お花探偵~ミントブルーの憂鬱
さんぱち はじめ
第1話
俺がその人に出会ったのは、春の終わり、雨が多くなってきた季節だった。
市街地から車で三十分ほどの緑豊かな郊外──そこに木々に囲まれた小さなカフェがある。
息抜きも兼ねて、俺はここを訪れていた。この数カ月、仕事以外の時間を結婚式の準備に費やして忙しかったのだ。
相手の女性は同じ大学の同期。卒業後に仕事先で偶然再会して、それがきっかけで付き合うことになった。
あれから三年か……。色々あったけれど、もうすぐ俺たちは結婚する。
駐車場に降り立ち、ため息が漏れる。雨こそ降っていないものの陰鬱な空模様だった。
木々の向こうに白壁の建物が見える。木の下闇を歩いていると、余計に気分が沈む。
自然に囲まれた場所は嫌いではないのだが、好んで来たりもしない。実際、ここへ来るのも初めてだった。
気分転換だけではなく、ある目的もあって、忙しい合間を縫ってここへ来ていた。
ある噂を耳にした。ある人物の噂を……。
その人は、花に詳しくて、どんな花のことでも知っているとか。それで、お花探偵などと呼ばれているらしい。
その人がカフェに姿を見せるのは週末、しかも絶対に会えるとも限らないらしいが……。
もしも、そんな探偵が本当にいるのなら、俺にも聞きたいことがあった。
「ここか」
カフェは開放的な作りで、ヨーロッパの古民家を思わせるような外観だった。吹き抜けから中へと入る。
「いらっしゃいませ~」
「どうも」
女性の店員さんに声を掛けられ、軽く会釈を返す。
普通のカフェ……ではないっぽいな。
「どうかなさいましたか?」
キョロキョロしていると、店員さんが聞いてきた。
「いえ、実は始めて来たので……。ここって、ただのカフェじゃないんですね」
「ええ。森林浴を目的に来られる方も多いんですよ。遊歩道や裏庭もありますから、是非見ていってくださいね」
「そうなんですか」
「ええ、ごゆっくりどうぞ」
「あ、すいません……」
追いすがるように声をかける。
「あの、実はある方をお探ししてまして……」
「ある方……。どなたかと、お待ち合わせですか?」
「いや、そうじゃなくて」
なんて言ったらいいんだろうな?
頭を掻く。
「ちょっと噂話を聞いて……。こちらにその、花に詳しい方がおいでとか」
口を迷わせてながら言うと、相手には心当たりがある様子だった。
「ああ!
「あっ、そうです」
お花探偵……本当だったんだな。実はどこか半信半疑だったんだけど。
「彼女なら裏庭ですよ。裏庭のサンルームだと思います」
「ありがとう。行ってみます」
建物を抜けて、裏庭に出る。
「おぉ」
思わず声が漏れた。美しく手入れされた本格的な庭だった。そして思ったよりも広い。
カフェのテラス席も設置されている。
あの席でゆっくり庭を見ながらくつろぐのも気持ちがよさそうだ。
庭を囲むように、林が奥まで続いている。遊歩道には老夫婦や家族連れが散歩をしている姿が見られた。
小さな子ども連れの家族を見て、俺は自分と彼女の将来を思い描く。だが、その像には、どこか靄がかかっていた。今日の空のように、どんよりとした気分が晴れない。
原因はわかっている。その原因を突き止めたくて、ここへ来たのだ。
右奥にガラス張りの部屋を見つけた。
あれがサンルームか。
「ねえねえ」
「!?」
急に声を掛けられた。下を見ると、女の子が服の裾を引っ張って、こちらを見上げていた。
「うわ、びっくりした」
考え事をしていて、まったく気づかなかった。
小学三、四年生くらいだろうか? 肩に乗るくらいの髪の女の子で、頭のヘアピンに丸っこい蜂の人形がくっついている。
そして、なぜか手に木の枝を持っていた。どこで拾ったのだろうか?
「伝説の剣って英語でなんて言う?」と、急に聞かれる。
「えっ?」
「伝説の剣」
「ええっと、レ、レジェンド・ソード?」
そう言うと、急に少女が枝を振り上げる。
「おーっ!
「うわ! びっくりするな、もう」
「よーし、魔王を倒しに行くぞーっ! まずはスライムでレベル上げだーっ!!」
そのまま、庭を飛び越えて林に消えていく。
どこの子だろう? て言うか、大丈夫なのか? 林の中に一人で突っ込んでいったけど……。
「子どもは元気がいいな……」
ため息まじりにそう言った。
「明日花さん、あんまり遠くへ行ってはダメですよ」
そんな声がサンルームから聞こえてくる。そして、中から一人の女性が姿を見せる。
七十代くらいのおばあさんだった。
「あの……」
声をかけると、幾分迷ったようにこちらを向いた。眩しいのか、目を
「突然すみません。麻里花さん、でしょうか?」
「ええ、そうです。麻里花はわたしですが」
「お花、探偵の?」
そう尋ねると、にこりと微笑んで「ええ」とうなずいた。
「もしかして、お花のことで何かお困りですか?」
「はい、実は……」
「それならば、あちらへどうぞ。立ち話もなんでしょうから」
奥へ招くような身振りをする。
首を伸ばしてみると、サンルームの奥──庭の隅にテーブルベンチが置いてあった。
向かい合う様にしてそこに座る。
「自分は
「森園さん。今日はどういったお困りごとでしょうか?」
「ええっと、実はある人物の気持ちが知りたくて……」
「気持ち?」
小さく問われて、俺はうなずき返す。
「はい。そのためにある花に込められた意味を知りたいんです」
「そうですか。その方は、特別なお人なんですね」
「はい。お付き合いしている女性です」
「そうなんですか」
「ええ、実はもうすぐ結婚する予定でして」
「あら。それはおめでとう」
柔らかくそう言われ、俺も小さい声で「どうも」と返す。
「けど、ここ数カ月は、準備も大詰めで特に忙しくて」
「結婚式の? いろいろと準備がありますものね」
「そうなんですよ」
俺は困ったように笑う。
「それで、最近気づいたんですけど、彼女がラインのアイコンの画像を変えてたんです。そこに写っているのが、この花で──」
スマホを取り出し、画像を麻里花さんへと向けた。そこで、あることに気が付く。彼女はずっと目を閉じているのだ。
「……」
「どうかされましたか?」
「あ、いや。あの、ひょっとして目が……?」
「ええ。ずいぶん昔ですが、病気で」
「あっ、そうだったんですか。なんか、すいません」
「いえいえ。気になさらないで」
そう言うと、こちらを見て微笑んだ。
弱ったな……。どうやって伝えよう。
「どう言った花なのか、詳しくお聞かせください」
「わかりました。ええっと、青い花です。画像は花を真正面から、大きく一輪だけ写したような感じです」
「青い花ですか」
「そうなんです。青なんですよ」
俺は困ったように頭を掻いた。思わず苦笑が漏れる。
「結婚で青色って言ったらアレじゃないですか。マリッジブルー。もしかして彼女も、マリッジブルーになっているんじゃないか、なんて……」
「そう言ったご様子なのですか? お相手の女性も」
「う~ん、どうだろう? 結婚式の準備でバタバタしてて、険悪とまではいかないですけど……」
何と言うか、事務的な会話ばかりが増えて来た気がする。恋人同士の時と違って。
「ちょっと、なかなか直接は訊きづらいんですよねぇ。なぜ、アイコンを変えたのか? なぜ、青い花なのか? この花にどんな意味があるのか……? 一度考え出すとどんどん気になって来て。もしかして、結婚に不安を抱いているのかなぁ、なんて」
「そうですか……」
麻里花さんはなにか考え事をしているように呟いた。
「では、花の特徴を詳しく聞かせてください。大きさや花びらの数など、なんでもいいですから」
そう言われて、スマホを覗き込む。
「ええっと、実際の大きさは写真なのでわからないですけど、花びらは全部で五枚ありますね」
「花びらの形はどうでしょう? ほっそりしてますか? それとも丸いでしょうか?」
「ええっと、大きくて丸い感じですね。楕円形っぽいかな」
画像を見ながら説明する。
「質感はわかりますか? しっかりしているとかガラスのような光沢があるとか、写真から伝わって来るかしら?」
「う~ん……。柔らかそうな感じですかね」
それを聞いて、麻里花さんは何度かうなずいた。
「色合いはどんなでしょう? 同じ青でも深みのある青、のっぺりとした青……さまざまありますが、どういった青色でしょうか?」
「薄い青、かな。空色って言うか……水色っぽくも見える感じです」
「それでは花の中心部分──
続けて問われる。
「白っぽいです。灰色とか青黒いように見える部分もありますけど」
「なるほど。因みに、その写真の背景は何色ですか?」
「白ですね。真っ白です」
「純白?」
「はい」
「そうですか。わかりました」
麻里花さんはゆっくりと一回うなずいた。そして立ち上がる。
わかったって言ったけど、もう花の種類がわかったのだろうか?
「少しお待ちになってね」
そう言うと、サンルームへと歩いていく。
「手をお貸ししましょうか?」
「大丈夫です。座って待っていてくださいね」
そう言い残して、中に入ってしまった。サンルームの中は、たくさんの植物が並んでいる。
そして戻って来た彼女は手に苗を抱えていた。青い花を咲かせた植物の苗だ。
「写真のお花は、これではないでしょうか?」
「そっ、それです!! 同じ花だ!」
スマホと見比べながら、思わず俺は腰を上げた。
「ふふふ……。ちょうどプランターを植え替えていましてね。この時期はこの花をよく使うんです」
麻里花さんはテーブルに苗を置いて、ゆっくりと腰を降ろした。
「この花の名前はデルフィニウムって言います。デルフィの愛称で園芸などでも親しまれている品種なんですよ」
「デルフィ……、きれいな空色ですね」
「そうですよね。この水色っぽいデルフィの名前は……ミントブルーって言うんですよ? デルフィニウム・ミントブルー」
ミントブルーと言うと、だいぶ緑がかった色をイメージするが、その花は空の色に近い。
「お相手の女性がマリッジブルーではないかと心配されていましたが、きっと写真の意味はサムシングブルーなのだと思います」
「サ、サムシングブルー?」
戸惑うように聞き返す。
「ご存じありませんか?」
「あ~、ちょっと」
「さむしんぐぶる~? なにそれ~?」
「うおっ!?」
横から声がして思わず飛び退く。さっきの女の子が、ちょこんと隣に座っていた。
「さ、さっきの子!?」
「魔王を倒して帰って来た!」
例の伝説の剣、こと木の枝を掲げる。枝は、途中でぽっきりと折れていた。
「もう倒したんだ。早いね」
「うん! 激闘だった! でも勝った! 後はこっち世界で、この力を使って無双するのだ」
ひひひと笑う。
なんなの、この子!?
「明日花さん、あんまりお兄さんを困らせないで」
「あ、このお子さんは麻里花さんの……?」
そう言えば、さっきも呼びかけてたな。
「ええ。わたしの孫です」
「そうだったんですね」
「ねぇ。さむしんぐぶる~ってなにぃ?」
あ、そうだった。
「サムシングブルーはヨーロッパの結婚式の伝統的な風習よ」
「「そうなんだ」」
つい明日花ちゃんとハモってしまう。
麻里花さんはくすりと笑うと話を続けた。
「サムシングフォーと言って、花嫁の幸福を願う四つの物。その一つがサムシングブルーなんです」
「そうなんだ。知らなかった」
「花嫁が身に着けたり結婚式の演出にも取り入れられたりする縁起物のことです。何か古い物──サムシングオールド、何か新しい物──サムシングニュー、何か借りた物──サムシングボロー。そして何か青い物──サムシングブルー」
「
「おそらく」
こちらを見て、麻里花さんが微笑む。
「マリッジブルーなどと言われるように、青はネガティブなことをイメージしがちだけれど、結婚式ではネガティブな意味合いではないの」
「そうだったんですね」
「そして、森園さん。このデルフィニウム・ミントブルーもサムシングブルーによく使われる花なんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。花嫁に送られるプレゼントやブーケなどにも使われますね」
麻里花さんが花びらを優しくなでる。
「そんな結婚と縁の深いミントブルー。花嫁が身に着けると幸福が訪れるとか」
「俺は、とんだ取り越し苦労を……」
すべては杞憂だったわけか。
そうわかった瞬間、一気に肩の荷が下りて胸のモヤモヤがスーッと消えていく。
「お兄さん、結婚すんの?」
「うん、そうだよ」
「はえ~、おめでとー」
明日花ちゃんが呑気にそう言った。
それでなんだか可笑しくなって笑ってしまった。
「明るい声になりましたね。よかった」と麻里花さんも微笑む。
「ありがとうございます。気持ちが楽になりました」
「お話を聞きながら、少し心配していたんです」
「どうしてですか?」
「声の色に元気がない印象でしたから」
「なるほど」
麻里花さんが、まっすぐ俺に顔を向けた。
「森園さん……。もしかすると、あなたは気づいていないのかもしれないけれど」
そこまで言って、麻里花さんが微笑む。
「マリッジブルーになっていたのは、彼女ではなく、ひょっとしてあなたの方だったのかも」
「……あ!!」
目から鱗が落ちる気分だった。
衝撃だ。これが、マリッジブルー……!?
抜け出せて、初めて気が付けた。
「あ、ハハ。そうだったみたいですね」
麻里花さんがこちらに手を伸ばす。躊躇いつつ、俺はその手を取った。彼女が俺の手を包む。
「彼女はあなたを大切に思っているはずですよ。遠慮せずに、これからはなんでもお話を」
「ですよね。そうします」
優しい気持ちになって、素直にうなずいた。
そうだ。俺たちは家族になるんだ。何でもない日常を送る、どこにでもいる家族に……。
「自分たちとっても、お世話になった人たちにとっても良い式にします!」
別れ際、俺は麻里花さんに向かってそう宣言した。
「祈っています。結婚おめでとう」
「おめでとーっ!!」
麻里花さんと明日花ちゃんの祝福に、俺は拳を握りしめて応えた。
「ありがとう! 元気が出ました!」
二人に別れを告げ、カフェを後にする。
心に誓ったことがある。
時間が出来たら、彼女と一緒にここへ来よう。彼女を紹介したいのだ。俺たちの危機を救ってくれた恩人お花探偵の麻里花さんに。それと、元気いっぱいの明日花ちゃんにも。
気が付けば、空にかかっていた雲は晴れていた。陽が差し込んでいる。
今日の空は、あの花のようなミントブルーの空だ。
あれだけ陰鬱に思えていた木の下のトンネルは、葉が光を吸い込んでとても明るい。こっちは、まさに濃い緑のミントブルー色に発光していた。
水気のある気持ちいい空気を吸いながら、俺は彼女の待つ家へ帰る。
そうだ。帰り道にミントアイスを買って帰ろう! いろんな話をしながら、一緒に食べるんだ。
お花探偵~ミントブルーの憂鬱 さんぱち はじめ @381_80os
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます