LINK11 生態AIをめぐる

~3日前~

俺は真心に新しい衣類を買い与え、「ホテル桜葉」まで送り届けた後、「相談がある」として監視の中尾を呼び出した。


「なんだ?お前、本当に恋でもしたのか? あれは冗談だぞ。俺はあまり恋愛に関してはダメだからな。今の上さんだってお見合いだからな」

「そんなわけないでしょ。そんなの中尾さんに相談してもしょうがないでしょ」


「おいおい、お前、その言葉、何気に傷つくぞ」


「中尾さん、もう一度あの事件の顛末てんまつについて話を聞かせてください。警視庁テロ対策特別チームで俺の親父の部下だった中尾さんとして話を聞かせてほしい」


「どうしたんだ? そんなことを急に聞くなんて....」

「いや、俺もこの年齢になれば分別ふんべつも付く。中尾さんが伏せていた話だってきっと受け止められるはずだから。俺はこの変な力をきちんと制御したいんだ」


「ほぉ.... その前に確認だ」

「何ですか?」


「お前と歩いていた娘は誰だ? それとは関係ないだろうな」

やはり監視して知っていた。


「あの娘ですか? あの娘は雇い主ですよ。俺、今の仕事やめて、もっと世の中に役立ちたい仕事をしたいと思いまして。そこで介助の仕事でもしようかなって初めてみたんです。ほら、俺って高いお金請求する必要もないから、ぴったりでしょ」


「ふ~ん、おしぼり屋から介助の仕事へ転職ねぇ.... まぁ、いいか。俺もいつかこんな機会を作ろうと思っていたからな」



今から12年前、医学の進歩で医療AIによる臓器修復がある程度可能になった。

だが、この医療AIは医療施設で患者をモニターして最適な臓器修復の手助けをするに過ぎなかった。


この医療AIのさらに先の形にしたのが斎木正則博士だった。

斎木博士はその優れた科学研究の結果、アメーバ式生態AIを開発した。

この生態AIを人間の脳に近い目に点眼する。

生態AIは目の視神経から脳の情報網を確保し、自分の生存する環境を整備していく。

つまり人間に寄生し、自分が生きていく為の生態系を確保していくAIだ。


全てが治るわけではないが、特に神経系の修復率が大幅に向上した。


例えば目や耳、喉、または脊椎の損傷など脳に近ければ近いほど医療AIは力を発揮した。


それは脳のシナプス間の電気信号にAIがシンクロしながら損傷した箇所や予め指定された細胞の修復命令を全ての細胞に伝達していくのだ。

それはまるでカタツムリを操る『ロイコクロリディウム』のごとく無視できない命令だ。


そしてその臨床試験者として1人の候補者の名前があがった。

その候補者とは斎木博士の娘だ。


斎木博士の娘は目の神経系に障害を持ち全盲目だった。


この生態AIの発足は20年前から始まっていたが、斎木博士がプロジェクトの指揮を執るとほんの数年間でアメーバ式生態AIなどという荒唐無稽なものを作り上げてしまった。

それは幼い娘の目を治したいという父親としての強い思いからだったのだろう。


だがこのプロジェクトにはひとつの懸念もあり、慎重論も上がっていた。


『この生態AIは、あまりにも宿主の脳と密接にLINKしてしまう。やがては宿主の思想も学習し、宿主が理想と願う環境を作ろうと考えるのではないか?』


そんな意見が散見し始めたのだ。


危険な思想を持った人間を宿主としたとき、その思想が生態AIにどんな影響をもたらすのか未知数なのだ。


今のこの世の中はネットを介して何にでもアクセスができる社会だ。

この高性能な生態AIは単独で医療ネットにつながることも可能だ。


宿主が反社会的な思想を持つ人物だった時、社会にとってのリスクになり兼ねないという考えだ。


「たかだか小さなAIが何をするというのだ」


そう斎木博士は一笑に付していた。

そして慎重論を半ば強引に抑えつけ臨床実験を強行しようとしていた。


だが、この全ての情報はプロジェクトチームを組織する厚生環境省に潜むスパイから反社会組織に筒漏れになっていた。

省庁に潜むスパイの存在は長年の間、国家の悩ましい問題だったが、ここに来てやっとテロ対策特別チームは長年潜んでいたそのスパイの尻尾を掴んだところだ。


テロ対チームは斎木博士に接触し、スパイと犯罪組織検挙の協力を依頼した。


『この研究を盗まれるわけにはいかない』


この研究が悪用されれば、プロジェクトは中止となってしまう。


斎木博士は協力に応じて臨床実験を偽装することにした。

この偽装臨床実験の結果によって姿を現すスパイとそこから組織の壊滅を目指したのだ。


偽装臨床実験の被験者にテロ対チーム、副隊長の息子が選ばれた。

彼の息子は先天性の難病のため 発声の機能 を失っていた。


生態AIは量産型ではない。

患者のDNAとの適合率を上げながら作り出される。

それでも今の段階では15%の確率にも満たない成功率なのだ。


この偽装臨床実験には、あえて適合機能を持たない生態AIが使われた。

適合機能を備えた完全体の生態AIのデータをこれ以上盗まれるリスクは避けるためだ。

失敗率100%の偽装臨床実験。


そして移植手術が行われた。

生態AIが適合すれば2週間で視神経細胞に寄生をはじめ、プログラムされた欠損部の再生を脳に伝達していく。

3週間後、この実験に『成功』という虚偽報告書が作られた。


テロ対チームの思惑通り、『成功』したこの臨床実験データを盗もうとするスパイを検挙することに成功した。さらに関わった犯罪組織、政治家などもほぼ検挙することが出来た。


だが、時を同時に研究所にある生態AIの重要データを全消去し、斎木博士は娘とともに失踪した。


研究は斎木博士に次ぐ鷲田博士により引き継がれたが、宿主と生態AIを適合させる為の重要データが損失したため成功をその後の研究は失敗の連続だった。


やがて生態AIの危険性と倫理性が内部告発され、メディアや有識者から生態AIの研究は叩かれた。

やがて研究は中止となってしまった。


偽の臨床実験から2年後、失敗率100%の臨床実験の被験者は声を取り戻していた。

その第一声は父の葬儀の場で発した『お父さん』という言葉だった。


「それが月人、おまえだ」

「ああ.... 中尾さん、その後、斎木博士はどうなったんですか?」


「さぁ、それが全く足取りをつかめていない。国外にデータを持って逃げたとも言われているが、本当のところはわからない。まぁ、俺はもうテロ対策チームの窓際だから俺が知らないだけかもしれない。俺はお前を監視するだけの男だ」


「わかってますよ」


「だが、忘れないでくれ。俺はお前の父親、赤根班長に世話になった。お前が困っていれば俺はお前を助ける。それが副隊長への恩返しだ」

「それもわかってます」


俺の親父は犯罪組織の報復テロにより死んだ。

テロ対策特別チーム本部に仕掛けられた爆発物に気づくと親父は窓際にいた中尾さんを突き飛ばした。

同時に親父と他の隊員は粉みじんに吹き飛んだ。


窓から階下に落とされた中尾さんは脚を複雑骨折したが、当時のテロ対チームの唯一の生き残りだ。

一線から退き、生態AIの宿主である俺を監視することを志願し、今に至っている。

俺の思想と犯罪組織の接触を見張っている。


・・・・・・

・・


「真心、これが今、俺が知っている事全てだ。それともうひとつ、俺は感情が高ぶると、時々何かを作動させてしまう。信号機とか機械的なものからデータバンクという情報的なものまで。君はそういうことはないのか?」


「ううん。私のは見えるだけなの。私のAIは見て分析する。その映像は機械を通した映像なの。『燐炎りんか』の目にはいつも何かの数字が書いてある。」


何かの数字.... 分析の数値か..?



**


翌朝、俺たちは西伊豆に向かって出発した。


車の窓を開けると、そよ風に真心の髪がなびく。


おでこがあらわになる彼女の表情をわき見運転で確認する。


「朝の空気が気持ちいいね」


俺は彼女へどっぷりと感情移入してしまったのかもしれない。

彼女が何かに感動する言葉を聞くと少しばかりうれしい気持ちになる。


だが、俺はうっかり『燐炎りんか』の存在を忘れていた。


燐炎りんか』が真心になり替わろうとしている。

その期限はきっと近いはずなのだ。


車は沼津から伊豆縦貫道じゅうかんどうを降りると土肥の海沿いへ抜ける長い土肥船原トンネルに入る。

トンネルを抜けると視界が開け、目の前に土肥の海が見えた。


「これは何の香り?緑の匂いとも違う。この鼻をくすぐる香り」

「これは潮の香りだよ」


「そうなの?これが潮の香り.... 何となく懐かしい気持ちがする。海は今、どんな色してるの?」

「青いよ。陽ざしに照らされた海は一面真っ青だよ」


「空の色みたいに?」

「それよりももっと青いよ」


「見てみたいなぁ。ああ.. 風が気持ちいい」


車は県道136号線を走っていく。

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