第13話 変わり身

「母上、世継ぎの私にとっては女性よりも国防の方が当然重要です。——いつも思っておりましたが、貴女の言う王子は、いったいどこの国の誰方ですか。少なくとも、目の前の貴女の息子には当てはまるところがない。

 竜外交および竜の保護管理と、城の防備に関わる権限はすべて私にあります。母上、竜を軽んじ貶めることは、三国間の外交を軽視し、自国の立場を弱める行為ですよ。臣下がこれに関われば、即座に財産を取り上げられても文句は言えない。王妃たる貴方であれば、王妃の座を退いて幽閉でも甘いでしょう。

 私の心配をしていただくより、王妃として知るべきことを学んでいただきたかったですね」


 そう、言いたかったのだが。

 リューセドルクが、重要です、と言った途端に、王妃が泣き崩れた。


「う、うう。そうよね、私が至らなくて。ごめんなさいね、リューセドルク。貴方にとって今は国の方が大切なことをわかってるつもりで、つい。ただの母親の様なことを言ってしまったわ。王妃としては言ってはいけなかったわね」


 涙ながら寂しげに言い募る王妃は、いつものことだ。

 根気よく説明しようが、本心を知ってもらおうと心から語りかけようが、同じ。怒鳴りつけても同じなのだな、と白けた気持ちで考えた。

 今は王妃を口々に慰める侍女もすでに周囲にいない。だが、遠巻きに配置していた城詰の兵たちに一部動揺が見えたので、リューセドルクはため息とともに残りの言葉を呑み込んだ。

 疑いを挟むことがないわけではないが。幼い頃からこの女性を見てきた経験から言えば、彼女は今、本気で悲しみ、息子を愛し、その手段を誤ったことを反省しているのだ。

 ただ、恐ろしいほどになにも理解していない。

 なぜかいつも、息子は本心を隠していると思っているのだ。優しく穏やかで、愛を至上とする人生を幸せと考えるのが息子であり、王太子という立場上、偽って冷たい態度をとっているだけ。実はその心のままに優しく在りたいと願っているはずで、自分はそれを手助けしていると信じたままだ。

 周囲はこれを、概ね好意的に受け止める。

 母親として好ましいからではない。そういう人間も、先ほどの兵たちの様に多少はいるが。

 王と王妃は、とりたてて仲の良い夫婦ではないが互いに愛人もおらず、とはいえ王は王妃を尊重し、多少のわがままも容認する姿勢であり、無理に側妃を押し付けて権力を手に入れるのは難しい。また、すでに後継として定められた王太子は取り入る隙が少ない冷淡な性格、とくれば。王妃には、王や王太子の数少ない弱味として一定の価値がある、と考える貴族は少なくないのだ。それを、真の臣下と呼ぶかどうかは別として。

 今回の妃選びも、ため息をつきつつ受け入れたリューセドルクに同情するのは近しい者たちで、娘を差し出す機会を窺っていた者たちからは、さすがは王妃様と大変好評なのだ。

 ままならないものだ。世の中は。

 リューセドルクは返事をする気にはならなかったが、一つ息をついて、王妃の手を取った。

 微笑みを浮かべるのも、慣れたものだ。

 簡単だ。

 心と顔を、切り離せば良いのだから。

 いつものことだ。


「部屋へお連れしろ」


 すぐさま兵に託そうとしたのが、不満だったのだろう。王妃が袖を掴もうとしてきたのを、視線を動かしもせずに、払った。

 煩わされるのは、もうたくさんだった。






 結局、王妃の涙に関わらず、侍女たちの扱いの沙汰が覆ることはなく、王妃は女性兵に伴われて部屋に下がってきたというわけだ。


「もういいわ、下がってちょうだい」


 寝支度を整え終えるや、王妃メイベルは召使いたちを追い出し、寝台に身を投げ出した。そしてそのまま、裾が乱れるのも構わずにドタドタと足で寝台を打ち付けた。

 森を出て、途中の町の市場で、道にあのように寝っ転がって泣き喚く小さな子を見たな、とユーラは思い出した。なんだか、立派な母であり王妃である女性が、まるでただの子供のようだ。


「せっかく、感じ良く歓迎して、あの子にいい印象を持ってもらおうとしていたのに。竜が何よ。竜竜竜竜って! 竜に入り浸って、竜ばかりかまって! 竜と結婚するんですかっていうのよ!」


 ぶ、と吹き出してしまったが、メイベルには聞こえていないようだった。


「王子様といえば、運命の愛でしょうに。それはもう非の打ちどころのない結婚をするはずなのよ。素敵なあの子のお嫁さんは、竜なんかよりあの子や、義母の私まで大事にしてくれる、おっとりした田舎の娘さんがいいのよ。あの子のこともきっと癒してくれる。——そうよ、まだ癒しの得難さ、素晴らしさを知らないから、あんなに傲慢で偉そうで、国のことばかりなのよ。一度知ってしまえば、あの子だって、癒してくれる娘に夢中に、なる、くせに!!!」


 枕を細腕で叩きまくっているその部屋に、ユーラはそっと滑り込んだ。


「私が役に立たない王妃なのはわかってるわ。花火が禁忌なんて、知らなかった。仕方のない王妃ですとも。でも、あの子の母は私よ。あの子の幸せは、私が一番、知っている——」

「ほんとうに?」


 メイベルが、驚愕した顔で振り向いた。

 ユーラは、小さくか弱い存在に対するかの様に、心から、優しく優しく、笑いかけた。


『だ、誰か!』


 小柄な女性とはいえ、侵入者に、メイベルは気丈に枕を投げつけた。

 人を呼ぶ叫びは、しかしもう、人の言葉にはならなかった。


『ふふ、ケールトナは抵抗しちゃうから、失敗の方が多いのよね。だから、上手くいくのかイマイチ自信がなかったけど。我ながらよくできたわ』

『だ、誰なの? 何が起こったの? 何、これ、私の声!?』

「王子様が出てくる物語では、悪役は動物にされてしまいますでしょう?」

『動物!? あ、あなた一体誰なのよ……』


 王妃の声が、涙に暮れてくる。気が強いわけではないようだ。

 寝台の上でふみふみとシーツをにじる、変わり果てた王妃に、ユーラはつい、きゅん、とした。

 意外なほど、かわいい。


「私が誰かは今は置いておいていただいてよろしいのですが、私の目指すもののためには、貴方には少し、別の視点をお持ちいただきたいと思いまして」

『勝手、勝手なことを!』

「ごめんなさい、けれど、それが王太子殿下のためかと存じまして」

『な、だ、誰かは知らないけれど、あの子のためなどと、勝手に決め付けないで!』


 ユーラは、その言葉に改めてにっこりと満面の笑みを浮かべて、その表情に鼻白んだ王妃を、ひょいと抱き上げた。

 すこし硬めのまばらな毛の奥に、柔らかな肌。焦ってもがいた手足が、ぶんぶんと空を切って、ぷひ、と哀れな鳴き声が溢れた。


「そうですわよね。私もそう思います、王妃様。勝手に決めつける前に、まず知ることです」

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