炎を託して-2


 少年の焦りは火を見るより明らかだった。本来守護神の位階で言うと彼の方がいくぶんか上。そのはずなのに、俺に圧倒されている現実が理解できなかったのだろう。苛立ちでそわそわしているのか、視野が狭まっている。


 焦りに飲み込まれた獣など、もはや狩る側に戻ることはできない。でも、実戦慣れしていないであろうこいつは、それに気づけないまま戦っているのだろう。もし彼が元々恵まれた育ち方をしていたら、守護神の力を得ていなければ、もっとましな人生を営めたのだろうか。


 だが、たらればの話はするだけ無駄だった。事実こいつは今、計画的に俺のことを狙い、家族の命を奪い、オリヴィアまで手にかけようとした。俺がこいつを許せない理由として、あまりにも大きすぎる。


 まだ幼いのにとか、可哀そうにとか、そんな同情もカイウスの炎で灰にする。


 焦燥、苛立ち、敗北への恐怖。様々な負の感情で押しつぶされそうな心を奮い立たせ、灰色の髪を揺らす彼は、再び力強く地面を蹴った。



「直接触らなければいいんでしょ!」



 鋭く巨大な爪を装備した掌の中に、純白のエネルギーが凝集する。あれは先ほど、ボールのような形にしてオリヴィアに向かって投げていたものだ。何とかあいつは回避して難を逃れたが、その直後に壁をやすやすとくり抜いていた記憶がある。


 あれは単なるエネルギーの塊ではない。あれこそが守護神キャスパーの持つ能力本体だ。何を仕掛けてくるか分からず、警戒の糸だけ張る。だが、その警戒を肩透かすように、奴は家の中を壁沿いにただ走った。


 猫らしく俊敏な動きで家屋の中を瞬時にぐるりと一周する。掌に集まった白いエネルギーを壁に押し付けて、そのまま壁そのものを拭き取るように。奇妙な現象が起きる。彼のその白い光波に当てられた部分の壁が、まるで消しゴムで擦ったみたいに綺麗さっぱり消えてしまった。


 日本にあるだるま落としのおもちゃの様に、まっすぐ立っていたはずの家の壁が、中央に一筋線が入ったようにくり抜かれる。刃を用いていないのに一刀両断、支えを失い、空中で孤立した家屋の上半分が、そのまま崩落して俺たちの方に降り注ぐ。


 崩壊する瓦礫の向こう側、例の純白の力を薄く広げ、ベールの様に身に纏う奴の姿が見えた。がらがらと音を立て崩れ往く、かつて家だったはずの破片が、その純白のベールに触れるとそのまま、蒸発するように消えていった。あれはおそらく、単純なエネルギーの塊ではない。最初は撃ち出す勢いで壁をぶち抜いた大砲のようなものかと思っていたが、そうではない。


 あれ自身が消滅や崩壊といった属性を有している。あの白い光に触れたものはそのまま、消えてしまうのか。大体の能力に検討をつけ、直後に上方の空間に剣閃一振り。扇状の紺の残像の後に、剣戟の衝撃だけで落ちてくる建材を刻み、砕き、吹き飛ばした。僅かに残った木っ端も、カイウスの異能である熱と炎に当てられ灰燼と化す。


 あの手の光には触れないようにしなければならない。家がほとんど消し飛び、今や上空には青空が広がっていた。衝撃の余波がご近所さんにも広がっているようで、悲鳴混じりで逃げ惑う後ろ姿が遠くに見えた。


 周りに影響を出してしまったのには頭を下げるしかないが、逃げてくれたなら好都合だ。この少年から他の人を守りながら戦うのは骨が折れる。俊敏性だけなら俺より上なのは間違いない。手頃な人質を取られることが防げただけでも、見習いセクエントとしては上出来だった。


 あの消滅の光はどの程度自在に動かせるのかは分からないが、慎重に立ち回る。幸い、奴の爪が巨大とはいっても、こちらの剣の方が間合いは長い。俺の剣は届くが、奴の爪はすぐに回避できる。その距離感を保つようにした。


 剣を横に薙ぎ、返した刃でもう一度剣を振るう。守護神アクセスによる肉体強化の恩恵、それは本来人の身であれば不可能な体捌きをも可能にする。生身で重い剣を振るおうとすれば、このような動きはできないだろう。だが、オーラによる肉体活性があれば話は別、次々と矢継ぎ早で攻め立てる刃が、今か今かと獣の首に手をかけようとする。


 水平斬りからの、間髪入れない追撃。それらを少年は身をよじって回避する。しゃがみ、一刀目を避けると同時に、返す一太刀を後方宙返りで飛びのいて躱す。その着地隙を狩るように、剣と俺の体全部を槍と化すようにして突きを繰り出す。


 消滅の光を彼は一時解除した。そしてキャスパーの爪で突きを受け止め、受け流す。だが、いなしきれなかったカイウスの剣がその頬を掠めた。鼻と耳との間ぐらいに一筋の赤い線が走り、だらだらと血が流れ落ちる。



っ……」


「そいつはオリヴィアのぶんだ」



 その爪で空を切り裂き生み出した真空の刃でオリヴィアを傷つけていたのを俺は見逃していないし、忘れてもいない。痛みに顔を顰めた少年の懐に入り込む。あの危険な白いエネルギーが無いのなら、大胆に踏み込むのにも躊躇はいらなかった。



「しつこいね、お兄さん」


「黙れ、舌を噛むぞ」



 大きく天へ振りかぶり、一気に振り下ろす。手で防御しようとすれば腕に集中しているオーラまで打ち砕き、全身を燃やさんがばかりの熱量の剣だ。それで決めきるつもりだったのだが、そこまで刺客も甘くなかった。


 眼前の敵をその一振りで両断しようとする斬撃、それを見て防御はできないと本能的に悟ったのだろう。何か決心したように、逆に一歩を踏み出した。カイウスの熱に当てられ、その灰色のくせ毛が焦げる嫌な匂いがした。


 距離を詰められ、逆に斬撃が有効な間合いをつぶされた。肉薄した少年の鋭い爪がギラリと光る。三日月形のその鋭利な刃は、死神が振るう鎌のようで、首さえもそのまま刈り取ってしまいそうだった。



「ガぁッ!」



 威圧するような雄たけびと共に、その腕を大きく振るう。オーラで身を包むようにして纏っているカイウスの鎧に亀裂が走る。幸い体には直接の傷はなかったものの、力強く跳ね飛ばされた俺の方が今度は体勢を崩す。


 今しかないと、彼が攻撃に転じた。剣を使う俺とは違い、四肢の全てが彼の凶器だった。大きく跳びかかりながら、両手を振りかぶっての、タイミングをずらした二連撃。よろめきながらも右腕の初段は両手で持った剣で受けた。だが、不安定なところにさらに後ろへと突き飛ばされたものだから、大きく後方に姿勢を崩してしまった。


 畳みかけるような左腕、第二の刃が降りかかる。まだカイウスの鎧が機能している側の半身を正面に突き出した。グラスを落とした時みたいな派手な音と共に、全身の紺の鎧が砕け散った。破片となり、宙を舞うと同時に細かな光の粒子へと還り、宙へと消えていく。


 これで俺も、防御に関しては丸腰だ。待ってましたと言わんがばかりに、銀の爪を纏うように消滅の光が再び彼の手を覆った。このタイミングで再度異能の行使。脳裏に一つの仮説が生まれる。この、物質を消滅させる光には効果の及ばない代物があるのではないか。


 例えば、守護神から供給されるオーラそのものとか。先ほど全身をオーラの鎧で纏っていた状態では彼は異能を使っていなかった。


 だとすると、生身の体で食らうわけにいかなかった。先ほどまでの頑強に固めた鎧とまではいかなくても、漏出しているカイウスの力を薄く全身に纏いころものように利用する。


 案の定、対策を打たれたことに少年は表情を歪めた。そこにペテン師の匂いは感じない。本心からの焦りや戸惑いが生まれていた。


 だが、防御力には不安が残るままだ。消滅の異能こそやり過ごせるものの、依然として獣由来の爪牙が脅威であることに変わりない。


 腹を狙った右腕を弾き、距離を取ってから放たれた真空の刃を俺の持つ剣で切り裂く。鎌鼬かまいたちに乗せられた銀色のオーラの残光は、光の粒となり雪の様に戦場に降り注ぐ。


 瞬き一つする間隙ですら油断できない。ほんの数瞬目を離した隙に、地を蹴ったキャスパリーグは俺の鼻先に。兜の緒を締める如く、口元をきつく引き結びなおし、突進を仕掛けてきた肩を両腕で抑え込んだ。かなりの炎熱を今の俺は発しているはずなのに、もはやその熱さ痛みなど少年の肉体は感じていないようだった。


 髪の焦げるどころか、肉の焦げる音と匂い。だが、狂い切った今のこいつは自分の肉体さえも見殺しに突き進んでくる。肩を抑え込まれ、腕が振るえないとなると、瞬時に機転を利かせ、上空へ飛び上がるように地面を蹴った。


 膝蹴りが俺の胴の中心目掛けて放たれる。慌てて肩を押さえつけていた両腕でガードしようとするも、両腕とも押し負け、勢いを欠いた膝がそのまま俺の腹に入った。



「お前……!」



 酸っぱい何かが蹴りの勢いでそのまませり上がってきそうになるが、何とか飲み込む。遮二無二殴り返せば、奴の軽すぎる体はゆうに数メートル吹き飛んだ。しかし間髪入れずに立ち上がる。狂喜をたたえた眼光の下、殴り飛ばされた頬は火傷で痛々しく腫れあがっていた。



「イカレてんのかよ!」


「何だよケイ卿、自分の力だろ。戦うって決めたんだろ? あんたの親父を殺したのは僕さ。だったら何戸惑ってるの、本気で来なよ!」



 力に囚われ、戦いの虜になっているようだった。これが教官の言っていた、大きすぎる力に呑まれるというやつなのだろうか。俺たちでさえこうだって言うんなら、位階が三桁の連中とか、ELEVEN王様たちはどんな気分なんだろうな。


 やるせなさが募る。こんな奴が本当に親父の仇なのかと。急に怒りさえも馬鹿馬鹿しくなってしまった。代わりに決意する。こいつだけはどうしても止めなくてはいけないと。何も、こいつ一人を止めるってだけの話じゃない。同じように力に振り回される人間が生まれないように、セクエント俺たちがいるぞと見せつけてやる必要がある。



「カイウス、剣と鎧の新調頼む」


『半人前が。俺ならそんな事になっていない』


「……だろうな」



 毒を吐きながらも、ボロボロに刃毀はこぼれしていた剣と、先ほど砕かれた鎧が再度生成される。再び全身を武装した俺は、次のやり取りでこの勝負を終わらせることを胸に誓った。


 もう、こいつの言葉は聞いてやらない。指を三本立て、あいつに見せつけた。



「三つだ」



 急に何をと、ぼろぼろの体、焼け焦げた衣服を纏い、少年は首を傾げた。へらへら笑いも止もうとしない。だが流石に次の瞬間、その表情も変わった。緩み切った嘲笑などどこへやら、ピリピリと張り詰めるような憤懣に満ちていく。


 奴の表情を変えたのはまさに、俺の言葉だった。



「お前が俺に負ける理由は三つある」



 ひりつくような緊張の走る最中、敵愾心と対抗心の炎が、少年の瞳の奥に灯っていくのだけ見届け、剣先を向け直した。


 この時の俺はまだ知らなかった、テムズ川の上流に暗雲が立ち込めていたこと。その最中に、またしてもオリヴィアが巻き込まれていたことも。

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