宮廷書庫長の恋文

 螢架けいか呈舜ていしゅんは悩んでいた。


 まさに暗中模索とはこのことである。


「未榻君っ!!」

「書庫室では静かにしろ」

「恋文ってどうやって書けばいいのっ!?」

「は?」


 思わず唯一の部下である未榻みとう甜珪てんけいにすがったら、すげなく切り捨てられた後に胡乱げな声を上げられた。どちらにしても酷いと思う。


「恋文? あんたが?」


 いつものごとく書架の整理をしていた甜珪が手を止めたばかりか、ぎこちない動きで呈舜を振り返った。呈舜はよくしている動きだが、甜珪がこんな動きをした所は初めて見たかもしれない。


「相手はどこぞの石碑か? もしくは有名な書画か?」

「あのね、未榻君。さすがに僕もそんな奇天烈な真似はしないよ?」


 というかその場合、それは想いを告げるというよりも戦いを挑みに行ってないかい? と思った内心を何とか飲み込み、呈舜は改めて事情を説明することにした。


「恋文の代筆を頼まれたんだ。で、その依頼人が武張った男というか……いかにも『武官の中の武官!』って感じの人でね。雅なことは分からないから、文面も考えてくれないかって言われちゃって……」

「……文面まで他人に考えさせるのは、何か違うと思うんだが……」

「僕もそう思った。だからあくまで僕が書くのは例文で、それを元に自分で練習して、本番には自分の言葉を自分の筆で書いたのを渡しなねって話になったんだけども……」

「……そもそもあんたも色恋には程遠い場所で生きてきたから、文面が思い付かない、と?」

「そーなんだよ未榻くーん! 何とかしてよぉー!」


 呈舜は盛大に叫ぶと卓に突っ伏した。そんな呈舜にまた『うるさい』と冷たい声が飛ぶ。


「無責任に何でもほいほい引き受けてくるからだろうが」

「そんなこと言ってないで助けてよぉ!」

「生憎、俺の業務の範囲外だ。自力で何とかしてくれ」

「そんなぁ!」


 呈舜は思わず卓に突っ伏したままガバリと顔だけを上げた。そんな呈舜に甜珪は実に冷たい視線を注いでいる。その視線にさらされたら沸騰した湯まで瞬時に凍り付きそうだ。今の甜珪の内心を文字に起こすならば『たわけたことばかり言ってないでさっさと仕事をしろ』になるのだろうか。


 そんなことを思った瞬間、呈舜ははたと気付いた。


「でもさ、未榻君。『業務の範囲外』であるだけで、書くことには書けるんだよね?」

「は?」

「恋文。書いたことくらいあるんじゃない?」


 呈舜の場合は青春を紙と墨に捧げてしまったから恋文の『こ』の字も知らないわけだが、甜珪の場合は違う。文字にしか興味がなかった呈舜と違い、甜珪には想い合う相手が存在していることを呈舜はひょんなことから知ってしまった。


玲鈴れいりん様相手にさ、恋文とまではいかなくても、何かふみを届けたことくらい、あるんじゃない?」


 胡吊祇うつりぎ玲鈴。この玻麗はれいと歴史を共にするとまで言われている名門貴族家の由緒正しき御令嬢にして甜珪の幼馴染。そして退魔師としての甜珪の無二の相方である。


 そんな玲鈴に対して甜珪が一方ならぬ想いを抱いていることを、呈舜は知っている。何せ栄華の真っ只中にあった甜珪がその全てを捨ててまでここにいる理由のド真ん中に玲鈴の存在があるのだ。いくら呈舜が文字にしか興味がない朴念仁でも、それだけ聞けば甜珪の気持ちは分かる。


「は? 俺と胡吊祇はそういう関係じゃないんだが」


 だというのにこの唐変木、いつもと代わらない眉間に皺を寄せた厳しい顔で至極真面目にそんなことをのたまった。


「……へ?」

「俺と胡吊祇は幼馴染で相方。それ以上でもなければ以下でもない。業務連絡用の式文しきぶみを飛ばすことはあっても、恋文を交わすような仲じゃない」


 ──……いやいやいやいや、みとーくーん?


 呈舜は思わず固まったまま内心だけで声を上げた。


 呈舜の記憶が定かであるならば、甜珪はそもそもとある事件で玲鈴を庇って不老不死の呪いを負ったという話だ。その呪いを玲鈴が命がけで折半したという話だから、玲鈴だって甜珪のことを相当以上に想っているのだろうし、実際に接した際もそんな気持ちをひしひしと感じた。さらに甜珪はそんな玲鈴を自分自身と不老不死の呪いから解放したいがために、退魔師として築き上げてきた地位も栄華も捨てて宮廷書庫室の司書として赴任してきたわけで、ついでに言えば玲鈴は山のように来ている縁談を片っ端から蹴り続けているという話だ。


 つまり傍から見ると、甜珪と玲鈴はどこからどう見ても両想いで、互いに半端な想い方じゃない感情を相手に向けているのが丸分かりなわけだが。


 ──恋文の一枚や二枚、書いて贈ったら泣いて喜ぶと思うんだけどなぁ、玲鈴様。


 文武両道博学多才な玻麗最強退魔師は、残念くらいそういう方面には疎いらしい。


 ──これはちょっと一肌脱いだ方がいいような気がしてきた。


「ね、ね、未榻君。じゃあ架空の恋文を書くとしたら、君なら何って書く?」

「は?」

「恋文を書いたことがない者同士、知恵を合わせたら何かいい文面が浮かぶかもしれないじゃない?」


 ちょっとしたお節介と、大いなる好奇心。


 自分の中に芽生えた気持ちを殺すことなく瞳に載せて声を上げれば、案の定甜珪は眉間の皺を深くした。だがそんなのは呈舜にとっては日常茶飯事だ。気にすることなく席を立ち、甜珪が腕に抱えていた書物をヒョイヒョイッと抜き取ると甜珪の肩に手を置いて自分の卓へグイグイと押していく。


「ちょ……っ! おいっ!」

「書架の整理は僕がするから、ちょっと書いてみてよ、恋文」

「何で俺がそんなこと……っ!!」

「恋でも愛でも感謝でもさ。たまには素直に伝えてみるのって、大切だと思わない?」


 突然の展開に混乱しているのか、甜珪はいつになくあっさりと押し込められるがまま呈舜の卓の前に腰を落とした。分かりやすく戸惑いを顔に出す甜珪に笑顔で筆を押し付ければ、思っていたよりもすんなりと甜珪は差し出された筆を取る。


「特にさ。君は一度、諦めてるわけだし?」

「っ……!」


 駄目押しとばかりに付け足すと、甜珪は筆を手にしたままグッと言葉に詰まった。そんな甜珪にニヤリと笑いかけ、呈舜は片手を振りながら身を翻す。


「書き上げるまで帰っちゃダメだからね。そこにある料紙と墨、好きな物を好きなだけ使っていいから」

「ちょっ……おい!」

「僕に早く仕事をさせたいなら、頑張って書いてよね、恋文」

「だからっ! 俺と玲鈴は……!」

「別に玲鈴様相手に恋文を書けって明言してないもんね〜。ただ恋文の例文が欲しいだけだもんね〜」

「〜〜〜〜っ!!」


 何やら背後ではまだ反撃を目論んでいる気配があったが、呈舜はそれに構わず書架の森に分け入っていった。


 ──そもそもね、呼び方が『玲鈴』って変わってる時点で君の負けなんだよ、未榻君。


 口元に浮かんだ笑みは、しばらく消せそうになかった。




  * ・ * ・ *




 呈舜が書架の整理から戻ってくると、卓に甜珪の姿はなかった。甜珪が普段作業に使っている卓がスッキリ綺麗に片付いている所を見るに、どうやら今日は珍しく呈舜を放置して定時で帰宅したらしい。


 ──ま、あんな風にやり込められた後じゃ、どんな顔して僕を出迎えればいいかも分からないか。


「未榻君も、案外そういう所は可愛いよね」


 思わず声に出して笑ってから、呈舜は己の定位置に腰を降ろした。本業に対しては相変わらずやる気は出ないが、依頼された恋文の例文の方は何とか今日中に片を付けたい。


「ん?」


 そう思いながら視線を卓の上に落とす。


 その瞬間、見慣れない書簡が置いてあることに気付いた。


 几帳面に畳まれた、淡い青色の料紙。呈舜がここに甜珪を押し込めた時にはなかった代物だ。


「……え?」


 歪みを許さない畳み方は、間違いなく甜珪の手によるものだ。そして金銀の箔が散らされた淡青の料紙は玲鈴を彷彿とさせる。奢侈しゃし珍品ちんぴんに拒絶反応が出るという奇癖を持つ甜珪が何の意味もなくそんな紙を呈舜の机の上に残していくとは思えない。


「え、ほんとに書いてくれたの? 恋文」


 甜珪が律儀で真面目な性格であることは、もちろん呈舜も知っている。だが今回は事が事だったから真面目に取り合ってもらえないかもしれないとも思っていた。


 呈舜は残されていた料紙を手に取ると、ためつすがめつ料紙の外身を眺めた。だが表書きもなければ差出人の名前もない書簡は、眺めているだけでは何も教えてくれない。


 ──な、何だか、いざ本当に書かれちゃうと、読んでいいものなのか躊躇っちゃうんだけども……!


 しかしここに残してあったということは、呈舜がウダウダ絡んだ結果甜珪が書いた代物であるということで。中身は例文として書かれた物で、提出先は呈舜であるわけで。


「……」


 呈舜はゴクリと空唾からつばを飲み込むとソロリと料紙を開いた。巻紙状に折られていた紙を広げ、中身に目を走らせる。


 紙の大きさに対して、したためられた文章はひどく短かった。普段は速度を重視していて几帳面ながらもほんのり崩れた文字を書く甜珪だが、並んでいた文字はいつになく角張っていて、余程緊張していたのか、頭を悩ませていたのか、とにかく甜珪の葛藤が見えるような文字だった。


 そんな文字で、甜珪がしたためた内容は。


「……ふはっ!」


 しげしげと眺めて、その意味を理解した呈舜は、思わず気が抜けた声で笑ってしまった。


「そっかそっか、君はたとえ例文であっても玲鈴様以外への恋文なんて思い付かなくて、その上誰にも玲鈴様の魅力を知られたくない、と言いたいわけか」


麗華れいか如何いかん 我ひとこれを知る』


 直訳するならば『麗しい華の様子を私一人だけが知っている』。甜珪がこれを書いていて、恋文であるという前提を踏まえて訳すならば『お前のことなんて、俺だけが知ってれば十分だろうが』、くらいになるのだろうか。


「そっかそっか。でもこれ、未榻君と玲鈴様の間でしか恋文として成立しないんじゃない?」


 むしろ玲鈴様も『恋文』って前提を分かってないと何が言いたいのか分からないんじゃない?


 内心でそう付け加えながら、呈舜は柔らかく微笑んだ。


「ちょっと参考にはしづらいかなぁ」


 口先ではそう評しながらも、呈舜は笑んだまま緊張を帯びた文字を指先でたどったのだった。




【 宮廷書庫長の恋文・了 】

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