第二章:火雷天神

 集団全体が梅であり、其の長個人も梅と呼んだ。時に道真は、庭の梅の木に語り掛ける体で命を下す事があり、其れが其のまま彼らの名となった。


「梅よ、の家の災いの元を調べて参れ」


 相談者達は自分すら知らぬ家内の秘密を、道真から告げられる事もあった。


「我が家の梅の精が調べ来る事に御座います」


 道真はそう告げる事にしていた。現実には梅一族が隠密裡に探り出すのであった。彼らは独特の体術と、諜報の術を持っていた。


 透破すっぱ乱破らっぱの前身といって良い存在であった。


 道真が特別であったのは、仕掛の細かさだけではない。彼には「大仕掛」もあった。其れは当時誰も知らない、革新的な技術であった。


「火薬」である。


 歴史上、日本人が火薬に出会うのは元寇との戦いに於いてである。元軍は「てつはう」という原始的な火薬兵器を使用したと記録されている。火薬に導火線をつけた投擲弾の様な物であろう。


 道真の時代は九世紀の後半であるが、当時既に大陸では火薬が広く使用されていた。


 菅原家は学者の家系である。唐の文献を研究し尽くしたと言える。更に彼らの祖先は土師氏はじしであった。古墳を築き、砂鉄を集めて鉄を鍛えてきた。土をつかい、火を操る。


 土木技術と共に、化学、冶金の技術も発達させていた。


 火薬の製法、使用法を記した漢籍は難解であったが、菅原氏は粘り強く探求を続けた。火薬其の物の製法は元より爆発力を高める添加物の配合、様々な用途への応用法等を飽く事なく研究していった。


 土師氏の本業である鉱山の掘削、そして砂鉄採取法「鉄穴流かんなながし」の水路開掘へ密かに応用したのだ。


 そして生まれたのが、「天龍」「地龍」と名付けた火薬兵器であった。


 天龍とは竹筒に火薬を詰めたロケット砲の様な物であった。爆発力を高めるため、火薬を充填した鉄丸を榴弾として飛ばす。


 地龍とは地崩れや鉄砲水を自在に起こす発破はっぱの秘術であった。水路開掘技術と同根の其れは、地形、水脈を読み、此処ぞという所に火薬を仕掛ける事を内容としていた。


 鬼が跋扈ばっこすると言われた平安時代である。夜盗や強盗の類は後を絶たなかった。或夜、道真を乗せた牛車を盗賊が囲んだ。


 賊は六人。太刀や鉈をかざして牛車の行く手を遮った。道真は、牛を牽く御者の他に僅かに供を一人連れているだけであった。


 供の腰に太刀はなく、御者に至っては腰の曲がった老人であった。


「騒ぐな! 金目の物を置いて行け。牛車も俺が貰ってやろう」


 頭目と思しき男は、供の若者に太刀を突きつけて脅しに掛かった。


「主様、如何致しましょう?」


 若者は落ち着いた声で、牛車の中の道真に声を掛けた。


梅若うめわかよ、金目の物が欲しいと言うなら、何時もの通り呉れてやりなさい」

「畏まりました。」


 梅若と呼ばれた若者は、目の前の太刀が見えぬかの様に落ち着いて辞儀をした。


「御前は目を閉じていなさい」


 最後の言葉は、御者の爺に向けた物だった。


 御者の老爺がしゃがみ込んだのを見届け、梅若は懐に手を入れた。


 恐れ気のない振舞ふるまいに呆れつつも、所詮は多勢に無勢である。賊達は梅若が金を差し出す物と思っていた。


「ふんっ!」


 梅若は一気に懐から右手を抜き出し、頭上に突き上げた。奇怪な事に、同時に己の両眼を左腕で堅く覆っていた。


 次の瞬間、無言の気合いと共に右手に握った何かを地面に叩きつけた。


「轟!」


 凄まじい爆発音と共に、真昼よりも明るい閃光が賊達を包んだ。


「!」


 賊は一人残らず目と耳の機能を奪われ、其の場に立ち竦んだ。


 目を開けた梅若は懐から短刀を抜き出すと、一人また一人、賊の首筋を切り裂いて行った。


「うっ!」

「ぎゃっ!」


 切られた者は声を上げ逃げ惑うが、他の者は目が見えず、音も聞こえていない。只真っ赤に染まった視界の中、耳鳴りが激しくするばかりである。


 二十を数えた頃、若者は牛車の側まで戻っていた。息を切らせていないばかりか、血飛沫ちしぶき一つ浴びていなかった。


「済んだか?」


 牛車の中から声が掛かった。


「申し訳ございません。咄嗟とっさの事で我が耳を塞ぐ事が出来ませんでした。暫くお声が聞こえません」


 御者は目を覆い、うずくまったままだ。


「良い。暫く待とう」


 最早立っている賊は一人もおらず、大量の血を失って地面にうごめくばかりだった。


 梅若と御者の聴力が戻るのを待って、道真は出発を命じた。道を塞いだ六人の死体は既に梅若が取り除けてある。


「物騒な世の中よ……」


 道真の呟きが、牛車の音に消されて行く――。

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