第31話 対の星の絆

『おい、ユーラどういうことだ? なぜ傷を治せる?』


 会場を進みながら、ケールトナが囁いた。貴公子じみた笑顔はそのままなのだから、器用なものだ。


『ここは森じゃないけど、始祖が力を貸してくれるって言ってたから、それを存分に使ってるの』

『貸してくれるって、そんな気軽に』

『全力でって決めたし、まだまだ。それに、カンタスさん、いい人だもの』


 横目で視線をぶつけ合った二人は、ふふと笑みを交わして、ゆっくりと、主催者の前に進み出た。

 




 呆然としたままの王妃にふたりで挨拶をしたあと、隣のリューセドルクに挨拶をしてケールトナが離れた。

 ユーラが、リューセドルクの正面に立ち、とろりと裾が足元に落ち着いた。

 そうしてようやく、二人は初めて、公式に向き合ったのだ。


 初対面の挨拶は、まず名乗りからだ。


「ルヴォイの森長、叡智のオクルオークスの娘、アジュール。ユーラと呼ばれております。このようにお目見えすることができて、嬉しく存じます」

「ルヴォサンタス王国王太子、リューセドルク。こちらこそ、お名前を知る機会をいただけて、光栄です」


 ユーラが、おもむろに口元のベールを外してから、そっとたおやかに右腕を差し出した。

 リューセドルクが、その手を取ろうと腕を伸ばした。

 それをするりと躱して、ユーラが一歩下がる。だが、右腕は上げたまま。

 誘われていると察してか、ただ引き寄せられてか、リューセドルクがそれを追い。

 ふたりはするすると、広間の中央、みるみるうちにひらけた空間の中で、もう一度、向き合った。

 ユーラが、豊かにうねり広がる髪を背へと流し、美しく笑った。


「アジューラが、リューセドルクに、対の星の審議を求めます」


 その時、会場の天井から、不思議な煌めきを伴った音が降り注いだ。

 リューセドルクは、ただ、ユーラだけを見つめて、伸ばされたままだった小さな手を、同じ右手で包み込んだ。


「それがどんなものであろうとも、受けましょう」


 降り注ぐ音を受けた観客は、なぜか、身動きが取れなくなった。どんな胸中であろうとも、固唾を飲んで見守る他はない。ぎらついた目を蠢かせるばかりの、彼らは単なる舞台背景となった。

 王妃も、兵たちも、側近たちも、影絵の様に、時を止めた。

 だがユーラの微笑みは柔らかく、暖かく、竜舎で見たものと変わりなく優しい。

 ゆえに、リューセドルクは微塵もためらいを感じることがなかった。


「対の星として見定めました。リューセドルクの本質は、炎。絆を結んだ赤翠の竜にも通じる、苛烈で激しい魂。地上のあらゆるものを、焼き尽くすことも容易い、浄化の灼熱」


 まるで、さきほどの激情を覗かれていたようで、リューセドルクは身じろいだ。

 けれどその手を、小さく柔らかな手が引き留める。手の甲に描かれた青い線が、その肌の白さを際立てて美しい。


「その熱い魂は、国の長い繁栄の道筋を見据えて道標として明るく燃え続けることを選び取り、過酷な責務に真摯に取り組み、敵と悪に容赦無く、けれど常に不平等を廃し、どれほどの苦難に道を阻まれようとも意志を燃やし続けてこれに打ち勝つことを信じる、まさに輝かしき太陽のごとし。

 ——そして同時に、炎の苛烈さが周囲を害することを恐れる心を持ち、常に周囲に配慮を怠らず、報われることのない思いをも、決して簡単には諦めなかった、まさに冬の日の篝火のように、温かく優しい方です」


 ユーラの言葉の後半に、観客と化した影絵たちは、動揺した。冷静で果断な王太子を評して、臣下の誰も優しいとは言わないだろう。王太子が優しい本質を持つと盲目的に決めつけていたのは、王妃ひとり。

 だがユーラの言葉にもっとも動揺したのは、リューセドルク本人だっただろう。リューセドルクこそ、自身が優しさなど持ち合わせてはいないと、確信していたゆえに。

 

「見定めを、認めますか?」


 認められない。認めたくない。

 いや、違う。嫌ではない。

 だが、信じられないのだ。

 温かく優しいなどと、今日まで誰からも言われたことはない。優しい子のはずなのに、というのはまごうことなき否定だ。だからこそずっと、王妃にとって出来損ないの王太子だったではないか。

 表情こそ取り繕ったが、動転し、思わず手を離しそうになったところで、握り合わせていた手のひらがしっとりと汗ばんでいることに、かろうじて気がつくことができた。

 リューセドルク一人の汗ではないだろう。吸い寄せられる様に、目の前の芽吹き色の瞳を覗き込んだ。


 ユーラが、じっと自分を見つめて、睫毛を、頬を、唇を震わせている。固く強張った頬は少し血の気が失せて、明らかに緊張の表情だ。竜の前では屈託のない顔しか見せなかったユーラ。叡智の民の姫として堂々たる振る舞いを見せたユーラが。

 リューセドルクの心が追いつくのを、待ってくれている。少しの恐れをも抱きしめながら。

 それを見た途端、何もかもが、すとんと落ちてきた。

 ユーラからそう見えているのであれば。

 それでいい。

 意外と、自分の方が自分をわかっていないのかもしれない。


「——認めます」


 リューセドルクが応じると、またも、煌めきが降ってきた。美しい輝きは、先ほどより長く続いて、影絵の人々は、しばらくそれに目を奪われた。

 リューセドルク本人は、咲き誇る花の様に笑顔になったユーラに、意識の全てを攫われていたが。


「では、対の星として、アジューラは、リューセドルクによる見定めを受けましょう」


 次はリューセドルクの番らしい。王太子たる身にとって、こんなぶっつけ本番は珍しくはない。

 だが、ユーラを前にして口を開くと、初心な少年のように、心臓が暴れ出した。

 みっともなく手が震えるのを自覚して、さらに声が上擦りそうになった。ぐっと腹に力を入れて、呼吸を制御する。せめて少しでも、格好をつけたい。


「対の星として、見定め、ました」


 ぎりぎりのリューセドルクを安心させるためか、ユーラが微笑みながら、きゅっと手を握ってきた。だがそのせいで、ユーラの顔しか見えなくなって、一瞬頭が真っ白になった。励ましだとしたら、悪手である。まさか、失敗させようとしているのだろうか。それとも、からかっている?

 恨めしくも思ったが、ユーラは今はただただ楽しそうだ。

 すると意図せず口元が緩んで、笑みが溢れた。

 この惹かれる気持ちのまま、思うがままで、よいのだろう。


「……対の星として見定めました。ユーラの本質は——水と光。

 森も竜も、そして人も、全てを等しく潤し、癒し、活力を与え、未来へと導き、命を繋ぐ、天の恵み。叡智に溢れ生命の輝きに満ち、……他の苦しみを理解しようと懐を開き、相手の本質を否定せず包み込み、足掻く手を取り、おぼつかない歩みに寄り添い支えてくれる、かけがえのない魂の糧。

 貴方の笑顔と声が、私に幸せを教え、腐り、堕ちかけた心を慰める。……今後、私はいつどのような苦痛と混迷に苛まれようと、必ず、あなたの光を目指して歩もう」


 期待に満ちてこちらを見つめていた若い芽吹き色の目が、きゅっと細まり、その色を濃くした。


「リューセドルク。あなたがあなたでいられるように、わたくしは全霊を尽くしましょう。あなたは、心の苦しみを乗り越えても良し、振り捨てても良し。わたくしはいつも、あなたの傍に」


 知らぬままに見過ごしていた冷たい体の強張りが、春のひだまりに泡の様に消えていくかのように。リューセドルクは棒立ちになったまま、かすかに震えさえして、心が解き放たれていくのを感じていた。

 押さえつけられ疲弊して干からびかけていた心が、弱りきったまま繋ぎ止めるものを失い、危うい均衡のままふらふらと荒野に彷徨い出ようとしていたのに。今や生命の水をたっぷりと与えられ、温かく抱きしめられて、心は瑞々しくふくらんで満ち、自分の持って生まれた魂と、ひたり、と隙間なく重なり、同一となり、一体となった。


 その、突き抜けた幸福感に酔いながら、リューセドルクは長い間、淡緑の煌めきに魅入られて覗き込んでいた。

 やがて、ぱちり、と瞬きが二人の間を区切り。

 ユーラが、すこし澄ました顔をして、頷いた。

 だがその頬はまだ赤くて、たいそう甘そうなままだったので、リューセドルクもまた、優しく口角を上げた。


「——見定めを認めます。これで、対の星は真となり、わたくしたち二人の絆をここに宣誓します」


 再び跳ねるような音を伴奏に、数多の煌めきが会場中に降り注いだ。今度は皆が動けるようになり。

 途端にあたりは、轟々とした叫びにも聞こえる歓声に包まれた。

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