第16話 間違ってない

 昔、山脈と山脈との間、広大な平地の全てを森が覆っていたころ、そこは竜の土地だった。

 その竜の土地へと、魔物すら越えぬ山脈を命からがらに越えてやって来た人々がいたが、彼らは侵略者ではなく、山向こうの地の異変から逃れてきたと知っていた竜たちは、それを受け入れた。

 人は弱く、敵の眠る夜だけに活動をして、細々と命を繋ぎ、それが三世代続いた後、竜が慈悲を持って問いかけた。

 お前たちは、この土地で生きる定めとなった。これからも森への敬意と尊重を忘れなければ、もう少しだけ安心して暮らせる地を譲るが、どうか、と。


 約定は成り、森の中央の木々が土地を譲り、人はその空き地に集落を築いた。

 これが、人の国の始まりのはじまり。


 人の全てが国と成したわけではなかった。特によく森に順応し、竜と意思疎通ができた人々は、竜と共に暮らすことを選び、森に残った。これが、森の民の始まりとなる。

 国を建てた人々は、人として努力をして、命を継ぎ、増やし、暮らしを豊かにして栄えていく。

 森の民は、森に馴染むことでその叡智を授かり、森と融合し、人の領域では成せない不思議の技も扱うようになった。それは、人としての繁栄を代償にした恩恵。

 森の中と外を、誰もが頻繁に行き来をして交流していても、なるべくして隔たっていった、ふたつの民。


 やがて国に人が増え、国が三つの都市の派閥に分かれ、他の都市を羨み恐れ自都市のみを強くしたいと感じ始めた頃。

 賢明なる三都市の指導者たちは、森の民を解して竜に助言を求めた。

 これに応えて竜はさらに人のために土地を譲り、三つの都市が、余りある土地を得て、穏便に三つの国となることを許した。

 ただし、森を譲るのはこれ限りだと、始祖なる竜たちは眠りにつき、森はかつてのようには開かれなくなった。

 そうして、交わることのなくなった人と森とを繋ぐ役割は、森の民に託された。


 森の民は三国に、若竜たちを託した。その竜を慈しみ共に平和に在れば、やがて血を継いだ竜たちが国のために道を切り開いてくれるだろうと、よくよく申し伝えて。

 以降を、三国の時代と呼ぶ。





「私の知る話とは、少し、違っている。似通ってはいるが」

「三国では、語り継がれて少し変わったと考えられてる。それも学んで知っている。でも、違いがあるのは、仕方ない。森では、実際に見た者が伝えている」


 さらりと言って、リューセドルクが何かを問い返す前に、ユーラはやや堅苦しく言葉を継いだ。


「三国で語り伝えている人型の神は、竜と森の民を合わせた像かもしれない。

 私たちにとっては、竜は、神より森に近い。竜たちは繁殖で増えるけれど、実は動物ではなく、根っこでは森と繋がっている。

 森から離れて生きる今の竜たちも、完全に森から切り離されてはおらず、何十年かに一度、数年ほど、全ての個体がとても弱ってしまう時期がある。元気がなかったり卵を産まなかったり、成長が遅くなったり。

 今が、まさにその時期で、ひとつ前は、50年ほど前だったと聞くよ。きっと他の国の竜たちも、同じような状況のはず」


 それは確かに自国の竜たちに起こっていた現象だ。そして、三国全土において、竜に直接関わる者たち以外には、厳に秘匿されていることでもある。


「けれどその問題は、実は竜たち自身が解決できる。——眠りについた始祖の竜たちは、かつてそれを予見して、竜たちが弱る時期になると、一頭ずつ、始祖の竜が目覚めることにしてあるから」


 ぐるう、とガゼオが唸ったせいか、子豚が再び騒ぎ出したが、ユーラが鼻先を撫でると、口を封じられたかのように押し黙った。


「今回も、森の奥で始祖の竜が一頭、目を覚ました。始祖の竜が無事に目覚めて森と繋がれば、竜たちの不調はなくなっていく。そう言われてる。だから、竜たちは大丈夫」


 だが、若竜たちに起こっていることは、それとは違う。先ほど、そう、ケールトナは言ったのだったと思い出し、リューセドルクは体を固くしたまま、頷いた。


 若い雄竜たちが、なぜかしきりに苛立ち、体を揺すり、そわそわと落ち着かなくなってからは、そろそろ半年だ。人も竜も傷つけない様に対応するのは、非常な重労働で、竜番たちも。弱音をこぼし始めたことを、リューセドルクはよく知っていた。


「では、若竜たちの様子のおかしさについても、教えてもらえるだろうか」


 神妙に請えば、ユーラは安心させるようにゆっくりと微笑んで、子豚を抱えたそのまま、胸の前で胸を張って腕を組む真似事をした。


「あのね、若竜たちが落ち着かないのは、仕方ない。——ねえ、若君。今回の始祖の竜は、綺麗な、透き通る様な翠色の女の子だよ。ちょっとツンツンしていて、でもとても可愛い」


 ぐるぐると唸りが続くガゼオに、まさか、と思う。そういえば、なぜユーラはガゼオを若君と呼ぶのだろう。


「その始祖の竜が、どこかに運命のお相手の竜がいるのを感じるって言うんだ。だから、森からずっと呼んでるんだって。若君には聞こえたよね? だからソワソワしてしまって、他の若竜たちにも影響した。違う?

 若君はすぐに飛んで行きたかったかもしれないけど、止められたから拗ね…」

『おい、森の嬢ちゃん。適当なことを言わないでくれ』

「違った? はっきり相手を決めるまで、始祖の竜は求婚をきっとたくさん受けるから、焦ったかなと思ったけど」

『……っ! 俺は、気配を感じてすぐさま飛んで向かおうとしたんだ! それをコイツが!』


 ガゼオが、今までの落ち着きが嘘のように、勢いよく顔を高く持ち上げ、鱗を逆立てて、吐き出す息の音も荒々しく、見下ろすようにリューセドルクを睨んだ。


『な、ななな、なによ! リューセドルクに何の責任があるっていうの! 知らなかったら、仕方ないで、しょ、ひゃえっ』


 ガゼオを見上げたリューセドルクには特に怯えも怒りもなく、淡々と受け止めていたが。

 代わりに、とばかりにぷひぷひと文句を言った子豚は、ガゼオにがばりと口を開けて威嚇され、団子のように丸くなった。


「私と始祖の竜は少し繋がってるから、なんとなくわかるけど、王子、貴方の竜は、始祖の竜のお相手の、最有力候補だと思う。」

『候補、とかつけるな!』

「それでガゼオが相手の元に向かおうとしたのを、私が力ずくで止めてしまった、ということか」


 ユーラが普通に理解しているらしいガゼオの言葉は、リューセドルクには理解できない。理解できないが、なんとなく言っていることがわかる気がする。

 もし本当に、ガゼオが始祖の竜と番うために飛び立とうとしていたのを、竜笛で無理矢理止めたのだとしたら。

 ——あれほど憎々しげに睨まれても、仕方ないのだろう。

 知らなかったとはいえ、友の恋路を邪魔したらしいと思えば、申し訳ないばかりだ。

 理由もわからず拒絶されていたときより、心もだいぶ軽くなった。詫びて償う手段はあるだろうかと、考えられるだけでも、幸せだと感じたのだが。


「飛んで行こうとした若君を止めた王子は、間違っていないよ」

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