第5話 偽りの理想と物語の嘘

漫画・小説・ドラマには多分に嘘が含まれている事は皆が知っている。皆知っているのだが、それでも騙されてしまい勘違いして現実でやろうとしてしまう事がある。

 今回は、その中でも3つ勘違いしやすく、不幸を呼ぶ行動を挙げていこうと思う。



①自分を救ってくれる誰かは、都合よく現れない

 物語ではよくあるパターン。ヒロインに出会って救われるだとか、王子様に救われるだとかそんなお話。でも、これって実現した人を見た事ありますか?

 誰かに救ってもらおうと思っている人は多い。が、そのために周囲に自分の不幸自慢をそれとなくしてはいないだろうか? 自分の口癖をチェックしてみるといい。

 そして他者を救いあげるだけの余裕がある人がどれほどいるものか、冷静に周囲を観察してみるといい。普通なら助けてくれるどころか距離を開けられるし、救世主より先に詐欺師やいじめっ子が寄って来てしまう。

 そもそも、この考え方は他者への依存だ。人にすがろうとすればするほど他者の目を引く努力をする事になるが、それで人が自分の理想通りに動くのは稀である。

 人にお願いする時は相手を見て、引き受けてくれそうな事をお願いするのが上手くいく方法だし、自身が正しい方向に進もうともしていないのに救いの手を差し出そうとする人はいないものだ。



②人を説得できると思うな!

 悪人を言い負かして「ぐぬぬ」と黙らせたり、もしくは主人公の感動的な言葉で説得するくだりも物語には多い。が、それも上手くいくケースの方が稀なのが現実だ。

 例えば現実に熱血教師がいたとして、彼が更生できる生徒がどのくらいいるだろうか?

 例え彼がどんな感動的な名台詞を吐こうとも、大部分の生徒は暑苦しいとしか思わない。もともとその教師と波長の合う人ならば良い方向に引っ張られるだろうが、そうでない生徒はやはり距離を開けようとするし、無理矢理付き合わせようとすれば逃げられる。結果、ドラマのように上手くいくケースなど一握りだし、そもそもそれで上手くいくのなら、どの学校でもそうしている。

 人間というものは、”受け入れたくない!”と思ったものは、どんな屁理屈をこねてでも受け入れない。理屈だとか、正しいか正しくないかとか、そんな事は実のところ二の次三の次なのである。ネット掲示板での不毛な論争を見た事がある人ならば、良く分かる事だろう。

 悪人を論破するにしても、それは大変な作業だ。簡単に論破して相手に罪を認めさせることができるなら、警察の取り調べはなんと楽な事か。

 国会答弁を見れば分かる通り、答えるフリしてゼロ回答。中身のない言い逃れの言葉を繰り返し、永遠と逃げ続けられるだけだ。そもそも頭のいい人間は、言い訳にも長けている。悪人ともなれば尚更だ。

 彼等を相手にディベートを永遠と続けて論破できたとして、それはその労力に見合うものだろうか? それどころか、万が一にもディベートに敗れれば、彼等の唱える欺瞞に満ちた正義をこちらに押し付けて来るだろう。

 上手くいくケースがあるとすれば、逆らえないほど地位に差がある場合だけだ。が、それも内心どう思われているか分かったものではない。

 だからこそ、まずは自分が変わるのが楽だ。自分が変われば、自分を見る他者の目が変わり、接し方も変わる。少なくとも他者を変えようとするより効果的な方法である。



③自分に厳しく他者に優しい理想など、実現不可能である。

 自分に厳しく他者に優しい主人公。これが物語では理想として語られる事が多い。「なんで俺なんかのために、こんなにボロボロになってまで……」なーんて台詞は聞き飽きる程に聞いたが、現実にそんなシーンに遭遇した事は一回もない。

 自分に厳しい者は他者にも厳しく、自分に優しい者は他者にも優しい。これが本当である。”他人に親切にすることが楽しい”という人は例外であるが、彼等は”楽しい”からできるのであり、自分に厳しいからできる訳ではない。

 で、困ったことに、これを真に受けて自分に厳しい人が多いのである。それも、無自覚で自分に厳しい人までいるのだから性質が悪い。

 例えば他人と比較して、自分より優れた者がいるから自分は駄目だと卑下していないだろうか? その考え方では、自分が一番にならない限り自分を許す事ができない。

 例えば、自分にできない事、もしくは平均以下の事があるからといって、自分を卑下していないだろうか? しかしそれでは、何でも卒なくこなせるようにならない限り自分を許す事ができない。両方とも評価の基準がおかし過ぎるのだ。

 そして、自分を許せない人は他者も許せなくなる。「あいつはあいつより劣っているから大した事がない」「あいつはこれがでいないから、駄目な奴だ」なんて事をいつも思うようになる。

 それは自分も他人も嫌いになり、嫌われるようになる道でしかない。

 ダメなところがあっても、それはそれで一つの個性でありキャラクターであるし、一番になれなくとも、優れているものは優れた個性だ。だからまずは、駄目な箇所も含め自分を許せるようになる事だ。まずは自分の駄目なところを許すように、受け入れるように考え方を改めよう。自分が物語の人物の一人だとして、なにかしら欠点があった方が面白いキャラクターになるのではないかと、考えてみるといい。

 世間は厳しい考えばかりに溢れているが、その評価基準をまず捨てよう。

 自分に厳しく他人にも厳しい人より、自分に優しく他人にも優しい人の方が幸せに違いないのだから。


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幸せへの階段を作ろう 蝉の弟子 @tekitokun

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