炎を託して-7

 もはや別人の戦いだな。己の剣筋を見ながら、苦々しくカイウスは呟いた。紺色の闘気を振り下ろす。膨大という言葉が相応しいほど膨れ上がった紺色の闘気の塊。もはやそれは鋭い剣ではなく、無骨なこん棒だった。


 だが、それで構わない。守護神カイウスの本領とはまるで違うところにあるのは事実。それでも、決して覆ることのない力の差を強引に縮めるには、命を燃やして無理をしてでも余力を吐き出すしかなかった。


 実際に今、あれだけ余裕ぶっていたマイフェアレディも防戦一方になっている。当然、彼女には一定時間耐久するだけで俺が勝手にガス欠するという勝機がある。そして実際に奴はその事に気が付いているようだ。


 万が一にも一太刀浴びてしまえば形勢は逆転。しかし、数分にも満たない短い時間を乗り切れば、それだけで俺は倒れることになる。だからあいつは、無理を押してアーチーをしとめるのを諦め、ここで俺だけは始末することにしたのだろう。


 それでいい。いかにマイフェアレディのモルガーナが強力とはいっても、セクエントの最高戦力には決して敵わない。それは、現在イギリスで守護神アクセスが許可されている者の中で、最も強力な守護神。かつてこの国を脅かした者たちの化身とも言われる竜、アルバス・ドラコ。軍事特使アルフレッド少将の従える守護神だ。


 あの伝説ともなったモルガーナの再来。そして街の多くに甚大な被害。ともすれば、事態解決のためにこの国の最高戦力を投じてくれるに違いない。そうすれば事態は無事に収束、オリヴィアも平和に暮らしていけるだろう。


 俺と親父はいないけれど、母さんとデイビッド、アーチーと仲良く暮らしてくれればそれでいい。


 黒紫の稲妻が降り注ぐ。だが今の俺は、剣だけでなく鎧も肥大化していた。もはやドームのように俺を取り囲んでいる、強靭なオーラの塊が落雷を阻む。槍のように鋭く、空気さえ焦げるような轟音が爆ぜ、邪気を孕んだようなおどろおどろしい雷鳴がとどろいた。


 だが、当然届かない。俺の残りの人生、命の灯、全てを賭けて燃やしている闘気の鎧には傷一つつかなかった。その頑健さを見て憎々しげに、黒の大魔女は眉間にしわを寄せた。その荒っぽい表情でさえも雅を感じる絶世の佳人ではあるが、今ではその瞳の奥に隠れた邪な悪意しか見えなかった。底冷えする程気色が悪く、あのキャスパーと契約していた少年以上に、洒落にならない悪戯、悪ふざけの似合う女だった。


 次の瞬間、這い寄るは獄炎。蛇のように地を蛇行し、上空から降り注ぐ雷に意識がいった俺の足元から地獄の業火が迫る。巻き付くように足首から俺の体をよじ登る炎。ふとしたオーラの隙間から入り込んだらしい。


 全身が焼ける痛みが走る。苦悶に顔をゆがめるが、声は出さなかった。それを声が出せない程苦しんでいると思い込んだのだろう、マイフェアレディはようやく平静の笑みを取り戻す。



「ようやく捉えたわ、そのまま燃え尽きなさい」


「燃え尽きる? 馬鹿いうな」



 炎が俺の肉体を蝕む、その自覚はあった。だが、それは致命傷に至らない。確かに長時間浴び続ければ生命の危機に瀕するし、現にこの灼ける苦痛は無視できそうにない。ただ、曲がりなりにも俺のカイウスも炎を操るのだ。この程度の熱、契約者の俺が耐えきれなくてどうする。


 少しでも時間を稼ぐ。そのためにも俺は、無理を押して煽るように彼女に中指を立てた。



「ぬるま湯だろ、こんなの」


「……そう、炎には免疫があるのね。なら!」



 その時、空が爆発した。夕暮れ時かと思えば、まるで全天が闇に包まれたかのような衝撃が走った。初め、俺はそれが雷鳴だと気が付くこともできなかった。遠雷とはまるで違う、眼前に直撃雷が落ちた時は、こんな爆発みたいな音がするのかと気が付いた。


 そして場が暗転したのは、によるものだった。何を馬鹿なと、俺も思った。だが、あいつが操るのは地獄の稲妻。その稲光は、光ではなく暗闇を放っていた。そして空一杯が闇で覆われたということは、それほど大きないかずちが、そこで轟いたのだ。激昂した彼女の怒りに任せるままに。



「死ぬまで天の槍に貫かれるがいいわ」



 もはや苛烈な憎悪を隠そうともしていない。奴にとって俺はプランを崩した不届き者でもあるし、寝首をかこうとしている厄介者でもある。そしてそれ以上に、こうやって格下の分際で羽虫が飛び回るようにうろちょろするのが気に食わないのだろう。


 来る。


 本能的に察知した。次の瞬間には、炸裂する雷電が俺の体を貫くと。そんな予感があった。故に剣を構え、未だ何もないはずの虚空に向かって全力で振りぬいた。


 次の瞬間、剣閃と黒雷が衝突する。魔力と闘気が真っ向からぶつかり合い、押しつぶされた力が爆ぜるように拡散する。それと同時に、お互いのオーラが周囲を包み込み、辺りは真っ暗になった。もはや俺にもあいつにも、互いの姿が認識できない。


 濃紺の闇が渦巻く最中、衝突するエネルギーがぶつかり合う轟音が鳴り響き、音も聞こえそうにない。視界も耳も奪われて、残された感覚は振るっている剣が受け止める強い衝撃だけ。今にも腕が吹き飛んでしまいそうな強い痺れ、自分の中にある蝋燭が、急速な勢いで融け、燃え上がっていく自覚があった。


 何でこんな役目を引き受けたのだっけか。そうだ、オリヴィアを助けるためだ。何も見えない筈なのに、その姿だけが見えた気がした。まだ幼かったオリヴィアが瞼の裏を過った。まだ俺が、妹の姿だ。


 俺は元々、自分の妹が好きじゃなかった。それはまだ俺が幼かったせいだった。三歳の時に妹が出来て、急に親の関心が妹にいったのを感じた。当然俺も親目線では変わらず愛されていたのだろうが、今まで一人しか子供がいなかったところが、二人目が生まれたのだ。当然構ってもらえる時間は半減。それどころか赤ん坊なのだからオリヴィアに割かれる時間の方が多かった。


 そんな幼少期特有の嫉妬があったせいだ。体が大きくなってもあまりオリヴィアと打ち解けられないまま、俺は義務教育を終えようとしていた。グラマースクールに通うお利口な妹とは違って、誰でも入れるような地元の中学。その頃にはオリヴィアは自分の才能に気が付いていた。生来はオックスフォードか、本人が願うならハーバードか。そんな風にオリヴィアは持てはやされていたものだ。


 俺はというと、特にやりたいこともないまま、勉強なんか続けるくらいなら就職でもしてやろうかと冬を過ごそうとしていた。イギリスの卒業は夏、これから一年かけてちゃんと進路を定めよう。そう決めていた。部活でやっていたフットボールじゃ食っていけそうもなかったし、適当に肉体労働にでも就くかと考えていた。


 それにフットボールは何だか好きとも嫌いとも言い難かった。体を動かすのは楽しかったし、仲間とプレーすることにやりがいも感じられた。もちろん、勝ったらめちゃくちゃ嬉しい。けれども、毎度家族が応援しに来てくれる時、オリヴィアが声も出さずにじっと見つめてくるのがやけに怖かった。粗を探されているようで、弱みを見つけられているような気がして。


 就職しようかなと春先に口にすると、大学はいいのかと言われたが、正直うんざりだった。大学の名前でもまた身内と比べられて惨めな思いをするのかと。そんな未来が見えるなら、最初から大学なんて行きたくなかった。


 転機が訪れたのは、中学の課外授業だった。近年加速し続ける、異世界と守護神にまつわる研究。その成果により、誰がどんな位階ナンバーズの守護神と契約できるか、DNA検査で分かるようになったのだ。それで研究に協力するサンプルの一員として、俺の居たクラスの全員が検査を受けることになった。


 その時に判明したのだ、俺の契約相手の守護神はアクセスナンバーが1207、極めて優秀な存在だということに。初めて自分を認められたような気がした。だからセクエントを目指そうとした。これなら俺にしかできないことだと信じて。


 やはり俺もイギリスの男児らしく、セクエントには憧れがあった。守護神と契約するというのは特別なことであるのは今でも変わらないし、スーパーマンのような存在になれるとあれば、男心に火がつくものもある。


 だが、そこでも立ちはだかったのは勉学だった。ただ力にかまけているだけでは、いつその人物が危険因子になるか分からない。だからセクエントは道徳、騎士道精神を中心に教育も施すし、守護神アクセスの免許を取るにも勉強が欠かせなかった。


 そんなのまとめてなんて、たかだか一年でどうすりゃいいんだよ。やりたいことは見つかっても、どうしようもなかった。俺は結局出来損ないなのかと本気で神様を恨んでいたと思う。若干荒れ気味になっていたのもあって、心配そうに覗き込んでくる妹が、その十数年で一番うっとうしく感じていた。そんな事あるはずないのに、弱っている自分があざ笑われている気がしていた。


 ある日帰宅したオリヴィアが、鼻息を荒くして俺の部屋に乗り込んできた。珍しく勉強をしている日だった。無謀だとは分かっていても、せめて守護神アクセスの免許は取ろうとしていた。公的なセクエントという機関に所属できなくても警備や護衛として民間で勤務できる未来はあるかもしれなかった。



「ねえ、お兄ちゃんジョージこれ見て! 近所のセクエントスクールに推薦入学があるの!」



 それは入学のパンフレットだった。セクエントスクールは、オリヴィア程ではないが多少は勉学に打ち込んだ人間でないと合格できないぐらいの入試ボーダーをしていた。だから無駄な足掻きだと分かっていても、一応勉強はしていた。だが、模試の成績は振るわない。そんな状況でもうすぐ出願しなくてはならないとなれば、俺の焦りもピークに達していた。


 口にした通り、推薦入学の募集要項だった。話を聞くと三日後が締め切りになっているらしく、ギリギリその入試情報に行きついたらしい。自分自身受験する歳でもないし、オリヴィアの進路とはかけ離れた分野だ。元々その道には詳しくなかったのだろう。何とか縋るような思いで、推薦入学の情報を得て俺に届けてくれたのだろう。



「ここなら、有力な守護神と契約している人なら小論文と面接だけで入試が終わるらしいの。ジョージは1000番近いんでしょ、だったら余裕だよ」



 でも俺はその時追い込まれていた。だからそれは、俺のためにしてくれたことだというのに、別の意味で受け取ってしまった。お前の頭じゃどうにもならないんだからと、嘲っているのだと思い込んだ。


 ついカッとなって、次の瞬間何をしたのかまるで記憶が無かった。目の前が真っ赤になるって、ああいうことを言うんだろうな。気が付いた時に目の前にいたのは、尻餅をついている妹で、床には書類が飛び散っていた。


 馬鹿にすんな、って多分喚いていた。いつも俺を嗤ってるんだろって、ありもしない言いがかりをつけた。ちょっとだけ冷静になって、もしかして妹を殴ってしまったかと怖くなった。苦手な妹相手とはいえ、年下の女子供に手をあげるような人間がセクエントなんてあり得ないとは自分でも分かったからだ。


 ただ、俺の剣幕に押し負けてその場で尻餅をついただけだと分かった。特に頬が腫れているようなことも、痛がっているようなこともなかった。


 焦りとか、劣等感とか、羨ましさとか、俺の中にくすぶり続けた薄暗い感情を全部乗せて、吐き出した。胸の中のつかえが取れて、悪い憑き物が落ちる。それなのに達成感とかすがすがしさはちっともなくて、やりきれなさと鼻の奥にツンと来る後悔だけが残った。


 今にも涙がにじみそうになるのを、何とか堪えているようだった。多分それは、感じる必要のない後悔をオリヴィアがおぼえたせいだろう。ただでさえ憔悴しきっている兄を余計に追い詰めた。おそらくは、そう思い込んで。


 悪いのは俺だ。それは間違いない。振り返って謝っても「あれは私も無神経だった」とオリヴィアは笑う始末。だが、あの日、あの時、あの瞬間、悪人がいるとしたら俺一人だけだ。



「ごめんね、ジョージ。余計なお世話だったね」



 震える声で立ち上がり、慌てて俺に背を向けた。どんな顔をしているか、見えても無いのに見えた気がした。


 そんな背中から、俺も目を逸らしてしまった。自然と視線は下がり、地面に散らばったパンフレットに目がいった。一度開封された跡がある。本当に目当てのものなのか、予め確認したのだろう。その上で俺に相応しいと持ってきてくれた、ようやく見つけた俺の夢を応援してくれた。


 にも関わらず、俺はその善意を踏みにじったのだ。パンフレットの表紙、黄色い小さな付箋があった。そこにはボールペンで、ゴシック体みたいに角ばった字で、「Fightがんばれ」って書かれてた。



「私、ジョージからあんまり自分がよく思われてないって分かってるよ。クラスの子にも可愛げないって言われるし、近所のおばさんだって私がこんなだからジョージもプレッシャーだねって言ってるの見たことある。あんまり、気も使えないみたいだし。……私もジョージみたいに、誰とでも打ち解けられる人になりたかったな」



 大槌で脳天を、おもいきりぶん殴られたような感覚だった。妹が嫌いってばれていたから、それで妹を追い詰めていたから、そんなオリヴィアにも俺を羨むということがあるのかと驚いたから、どれかって。


 全部だった。俺はそんな、だらしない自分から目を背けるように、天に唾を吐くつもりで、妹のことを煙たがっていた。それに気が付いて、恥ずかしくなって、悔しくなって、辛くなって、悲しくなって、そして後悔した。



「私、別に落ちても馬鹿になんてしないよ。スポーツが得意で、友達の多いお兄ちゃんのこと、ちゃんと自慢だと思ってる……」



 でも、ごめん。と、そう謝ってきた。



「それが不快だっていうなら、もうそっとしておくから安心して」



 去っていく背中が小さく感じられた。それは何も華奢で小柄だからとか、そんな理由ではない。


 この日からだ。俺があいつに対する態度を改めるようになったのは。実際に俺はオリヴィアが紹介した推薦入学のおかげでセクエントスクールに入学した。合格を耳にして、そっけなくおめでとうとだけオリヴィアは告げて、合格祝いだと腕時計を机に置いて、部屋に帰ってしまった。


 あの日のことが尾を引いている。そんなのばかでも分かった。だから俺は、すぐにその時計を身に着け、あいつの部屋の扉を開けた。その瞬間からだ、胸を張って自慢の妹だと言えるようになったのは。


 俺は俺に自信を持って、初めてオリヴィアを誇りに思えるようになった。


 二度と、死に目以外であいつを俺が悲しませることはないようにと誓った。多分それは今日まで守れたと思うし、実際誓いは貫けたと思う。


 ところで、何で今更こんな事思い出してるんだっけ。


 意識が走馬灯から現実に引き戻される。動かない四肢、熱を失っていく体。その反面、滲むように広がる生ぬるい血だまり。思い出した、全部ぶつけて、雷を吹き飛ばし、空っぽになった瞬間に守護神アクセスが途絶えた。その瞬間に黒魔術で錬成された黒鉄の槍で標本みたいに打ち付けられたんだった。


 体の中に風穴の開き、命が漏れ出す空虚な感覚。痛みを感じる神経さえ緩やかにマヒしていく感覚。白みゆく視界に、溢れかえる過去の記憶。


 多分、オリヴィアは逃げ切ることができたと思う。鬱憤を晴らすように伏した虫の息の俺を次々と槍で串刺しにしているのはマイフェアレディだろう。もはや痛みも感じられないから無駄だというのに、哀れな奴だ。


 俺はお前のおかげであの日夢を叶えたぞ。だから今度は、お前の番だ。


 花嫁姿も、白衣纏う研究者、学者の姿も見ることが叶わなかった。それはとても悲しいけれど、ただ今は未来のオリヴィアが幸せであらんことを祈る。


 薄れゆく意識の中で、最後まで鮮明に覚えていたのは、俺の中で決して褪せることのない、誇らしい誰かの姿だった。

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