炎を託して-5


 アーチーたちを見つけるのはそう難しくなかった。逃げながら戦っているであろう状況が予測できたため、なるべく急いで座標の地点に向かった。川沿いに呼び出し、視界が開けた途端に、暗雲が立ち込めているのを発見した。それは比喩ではなく、本当に暗闇が立ち込めていたのだ。


 マイフェアレディは黒魔術の使い手を守護神として従えている。カイウスと同郷に位置する、伝承界と呼ばれる異世界の出身だ。名をモルガーナ、奇しくも俺とアーチーの双方と浅からぬ関係のある原典を持つ。


 その黒い靄の中心で、果敢に剣を掲げているのはアーチーだった。遠くからでも目立つ赤毛の少年が橙色のオーラに身を包み、巨大な剣を振り回す大立ち回りを演じている。カイウスと同じように、ガウェインが刀を錬成しているのだろう。ただし見た目も色もまるで違う。あの大きな剣こそが、ガウェインに相応しい形状であり、橙色のオーラこそが彼の放つ闘気の色なのだ。


 黒魔術の詳細を俺はよく知らない。まさしく真相は闇の中というべきか、正確な詳細は本人しか把握しようがないらしかった。ある守護神ものはモルガーナは嵐を従えると言い、またある守護神ものは業火を振りまくという。他にも、その暗澹とした黒い魔力の沼底に沈んでしまうとも言われているとか。


 何をしでかすか分からない、アーサー王や円卓の騎士の伝説におけるトリックスター。その自在な手練手管は守護神に転生しても健在である。悪女めがと、苦々しい毒をカイウスも盛らす。モルガン・ル・フェともなれば、彼らが主である重体のアーサーをアヴァロンに届けた水先案内人ではあるのだが、後に魔女として書かれるモルガンと言えばアメコミ風に表すならヴィランだ。


 黒紫のいかずちが空間を引き裂く。空間に枝葉を伸ばすような雷光が瞬いたかと思うと、直後に一筋の太い電光がアーチー目掛けて襲い掛かる。瞬きさえ間に合わぬような刹那の雷撃、咄嗟に俺が声を上げるも、その声が届くより先にアーチーに降りかかる。


 間に合わなかった、そう思い込んでしまった。背筋に冷たい絶望が走りかけた瞬間、他ならぬアーチーのときの声に、そんな後ろ向きな情動は消し飛ばされた。



「おおぉらぁっ!」



 力任せ、技術もへったくれもない。だが、尋常ならざる腕力を乗せ、巨大な剣で薙ぎ払う。技巧による鋭さと速度を突き付けた、俺とカイウスとは違う。生来の身体能力の高さを愚直にぶつけるような戦闘能力。


 それは直接的な熱を持っているわけではない。だが、ガウェインとその剣、ガラティーンが内包するエネルギーは圧縮された火薬のような爆発力を秘めていた。単なる闘気を乗せた全力の一振り。ただそれだけの筈なのに、嵐と紛う程の凄絶な剣圧が生じていた。


 黒い稲妻をねじ伏せ、渦を巻く闘気が斬撃と一体となって津波のように押し寄せる。退路を断つような広範囲攻撃、唯一残された逃げ道は後方だが、留まることなく襲い掛かる斬撃の津波からは逃げきれそうになかった。


 捉えたか。楽観的に考える。マイフェアレディがそんなに甘い存在であれば、何もこんなに悪い意味で伝説になっていない。


 パチン。指を鳴らす音一つ。マイフェアレディ一人くらいなら覆ってしまいそうな大きさの黒い渦が、斬撃と彼女を隔てるような位置に現れた。その後方で、退屈そうに欠伸なんて見せながらマイフェアレディはほくそ笑んでいる。


 渦巻くエネルギーの奔流がその姿を飲み込んでいく。アスファルトの大地を巻き上げるように斬撃の嵐が横薙ぎに走り抜けた。その余波が突風となってこちらまで襲い来る。だが、それは決して決め手にはなってくれなかった。


 黒い渦の障壁。その後ろには無傷のまま彼女が立っていた。周辺の地面は抉るような切り傷にまみれているというのに、彼女の足元だけは無傷のままだった。まさか、あのちんけな防壁程度で守り切ったというのか。


 情報が正しければ、モルガーナの位階は555。ガウェインを強く見積もって800番丁度だとしても、その格の違いは否定できない。それにしても数値にしてみれば、百万近い位階の最上層で数百程度違うだけなのに、こうもステージが違うというのか。



「ごめんなさい、お腹いっぱいにはまだほど遠くて」



 もう一度指を小気味よく鳴らす音。今度は上空に黒い渦が生まれた。だが、先ほどのものとは少し様子が違う。さっきのは中心に向かって渦を巻くようなものだった。だが、今度現れたのはどうも、外に向かって放出するような向きで力が回転しているように見える。


 単なる壁の能力ではないのか。上空に作られた黒い円盤を、警戒を解くことなく観察する。



「でもこれ、つまらないから返すわね」



 返す。一体何を返却するというのか。そんなもの、予想しようにも一つしか心当たりが無かった。渦の向きが異なることもそれなら納得が付く。先ほどマイフェアレディは自分への攻撃を防いだのではない。


 削り、喰らったのだ。


 そして今、吐き出そうとしている。彼女の嗜虐的な笑みの向こう側、視線の先にいるのが誰なのかを確認する。その標的を特定した瞬間、俺の体内で血が滾る。怒りが沸騰し、ふざけるなよと奥歯を噛み締めた。


 上空から、鮮やかな橙色の力の奔流が吐き出された。唸りを上げ、斬撃を巻き込み、地上へと一心に降り注ぐ。その先にいるのは、オリヴィアとデイビッドだった。



「しまっ……」



 慌てて振り返ったアーチーが、二人を守るべく駆け出そうとする。だが、叶わない。浮遊する闇の球体が、隊列をなしてアーチーの周囲を囲い込んだ。瞬時に吹き飛ばし、脱出しようとしたのだろう。アーチーは剣を大地に突き刺し、それを媒介として自分の周囲にオーラを爆散させた。


 だが、その程度ではモルガーナの魔力の塊はびくともしなかった。むしろそのアーチーの反応は、彼女の罠の引き金となった。さっきと同じ要領でアーチーが放出したエネルギーを我がものとして吸収する。そして黒魔術の魔力リソースとして変換、次の瞬間には逆に、アーチーにあだなす業火となり果てた。



「太陽に愛された騎士を燃やすというのも悪くないわね」



 地獄の業火が召喚される。破裂するように闇の球体が崩壊すると、中からはどす黒い業火が溢れ出した。アーチーの全身を灰と化す勢いで獄炎は降り注ぎ、黒いペンキをぶちまけたように、アーチーの姿が見えなくなる。



「アーチー!」



 眼前にいるオリヴィアとデイビッドの声が重なる。二人の顔は、友を喪う恐怖に歪んでいた。ともすれば、次の瞬間にはもう一つのモルガーナの攻撃で自分たちが死ぬかもしれないというのに、そんなことそっちのけでアーチーの心配ばかりしている。


 闇に塗りつぶされた赤毛の騎士。だが、その輝きが潰えることはなかった。業火の殻に包まれてしまったアーチーだったが、次の瞬間にはその闇の壁を打ち砕くようにして、オレンジのオーラが漏れ始めた。卵が割れるようなひびが業火のコーティング全面に走り、中から煤にまみれたアーチーが現れる。


 何とかオリヴィア達に駆け寄ろうとしたのだろう。だが、あの獄炎を吹き飛ばすのに想定以上に消耗してしまったのだろう。膝から崩れ落ち、何とか倒れ伏してしまわぬように、大剣ガラティーンを杖代わりに体を支える。


 間に合わない。その力不足、不甲斐なさを嘆いたアーチーが、己への怒りをぶつけるように、友の名を叫んだ。



「オリヴィアァーッ!」



 どいつもこいつも他人のことばかり心配しやがって。


 絶望に染まった表情で、見ていられないとばかりにアーチーは顔を伏せた。見ていられなかったのだろう、幼馴染である少女や、親しい友である少年が、よりによって自分の攻撃を流用されて殺されてしまうのが。


 だが、もう二人の安否に関しては心配ない。



「よく耐えたな、アーチー」



 もう一人の騎士がここにいる。モルガーナが吸収し、再度放出したガウェインの斬撃。図らずも大切な友を手にかけようとする剣戟の正面に、紺色の円卓騎士が立ちはだかる。


 荒々しく乱暴な力の奔流。それは確かに表面上はどう猛で暴力の化身として振る舞っているが、カイウスに言わせれば力の錬磨が足りていない。たった一つの綻びからあっという間に解けて消えてしまう、儚い暴力性だ。


 カイウスの剣の上に、より一層強い闘気を上塗りするように重ねがけした。平時以上に研ぎ澄まされたカイウスの剣、そしてその刃と一体化し、研ぎ澄まされた闘気を射出するように斬撃を放つ。


 神速の剣戟に空気までひん曲がった、悲鳴のような残響が一つ。三日月形のオーラが、飛翔する斬撃と化してロンドンの空を翔けた。そのまま迫りくるガウェインのオーラを真っ二つに切り裂いていく。


 そのオレンジのエネルギー波は、正面から両断されると、そこを起点として徐々にバラバラになって霧散していく。あれほど熱量を持っていた衝撃波が地上にたどり着くころにはそよ風がごとく威力を殺されていた。



「ジョージ、無事だったの?」



 後ろでオリヴィアの声。その声は先ほどアーチーの名を叫んだ時の、今にも張り裂けてしまいそうな声ではなく、弾けるような期待に満ちていた。オリヴィアの無事に声で気が付いたアーチーも顔を上げる。視線の先に俺がいることに気が付いたらしく、今にも泣きだしそうだったその表情の、涙の理由が変わった。


 だが、泣くにはまだ早い。マイフェアレディはまだそばで笑っている。無傷で、不敵に、嘲るように、俺たちを高い位階ところから見下ろしている。



「立てるか、アーチー」


「いけるよ、任しといて」



 気力が湧けば体に込める力も強くなるというものだ。一対一の苦しい状況が改善したことに、アーチーは背を押されているようだった。未だにふらつきは残るものの、できるだけ強い気持ちでいられるように、交戦的に笑っていた。


 確かに一つ一つのコマとしては、彼女に敵いはしないだろう。だが、二人そろえば話は別だ。キャスパー戦の疲労が体に残っているのは気がかりではあるが、それでも彼女もここで捕えねばならない。


 俺たちの焦りを見透かしているのだろうか。それとも何か、事が思惑通りに進んでいるのだろうか。マイフェアレディはただ、不敵に微笑み続けていた。

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