炎を託して-6


 自信ありげな彼女の微笑みははったりではなかった。次々と迫りくる魔術の数々に翻弄されながら、じりじりとこちらの余力が削がれているのが分かる。確かにモルガーナの持つ魔術のリソースも削れてはいるのだろう。だが、キャスパーと既に戦闘した後で消耗しきった俺と、まだ守護神アクセスに慣れていないアーチー。こちらの兵力の方が乏しいことはもはや言うまでも無かった。


 何よりも重荷となっていたのは、こちらには守るべき存在がいることだった。言わずもがな、Phoneフォンを持たず戦力としてカウントできないオリヴィアとデイビッドだ。


 と言っても、二人とて足かせになりたくてなっている訳ではない。むしろ隙を見て逃げ出して、俺たちが自由に動けるようにしようと期を窺っているぐらいだ。それなのに二人が離脱しきれないのは、マイフェアレディに原因があった。


 的確に、あの二人を使って俺やアーチーの気を引き、誘導しようとしている。オリヴィア達が移動をしているのを確認すると、すぐさま退路を断つように魔術を行使する。しかも彼女のいやらしさを感じるのは、それで一息に人質の二人を殺さないところだ。あくまでも標的は俺とアーチー。すなわち、円卓の契約者という訳だ。


 ただ、その揺さぶりのおかげで二人の命に別状がないどころか、ほとんどモルガーナの黒魔術で怪我をしていないのが救いだった。もちろん俺やアーチーの助け舟がなければいつでも死んでいただろうが、ギリギリ間に合う程度の速度でのみ、攻撃を仕掛けている。


 しかし、均衡はいつしか崩れるものだ。今回は俺たちの疲労が限界といったところだろうか。高名な騎士が二人そろっているのに不甲斐ない。己の弱さを呪い、眉根をひそめた。



「カイウス、手立ては何かないのか」


『そうだな……ガウェインが本領なら勝機はあるだろう。だが……』



 今は夕刻だ。冷淡にカイウスは告げる。ガウェインが本領を発揮するのは正午まで。そしてそのリミットをゆうに数時間は超えていた。守護神ガウェインは、伝説上の彼と同じ能力を有している。ただでさえ比類なき身体能力と剣術が日の出から正午という限られた時間だけ三倍になる。


 身体能力が三倍になる。それも、等倍の時点で守護神アクセスの副次効果で映画のスーパーマンじみている状態で、だ。文字にしてみると地味に見えるが、これは尋常ならざる振れ幅を持っている。何も同じ強さの人間が三人集まるのではない。それ以上の効果が、その異能には含まれている。



『俺たち守護神の異能を使い、人工的に太陽の概念でも作ることができればこの場を昼と誤認させることもできる。そしてその手立てもある』


「あんのかよ! じゃあ、その方法を……」


『駄目だ、お前にはできない』


「おい、もったいぶんなよ。今はやるしかないんだ」


『……そうじゃない』



 カイウスが、実際にその手段について俺に耳打ちした。瞬間、彼が無理だと告げた理由に同意した。確かにそれは、俺にはできそうにもない。この場に疑似太陽なんてものを本当に作り出してしまったら、近距離にいる生身のオリヴィア達がそのまま丸焦げになってしまう。


 心理的に反撃が不可能な状況を作り出す。本当に、あの悪女はこちらを翻弄するのに長けているようだった。どれだけ不意を突いてあの二人を先に逃がそうとしても、マイフェアレディがそれを許さない。未来を見通しているのかと誤認する程だが、単純に視野の広さと余裕に由来するものだろう。


 あいつらを逃がすために必要なのは何より、相対するマイフェアレディの油断や焦り、その隙を突くことだ。だが、少なくとも油断はないようだった。これだけ力量差があるというのに、狡猾な彼女は蜘蛛のように慎重に息の根を止めようとする。糸で絡めとるだけに飽き足らず、牙を突き立て、生き血を啜るまで気を抜こうともしない。



「じゃあ、どうしろって!」


『円卓の特権を使って発熱能力をガウェインに託すといったところか。それでガウェインめが足止め、あわよくばモルガーナを始末している間にお前が二人の手を引いて戦線離脱。それが無理なら、もう俺に出せる提案はない』


「……そんなことさせられないって」



 アーチーはかなり限界が近かった。そもそもセクエントスクールに入学が決まっただけ。実戦経験どころかトレーニングさえほとんどしていないのだ。ここまで戦えているだけでも奇跡というべきだろう。あるいは、ガウェインの持つ潜在能力が高いというべきか。


 スクールでの鍛錬を三年積んだ俺でさえこの体たらくだ。二人を守るために気力を吐き出し、闘気の塊を飛ばし続けたアーチーだ。既に活動限界は近い。キャスパーの最後の瞬間同様に、守護神アクセスが途切れることも考えられた。


 現状、俺とアーチーが何とか持ちこたえているのは二人がかりで死角を潰し、互いにフォローするのが間に合っているからだ。また、雷撃はカイウスの剣閃、獄炎はアーチーの闘気オーラの放出と、適した役目に分担しているのもある。


 だが、長引けば長引くほど、元々できていたものができなくなってしまうのも避けられない。俺の剣を振るう手も鈍くなっているような気がするし、何よりアーチーの気迫から、勢いが削がれてきている。


 そんな状況であいつと一対一で戦わせるなんて大役を負わせるわけにいかなかった。しかも、確証の高い挑戦などではない。一か八かの大博打だ。これがただの訓練、負けてものある戦いならそれで良かっただろう。


 だがここは戦場で、あいつは敵だ。次の機会を刈り取るために、俺たちは今襲われている。


 そして俺たちは今、戦っているのだ。



「カイウス……今、さらっと円卓の特権って言ってたけど聞いたことないんだけど?」


『円卓の騎士の内、幾人かは一部の異能を一時的に他の騎士に貸与できる、それだけだ。俺の場合は炎熱の能力がそれだ」


「例外もあんのか」


『巨大化などは無理だ。ガウェインの異能も、あいつ本人の天性の肉体があってこそのものだから譲渡できない』


「へえ。にしてもなんで円卓ばっかりそんなに恵まれてるんだよ……俺が言うのも何だけどさ、ずるくね?」


『俺たちの主が特別な存在だからな。そしてその主が、ガラティーンをガウェインに貸し与えたという話から、武器を貸すように能力の貸し出しも行えるようになった』



 カイウスたちの主、当然アーサー王伝説の主人公でもあるアーサー・ペンドラゴンの事だろう。イギリスの人間どころか、ヨーロッパの広い地域において英雄として名高い伝承上の人物。


 そして現代でも彼は、別の意味で憧れと注目を集めている。俺やアーチー以外にも存在する、円卓の騎士との契約者。彼らが言うにはその王、アーサー王は守護神としても別格の存在らしい。守護神としても最高位に位置する存在であるため、側近である円卓も世界から強力な加護を受けている。



「じゃあ、俺たちの炎を使えば、アーチーはモルガーナを圧倒できるのか?」


『可能性は低くない、程度だ。正直なところ、そんな大役があの小僧に務まるようには……」


「それに関しちゃ信じるしかないさ。何、大丈夫さ。あいつああ見えて、ガッツあるからさ」


『……聞いていなかったか。今その策は打てないと』


「今じゃねえよ」



 俺は、次の話をしているんだ。そう言って無理に口角を引き上げる。その様子に、カイウスも何かを悟ったようだ。つくづく損な役回りだなと、呆れるような声。だがその声には何となく、自嘲もこめられているような気がしてならなかった。


 でも仕方がない、俺たちは生まれつきそういう生き物なんだ。



「任せるぞ、アーチー」



 カイウスが出す指示に従い、俺はアーチーに掌を向けた。体中の熱をその掌に圧縮するイメージを持つ。だが、能力としては発現させない。その力の塊、守護神の世界では能力の行使権と呼ぶらしいが、それを一時的にアーチーに譲渡した。


 カイウスのオーラの色とはまた違う、紅蓮の光の塊が飲み込まれるようにアーチーの体へと沈みこみ、溶け込んでいく。吸収された力が、譲渡が完了したことを示すように、一度だけ彼の体内で鼓動を刻んだ。


 案外簡単にできるもんだなと感心する。かと思っていれば目の前では、今行われたやり取りを確認したマイフェアレディの顔つきが変わった。おそらくモルガーナからの入れ知恵で、この行為が何を示すのかを聞き届けたのだろう。ようやく、余裕ぶった薄ら笑いが剥がれる。


 だがそれは、何一つ事態の好転を示していない。むしろ悪化だ。何せここからは、なりふり構わない形で俺たちを、特にアーチーを殺しにくるのだろうから。



「夜のとばりよ、かしずきなさい」



 鋭くぴしゃりと言い放つ、そんな彼女の口調には純然たる殺意だけがにじんでいた。殺傷能力を持たないただの黒い力の塊が、全方位を埋め尽くし大きな部屋のような空間を作り出す。光は遮られ、暗黒だけが包みこむ宵闇の充満した部屋。徹底的に日の光を排除した空間で、ガウェインだけは始末しようとしているという訳だ。



「後のことは考えるな! 目の前の壁だけぶち破れ、アーチー!」



 どこにいるのかも分からないため、できるだけ声を上げて指示を飛ばす。「でも」と言い淀む声がした。そんな事をすれば、完全に守護神アクセスが解除されてしまう。そう言おうとしているのだろう。


 だが、それで構わない。一点の綻びさえあればいい。オリヴィアさえこの場から逃げてくれればそれで良かった。アーチーにこの、いしさえ託せればよかった。デイビッドがいれば、いつしかオリヴィアの心の傷は癒えるだろう。


 残った俺が引き受けるべき仕事はたった一つだ。目の前の化け物、大魔女と戦うこと。いつかアーチーが打ち破るべき怨敵を引き付けることだ。


 後ろから、轟音と爆風が駆け抜けた。余力全てを使い果たしたアーチーが、マイフェアレディの張った夜のとばりに風穴を開けたようだ。オーラも尽き果て、守護神アクセスも遮断される。力なく倒れそうになるのを我慢して、アーチーは逃げ道の先陣を切った。



「こっちだ!」


「えっ、でも……ジョージは」


「お前らがいたら戦えないだろ! まずは逃げるんだよ!」


「そっ、そっか。……そうだよね? ねえ、デイビッド」



 段々オリヴィアの声が遠く離れていく。感情論でぐずっている部分もあるようだが、オリヴィアは基本的に理性と論理で動く人間だ。足を止めることはない。今しか逃走の機会が無いことも、さっきまで自分の身柄が人質として利用されていたことも理解している。


 だから、負担を減らすために逃げなくてはならないことも理解していた。だが同時に、絶対的な大前提のことも忘れていない。俺一人でこんな化け物に勝てる訳が無いのだ。


 だから必死に、縋るように問いかけているのだろう。大丈夫だよね、と。同じように守られている側だったデイビッドに対して。一方、問いかけられたデイビッドはきつく一文字に口を結んでいる。かける言葉が見当たらないと、


 今の自分にできること、それだけを考えたようだ。だから彼はそのまま、安心させるためにも無言でオリヴィアの手を取って、共にアーチーの背中を追う。そうだ、きっとあいつはそれでいい。そのままオリヴィアが後ろを振り返らないように、まっすぐ手を引いて進んでくれれば。



「待ちなさい!」



 逃がすものかと、マイフェアレディは声を荒げた。その黒魔術で、空中に泥人形をこねるように式神を錬成する。その式神は魔女の使い魔らしく、狼の形をしていた。こんな人形劇までできるのか。その能力の多彩さに、先ほどの言葉を撤回する。何も円卓だけが優遇されている訳ではなかった。高位の位階ナンバーズを持つ連中は、どいつもこいつもインチキだらけだ。


 だが。



「通さねえよ」



 俺の声を聞き届けた彼女は、次の瞬間に面食らった。俺の全身から吹き荒ぶように漏れ出した、異形の闘気の塊に慄然とする。ようやく必死そうな顔にしてやれたとほくそ笑む。


 普段はあまり使わない、最後の切り札。それはカイウスの異能の中で最も荒々しく、品性に欠けており、燃費が悪いことから使うことを本人カイウスがよしとしないせいだ。


 だが、有事の際はそんな拘りなど、犬の餌にでもしてしまえ。この一瞬、一秒、一刀に賭けるように、残された力を惜しげもなく放出する。これはカイウスが自身の背丈を自由自在に操れるというところに由来する能力。


 何も俺自身がでかくなる訳ではない。俺の身から溢れるように迸り、漏出したオーラが形を持ち、俺の背後で全く同じ動きをトレースするような巨人を生成する。俺の後方には今、俺と同じように剣を構え、完璧に同調して剣を振り下ろす騎士の影が憑いていた。


 そして剣を振り下ろす。モルガーナの使い魔、闇で錬成された狼が押しつぶされ、空中に残穢が霧散する。地面に亀裂が走り、地響きが轟いた。継戦能力を度外視した、短期決戦の最後の切り札。


 男なら、一度は口にしてみたい言葉があった。でもこれまで、使う場面なんてあるはずなかった。あったとしてもきっと、恥ずかしくて口にできないだろう。でも、後悔する猶予も残されていない今なら、躊躇はない。それに、こんな局面で言葉にできるなら、ちょっとぐらいは格好がつくだろうか。


 忌々しげに逃げ往く三人の背を見送るしかなかったマイフェアレディが俺を睨みつける。氷のような冷たさに満ちた相貌に、射抜かれたような気持になる。だがオリヴィアのためにも退くわけにいかなかった。


 毅然と立ち向かう、騎士の盾がごとく俺はそいつの前に立ちはだかり、覚悟を決めて口を開いた。



「あいつらを殺すって言うなら、先に俺を倒していけよ」



 前言撤回だ、ほんの少しだけ、背伸びをしているような気がして、やっぱり多少の後悔を感じることになった。

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