炎を託して-3

「ふざけんなよ!」



 激高した化け猫が襲い掛かる。相変わらずの、両腕を使った二段攻撃。一本の刀では捌ききれないと先ほど理解したため、相手の呼吸に合わせ、左、右とリズムよく体をひねらせ回避した。虚しく空だけを裂いて、四つ足の体勢で奴は着地した。


 唸るように荒々しく息を吐き出す姿と言い、本物の獣にしか見えない。外した、そう理解した直後にまた、本能的に動き出した。四つ足のまま、今度は脚力でなく腕力で跳躍した。曲げた腕を伸ばすときの勢いで、また銀の影が迫りくる。


 身を翻す勢いも加えた一裂き。大げさに構えた右腕を振り下ろす力と、全身を捩る遠心力を同時に乗せた一撃。総計五本の鋭爪が、立ちはだかる俺を切り身にするべく降り注ぐ。何度も剣で受け止めているから分かる。まともに食らえば確かに致命傷だろう、だが。


 一閃。音さえも殺すようなカイウスの技巧。静謐を保ったまま放たれた神速の斬撃が、その腕を捉えた。斬り落とされた怪猫キャスパーの凶爪が、寂しさを吐露するような声を上げて地面に堕ちた。


 再生の隙は与えない。そのまま矢継ぎ早に斬撃を浴びせ続ける。斬り、裂き、焦がし、炙り、突き、貫き、刻み続ける。その度に応戦しようとする少年だが、抵抗というには無力なものだった。腕で受け止めるも、勢いを殺しきれずに転がる。それでも何とか立ち上がろうとしても、熱に体が音を上げ始めていた。不意打ちの様に放たれる突きに何とか対応して身を捻っても、バランスを崩して不利になるだけだ。


 よろめいたところに蹴りを放った。どうやら剣にしか意識がいっていなかったのだろう、防ぐこともできずにあっさりと痩身の男の子は吹き飛んだ。もはや半壊状態の街並み、そこに立ち並んだコンクリートの壁に正面から叩きつけられていた。


 短く吐かれた喘鳴、もはやその幼い体には限界が訪れていた。肉体活性のおかげで内臓破裂や複雑骨折までは負っていないだろうが、全身の打撲、広範囲の火傷、多くの擦り傷と捻挫は免れられない。



「どうし……こんな……」



 未だに少年は、自分がここまで打ちのめされている現実が理解できていないようだった。瞼のあたりが火傷の水膨れで腫れあがり、目も完全には開いていない。だらりと垂れた腕は変に曲がって居たりはしない。おそらく力を籠めると痛みが強まるからそうしないといけないのだろう。もう興奮状態は収まり、脳内麻薬のごまかしも効かなくなったのだろう。


 歯が砕けてしまうのではないかと思うような歯ぎしりの音が、静けさの中波紋を広げるように届く。



「もういいだろ、お前の負けだよ。大人しく捕まれ」



 そして剣ではなく法で裁かれてもらう。我が家を更地にしてくれたこと、周囲の街並みにも余波を広げたこと。そして何より、無関係だったはずの親父を殺したこと。このような破壊活動、テロリズムに守護神を用いるのは当然ご法度だ。知りませんでしたじゃ当然済まない。



「負けてない! どうして……! 僕のキャスパーの方がカイウスよりも上じゃないか、なのにどうして歯が立たないんだ……」


「世の中お前が知らないことが沢山あるんだよ」


「馬鹿にするな! 守護神の強さの序列はナンバーズが小さい方が上! そんな事、学校に行ってなくても、幼稚園児ナーサリーでも知っているぞ! どいつも、こいつも……僕らをゴミ溜め出身って馬鹿にして……。だけだ、そんなこと言わなかったのは。だから、あの人に変えてもらうために僕は……お前たち円卓を殺さなくちゃいけないんだよ!」



 もう一度、最後に残された己の命を薪として、彼の全身から白銀のオーラと、消滅の白光びゃっこうが発散される。そんな事をしても威嚇にもならないというのに。案の定だった、彼の消滅の光は先ほど俺が予想した通り、守護神のオーラだけは浸蝕できないようだった。砂埃、残された家屋の壁、吹きすさぶ風の運んでくる塵芥。そういったものは触れると同時に消えてしまう白光も、カイウスの剣と鎧は消すことができなかった。



「そうだな、お前の言うとおりだ。原則はな」


「原則、は?」


「そうじゃないこともあるって事さ」



 円卓の騎士は、本来もっと上位の位階を有していたが1200番台のNo.ナンバーズに留まっている。それは彼らが、円卓の騎士が十二人だと再確認するための願掛けのようなものだった。伝説の中で彼らは、壮絶な身内争いで滅んでしまった。だからこそ、死後の世界では今度こそ手を取り合うと誓ったのだ。


 その戒めこそが、位階に刻まれた数字だった。本来与えられた一層高い席次を破棄する場合、望む位階を手に入れることができる。



「カイウスの本来の席次はもう少し上だ。丁度お前のキャスパーと同じぐらい。後、ガウェインに関しては大体800程度。見かけの数字じゃ分からないんだよ」


「そんな、何でそんなルール破りができるのさ」


「俺たちにも分かんねえよ。でも多分、守護神的にはこれも、ルールに則ってるんじゃねえの?」



 それが、俺に勝てない理由の一つ目。本来の守護神としての実力スペックに大差はないのだ。彼はきっと、その位階の差というものを絶対の優位と信じていたのだろう。だからあんな風に戦いを、あるいは殺し合いを楽しんでいられた。自分が勝って当たり前だなんて、思っていたから。



「そして理由の二つ目。守護神には相性がある」



 例えば、アレキサンダー大王のような、生前王であった守護神がいるとする。そういう存在を、王の性質を持った守護神と呼ぶ。また、クレオパトラや楊貴妃といった、国王をもたぶらかしたような絶世の美女は傾城の性質を持っているという。このように属性に従うと、王の守護神は傾城の守護神に対して相性が悪いと言われる。傾城というのは、君主皇帝国王さえも篭絡する存在と知られているからだ。


 それとはまた別のケースで、人々の言い伝えから相性の有利不利が生まれることもある。その例として相応しいのは今この瞬間、俺とあいつの間で成り立っている関係が相応しかった。



「後年ではアーサー王が倒したとされる化け猫キャスパリーグ、でも過去にさかのぼってみると、元々化け猫退治をしていたのはケイだったっていう話があるんだ。守護神たちの肉体も、住んでいる異世界も、俺たち人間界の夢、幻想、想いが寄り集まってできたものだから、そういう言い伝えが色濃く反映されるんだよ」



 カイウスには、“キャスパリーグを倒した勇士”という属性がある。だからこの場において、単純に二人きりで力比べをした場合俺が有利になるのだ。何もあの少年自体にも、無論キャスパーにも落ち度はないし、カイウスが卑怯な手を打った訳でもないのに。世界のルールで、そのように決められている。


 それが、第二の理由だった。



「ここにオリヴィア……俺の妹がいなくて良かったな。浅学は改めなさいって叱られてたぜお前」


「うるさいな……望んだってできるような暮らしじゃなかったんだよ」


「だろうな、でも、学校に行けなくても、やっちゃいけなかったことぐらい知っておけよ」



 自分が愚弄されたと思ったのか、これまでの非運を、境遇の悪さへの怒りを吐き捨てるように彼は叫んだ。だが、そんな甘えを受け入れるつもりはない。何も俺は、人を傷つけてはいけないと学校で学んだつもりはない。躾だったり理不尽な暴力だったりで痛みを知って、それを人にぶつける人間にはなるまいと決めた。



「自分の辛さを他人にもぶつけていいって開き直る奴は、生まれもってそんな事思ってやがる。それは境遇とか育ちの悪さじゃなくてお前の心の奥底から生まれたものだ。誰に教えられなくても、人のことを慮れるやつはいる」


「何だ説教かよ、そんなにぬるま湯じみた甘ちゃんが偉いのかよ」


「違う、俺たちが偉いんじゃなくて、お前たちが可哀そうなんだ」


「だから……馬鹿にすんなって言ってるだろうがぁ!」



 命を賭してでも、俺だけは殺す。そう、決意したのだろう。しかし、残念ながらだ。


 急に少年の全身から力が抜ける。彼の体を覆っていた白銀の闘気、それは煙のように天へ立ち昇って消えてしまった。消滅の白光も同じだ。不意に存在感を失い、雪のように融けてしまった。


 全身に込められていた力も霧散していく。守護神アクセスの副次効果である肉体活性も当然、こうなってしまっては無かったことになる。これで少年は丸腰同然、ただの非力な子供だ。なぜなら今、守護神アクセスは解除されてしまったのだから。


 彼が俺に決して勝てない第三の理由。それは守護神アクセスの時間制限だ。



「守護神と契約したばかりの人間は、まだ己と契約相手の間に繋いだバイパスが細い。だから、短時間で守護神アクセスはタイムリミットを迎える。俺とカイウスの信頼は三年仕込みだ。ところで……」



 お前の研鑽はたかだか何時間なのか言ってみろよ。


 眉間に力を込め、細めた目で彼に問いかける。脱力と同時に、緊迫感も度胸も飛んで行ってしまったのだろう。「ひっ」と一つ、子供らしい悲鳴だけ残し、表情は恐れと焦燥とで情けなく崩れた。さっきまでの怒り、ずっと前の余裕ぶった薄ら笑い、その面影は一切残っていない。



「も、もう一回だよ。守護神あくせ……」


「間に合わねえよ」



 Phoneフォンを取り出し、サイドキャスパーを呼び出そうとする。だが、それは叶わない。今の少年は生身の人間、向き合う俺はまだカイウスと一体となっている。取り出した小型デバイスは無防備にも程があった。


 俺とあいつを分かつように、紺色の残像が間の空間を駆け抜けた。カイウスの剣による高速の斬撃。一瞬、斬られたことにすら気づいていなかったようだが、次の瞬間にPhoneの液晶の上に一筋の線が走った。斜めに走った断面を滑り落ちるようにして、小型の機会は真っ二つに分かたれた。断面からは一拍遅れ、火が上がる。内部部品の内、発火性がある物がカイウスの熱により引火したのだ。


 突如揺れた焔の光に怯え、もはや機能を果たさないゴミとなったそれを少年も投げ捨てる。器用にも彼の手には傷をつけることなく、守護神アクセスだけを封じ込んだ。


 しかし、まだ終われない。



「まだお前にはオリヴィアの分の借りしか返してなかったな」



 その言葉の意味にすぐには思い至らなかったらしい。ふと、彼は火傷していない側の頬に触れた。そちらには先ほど俺が剣先を掠めてつけた切り傷があった。先ほど彼がオリヴィアに投じた斬撃で出来た頬の傷とお揃い。喘ぐような呼吸を二回ほど挟んだところでそれに気が付いたらしい。


 彼に見せつけるように、断頭台のギロチンのように天高く剣を振りかぶった。次の瞬間、こいつももう一つの借りに思い至る。彼が最初に手にかけた、俺たちの父親。それはどのような姿で俺たちとの再会を果たしていただろうか。



「ごめんなさっ……」


「聞こえねえな」



 大きく振り上げた刃を上空から一息に振り下ろす。音を立て地面にぶつかる。少年の体を引き裂くことはなく、アスファルトの大地を砕いた。


 分かっている、彼の首を落としても、俺自身満足できないこと。親父も帰ってこないってこと。だったら俺は、俺が生きやすいように生きていきたい。こんなガキ一人殺した十字架なんざ背負いたくなかった。何より、こんな可哀そうな奴と同じところに堕ちるのが嫌だった。


 復讐は何も生まないなんて綺麗事は糞くらえだ。だから俺は、俺のエゴでこいつを殺さないことに決めた。オリヴィアを人殺しの妹になんてしたくなかったから。


 死んだと思ったのだろうか。失禁したまま恐怖のあまり意識を失ってしまったらしい。寝小便とは何とも子供臭いことだ。心を強く保つためにも、そんな毒を飛ばすことしかできない。


 ごめん、親父が殺されたってのに、こんな事しかできなかった。


 街がぐちゃぐちゃだっていうのに、馬鹿みたいに呑気なお日様を俺は見上げた。何とかして、今の自分が感じている感傷に負けないようにと。


 けれど、無理だった。雲なんてない、からりと晴れ上がった空の下、二筋の天気雨はしとしとと降り注いでいた。

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