騎士への憧れ‐2


「デイ……ビッド……?」



 出血で霞み始めた視界の中、幻覚でも見ているのかと思い込む。だが、この場にいないジョージであればともかく、共に行動していたデイビッドならば幻覚とは思えなかった。俺と違ってPhoneフォンすら持っていないっていうのに、一体何をしているというのか。


 俺の見間違いであってくれ、そう思って黙っていた。だが、体も動かなければ、声を出す気力も湧いてこなかった。初めて直面する命の危機、死の受容の過程まで踏み込んでしまっていた。こうなると、残された俺にとっての望みなんて、何とか戦う力のない二人を助けてもらうことしかなくなる。


 誰かに揺らされているような感覚、もうその声すら遠かったけれども多分オリヴィアだろう。心配してもらっている、それは分かっているのだけれど、今はそれすら気力を振り絞る理由になんてなりそうになかった。


 だけど、デイビッドが口を開いた途端に少しだけ俺の意識は引き戻された。というのもあいつが、戦う意思を見せてしまったものだから。



「もう、やめてください」



 毅然と、俺からジャックの契約者を引き離すように、はっきりとデイビッドの声が言い放った。何をしているんだと、俺の中に戦慄と緊張が走る。幸いなことに、デイビッドたちを戦力とカウントしていないからか、襲撃者はデイビッドに手をかけるつもりはなさそうだった。


 どうせ時間は有り余っており、今の俺たちがいる場所に助けなんて来ないと決まっている。インペリアルカレッジにセクエントを集めているというのはそういうことだ。特に夜なんて闇討ちに警戒せねばならないのだから、その兵力は避難所に指定された場所に集中する。


 やめる訳にはいかないと、闇の向こう側で声が聞こえた。落ち着いた、壮年の男性の声だった。これは自分にとって投げ出せない使命だと彼は言う。円卓の騎士の契約者はできうる限り排除しろとの指示が下っている。とはいえまだ子供の君を殺すのはそれほど気分がいいものではないと、俺を見下ろしたまま言った。



「だから少しくらい、別れの挨拶くらいはさせてあげよう。その出血量なら一時間と持たないだろうからな。俺がここにいる限り止血は許さん」


「インペリアルカレッジには沢山の人が集まっています。誰かしらが回復能力を持っているかもしれませんよ」


「俺の守護神アクセスの持続時間は大体一時間少々、まだ四、五十分は残っている。この霧がある以上君たちはこの外には踏み出せない」



 頼みの綱であるガウェイン本人はすでにそこに伏しているし、守護神アクセスも途絶えている。今更異世界に再接続する余裕も残っていないだろうと彼は推測した。実際にそれは合っていた。今の俺に戦うだけの体力は残っていなかった。


 だが、意外に話の分かりそうな男だと俺は安堵していた。彼が口にした使命感、それはその心の底から出てきた、忠実な信念のようなものが感じられた。テロリストであることは褒めたものではないが、任務だけを遂行する美学や、使命から外れた殺生を好まない正義感のようなものが推し量れた。


 敵対しない限りは二人の身柄、その安全は約束されるだろう。マイフェアレディみたいな相手だったら自分の享楽のために二人をいたぶっていたかもしれないと思うと、やはり彼女が活動できないこの時間に動いたのは正解だったと思う。



「なら、お願いです。今あなたが倒した彼、アーチーのPhoneをあなたに渡します。先ほど僕が拾いました。そうすれば彼は戦力にカウントされません」


「だから助けろと? できない相談だ。そんなもの予備のPhoneをセクエントが彼に支給すればいいだけの話だ。君たちは知らないから言えるのだ。そこで伏した彼の力の真価を」



 日が昇っている時間帯のガウェインの戦闘能力は円卓の中でも最高クラス。夜になるとあらゆる異能が機能停止する影響で、位階としては大して高くないような扱いを受けているが、真の力はモルガーナすら圧倒する。



「我々の最高戦力は、あの忌々しいマイフェアレディという悪女だ。だから彼を見過ごすわけにはいかない」


「どうしても、ダメなんですか。殺す以外にも戦闘できない制約を課すことは可能だと思いますが」


「……駄目だ。腱を切ったところで先ほど君が言った通り、医術に長けた守護神の能力で回復する可能性はある」



 そこの君はセクエントなんだろう、と男が俺に問いかけた。まだただの士官学生に過ぎない身だ、違うと言ってもいいような気はした。けれども、俺の中にある騎士道がそれを否定する。別に肯定しても否定しても、俺の運命は変わらないだろう。


 だから俺は、騎士として生きること、死ぬことを選択した。折角生まれつき高名な騎士に見守ってもらえるような運命の星の下生まれてきたのだ。ならばその自分の一生を否定したくない。その通りだと、言葉では言えそうになかったからただ首肯する。



「分かりました……。話をするのは許してもらえるんですよね?」


「構わない。俺が邪魔だと言うなら君たちから見えないように隠れよう。ただ、会話だけは聞かせてもらうがね」


「はい、お願いします……」



 相手の厚意に甘える形でデイビッドは三人だけの状況を用意してくれるように頼みこんだ。厚意というよりも甘さというべきだろうか。だが、テロリストも悪辣な人間の巣窟という訳でもないのだなと理解した。彼らは何か理想の世界があって、その実現手段として武装以外の方法を知らないだけだ。


 少なくともこのジャック・ザ・リッパーの契約者は、俺たちと大きな違いは無いように思えた。殺人を犯す覚悟をしている、それぐらいだ。だから最後に俺たちに時間をくれた。デイビッドとオリヴィアを殺すつもりもないのだろう。変に抵抗の意志を見せない限りは。


 オリヴィアによって抱えられるような形で上体を起こされた俺に、しゃがみこんでデイビッドが視線を合わせた。彼の青い瞳と目が合う。その瞳には何か強いものが宿っているように見えた。こいつには別れの悲しさとか恐怖とかいうものはないのかと、普段の調子さえ取り戻せば言ってやりたい気分だ。



「ごめん、アーチー。君にばかり戦う役目を押し付けて」


「別に、選んだのは俺だからいいんだよ。でも、お前らだけは無事そうで良かったよ」


「そうだね、あの人は……人を殺すことに躊躇してくれるタイプの人みたいだ」



 不幸中の幸いってやつだなと、笑おうとしたが、俺の笑みなんてもはや乾ききったものしか出せなかった。体よりも先に、精神の方が限界に来ていた。生きたいという希望を抱くには、今の自分たちはあまりに絶望的な境遇にある。だからせめて、二人に生きていて欲しいと思うしかない。


 ごめんね、アーチー。


 そう言って頭を下げる直前、僅かにデイビッドの凛とした眼光が揺らいだ。その視線の揺らぎと、謝罪の意味が分からなくて、今の俺には何も言うことができなかった。



「あの時、君に言った言葉がどれほど酷かったか今なら分かるよ。僕も大概同じ人間だった。特に僕は、君と違って友達が少ないから。だからこんなところで君を喪いたくないと思ってしまった」



 いつの言葉を指しているのかはすぐに分かった。先ほどコンビニで逃避行の支度をしているときのことだ。あの時の会話をオリヴィアは聞いていなかったから、多分俺の後ろで目を丸くしているんだろうな。見てもいないけれど、そんな姿が何となく想像できた。



「本当に、ごめん」


「いいって。どうせなら笑って見送ってくれよ。その方が俺にはお似合いだ」


「駄目だよ、そんなの。僕はまだ君を死なせる気はないよ」


「変な気起こすなよ、デイビッド。お前ら二人は自分の守護神のことなんて知らないだろ。戦えないなら、変な抵抗なんてすんなよ」



 基本的に、Phone取り扱いの免許を取らない限りは自分の守護神を知っている人間は少ない。例えばセクエントに将来なりたくて、その前に自分の守護神が何なのかDNA検査で調べる人間はいる。ジョージは偶然だったが、実際あの人はあらかじめ検査で契約相手がカイウスと知ってから免許を取得した。


 俺は十八になって免許を取得し、初めてガウェインが自分の守護神だと知った。大体の人間がそんなものだ。それに、どれだけ不慮の事態に陥ったとしても、免許を持たずに守護神アクセスしてしまえば行った人間が犯罪者になる。車の無免許運転と同じだ。


 だから免許を獲得する前に自分のアクセスナンバーを知ろうとする人は少ない。もし仮にアクセスナンバーだけ先に調べようと考え、実際に高位の守護神だということが判明すれば、公的な機関から監視される日々を過ごすこととなる。アルフレッド少将のように仕事を無理に変えられる可能性もある。だから、人間性がある程度認められて免許を獲得する瞬間まで、自分のアクセスナンバーなんて知りようがないのだ。


 学者を目指すオリヴィアとデイビッドがPhoneの免許を取る必要はない。今挙げた理由の通り、下手にグランドクラスだと判明すると職業選択の自由を失う。だから自分の人生を守るためにも、知らない方がいいということも多いのだ。


 もし二人が免許を取るとしたら、個人的に何らかの事情を抱えていない限りはあり得ない。事実オリヴィアはそんな未来無いと言い張っているし、デイビッドも取得を志望しているなんて聞いたことなかった。



「生身で特攻かけるのも、やめろよ。良いな」


「うん、つもりなんてないよ」



 流石頭がいいなと言ってやると苦い顔をした。俺からそんなことを言われても嬉しくないということだろうか。確かに俺は頭が悪いけれども。


 だが、そうではないとすぐに教えてくれた。僕がアーチーに認めてほしいのはそんなところじゃないと、霞んだ声でそう述べた。



「ねえアーチー、このPhone少し借りてもいいかな。僕は……持っていないから」


「形見としてか? だったら少しだとか借りるだとか言わずずっと持っていてくれよ」



 でも勝手にPhoneを譲る訳にもいかないと思い出す。そもそも俺の端末はセクエントからの支給品だから、返却の義務があるかもしれない。それにこの端末は取り扱い厳重注意の代物だ。高級品である以上に、誰の手に渡るか分からない状況に置かれることの方が余程問題だと言えた。


 だから本当に貰えるかは分からないぞと釘をさすと、そうではないと首を横に振った。俺への罪悪感からかさっきまでは消え入りそうな声と、俯きがちの態度だったけれど、不意にまた力強さを取り戻す。持ち上げた表情には、頼りなさなんて欠片として感じられなかった。


 ごめんね、アーチー。もう一度デイビッドが俺に誤った。今度の声は、今までその口から聞いたことが無いような強い覚悟を秘めていた。



「借りるっていうのは今からだよ。これまで一人でずっと戦わせちゃって、本当にごめん……。君だって怖かっただろうに、戦う力Phoneを持っていないからって、甘えきってた」


「お前、何言って……」



 初めはこいつが何を言っているのかまるで理解できていなかった。だが、次の瞬間に理解する。デイビッドが握っている俺のPhoneの画面が点いた。同時に、素早く五回デイビッドが画面を叩く。


 。そしてその力で抗おうとしている。五桁のアクセスナンバー、決して高いとは言えないその位階の力を使って、俺を助けようとしている。


 さっきまで何を言われても、何をされても気力の湧かなかった体にようやく力が入る。馬鹿なことをするなと、止めなくてはならない。二人の身柄の安全は、あくまで二人が無抵抗で戦う力を持たないことを前提としているはずだ。わざわざ自分たちを危険に晒すなと、止めようとしたその時だった。


 革靴の足裏がアスファルトを叩く硬い音、霧の向こうに人型を象った影が見え、デイビッドの握った端末の液晶から放たれた光に当てられ、ナイフの刀身が瞬いていた。


 危ない、そう叫ぼうとした時のことだった。後ろから襲われることぐらい想定済みだったデイビッドは、光の剣でナイフの一撃を受け止めた。カイウスのような細めの刀身を持ち、俺ともジョージとも異なる黄金の輝きを剣は放っている。その対応の早さに警戒したのか、ジャック・ザ・リッパーの契約者はまた飛び退いてどこかに消えた。



「デイビッド、お前……何で……?」


「君に負けたくなかったから」



 どうしても俺にだけは負けたくない理由があったのだと彼は言う。「僕は勝手にライバルみたいなものだと、君のことを見ていたからね」と、俺にウインクした。ウインクをする直前の一瞬、その視線は俺の方からオリヴィアの方に動いた。


 自分がオリヴィアにとって相応しい人間であると、自信が持ちたかった。デイビッドにとってはそういうことだったのだろう。デイビッドがオリヴィアと出会う前の話は、少しだけ本人から聞いたことがある。だからオリヴィアのことなんて抜きにしても、今でもデイビッドは自分に自信が持てていない。


 だから張り合う相手として俺を定めた。多分それは同時に、オリヴィアを最も好いている人間は自分だと、己に言い聞かせる意味もあったのだろう。



「だから君に負けたくなくて、僕も免許は取ってたんだ。その時に自分の守護神も知った。……五桁だから勝手に劣等感を持って黙っていたんだけどね」



 そしてPhoneは高級品だ。免許を取得しただけの未成年がおいそれと購入できないような金額をしている。だからたとえ守護神アクセスを許可されていても、デイビッドが戦うことのできるタイミングは無かった。


 当然位階の概念の都合上、デイビッドよりも俺の守護神の方が強い。その状況で一つしかないPhoneを持たせるとなると、俺に持たせる方が妥当だった。だからそのことに関して彼が謝る必要はない。それなのに彼は、俺を一人にしてすまなかったという。


 セクエントを目指す俺が友達守ることなんて当たり前なのに、律儀にもこいつは、その事を恥じ入り詫びているようだった。


 デイビッドの覚悟は理解した。とはいえ俺は、それを許可する訳にいかなかった。現に暗殺者の男はデイビッドが戦う決意をしたであろう瞬間に襲い掛かってきた。俺さえ知らなかったのだから、彼にとっては余計に驚いたのだろう。戦う意志があるというなら、守護神アクセスができるというなら、こいつを殺さなくてはならない。咄嗟に動き、即座に退いた判断が、その焦りと警戒を如実に表していた。


 ここからの命乞いは間に合うだろうか。間に合って欲しいと願って俺は、デイビッドに向かって吠える。



「やめろデイビッド! Phone捨てて投降しろ! 俺が負けてんのに、勝てるつもりなのかよ、オリヴィアはどうするんだ! むざむざ危険に晒してんじゃねえ!」


「うん、本当にごめん。確かにオリヴィアを危険に晒すことになってしまった……。それは分かってたから、こうするかどうかは凄く悩んだよ。でも、黙って君が死ぬのを見ていることが、どうしてもできなかった」



 振り返ったデイビッドが、ゆっくりと口を開く。


 オリヴィアと二人きりで助かるか、危険を冒してでも君を守ろうと立ち上がるか。


 鹿



「どれも、アーチーが教えてくれたことだ」



 だから自分の選択に胸を張っていられる。決意を以てこの剣を手にすることができる。震える手足を認めてでも、立ち上がる勇気を抱くことができると彼は言う。



「今ここで、証明するよ。僕にとって君はおまけなんかじゃない。君が僕を見ているのと同じように、僕から見て君も、かけがえのない大切な友だって」



 だから見ていて欲しいと、懇願される。ついさっき傷つけてしまった、俺からデイビッドへの信頼をもう一度固めるためにも、その背を見守ってくれと。


 だが、俺の心配はデイビッドの決意なんてところにはなかった。たとえ戦う意志を固めたとしても守護神の異能に優劣がついてしまっていると、俺たちに打開する手段はない。


 敵対しているジャック・ザ・リッパーの位階はまだ分かっていない。だが、能力が強力なことを踏まえるとかなり高位の守護神だと予測できる。デイビッドの守護神も俺はまだ知らないが、少なくともあいつは10000以上のナンバー、中程度の位階だ。


 そして肉体活性がゼロに近いとは言え、ジャック・ザ・リッパーの異能は強力だ。デイビッドよりも位階は明らかに高いだろうと想像がつく。何らかの打開策を有していない限りは決して勝ち目はない。


 しかしデイビッドの声が絶望している様子はなかった。ただ、霧の向こうに潜むであろう男を見据え、己の守護神の位階と、その名を宣言しようとしていた。先だってアクセスナンバーを指定して接続の実施は終えていた。オーラを溢れさせ、俺たち円卓のように闘気の剣を作っているようだったが、まだ完全な守護神アクセスは完了していない。異能の行使権を借り受けるためには、彼らの名を宣言する必要がある。



「安心して見てて。僕の守護神も、ジョージやアーチーたちの守護神みたいに、訳あってその位階を選んでいるだけだから」



 本当はより高位の実力者だと、直接言葉にせずに告げる。彼の守護神は、騎士への憧れ、想いの集った集合体。の背中があまりにも大きすぎて、自分では満足なんてできなかった、名前のない騎士たちの願いの結晶。


 確かに本来その名を持った騎士と比べてしまうと、まるで頼りない存在だろう。だが、それでも、の名前を騙ることを許されたのは、人々が彼に憧れる想いがあまりに純粋だったからだ。国のために、理想のために戦おうとする子孫の熱意に応えるように、偉大なブリテンの建国の王は、彼らに自分の剣を貸し与えることに決めた。


 王に憧れた後世の騎士、少年の生き様の結晶に、意志と魂を与えられて守護神に昇華した存在。それがデイビッドの契約する守護神の正体だった。だからその守護神は、アーサー王の位階と表面上よく似た位階を選択し、自ら低い位階に甘んじることにした。


 そのアクセスナンバーと、名前を高々に宣言する。立ち込める濃霧さえ切り裂くような、少年の声音がロンドンの街角に反響する。二十一世紀の、騎士の概念さえ失われつつある時代の片隅にもまた、偉大な騎士王への憧れは損なわれることなく残されていた。



No. 11022ナンバーズ・イミテイト ワンゼロツー、名をジャック!」



 太陽よりもさらに眩い黄金の極光が、デイビッドの握りしめた俺のPhoneから迸る。No. 102、ELEVENが一人キングアーサーの紛い物。だが決して、その騎士道だけは模造品でも偽物でもなかった。

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