俺にとっての太陽‐3

 夏といっても、夜のロンドンはかなり涼しい。イギリスは北欧ほどではないが、ドイツなどと比べると高緯度にある。そのため、夏の気温はアジアや地中海付近と比べるとかなり低かった。その割には冬はあまり寒くない。確か地理の先生が、イギリスのすぐ隣には暖流が流れているのが理由とか言っていたか。


 恐る恐る様子を伺いながら屋外へ踏み出したが、人通りはまるでなかった。飲食店の明かりも一つとしてついていない。街を照らすのは月あかりと、壊れなかった一部の街灯だけだ。電池が切れても特段問題のないオリヴィアのスマートフォンを電灯代わりに進もうかと思っていたが、目立つリスクの方が大きいため避ける。


 大通りと細い路地のどちらを選ぶか悩んだが、大通りを通ることにした。不慮の交戦時に狭い路地だと剣を振るうのも困難だし、二人にぶつかりかねない。それにオリヴィアは体力がなく、運動神経もそれほどよくない以上、入り組んだ細い路地を走るのも無理だろう。


 幸いなことに、大通りに徒党を組んだテロリストがたむろしているようなことはなかった。今、この街で大規模な破壊活動を行っているのは名義のある大規模なテロ集団だったらしい。名前を新しい秩序ニューオーダーと言い、欧州各地に拠点を持っている。マイフェアレディの亡命を援助し、匿っている組織と目されていたが、実際それは正しかったようだ。


 ただしニューオーダー側も一枚岩ではないのか、イギリスだけに人員を割いて全滅するようなことがないようにしているのか、想定より人数は少なかった。街で実際に守護神を利用して殺戮を繰り返していたのは、ニューオーダーの想定構成人員の約十分の一。守護神を使えるものだけ参加していると考えても、流石に少なすぎる。


 もしかしたら何らかの策があるかもしれない。そのように上の人たちは考えているらしい。そのため、アルフレッド少将の出陣も躊躇いがちになっている。現状モルガーナ打倒には彼の力が不可欠だが、彼が戦線に立った瞬間ニューオーダー側の伏兵がアルフレッド少将を暗殺する可能性も捨てきれないようだった。


 薄く霧の漂う街を進む。そのせいだろうか、冷たさが肌を撫でるような不気味さがあった。背筋がうすら寒く感じるせいで、ちょっとした恐怖の欠片が助長されているような感覚。聴覚が鋭敏になり、ほんの少しのそよ風、ごみの転がる音にさえ過敏に反応してしまう。


 こういうの何かがそうで苦手なんだよな。肩をすくめて後ろを振り返るも、そういったオカルトに尻尾を巻いているのは俺だけのようだった。オリヴィアは昔からホラー映画やお化け屋敷のようなアトラクションを、スリルを楽しむものとして楽しんでいても、本当に幽霊におびえるようなことはなかった。


 幽霊の存在を信じていない訳ではない。この時代ではむしろ幽霊の存在は証明されていると言ってもいい。守護神がそれだからだ。俺やジョージの守護神は確かに物語が出典となっているが、歴史上の偉人が守護神に転生している例はとても多い。ニュートンやモーツァルト、あるいはアレキサンダーのような名の知れた人々は、民衆の思いを受けて異世界に魂が転生し、守護神となる。その理屈を学んでからはむしろ、オリヴィアはお化けを興味深い考察の対象と思っているのではないか。少し罰当たりな気がして、座学が苦手な俺としては辟易といったところである。


 だがお化けよりも、今は人間の方がよほど怖い。結局幽霊なんて本当に俺たちを手にかけることはない。だが、人間テロリストはその限りではない。実際にあいつらは街を火の海にし、オリヴィアの父を、そして兄のジョージを殺した。


 オリヴィアだけではなくジョージとも幼馴染だった俺にとっても、その死はまだ受け入れられない。遺体を見た訳ではないと言いたくても、あんな状況で生きていられる道理もない。それはマイフェアレディと向き合った俺自身が強く実感していた。


 小石を蹴る音さえ立てないように、足元に気を付けて歩を進める。守護神の能力を使って暴れていただけだった以上、暴徒が罠を仕掛けているようなことはなかった。そんな非効率的なことをするより、人のいるところに異能を行使した方がよほど手間が少ない。一体何の能力を使えばそうなるのだろうか。巨大な砲弾がまっすぐ貫いたように、バカでかい風穴の開いたビルを目にした。果たして俺は、本当にこんなやつらと向き合って勝てるのだろうか。


 勝てるかどうか、倒せるかどうかじゃない。脳裏の消極的な考えを否定する。何としてでも守り抜くんだ。俺が居れば誰も傷つけさせない、そんな頼りになる騎士を目指さねばならない。今の俺はガウェインだけではなく、カイウスの力も託されているのだから。



「ねえ、アーチー……」


「何だよ」


「仲直りしろって話じゃないから臍を曲げずに聞いて。何か、変だと思わない?」


「そうだな……」



 歩みを進めるごとに、少しずつ周囲の様子が変化していく。そのことには俺も気が付いていた。コンビニを出た時には、大通りの向こうの方まで見渡せるほど澄んだ空気をしていたというのに、今はどうだ。一歩歩くごとに存在感を増す霧が立ち込め始めていた。外に出てから数分立つ頃には、まだ薄かったというのに、今や濃霧になろうとしている。



「確かに、季節外れだよな」



 ロンドンは霧の街とよく称される。だがそれは、イメージが先行している部分も大きいと思う。確かに冬にはそれなりの頻度で霧が発生するものだが、夏はそれほどだ。他の国、地域だとそもそも霧などまれにしか出ないから、この地の頻度でさえ多発すると言われているのだろう。


 とはいえ、今の季節は夏だ。むしろ霧なんて俺たちにとっても珍しいようなシーズン。それなのに、屋外を出歩いたほんの数分でいきなり濃い霧が街を包むだなんて、明らかに異常気象だと言えた。


 いや、異常気象だったなら良かった。そうであって欲しいと願いたかった。こんなもの自然現象な訳がないと、本能が警鐘を鳴らす。これは確実に人為的なものだ。


 では、誰が起こしているのか。俺たちの避難をより確実なものにするために、誰かが優しく糸を引いているのだろうか、そんな妄想をするほど俺たちは楽観主義じゃない。敵襲の可能性、いやむしろそれしかないだろうと決めつけ、俺たちは次の一手を決めた。



「二人とも、視界が悪いから絶対にはぐれるな。一人になったら死ぬと思え。何ならお前ら手を繋いでもいいからそのまま走れ!」



 こちらから襲撃者は見つけられていない。いつ仕掛けてくるかもわからない以上、走るしかなかった。たとえ足音を響かせるのが愚策だったとしても、さっさと目的地にたどり着く方がよほどいいはずだ。



No.ナンバーズ 1203トゥエルブオースリー、名はガウェイン」



 後手に回ってはいけない。霧が俺たちの道を阻むというなら、一気に吹き飛ばせばいい。明確な敵襲が来るよりも先に俺はガウェインを呼び出す。Phoneフォンから漏れ出した強い橙色の光が俺の全身を包み込む。同時に、闘気を一塊にして光の大剣を錬成する。


 目の前の空間をそのまま、握りしめた大剣で一刀両断した。振りかぶった刃に乗せられたオーラの塊が、スイングの勢いそのまま前方へと発射される。熱波のように目の前の空間を蹂躙し、突き進む。だが、そんなことをしても霧は晴れてくれなかった。一瞬白く立ち込めた霧は花道を作るように風穴を開けたが、すぐさまその空間は雪崩れてきた霧の雫にまた埋め尽くされた。


 むしろ、俺たちが行動に出たとあちらも感づいたようで、霧の密度はさらに上がる。もはや二メートル程しか離れていないはずのオリヴィアたちでさえも、まるで摺りガラスの向こう側にいるようにぼやけた輪郭しか見えない。


 それにしても何だこの能力は。歩いてみた感じ、この霧は単なる目くらまし以上の意味はまるで持っていないようだった。だが、俺たちが歩みを進めるにつれて、あるいは俺が臨戦態勢をとって、この霧は意志を持つように濃くなっていった。


 つまりこれは、何者かの敵意であると見てまず間違いない。ただ、それにしてはかなり卑屈な能力なように思える。何か手出しをするでもなく、ただ視界を悪くするだけの能力。いきなりモルガーナと出会って感覚が麻痺していたところもあるが、それにしてもこれはあまりに弱い能力だ。少なくとも攻撃性能は低い。


 ただ、厄介なことに変わりない。この守護神の力を場づくりの力だと捉えれば、逆に強力な能力と認めなくてはいけない。


 周囲への警戒を怠ることなく、そして二人との距離を開けすぎることなく、ただまっすぐ通りを突き進んだ。本来目的地まで大した距離はないのだ。連絡通りであれば、インペリアルカレッジはセクエントの一部が派遣され、要塞と機能していることになっていた。市民を一か所に集めて、軍隊も一か所に集中できるようにしているとのことだった。だから、大学カレッジの付近を巡回している兵士にさえ落ち合うことができれば、保護されるはずだ。


 生身の二人にとっては全速力、ガウェインとアクセスしている俺にとっては余裕のあるペースで道を行く。しばらく真っすぐ走るだけだから濃霧とはいえ迷う心配はしなくていい。


 そう、思い込んでいた。



「どうなってんだ、これ……?」



 かなりの距離を走ったはずなのに、いつまでも目印として検討を付けていた建物が見えてこなかった。定期的に霧の中で、真横の景色を確認していたはずだ。だが奇妙なことに、霧の向こうに広がっているはずの景色は、


 まるで閉塞された空間に閉じ込められてしまったように。俺たちは出口のない迷宮に閉じ込められていた。前後も左右も、上も白い靄に覆われてしまい、方角さえ見失ってしまいそう。そんな環境に閉じ込められたからこそ、霧によってループする隔離空間に閉じ込められていた。


 楽観的過ぎたと言わざるを得ない。どうせ大した能力ではないだろうと高をくくっていた、少し前の自分が恨めしかった。自分の見通しの甘さで二人を今危機に晒している、その現実に嫌気がさす。デイビッドのふざけた提案を一蹴するつもりだったのに、現実は非情だった。選択の時が迫っているのではないか、そんな焦燥感が脳裏を支配する。


 オリヴィアの首が飛ぶイメージが、デイビッドが炎で焼き払われる想像が、頭に過る。それはまだ、自分の中にある縁起の悪い妄想でしかない。けれども、それがいつ現実になるものか分からない。焦りが俺の足をさらに突き動かそうとする。ただやみくもに歩いたって、どこにも行けやしないのに。


 鎧のようにまとっていたはずのガウェインのオーラも、収束させられなくなっていく。ただ漏れ出しているだけの守護神のオーラが周囲に広がっていく。


 本来ならば、円卓の能力を使いこなすためには剣と鎧を闘気で錬成するのは基礎中の基礎だった。常時それが成り立っていない限りは、まだ未熟な使い手である。少なくともガウェインはそう言っていた。だから今、焦りに揺さぶられて不完全なまま能力を行使している俺は、未熟そのものだったと言える。


 だが、この時ばかりは未熟でよかった。だからこそ救われた。あふれ出し、流体のように宙を彷徨うガウェインの橙色のオーラ。それはとりとめもなくたばこの煙のように気まぐれにたなびいて、宙に溶けていくように消えていくだけ。そのはずだった。


 だが、視界の隅、闘気の流れを察知する近くの端の方で、不自然な揺らぎを感知した。方角にして、俺の背後。振り返る寸前に、見るより早く理解した。そこに立っている者こそが、乗り越えるべき壁だと。


 まだ背後から迫ってきていたから良かった。最初に襲われるのが俺で済むから。振り返り、人影を確認する。俺よりほんの少しだけ背の高い大人のシルエット。おそらくは男だと判断された。濃い霧を突き破るように、鈍く瞬く光が俺に迫るのを黙視する。意識だけは元から臨戦態勢に入っていたため、何とかその不意打ちに対応することができた。


 金属を打ち付ける硬い音がした。だが、その割に軽い音だ。俺に何か刃物を突き付けてきたことは何となく把握できた。それを振るった人影との間合いから図るに、剣ではなくナイフのような代物だと察せられた。その短刀の切っ先が刀身を横向きにした状態で俺の剣に受け止められ、先ほどの衝突音が鳴ったのだ。


 その太刀筋はあまりに軽いものだった。当然、俺の肉体が守護神アクセスで活性化している影響は大きい。今目の前にいる襲撃者は、俺と比べると守護神アクセスによる肉体活性が弱いのだろう。その割にはやけに厄介な能力、勘でしかないがおそらくアクセスナンバーは四桁後半といったところだろうか。


 不意打ちが防がれたことに僅かな迷いを生んだようだったが、暗殺者は後方へと飛びのく。反射的に俺はそいつに向かって腕を伸ばしていた。



「逃がすか!」



 だが、届かない。俺が手を伸ばし、虚空を握りしめている間にも、未知の敵は霧の向こうに隠れるように逃げてしまった。本当に撤退したのか。そう希望的に観測したいものだったが、あり得ないと首を振る。何よりも、霧はまだ晴れてくれそうになかった。


 またどこかで機会を窺っているのか。こちらから仕掛けることができないことが歯がゆかった。確かにガウェインは強力な守護神だ。真正面からの戦闘であれば多くの守護神よりも優位に立つことができる。しかし、一方でからめ手には弱い。話が日の出から正午までの間であれば変わってくるのだが、夜となれば話は別だ。日が昇っている時間ならば多少の小細工は力任せで打ち砕ける。だが、ガウェインの特性上日が暮れてしまうと本領は発揮できない。


 そのため、このようにこちらの足元を掬うように戦う相手は正直やりづらい。次に相手が仕掛けてくるまでずっと気を張り詰めていなければならない。


 だが、先ほどは自分の未熟がいい方向に転じてくれた。あの要領で周囲を警戒すればいいのかと、膨大なガウェインのオーラを周囲に放出する。これはきっと剣や武に秀でた円卓の騎士だからこそできている芸当だろう。オーラの漏出を感覚器官の増設とし、東洋の剣豪の持つ心眼のようなものを再現する。


 やっていることは、本来集中して収束させている闘気をそのまま無制御に垂れ流しているだけなので、むしろ気を抜いていられた。常時気を張っていると神経は摩耗し、緩んだ一瞬の隙を突かれる可能性があるが、この方法ならその心配もない。


 だがそのオーラのセンサーも、当然距離の制限はある。幸いなことに、俺はそのことにいち早く気が付くことができた。守護神アクセスしている人間が周囲に警戒をしている状況。俺が相手の立場なら、攻め手に欠けて逡巡することだろう。だが、同時に理解するはずだ。


 俺の前には、格好の人質候補が二人も存在していることに。


 不味い、そう思ってオリヴィアとデイビッドの方に向かって駆け出す。二人が傍にいる状態だと剣を振るうのはまず無理だ。一旦大剣の錬成を解除し、素手で二人の背後まで駆け付けた。俺の動きに合わせてセンサーの働きをしているオーラの塊も奇跡を描いて追随する。


 その最悪の想像は、予め推測できていたおかげで最悪では無くなった。デイビッドではなくオリヴィアに向かって、霧の向こうから迫る人影を察知する。方向さえ分かってしまえば守ることができる。


 飛び掛かってくる方向に向かって、逆に拳を突き出して迎撃する。紙一重でナイフを躱し、次の瞬間には正体不明の顔面に、手痛い拳骨を叩き込む。


 その、筈だった。


 だがまたしても手応えは無く、空しく何もない空間を俺の正拳はからぶった。だが避けられた先ほどとはまるで意味が違う。本来ならばそこにある筈の肉体に当たらなかったのだ。


 この霧は単なる霧ではない。異能によりただ霧の空間が作られる訳ではなく、この霧そのものも何かしらの異能を持っているのだ。



「霧の街……ナイフ……正体不明……。オリヴィア、何か心当たりないか?」


「心当たりなんて一つしかないよ、そんなの……」



 またしても足取りが煙に巻かれたように消える。掴みどころのないその姿、俺にも守護神の正体が何となく想像できた。


 時は十九世紀、地はロンドン。スラム街に住む娼婦を惨殺した、連続殺人犯。新聞で大々的に報道されたというのに、殺人鬼。戦争で活躍した英雄を除くと、おそらくは世界一有名な人殺しだろう。霧の街ロンドンに恐怖を刻み、ついぞ死ぬまで正体が暴かれなかったがゆえに伝説となった犯罪者。


 その名は今の世にも轟いている。実在した人物だというのに、何も分からないからこそお伽噺に半分足を突っ込んだような伝承のある人間。男か女かさえも分からない、正体全てを五里霧中に置いてきたシリアルキラー。



「ジャック・ザ・リッパー。そうとしか思えないわ」



 人殺しが守護神なんて、まさしくテロリズムにはぴったりだな。そんな悪態をつくことしか、今の俺にはできそうになかった。

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