LINK27 旅館ふせふじ

『赤かぶの里』から40分ほど走り、俺たちはようやく高山市に着く。


街に着くと博さんから『旅館ふせふじ』へと案内される。


この飛騨高山は大昔の豪商によって作られた商人の街。

その高山市に公認の遊郭が作られたのが明治の中期。

昭和に入ると売春防止法により遊郭は取り壊された。


この『旅館ふせふじ』はその遊女たちを置いていた妓楼ぎろうの風情をそのまま残し旅館としている。

格子戸こうしどに囲まれ、妓楼造ぎろうづくりの面影をそのまま残す玄関口を開けると、女将が三つ指をついてお迎えをしていた。


「お、女将おかみ、ひさしいですね」


博さんが声をかける。

深々と頭を下げてから「ようこそ、おいでくださいました。山岡様」と言った女将の目は潤んでいたようだ。


山岡夫妻はこの『旅館ふせふじ』がどんなに苦しい経営状況の時でも歴史的な建物を保存するため力になっていたらしい。


女将の年のころは、博さんと同じくらい。

なぜか下世話な勘繰りをしてしまいそうになるのは、年を重ねても、なお漂う女将の色気にあてられたからかもしれない。


玄関を入ると床は全面赤い敷物となっている。正面には横広い階段が上の階につながっていて、まるで奥の部屋には未だ花魁おいらんがいそうな雰囲気さえあった。

案内された1階は少し広い廊下になっていて、廊下を挟みながら両脇に部屋が置かれている。

それぞれの部屋はまるで外玄関のような造りで、豪華な格子扉こうしとびらが付いていた。


山岡夫妻の部屋の左上の札には『鯉』と書かれ、他の格子よりも若干朱味を帯びているようにも思えた。

俺と真心はその隣の角部屋で札には『ふせふじ』とこの旅館と同じ名が冠されていた。

部屋は2人で使うにはやや広く、窓際には庭を眺めるための渡り廊下となり、部屋と渡り廊下の間の障子は中央にガラスがはめ込まれている。天井は俺が今まで見たことのない網掛けのような高級感のある天井となっていた。

庭の眺めは素晴らしく、池の中には錦鯉が泳いでいる。おそらく昔の製法で作られた硝子なのだろう。その硝子越し見える景色はゆらゆらとゆらめき、それがこの元遊郭の空間を味わい深いものに演出している。


今まで俺は笹幡町で世界を達観していたが、ここには自分が知らない世界が存在していた。そしてそんな世界に触れることが出来た事にわずかな興奮を覚えた。


真心はその建物の香りに寺とは違うものを感じ取っていたようだ。

部屋がどんな感じか説明しようとすると、俺の心の興奮からだいたいの映像とこの空間の世界観がだいたい伝わったと言っていた。


何となく恥ずかしいことを言ってくれる....


廊下の柱にもたれかかり、窓が映すふぞろいな風景をひとすじ撫でする真心がつやっぽく見えたのは、この建物のせいなのかもしれない。


部屋の外で女将が『外で山岡様がお待ちでございます』と呼びに来た。


「外に人力車を2つほど用意してございます。山岡様と街のご散策をお楽しみください」


やはり山岡夫妻はVIP待遇だ。

全てを「旅館ふせふじ」が用意するようだ。


・・・・・・

・・


先に乗った俺は真心の手を取り椅子に座る。

膝掛けを掛けると「あらよっ」という車力しゃりきの声とともに目線が高くなる。


「ふわっ」と思わず真心の声が漏れた。


人力車が走り出すと、その独特の揺れと風に楽しそうな表情だ。


「真心、ほら、これは可愛い赤い日傘だよ」

手渡すと、2回ほどくるくるとさせてみる。


人力車は奥深い風情の古い町並みを通る。

この古都を思わせるような街並みは奈良井宿ならいじゅくとは趣が違う。

奈良井宿を茶色とイメージするなら高山の街並みは漆黒のイメージだった。


人力車は飛騨高山で有名な『山王祭さんのうさい』に使われる山車だしの博物館やからくり人形の博物館に寄った。おそらくは俺たちに高山を知ってほしいと山岡夫妻の計らいなのだろう。どこに行っても真心は楽しんでいたが何故か『高山陣屋』の建物ではあまり楽しそうな顔はしなかった。敏感な真心は御白洲おしらすの空間とかに何かを感じてしまったのかもしれない。


人力車は河にかかる朱い橋、『中橋』を通る。

洗練された街並みに色を加えたこの橋は何とも言えぬ風情を感じさせる。


その橋の欄干らんかんを背景に4人で写真を撮った。


そして人力車は旅館のある花岡町に戻るが、俺の目には寺の三重塔が入り込んだ。

今まで『寺』を中心に旅をしてきた。

どうしても目についてしまう。


だが、頼みもしないのに人力車はその寺『飛騨国分寺』に停車した。

山岡夫妻に促されるように境内へ入っていく。

そこには立派な銀杏いちょうの大木、いや、御神木ごしんぼくが祭られていた。


「ここは、私たちが新婚の頃に初めて立ち寄った場所なんですよ。あの時はもう少し秋は深くて銀杏の葉も黄色くてロマンチックだったわねぇ」

そう聖子さんがつぶやくと、博さんは銀杏の葉を眺めていた。


その銀杏の存在感はひときわ大きく根元近くで大きく割れている幹には親と子供を模した地蔵が置かれている。


一陣の風が吹き抜け銀杏の葉がカサカサと鳴る。


「はああぁぁ....」


真心が頭を抱えながら今まで聞いたことのない声をたてた。

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