入ると、もう須佐はカウンターでコップを傾けていた。
「先生! 此方、此方」
食い掛けの畳鰯を摘まんだまま、須佐は右手を挙げて私を招いた。
「何にする? ホッピーかい? 其れとも最初から酒にする?」
「随分早いな。もう飲んでるのか」
須佐の図々しさは何時もの事だった。
「最初は酎ハイを貰おうか」
其れでも私が来るまでは、幾らか遠慮していた
らしい。二人になったら、須佐は自由に肴を頼み出した。
「ゴメンね。腹が空いちゃったんでね」
どうやら私を当てにして、食事を取らずに来たらしい。忽ち四品の肴が我々の前に並んだ。
「やっぱり酒は相手がいた方が良いよね。独りだと味気なくてね」
「そんな事は良いから、昨日の続きを聞かせて貰おうか」
ぐびりとコップ酒を飲んでから、漸く須佐は話を始めた。
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硝石は硝酸カリウムを主成分とした硝酸塩の集まりである。化学式で言えばKNO3になる。
Kのカリウムは、「窒素、リン酸、カリ」の「カリ」の事である。土中に含まれている他、或る種の植物もカリウムを多く含んでいる。パセリやヨモギ等。古くからある植物としてはヨモギが代表格である。
雑草を刈って畑に敷いたり、堆肥を作ったり、牛や馬の糞尿を厩肥にしたりするのは、養分を畑に補給する目的で昔から行われていた肥料作りの方法だ。
正に有機農法であり、リサイクルという訳である。
此の時肥料や家畜の飼料として有用だったのが、「葛」なのである。
何しろ野山に自生しているし、荒れ地でも育つ。放って置くだけでどんどん繁茂するので、不足する事がない。
家畜の飼料として、わざわざ日本からアメリカに輸出された位、其の評価は高かったのである。
植物が葉を落とした表土にはカリウムが含まれている。其処に動物が糞や尿をして行けば、アンモニアが蓄積される。
土中にはアンモニアを亜硝酸や硝酸に分解するバクテリアが棲んでいるので、やがて硝酸が生成される事になる。
是とカリウムが結び付いて、硝酸カリウムが出来る。
「其の理屈だと、其処ら中硝石だらけに成りそうだけど」
私が口を挟むと、須佐は更に説明を進めた。
硝酸化バクテリアは、普通の状態では微量の硝酸しか作り出せないのだと言う。では何故葛の群生地で硝石が採れたか?
其れは、
葛は豆科の植物である。豆科の植物は、多く根粒を持つ。地下茎の途中に出来た瘤の様な物である。実は此の中に、亜硝酸化バクテリアや硝酸化バクテリアが棲んでいるのだ。
バクテリアは宿主である葛から糖や水の供給を受け、空気中の窒素を固定してアンモニアを作る。是が化学変化により、硝酸の元となる。葛は此の共生の結果として、生育の糧となる窒素を得るのである。
葛は自らの中に、硝石製造工場を備えた植物なのだ。
しかし其のままではまだ、土中で得られる硝酸カリウムの濃度は低い。其処で梅達はバクテリアを人工的に培養する事により、硝石を安定的に、かつ大量に生産する方法を編み出した。
現在の富山県五箇山の庄屋が硝石の製法を、加賀藩の命により差し出した事があった。江戸時代の事である。五箇山とは白川郷と共に合掌造りの里として世界文化遺産登録された集落である。
史実に、「五ヶ山焔硝出来之次第書上申帳」という報告書が残されている。
土に蚕の糞、雑草、ヨモギなどを混ぜ込んで家の床下に何層にも積み重ね、バクテリアの働きによりアンモニアの硝酸化とカリウム結合を促進する方法である。
そして出来上がった土に水を通し、硝酸カリウムの溶液を抽出する。是を煮詰めて濃度を高めた後、冷やすと硝石が析出する。
此の方法であれば、安定して硝石を生産する事ができる。
此の時ヨモギを混ぜ込んでカリウムを補給する事まではノウハウを明かしたが、
故に硝石産地としての五箇山の立場は守られたのである。
「考えてもみなよ」
須佐は言う。
もしも、五箇山の民がすべての秘密を報告書に記載していたとしたら、至る所で硝石の大量生産に成功していた筈である。
硝石生産の利益を独占する為に、彼らは最も重要な秘密である葛の使用を隠したのだ。
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「葛と硝石の話は分かったけど、静電気の話はどうなったの?」
私は硝石の説明が、どう静電気に結び付くのか見えなかった。
「まあ、焦りなさんな。物には順序って物があるからね」
そもそも葛は、綿花が渡来するまで麻や
野見宿禰が當麻蹴速を倒して支配下に収めた土地は、現代では奈良県
「硝石、つまり硝酸カリウムを追い求める事は、硝酸化合物を研究するという事な訳だ」
「硝石以外にも、何かが出来るっていう事かい?」
「出来るんだよ」
「熱燗もう一本ね」
「何が出来るんだ?」
私は少し焦れて、答えを求めた。
「出来るのは、硝酸セルロースさ」
須佐は取って置きの秘密を告げる様に、声のトーンを落として言った。私には硝酸セルロースが何なのか、見当も付かなかった。
「そいつは何の役に立つのさ」
モツ煮込みをつつきながら、聞いてみた。
「おっと先生、綿火薬を御存じない?」
セルロースは、植物繊維の基礎となっている物質だと言う。綿はほぼ純粋なセルロースである。
セルロースを硝酸と硫酸の混合水溶液である「混酸」に浸すと、硝酸セルロースが出来る。是が「綿火薬」と呼ばれる物質である。つまり火薬其の物なのだ。
「フラッシュ・コットンていうのも知らないかな」
私は、「フラッシュ・ゴードン」なら知ってるよと、喉まで出掛かったが我慢した。
マジックやイルージョンで、演者の手から突然炎が燃え上がる場面がある。あれがフラッシュ・コットンである。極めて燃焼性が高い。
紙状の外見をした「フラッシュ・ペーパー」という物もある。
「硝酸と硫黄を混ぜて熱すると、硫酸が得られるんだよ。硝石と火薬を研究していろんな物を混ぜていたら、混酸が出来た。其れを近くにあった葛布に零してしまったんだな。多分偶然、綿火薬が出来ちまったんだと思う」
綿火薬は黒色火薬より、遥かに其の爆発力が強い。火薬兵器「双龍」の威力は、綿火薬の配合による物であった。
「其の硝酸セルロースだがね。負の帯電性が極端に強いんだよ」
毛皮や毛髪等、正の帯電性が強い物と擦り合わせると、強いマイナスの電荷を帯びる。
葛布を混酸に漬けて布状の硝酸セルロースを作り、是を木製の輪胴に貼り付け、回転させて毛皮に擦り付ける。
更に輪胴近くに設置した金属片を通じてマイナス電荷を集め、差し込んだ銅剣に伝える。
そして、集めた電荷を道真の肉体に蓄えるという仕掛け。
其れが「鳴神の箱」であった。
「人体に電気が蓄えられる物だろうか」
「人間は、歩くコンデンサなんだそうだ」
更に大地との間を絶縁すれば、蓄える電荷の量を増やす事が出来る。
「道真は裸足だったが、足の裏にヌルデから取った樹液を塗り固めて、絶縁していたんだ」
「爺さんが撒いた白い粉は?」
「生石灰さ。少しでも周りを乾燥させて、静電気が起き易い様にした訳さ」
鳴神の箱の内部にも生石灰を入れ、湿気を防いでいたと言う。
「刺青には意味があるのかい」
「あれは、墨汁と
墨汁には炭素、鉄漿には鉄イオンが含まれており、是を両腕に塗る事で導電性を高めるのだ。
葛花にはサポニンが含まれており、是は天然の界面活性剤である。墨汁が肌に良く馴染む様に混ぜた物であった。
「出来るだけ道真の肉体に負担が掛からない様にした訳さ。気休め程度かもしれないがね。電気は少しでも抵抗の低い所を流れる物だからね」
言ってみれば、道真は両手に導線を這わせていた様な物だ。右手人差し指の爪は、鉄片を加工して黒く着色した物だと言う。
「針の様に先を尖らせれば、其処からスムーズに放電するからね」
道真の右手から発したスパークは、顔の中で一番導電性の高い場所、濡れた眼球を目掛けて流れた。
電圧は数万ボルトに達していたろう。一寸したスタンガン並の威力があった筈である。
「銅剣を投げて立木を折ったのは、火薬を使ったトリックだろう?」
「御明察だね。蹴速麻呂が前日稽古していた木の隣の木に、前夜の内に火薬を仕掛けて置いたって訳さ」
派手に吹き飛ぶ訳である。
「本当に道真は静電気を利用して、雷神の力を発揮していたのかねえ」
私にはどうも信じ難い気持が残っていた。
「雷神図の話をしたろう?」
「褌裸は、土師氏を表していると言う奴か?」
「そう。俵屋宗達の風神雷神図が有名だが、其の元になっているのは北野天神縁起絵巻などの天神絵巻なんだ。其の絵を良く見ると、なかなか面白いんだよ」
雷神は背中に太鼓を
「鉄アレイは『
道真は、正に自在に雷を操っていた事になる。
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