第14話 ようやく出会う
リューセドルクが竜舎に慌ただしく戻ったのは、花火騒ぎの後始末からそのまま、その他の王妃の計画に問題がないか確認した後、もはや夕食の時間はとうに過ぎた遅い時間だったが、そこには場違いな明るい声が満ちていた。
何事かと近づけば、入り口から中を窺っていた竜番たちが、夢の中を歩いているような面持ちで寄ってきた。
「あの方が鎮め香を焚いてくださったところ、竜たちはとても落ち着いたんですが。それだけではなく。いや、私たちには、なぜああなっているのか……」
嬉しいのだが、信じがたく、現実味がないというふわふわした心地だと言う。
促されて、中を覗き込む。
ここは若竜たちの竜舎。一番奥がガゼオの場所だ。ガゼオが雌竜たちから自立した頃から、そこが定位置。
始めの数日は夜に寂しがって鼻を鳴らしていたので、兄貴風を吹かせて、潰されないように互いに気を遣いつつ一緒に寝てやったこともある。逆にリューセドルクも、どうしても辛いことがあるとここに駆け込んだ。
この数ヶ月は、ガゼオを苛立たせてしまうのが嫌で、近寄っていない場所。
だが、森の民相手なら、ガゼオも気を許すのだろうか。そう思っていたから、まずケールトナを探した。その長身は、ガゼオの室の前で柱に寄り掛かっていた。ガゼオは、しかし、ケールトナを見てはいないようだった。相変わらずむすりとした様子で、赤翠の体を伏せたまま、だがじっと、自分の正面に立つ小柄な人影を見つめていた。
ひやり、と肝が冷えた。
ガゼオは自分よりはるかに弱い存在を傷つけるような性質ではないが、なにしろ、彼自身でも持て余すほどの苛立ちに苦しんでいたのを、目の当たりにしてきたのだ。
あのような小さな存在を無防備に目の前に立たせて、万が一があったら。
焦りのまま一歩、踏み込む。
だが、そんな緊張をさらりとかわすような涼しい笑い声がして、リューセドルクの足を止めた。
茶色いふわふわとした髪の毛を後ろ頭でまとめ、動きやすい格好をしている小さな人物は、もしかすると、あの時ケールトナに飛びついていた、ジュメ『緑の宝石』だろうか。ケールトナがその後ろ姿に注ぐ眼差しが、同じではないだろうか。
確かに声を聞けば、女性だとわかる。幼い子供ではないだろう。
あの時庭で見かけた人物であるとすれば、では
「若君、わかる? この子、可愛くなった?」
『いやああああ、そんなに近寄らないで! 一口でやられるわ!』
『……やかましい』
『ひっ、しゃべった!?』
ぷひぷひと忙しないか細い声は聞き慣れないが、グルルと唸るガゼルは、随分と落ち着いている。
彼らの会話に聞き耳を立てていたリューセドルクから、は、と息が漏れた。
ガゼオのこれほど穏やかな様子は、久しぶりに見る。
漏れた息は安堵が溶け込んだ熱い息で、思いがけず鼻にまで上って、じんと染みた気がしたが、息をとめてなんとか散らした。
『リューセドルクの母親だろう。だが騒がしいのは似ていない』
『姿だって今は似ていないでしょう!?』
『匂いは似ている』
ガゼルが大きな鼻先を寄せるのに、ユーラが両手に抱えたものをぐっと突き出した。ぷひぷひという鳴き声が、ひぴいっ、と引きつけた様に止まる。あまりのことに、息がつかえたのだろうか。
だが、ガゼルは委細構わず、ふす、とひと嗅ぎして、また伏せの定位置に戻った。
『……に、に、匂いを嗅ぐなんて! 女性の匂いを……!』
『ヒトは匂いを嗅がないのか? だから親子で分かり合えないんだろう』
『な! 竜など、卵から生まれて、親子のことなどわからないでしょうに!』
『浅慮な。卵の中からとて、親の匂いも、そこから感情も愛情も、すべて分かるぞ。リューセドルクに比べて、お前は無知だな』
ぷっひー!!と鋭く鳴いた何かが、女性の手から落ちて、竜舎の入り口へと猛烈に走ってきた。
それを、思わず、リューセドルクが拾い上げた。
ぷき!
手のひらにちょうど収まるお腹の膨らみ。ほんのり赤みがかった肌いろ。短い四肢。丸く大きな頭に三角の折れた耳。そして、ひしゃげた丸い鼻。
かなり小さいが、子豚にしか見えない何かが、リューセドルクに持ち上げられ、四肢を突っ張って硬直していた。
「捕まえてくれてありがとう」
なんとなくその動物を見つめていると、横から声をかけられた。
足音にも気づかず、知らぬ間に間合いに入られていたのだが、警戒する気にならず不思議に思う。
差し出された手に、小さないきものを素直に渡そうとしたのだが。
ぷひぷひとそれは身を捩り、なんとかリューセドルクの手の中に戻ろうとするかのようだった。
「あれ、そっちの方が良いの?」
と、さっくりと手を引っ込められて、リューセドルクの方が困ってしまった。それを助けようとしてではないだろうが、長身が、ふらりと寄ってきた。
「おー、大変だったな、リューセドルク」
「ケールトナ。竜を鎮めてくれて、助かった。感謝する」
「いや、鎮めの香も効いたが、ユーラの存在が大きいだろうな。こいつは、竜と波長が合うから」
となりの小柄な頭を捕まえて言う。やはり、彼女がユーラらしい。乗せられた手を気にもせずに、こちらを見つめてくる目は、透き通った明るい緑をしている。
なるほど、ジュメとはこのことか。
「私がいていいこと? ちょっと落ち着く匂いがする、くらい?」
そんなことを屈託なく言って、にっこりと全開で笑いかけられ、つい、意識が匂いに向く。そういえば、王妃とも、どこかの令嬢とも違い、ここまで近いのにあまり香りらしきものを感じない。
さらに空気を吸い込みそうになって、危ういところで止めた。
ケールトナが、ユーラがリューセドルクを対の星と思っていると言ったのを、忘れてはいない。
森の長の系譜の娘だ。真相はともかく、特別視してくれているのなら、それを穏やかに保った方が、都合がよい。リューセドルクは王太子の顔をして、優しげに目を細めた。
「平素であればガゼオは花火を怖がることはない。ガゼオが落ち着いていれば、他の竜たちも恐れの心を抑えて、皆で落ち着いてやりすごせただろうが。今回は、そういうわけにはいかなかったはずだ。
貴女がいてくれて竜たちが落ち着くのなら、貴女は霊薬に等しい」
『娘、リューセドルクはね、本当はこんなふうに誰にでも優しいのよ!』
子豚が急に鳴き出したが、特に気を惹かれず、リューセドルクはただ、芽吹きの色の瞳を見ていた。城でよく見る女性のようには睫毛に色を乗せていないようで、顔の中で特に目元が目立つわけではない。化粧気がない、というのだろうか。だが、茶色いまつ毛は一本一本が細く、驚くほど長く密だ。
やわらかそうな目元の肌、ふっくらとした頬。そこに指を滑らせたら、どんな感触だろうか。
もう一度、目を合わせる。その目が、ゆっくりと瞬きで遮られ——。
はっと、リューセドルクは我にかえった。
「リューセドルク、今、寝てなかったか?」
「いや……だが確かに、あまり眠れていない」
見惚れていたとも言えず、寝不足という事実を出して誤魔化した。
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