炎を託して-1
時は、ジョージが
◆
こいつだけはここで捕える。
兄としての責務を果たした今、俺に残されたのは怨嗟と復讐の激情だけだった。結局、あんな父の姿をオリヴィアに見せてしまった自分が情けない。そして何より、父を手にかけたであろうこの少年が許せなかった。
しかも先ほどは、妹まで俺の目の前で切り裂こうとした。そこにきっと深い目的はなかった。多分こいつは応援を呼ばれたら不味いとか、そんな事一インチとして考えていなかっただろう。
こいつはただ、家族を目の前で殺された俺の反応を楽しむためだけに、オリヴィアを殺そうとした。たとえオリヴィアよりも幼そうな少年であったとしても、その悪逆非道を見逃すつもりはなかった。
ただ、その怒りに任せて殺してしまおうとは思っていない。偽善などではなく、自分のエゴだ。このガキがどうしようもなく醜く見えるから、同じステージに上がりたくない、そう思ってしまった。
ただしその鼻っ柱は叩き折る。精神的にも、肉体的にも。命までは取りはしないが、しばらくギプスをつけて生活することぐらいは甘んじて受け入れてもらおうと思う。
「ちぇっ、逃がしちゃった」
「可愛い妹だからな。当たり前だろ」
「怖い怖い。お兄ちゃんは強いねー」
所詮、奴にとってはオリヴィアの首はおまけ程度のものだ。逃がしたこと自体に悔しさはあるのかもしれないが、目的に陰りはない。その証拠に、焦っている様子はまるでなかった。
デザートは取り逃がしたが、メインディッシュはまだ目の前に。ご馳走を目の前にしているつもりなのか、彼は舌なめずりをした。守護神キャスパーのオーラを爪と牙として換装し、猫のように振る舞っているのも相まって、得物を見つけた獣のようにも見える。
簡単に倒されるつもりはないし、返り討ちにする心づもりなのだが、気を抜いてはいけない。少なくとも見かけ上は奴の方が守護神の位階は上に立っている。いかに俺のカイウスが円卓の一員とは言っても、刹那の甘えが命取りになり得る。
もう一度目の前の少年を観察する。相手が油断ならない状況では付け入る隙が見つからないか試してみると良い。それがセクエントスクールで、見た目適当そうな教官が言っていた教えだった。
「守護神使って暴行するやつなんざ大体が力に溺れてんだ。一昔前の犯罪者と比べたら明らかに杜撰すぎる連中が多いもんだぜ。かっこつけて技名つけてるせいで次の一手がバレバレな奴、能力使う時にオーラが集中するせいでタイミングバレバレな奴。おじさん、こう見えて自分より格上の守護神使い何人もとっ捕まえてんだなこれが」
無精ひげを剃ろうともしないだらしない人だったが、実力だけは本物だった。従えている守護神のナンバーズは五千番台。一般的な話で言うと明らかに恵まれた契約相手ではあるが、俺のカイウスと比べると数段劣る。だが、あの人についぞ卒業しても一対一で勝つことはできなかった。
先生程の制度で分析できる自信はないが、それでも見えてくるものはあるはずだ。事実、俺が注視する視界の中で、明らかに少年の空気が一変した。期待で爛々と輝いていた目は、鋭く細められて鈍く瞬いていた。仕掛ける好機を窺うように、息を殺し、静寂の中でその時を待つ。
張り詰めた空気の中、緊張が最高潮に達する。体の強張りを感じた俺は息を吐き、また新鮮な空気を短い呼吸で取り込んだ。それが合図となり、奴の姿が消えた。床を蹴る音がしたかと思うと、残光のごとく白銀のオーラだけを残して跳躍する。
四つ足の
俺が初撃を受け止められたことに驚きはなかったようだ。機嫌良さそうに口角を上げた口元には、鋭い犬歯が覗いた。剣とキャスパリーグの爪とはぶつかり合い、互いに譲ろうとしない。互いにこの程度の牽制で、折れてしまう訳にはいかなかった。少年を受け止めた体をそのまま勢いよく振るう。その勢いで彼の体は後方へと投げ出された。
そのまま壁にでも叩きつけてやろうとしたのだが、流石は猫の守護神というべきか。器用に空中で体をひねり、体勢を整る。着地するようにタイミングよく膝を曲げ、足から壁についた少年は、涼し気に地面の上に降り立った。
剣を握っている手が、衝撃で少し痺れた。尋常ではないその
だから、彼がどれだけ痩せこけた体をしていても、守護神さえ強ければその身体能力は異常な境地まで高められる。確かにそれは事実だ。けれども、彼の腕の細さはもはや骨と皮しかないように思えるほどに貧相だった。
それはまさしく、体重を絞っているというよりもただ食うに困っているような。髪が無造作に伸び、くせ毛を直そうとすらしていないのも、それを整えるだけの余裕が無いせいだとしたら。服のタグも鋏で切ったのではなく乱雑に手で引きちぎったらしい。タグと服をつなぐ透明な輪のようなものが首元から覗いていたことに先ほど気づいた。
元々劣悪な環境で過ごしていたのだろうか。
その調子で、彼の分析を続ける。とはいえ、彼も黙ってじろじろと見られている訳でもない。
正面から、背後から、右から左からまた背後から。彼の突進に合わせ、俺も剣を振るう。紺色の刀もまた、踊るように宙を舞う。正面からの特攻は跳ね上げ、背後からの一突きには
やはり、強すぎる力に弄ばれているように見えた。おそらくこの子は守護神アクセスを我がものとして活用するための研鑽、鍛錬などは一つとして積んでいない。刃物を手にした子供が、面白いというだけの理由で周りを斬りつけているようなものだ。
おそらくはPhoneを手にしてまだ日が浅い。雇われの傭兵のように、直前に雇われた存在だとでもいうのか。
つまり誰かが、こいつを戦力として利用しようとしたのか。契約可能な守護神がキャスパリーグだと知って、何らかのテロリズムに貢献させようとしたのか。疑問は尽きない。妄想とも呼べる仮説がいくつも頭の中に浮かんでは消えていく。
だが、それらの疑問は即座に切り捨てた。あり得ない。自分の守護神が何か、調べるためには多少の手間がかかる。そんな調査を住民の片っ端から調査するなんて、できるはずがない。余程のお偉いさんともなれば話は別かもしれないが、こいつが拾われたのはおそらくたまたまだろう。
どうにも拭い切れない疑念が残る。ただ、彼が何者かに派遣されたことだけは事実だ。「あの人から聞いた通りだ」と、彼ははっきり言っていた。
つまり、俺の守護神がカイウスと知った上でここに来た。目の前の少年がそれを理解しているのかは知らないが、おそらく捨て駒として使われている。
誰か俺を知る者が情報を
「きちんと実証できたもの以外は基本的に疑わなきゃダメ。じゃないと、そうであって欲しいってバイアスがかかるから」
十三歳ぐらいの頃、オリヴィアが気に入ってずっと使っていた言葉だ。あの頃からあいつは、学者になりたいと思い続けていた。それを聞いて、わざわざグラマースクールを受験させた甲斐があったと、親父も笑っていただろうか。
そう、そうだ。こいつはその親父を手にかけた。
仕事としてこいつを捕えようとして、忘れかけていた激情がまた胸に戻ってくる。確かに冷静であることは肝要だ。だが、飼いならしてしまえばこの怒りは闘争本能の起爆剤となる。
玄関先、まだこいつのヤバさに気が付いていなかったとき。後ろ手にして隠していた親父の頭を俺に見せた。「意外に重たいんだね、人の頭ってさ」と、収穫物を自慢するように俺に見せつけた。朝見送ったばかりの父親が、目の光も首から下も全部失って帰ってきた。溢れた血が飛んだのか、顎下が一面血でまみれていた。
その仇は必ず討つ。そのためには、目の前の敵を打ち倒すことに全力を注ぐべきだ。確かにアクセスナンバーだけ見れば、あいつの方がよほど格上、俺の敗北はまった無し、だろう。
だが俺もただでは引き下がれない。勝つ当てはちゃんとある。まだ仮説にしか過ぎないが、守護神アクセスに関してこの少年は、まだてんで素人だ。そこが付け入る隙になる。
「戦うこと以外でごちゃごちゃ考えるのは俺の仕事じゃあないよな」
そういうのはオリヴィアの方が得意だ。家の中を跳ねまわる怪猫の化身、もうその動きは段々読め始めていた。折角手数や攻め手の引き出しの多そうな性能をしているのに勿体ない。気まぐれというよりも短期で目の前の甘いものに吸い寄せられがち。ともなれば、動きは非常に単調というものだ。
ただスピードだけで仕掛けても翻弄できない。そう理解したのだろう。だが、やはり熟考が足りない。案の定思い付きだけのフェイントを入れてきた。正面から突っ込んでくるかと見せかけ、空中でアクロバティックに体を畳んで回転。迎撃するために俺が振る剣閃をすかし、背後を取る。
誰もいない虚空だけを、カイウスの剣が斬り裂く。好機、そう判断したのだろう。着地と同時に、力強く地面を蹴る足音が、もう一回。空を切る音が奴の接近を告げている。隙を見せつけた甲斐があったというものだ。
斬撃を空振った勢いを殺すことなくそのまま背後に向き直るまで回転を続ける。地面と平行に刃は走り続け、そのまま後方に忍び寄ったキャスパリーグと向き合う。斬られる、本能的にそう判断したのだろう。本来俺の喉笛を貫こうとしていた、白銀の鋭爪が己の身を守る体勢を取った。
間一髪、少年は俺の一刀を辛くもその爪で受け止めた。が、次の瞬間に音を立て、白銀の爪は砕け散った。オーラで錬成しただけのものなので、すぐに作り直せるのだろうが、お互いの得物の格付けを済ませたという点では意味のある一太刀だった。
「畳みかけるぞ、カイウス」
様子見はもう充分。ここからは、得た情報を基にして慎重に叩き潰す。ならば万全の状態で。今日はいつもの毒舌饒舌はどこへやら、珍しく黙りこくっている相棒に俺は声をかけた。
『化け猫退治か、久しいな』
歴戦の猛者に相応しい、渋さの窺える低い声。カイウスの声が戦闘の騒がしさに染み入るように放たれる。しかし、この声は俺にしか聞こえない。異世界から守護神アクセスで呼び出している契約相手の声と姿は、契約主である自分自身にしか見えないからだ。同じように、目の前のあいつはあいつでキャスパリーグの声を聞き、姿を見ているのだろう。
俺の後ろには紺色の甲冑に身を包んだ一人の騎士がいる。兜に覆われた顔の中は影のように黒く塗りつぶされているので、その素顔を覗き見ることは叶わない。しかし、剣を持ったその居住まい、正された背筋が、由緒正しい騎士であることに箔をつけていた。
「こいつには本気で行く。頼む、
『承知した』
自分の体の中にさらなる力が満ちてくることを実感する。カイウスが供給するオーラのラインを太くしたのだ。構えた剣の側面に、剣を握っていない方の掌を押し当てた。掌からは暁天の太陽がごとき眩い光が放たれる。紺の刀身と対照的な、明るい朝焼け色の光。
次の瞬間、発火。剣全体に炎が纏われる。カイウスの異能というのは彼の生前の功績をそのまま反映している。『アーサー王伝説を初めとする各種伝承に記された、円卓の騎士ケイの奇跡の再現』、辞書的に表現するならそんなところだ。
体から熱を発し、雨に濡れない。あるいは、火種も何もないところから炎を生み出すことができる。そんな伝説に由来しているのがこの発炎能力だ。灼熱を刃に纏わせること、防具に纏わせることも自在。そしてこの熱は己が体内に由来するため、身を焦がすこともない。
ただし、出力を間違えると周囲の人間まで炙りかねない。だからオリヴィアがここを離れるまでは使うことができなかった。
「ハハ! 何これ、太陽の化身か何か? でも英雄様はそうじゃないと盛り上がらないよね!」
砕かれた爪牙を再生させながら、ねじの外れた玩具のような大笑を漏らしている。多分こいつはまだ気が付いていない。目の前の俺がもう、さっきまでの様子を窺うような立ち回りをやめているということを。
こいつの高笑いなど待ってやる必要はない。地を蹴り、瞬時に間合いを詰める。戦いのリズムの転調に付いてこれなかった奴は反応が一拍遅れた。それさえ命取りだ。
だがその防御さえ、ろくに意味をなさなかった。
「あぁあああぁっづぅ!」
炎の剣を受け止めた少年の口からはたちまち苦悶の声が上がる。もはや声にもならないような苦渋のうめき声。彼の掌は、大やけどを負い、
それも隙だ。耐えがたい熱に晒され、臨戦態勢を解いた華奢な体躯を床に向かって叩きつけた。全身を強く打ち付けられ、肺の中身を無理に吐き出させられたような息が吐き出される。
呼吸さえ万全にできないのだろう。涙目になって地面をのたうち回り、命からがら俺から距離を取る。その姿からはもはや、狩人の面影など感じなかった。
だが、逃しはしない。俺の心身を蝕んでいる怒りの炎は、この程度ではないのだから。ここからは敵討ちだ。誰に言う当てがあるでもないが、俺はそう胸の内に呟いた。
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