第18話 反省と贖罪
その夜、リューセドルクは早々に自室に戻るようにと皆に促され、わずかな時間だが寝台で深く眠った。
翌朝は日が昇る頃に目が覚めた。
王族の大切な宴は、古来竜の日と呼ばれる、佳き日に開かれることが多い。春から夏へ、緑が濃くなり、風が強く吹き始める時期だ。
城壁に上がれば、湖には強く白波が立ち、黒々とした木々が揺れ、薄墨の空を白い雲がするすると流れていく。それを見るともなく日課の鍛錬をして、城の塔が朝日に輪郭を照らし出される頃、汗を流して部屋に戻った。
所在なさそうにしていた子豚、ではないようだが、がぷひぷひと足元へ寄ってきた。
『こんな朝から何をしているの。もっと休まないとダメでしょう?』
「何か食べたいのか?」
そういえば、キノコゆえに水だけでよいと言われた気がする。なぜリューセドルクが部屋まで連れ帰ることになったのかはわからないまま押しつけられたが、ユーラから預かったのだから、世話はするべきだろう。
子豚、に与えるついでに自分も水を飲みながら、リューセドルクは執務をこなした。自室に据えてある机には、いつも急ぎの仕事を持ち込んでしまうのだ。
「久しぶりに3時間も寝て、よく集中できる」
嬉しさに呟きつつ、溜まっていた書類をこなし続ける。子豚、は広い机の片隅で水を舐めていたが、そっと書類を覗き込んで、読めなかったのか、詰まらなかったのか、しょんぼりとリューセドルクに背を向けた。
『私が、宴の準備で忙しいって陛下に戻した仕事は、すべてリューセドルクに行っていたのね。きっとそれ以外にもたくさん』
書類を終わらせ、リューセドルクは侍従を呼ぶベルを鳴らした。すぐさま入ってきた侍従たちは、リューセドルクを着替えさせたり部屋を整えたりと動き回る。終われば側近の一人が挨拶と共に入ってきて、書類を持ち去った。
「今日は調子がいいから、このまま執務室へ行くが、お前はどうする?」
こんな日はなかなかない。できる限り溜まった仕事をこなしておきたい。
子豚、に話しかけながらも、すでに扉まで歩いていた。
『あら、リューセドルク、ごはんは? 食べないで仕事なの?』
「ユーラ殿のところへ帰るか?」
名前を口にするのに、緑の明るい眼差しを思い出して、つい目が優しくなった自覚がある。子豚、は、なぜかしばらくリューセドルクの顔を見たままじっとしていたが、やがて頷いた。
「そうか、午前中は、王妃の要望で、令嬢たちに会わなければならない。それが終わってからになるが、送ってやろう。……はあ、今日は何人だ」
扉を開けて、子豚、を通し、そこに待機していた護衛に確認を取る。みるみる朝の爽快な気分が翳るのを感じた。
「厳選して、八名です。初めの令嬢とのお約束は、10の刻です」
「八名なら、昼までかかるな」
「昼には昨夜の取り調べも終わっているかと。ただ、昼からは別の会議が……」
「わかった。王妃に関わることなので、防衛副官に振る前に私が確認する必要がある。必ず報告させろ。会議までには切り上げる。昼食はよい。時間がない」
「短時間で摘まめるものをご用意します」
子豚、は悲鳴じみた鳴き声を上げた。
『そんな、つまむものとかじゃなくて、まだ若いんだから、ちゃんと食べなきゃ』
「食事の必要性はわかっているが。王妃の背後から何が出てくるか考えるだけで食欲が失せるな」
「お体を壊します」
「まだ、大丈夫だ。だが、そうするとユーラにこれを届ける間がないな。……だれか、ネクトルヴォイの領主に使いをやって……」
リューセドルクはもうひとつの扉を出て執務へ出かけ、子豚は、部屋にぽつんと取り残された。
*******
頭ががんがんする。
いつまでこの姿なのだろう。
昨夜、あのユーラとかいう娘に姿を変えられてからずっと、王妃メイベルは自分が夢を見ているようにしか思えない。そうでなくては、リューセドルクが不憫すぎる。自分がずっと、都合の良い夢を見ていて、それを息子に押し付けていた、毒でしかない愚かな母親だったなんて。
そんなはずはない、といつものように、否定が胸に湧き上がる。
けれど息子の頬が前より痩けていること。王妃と呼んでも母と呼ぶことが一度もないこと。仕事ばかりで寝ていないこと。食べていないこと。その仕事を増やしているのが、メイベル自身だということ。竜を大事にしていること。想像よりよほど大事にしていること。竜も、息子を思っていること。息子が抱えている、自分が一切見ようともしなかった、息子の苦痛。自分の理想とは全く違う姿で、確かにそこに生真面目に、誇りを持って、一人で立って生きているリューセドルクを。
否定は、もうできない。
だが、思ってしまうのだ。これが夢ならば。
ただ、覚めれば良い。そうすれば、優しく穏やかで母親思いのリューセドルクが帰ってくる。
だが、だが。
きっとそうしてしまえば、もう二度と、本当のリューセドルクを目にすることはないだろう。向き合う機会も二度となく、疎まれたまま、表面上を取り繕って、そして静かに、関係は薄れていくだろう。
それはひしひしと感じ取れた。
「ユーラには届ける間がないな」と、そう言った時のあの子の顔。なんて寂しそうな、切ない顔をしていたのだろうか。
会いたいのだ、きっと。あの、勝手に人の姿を変えた、恐ろしい魔女に、騙されているのだ。
魔女なのに。あんな顔をするほどリューセドルクに求められて、なんて、羨ましい。
もう自分には向けられないかもしれない気持ちだと、知ってしまった故に。
メイベルは、ぷひ…、と項垂れた。
しばらく項垂れていたが、無人の部屋は静かで変化がない。
だんだん窓の外が明るくなってきて、ようやくメイベルは、自分が部屋にいないことで騒ぎになる可能性に気がついた。
『あの小娘、大騒ぎになったらどうするのよ。こんな姿を皆に見られたくもないし』
だが、昨夜の花火の取り調べが終わるまでは、侍女たちとの接触が禁じられたことを思い出した。朝起こしに来るものはいないだろう。召使いたちは、呼び出されなければ主人の眠りを妨げたりはしない。
ひとまず、焦らなくてもよいと自分を宥めた。
とはいえ、いつまで。
もしかして、この姿変えは、永遠にこのままなのだろうか。
もう二度と、母としてリューセドルクには会えないのだろうか。やり直す機会も、ないのだろうか。やり直せるなら、今度こそ、間違えないのに。
令嬢たちに会うことに、リューセドルクがあれほど苦痛を感じていたとは、知らなかったのだ。立場上難しい顔をしているだけで、内心、癒しとの出会いに期待をしているはずと思い込んでいただけ。そうでないのなら、メイベルだって、息子の健康を損なってまで宴を催すつもりはなかった。
なぜ、伝わらないのだろう。
話をしたら、伝わるのだろうか。母としての真心が。
『あら、でも待って』
ユーラ、と名を呼んだリューセドルクを思い出す。
涙を流していた様子も。
竜への気持ちを軽く見積もっていたことは、本当に反省するばかりだ。花火が大ごとにならずによかった。それも含め、リューセドルクにとって重大なものだった竜の問題を解決したのが、どうやらあのユーラという娘らしい。
竜に詳しい、ユーラという娘。ネクトルヴォイの領主に使いをやるからには、その縁者だろうか。古い森との交流を司る辺境の、かろうじて貴族の家だ、と学んだ気がする。竜との繋がりは、よくわからないが。
そういえば、招待状を確認した時のネクトルヴォイの領主の娘は、ユーレイリアという名だった。先日、リューセドルクがわざわざ使者を送った先も、彼女ではなかっただろうか。
『なあんだ、前から知り合いだったのね?』
確かに、リューセドルクの気持ちを勝手に決めつけていたかもしれない。
だが結果を見れば、田舎育ちの良い娘と出会っていたのではないか。
リューセドルクにとって癒しとなるなら、相手の多少の問題には目をつぶってもよいだろう。
『魔女だし、よりによって王妃に魔法をかけるなんて、ちょっとどころじゃなく物騒な子だけど。まあ、のびのび育って、おおらかと言えなくもないわよね。リューセドルクのためには、そのくらいは母親として妥協するべきなのね、きっと』
ネクトルヴォイの令嬢とリューセドルクを結びつける手助けをすれば。
そうすれば、母の贖罪になるのではないだろうか。
『もう一度、母と呼んでくれるかしら。きっと戻ってくれるわよね。そうよ。きっとそれが大団円への道なのだわ。みんなが、幸せになれる…』
めでたしめでたし、の
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