第2話 姉の桜(完結)
「ああ、またトロトロと眠ってしまいました。
はてさて、ここはどこでしょう。
何も思い出せないのですヨ。
ああ、ちっとも思い出せません。
まるで濃い霧の森に迷い込んだみたい。
どうしたら良いのでしょうネ。
年を取るということは本当に情けないものです。」
「お婆婆様、何も無理に思い出さなくて良いのですヨ。」
優し気な声は縁側の左手にいる尼様のお声のようだ。
「いつものことじゃないですか?
お婆婆様はもう何も思い出さなくて良いのですヨ。
お婆婆様は、お婆婆様、自由でいて下さい。
頭の中にフワリと思い浮かぶことだけを楽しんでいれば良いのですヨ。」
「あら、そうでしたネ。何だかそれでいいという気がして参りました。
この頃、何故か眠いのですヨ。
眠りに入って行く時のあの気持ち、死ぬってこういうものかしら。
そう思いながらフッと意識がなくなるような。
それでも、また死なずに、こういう風に目が覚めるのですネ。
尼様、私はまだ生きているのですか?」
縁側の尼は優しく微笑んで、
「ええ、生きていますヨ。
お婆婆様は本当に達者でいらっしゃいます。
それにお話がとても面白うございます。
私は今日も、そのお話を楽しみに来ているのですヨ。
それに御覧なさい。桜が見事だこと。」
そう言われて庭に目をやると、
今を盛りに桜が満開の花を付けている。
「まあほんに、桜は今年も見事に咲きました。
私のおつむは今朝のことも、ましては昨日のことも、自分が誰か、何が何だか解らなくなっています。
年を取るという事は本当に情けないものですネ。
尼様、私は眠る前に何か話をしていましたか?
ほら、この通り、少し前のことまで忘れてしまっているんですヨ。」
「お婆婆様、そんなことは気になさらなくて良いのですヨ。
時はどんどん過ぎて行きます。
私達の今もすぐ流れて行きます。
お婆婆様も私もいつか消えて無くなります。
ずっと永遠に動かずに形をとどめているもの等何も無いのです。
お婆婆様、今より前のことは流れて行くにお任せなさい。
お婆婆様の頭に浮かぶことだけを、その羽衣のひれのような思い出の端を大事に捉えて一緒に飛んで行きましょう。」
「そうですか?」
「ええ、それで良いのですヨ。
今、お婆婆様の心の中に浮かぶことこそが真実なのですから。」と尼は優しく促す。
「そうですネ、私はこの桜を見ていると何故か懐かしいような悲しい気持ちが湧いて来るんですヨ。
昨日、今日のことさえ思い出せないおつむですから。
あるいはもう幾度となくお話したことがあるかも知れませんが、この桜を見ていると終いには悲しくなってもう、このように涙が出て来るんです。
ついこの間のようにネ。
ああ、思い浮かんで来ました。
あれは私が花で言えばまだまだ蕾の頃のことでした。確か十を過ぎて十二か十三の頃のことでした。
私には三歳年上の姉がおりました。
姉はそれはそれは美しい人でした。
姿のことだけを言っているのではありません。心も見目形の美しさに負けぬ程、きれいな人でした。
世の中にはいろんな人がいます。
人の事を疑ってしか見ることが出来ない人。
人の欠点や弱みを探し出さないでは落ち着かない人。
でもその反対に、何事も素直に受け止めて、少しの悪意も持たない、そんな人も稀にではありますがいます。
それが私の姉でした。
いつもニコニコして口数が少ないけれど、妹の私を気遣ってくれる優しい姉でした。
私はというと何か思い付くとすぐに行動する方で、それだから失敗して後悔したり悩んだりすることはしょっちゅうでした。
そんな時、姉はニコニコ笑いながら、
「“すぎ”、おまさんは本当にお元気どすなー。その元気私にも半分分けて頂戴。」と言って吹き出しているのです。
すると、それまで悩んでいたことが大して深刻なことでもないように思えて来て、気持ちが楽になり、また元気が出て来たものです。
そうそう思い出しました。
私の名前は“スギ”、姉の名前は“マツ”でした。
私達は北の方の海辺の城下町に住んでおりました。
家は海産物を商う大層繁盛した店でした。
父親は自分でも大きな船を持っていて、船子という乗り手が海で採って来たイカやタコやアワビ等を加工乾燥させた物や、昆布やワカメを乾燥させた物等を他の漁師からも買い取り、それを本州に送ったり、店に置いたりの商いをしておりました。
とにかく店の周りはいつも威勢の良い若い衆がたむろしたり、出入りしたり、元気のいい声が飛び交って賑やかだったことを覚えています。
父も母も商売が忙しく、私達の世話や煮炊きは通いのおばさんや女子衆が見てくれていました。
だから今となっては父親の顔も母親の顔もおぼろになってしまいました。
私と姉の親ですから悪い人間では無かったと思います。
私の頭の中には今では姉の記憶しか残っておりません。
そして桜を見ると、姉が必ず浮かんで参ります。
あの時も桜が咲いていました。
私達の住む所は城下町でした。
桜で少しは名前が知られた所で、桜が咲く時期になりますと、あちらこちらから人が集まり大変賑やかになる所でした。
城の周りも勿論、桜は多うございましたが、城の周りには数多くのお寺があり、そのお寺の中にも桜、道の両側にも桜が植えられて道行く人々の目を楽しませたものです。
私も姉も桜並木を散歩するのが大好きでした。
花という花はどれも咲く命が短いものですが、その中でも桜という花は本当に命が短い花だと思います。
冬の間ずっと待ち焦がれていた春、ようやくその時が来たことを告げるように咲き始める桜は老若男女を問わず、人々の心の扉を大きく開けずにはおれない魅力を持って、まるで天女が一斉に羽衣をたなびかせるように咲き始めます。
咲き始めも嬉しいけれど、七・八分も花が開いた時のあのあでやかさ、見上げると一面の花々が天を覆って、思わず、
「どうぞ、どうぞ。このままでいて下さい。散らずにいて下さい。」と手を合わせて祈りたくなる美しさです。
でも桜の花の命はあまりにも短く、あっという間です。
止めるのもきかずにやがて満開に咲き誇り、そして人々の心を何とも言えぬ幸せな切ない気持ちにしてくれるのですが、それはほんのひとときだけで、やがて最初の花びらが命尽きて一枚ハラリと離れると、他のもハラリまたハラリと力尽きて舞い落ち始めます。
その様は小さな花びら達がさよなら、さよならと別れを告げながら死んで行くようで、美しくも物悲しい気持ちになるものです。
私と姉は桜並木の下を歩きながら、咲き始めの時は、
今年も咲いてくれて有難う、きれいネーと喜びの溜息をつきながら歩き、
また、ハラリハラリと散り始めると、今年の桜も、もう散ってしまうのネーと淋しく思うのでした。
花びらの散る下を歩く姉はそれが何故かぴったりする程、物悲しく美しく見えました。
お姉ちゃんは何か桜の花のようやナーと思いました。
親達が選んでくれたきれいな着物を着て、二人並んで歩くと皆が振り返って見ます。
勿論それは姉を振り返ってみているのですけれど、私にとってはそれが自慢であり、自分までもが桜のような美しい娘になれたような気がしてウキウキしたものです。
実際、本当は息子が欲しかった両親が私達二人が成長して娘らしくなると、きれいな着物をこしらえて二人に着せ、それを眺めるのを楽しみにしていたようです。
父親も母親も私達を見て、娘言うもんは家の中が華やかでエエナーと喜んでおりました。
店の手伝いをするわけでもない私達でしたが、両親はそれでも満足していました。
私達が外に出掛けたり帰って来た時に店の中や前を通る姿を目に止めた人が、二人も別嬪さんの娘がいてうらやましいナーと言ってくれるからです。
今思えば、私達二人は綺麗な着物で大部、得をしていたのかも知れません。
少なくとも私のほうは、どう贔屓目に見ても取り分け美人の枠に入る器量ではありませんでした。
その頃、世間の大方の女の人や娘達は普段は地味な色合いの絣や縞模様の働き着を着ている人が多かったのです。
それを私達の両親は、生まれてすぐから手伝いの子守やおばさん達に赤子を預けて店にかかりっきりだったのを償うように、娘が成長すると京都や金沢方面から取り寄せた美しい着物を二人に着せたのです。
ですから、私達、特に私の方はよっぽどのはなぺちゃでも無い限り着物のお陰できれいな娘さんに見えたのでしょう。
今にして思えば、それは立派な婿を取る為の、両親の一生懸命な努力の証しだったのかも知れません。
商売柄、店には若い男衆が入れ替わり立ち替わり寄っていましたから。
両親はその中から、これぞ!と思う人を婿に迎える心づもりでいたに違いありません。
とにかく、姉と私は両親の元で人様より恵まれて育てられた幸福者だったのです。
さっきも言いましたように、親達は二人共商いに忙しく、生まれるとすぐに赤子の時から手伝いの女の人に預けられました。
先に姉の子守をしたのは若い夫婦者で、店に雇われていた若い女房だったそうです。
でもその夫婦者が急に何かの事情で自分達の里に帰った後は、近所の人で自分の子供が手の離れたおばさんに面倒を見て貰い、次に生まれた私も生まれてすぐにそのおばさんが二人をずっと見てくれました。
親達が家続きの表の店で働いているので、別に淋しい思いをする訳ではなく、二人はそれが当たり前のようにして育ちました。
でも大きくなるにつれ、遊ぶ時も何をする時も三歳上の姉は、時には母親のように私の面倒を見てくれるようになっていました。
こうしなくっちゃ駄目ヨとか、そんな風にしたら笑われるのヨ等と教えてくれる姉の声は優しくて、目は暖かくて、私は注意されるのさえ愛情を感じて嬉しかったことを覚えています。
私は誰よりも姉といるのが安心出来ました。
父や母といるよりもずっと心地良かったのです。
いずれは二人共、誰か良い男衆さんと一緒になり別々の道を歩むことになろうとも、それが、あといくらも無いような心持ちになればなる程、私は姉が愛しくて、いつも姉にまとわりつくように一緒について歩きました。
お風呂に入る時でさえ一緒でした。
姉は本当に色白の美しい人でした。
まるで昔話の、羽衣を忘れてこの地に止め置かれた天女とは姉のような人だったのではと思った程です。
今にして思えば、そんなにしてまで姉を美しく思い込んで慕ったのは、姉がこの先の、思いがけない悲しい運命を背負っていたからでしょうか。
姉は十七歳、私は十四歳になっておりました。
その頃、既に姉にはいくつかの縁談が持ち込まれているようでした。
両親が夜に頭を突き合わせて、あそこはどうのこうの、あそこは当人が今一つ頼りないとか。また、いくら条件が良くても海を越えるのはどうか等とボソボソ話し合っている言葉のかけらを妹の私は聞き耳を立てて聞いて来ては姉に、
「こう言っているけど、どこのどんな人やろネ。」と伝える役をかって出たものです。
そんな時も姉は、
「どんな人じゃろネ。」と笑いながら他人事のようでした。
「一生の問題なんだから嫌なら嫌と言わんといけんヨ。」
と私は姉に言ってみたりしました。
私は自分のことのように興味津々でそれとなく両親にさぐりを入れたり、又ワクワクするような立派な婿さんが我が家に入るならいいナとか、どんな人がいいかナーと思ったり。
もしも姉さんがお嫁に行くなら、この近くがいいのに等と考えたりしていました。
しかし、その頃の姉は縁談に関してはまるで他人事のように元気が無いのです。
もしや姉には心に想う人がいるのではないか?
だから沈んでいるのではないかと思いました。
その頃、店の中で常時、働いてくれている人達の中に炭焼きのおじさんの息子で“清やん”という若い男の人がいました。
姉さんと同い年で、三年前頃からうちで一緒にご飯を食べて気心も知れています。
もしや姉さんは“清やん”が好きなのではないかと思い始めました。
「お姉ちゃん、本当は好きな人がおるん?もしもそうなら早いうちにおとっさんに行った方がいいヨ。」と私は自分のことのように心配で他の縁談が決まってややこしくなる前にと焦る心で聞きました。
姉は、
「そうじゃない。そうじゃないのヨ。何だか体がだるくてネ。
この間から、何か自分の体がおかしいんヨ。」と言うのです。
「風でもひいたのかナー。」と言って、私は姉のおでこに手を当ててみました。
姉自身も、「そうかも知れない。何か体が重くて元気が出て来ないのヨ。」
「薬を飲んで大事をとった方がエエヨ。」
そんな会話をした後、薬を飲んだり養生をしても姉の体調は一向に良くなりませんでした。
みるみる顔色が悪くなったかと思うと、今度はのぼせたように赤い顔になったりしました。
ある日、姉は、両親に連れられて城下のはずれにある評判の高いお医者様の所に行きました。
そして帰って来ると、すぐに姉を奥の間に寝かせて襖を閉めてしまいました。
「大したことは無いそうヨ。」
と母は私に言いましたが、ひどく疲れているようでした。
それから姉は家の一番奥の静かな部屋で一人休むようになりました。
「栄養をつけて、うるさくしないのが一番の養生やさかい。あんたも顔を出すのは控えてナ。」と母に言われました。
私は、もしかしたら姉は胸の病ではないだろうかと思いました。
母は真剣な顔をして。
「誰かに姉さんのことを聞かれたら、風邪をこじらせて大部良くなったんじゃけど大事を取っていると言いなさい。」
そう言われました。
私の方はというと元気いっぱいで姉と一緒に遊べないとなるとつまりません。
今まで姉と一緒の習い事も一人で行くようになりました。
そうなると自然友達も出来ました。
それはそれで楽しく、姉べったりではなくなりました。
母に厳しく止められていたので十日余りは姉の所に行かない日が続きましたが、さすがに姉の顔が見たくなり、母が近くにいない隙をねらって奥の部屋に入って行きました。
姉だって私に会いたい筈です。
戸をそっと開けて「お姉ちゃん。」と声を掛けました。
姉は眠っているようで返事がありません。
その日は仕方なく諦めて戻って来ました。
それからまたすぐに、姉に話して聞かせたいことが沢山出来て、また母の目のない時に奥の部屋に入って行きました。
私が「お姉ちゃん。」と呼び掛けると、布団が動き姉が大儀そうにゆっくりとこちらに顔を向けました。
私はその時程びっくりして、胸が不安でいっぱいになったことはありません。
姉はむくんだように腫れた赤い顔をしていました。
そして眉毛が無く、あの涼し気だった目も泣いた後のように腫れて目も充血しているのです。
まるで別人のようでした。
だけど姉に違いありません。
入り口で立ちつくしている私を見ると、
「スギ、ここに来ては駄目ヨ。もう来ては駄目。」
そう言った声はやはり姉のものです。
私は、
「お姉ちゃん、すぐ治るけんネ、すぐ治るけんネ。」
そう言いながら自分の方が泣いてしまいました。
姉はただ、黙っていました。
その何日か後に、毎年来る馴染みの富山の薬売りのおじさんが来ました。
その人が来るといつも我が家に泊まるのが常でした。
また物知りのその人が来るのを両親も楽しみにしているようでした。
世の中のいろんな出来事や、あちこちで見聞きした不思議なことを話して聞かせるからです。
ただの物知りというだけでなく、そのおじさんの大きく力のある目は偉いお坊様のようでもあり、それでいて人の心を温かく包み込んでくれるような優しい雰囲気のある人でした。
それにその人のどのような話の中にも人の陰口のような意地悪さが感じられないからでした。父も母も私達皆が歓迎する親戚の叔父さんのような方だったのです。
その日私が習い事から帰って来ると、茶の間の隅に見覚えのある何段も重ねて背負う薬箱の荷が置いてありました。
あっ、薬売りのおじさんだ!
と思って探すと中の間の方から話し声がします。
それは声の調子で深刻さが伝わって来ました。
私はその話に聞き耳を立てて聞いてしまいました。
薬売りのおじさんの声がします。
「それはお医者様が懸念された通りだと思われますナ。私もこうして全国を歩いておりますと、実はそのようなお方に何人か会ったことがあるのですヨ。
本人も勿論、御両親もまさか!と思われます。
そのお気持ちはお察しします。
ですが、身内にも親戚にもそのような人がいなくて突然この病に侵されることがあるのです。
軽い場合、万が一、この先、元のように治られることがあるやも知れません。
その希望の光を抱きながらもまた、先の日のことを考えて準備をお勧めします。
お嬢様は私の知り合いの大店に見染められて、そこでの様子を見ながら行儀見習いを兼ねて行ったということにしておきましょう。
ですから御主人は、誰にも知られぬ静かな場所にお嬢様が体を休める場所を作ってあげるのが一番です。
それから、下のお嬢様はいかがですかナ。体調に何か変わりはありませんか?
なければ良いがと願っておりますが、もしも万が一にも同じ症状が出た場合のことも考えておきましょう。
仲の良い姉妹のようですから。
もしもそうなった時は、妹も姉のいる所に遊びに行ってしまったとそういうことに致しましょう。」
何のことだろう?何を言っているのだろう。
私の不安は大きく膨れ上がってどうしようもなく抑えることが出来なくなってしまいました。
私は襖の戸を思いっきり開けました。
両親と薬売りの叔父さんは驚いて一斉にこちらを見ました。
そして観念したように悲しい目をしました。
私は泣きながら問いただしました。
そして知りました。
この世の中には、狂いそうになる程、信じがたいことが起こるものですネ。
姉の病は、何と人々から恐れられている、あの業病だと言うのです。
体がどんどん腐っていく病気です。
本当に夢にも思わない信じがたい病気でした。
この業病は伝染病の筈です。
人々の間では最も忌み嫌われ恐れられている病でした。
身内にそういう病にかかった者がいると、そこの家はその病気の血が流れている家と決めつけられて縁談が持ち上がっても破談になるのでした。
他にも嫌われる病があります。胸の病(肺結核)や、狂人のいる家です。人々はそれに“まき”を付けて肺病まき、気狂いまき、そして、この
業病は“どっす”まきと呼ばれるのです。あそこの家は“どっす”まきと決めつけられると、人々は恐れてその家に近寄る事をしませんでした。
でも、私の父の血筋にも、母の血筋にも、そう言う病気の出た人は、一人も居なかったのです。
母は泣ていました。父の膝の上の握りこぶしはブルブル怒りに震えていました。
まさか、まさか、自分の自慢の娘に、人々から忌み嫌われ恐れられているその業病がとりつこうとは・・・どうしても、受け入れ難い事でした。
町はずれのその医者は、はっきりと断定した訳では無かったのでしょう。
当時、城下では、海産物を扱う一番の店の、そこの大事にされて育った娘がまさかという迷いもあったのでしょう。
医者は症状がよく似ていると言っただけで、様子を見ましょうと言ったそうです。
しかし、日に日に弱って、変わって行く様子に悩んでいた時、そこに、丁度訪ねて来た薬売りの叔父さんに相談したのです。
この人なら医者以上に病の種類に通じているかもしれないと、藁にも縋る思いで打ち明けて、姉を見て貰ったのです。それなのに、心配事は残念ながら本当になってしまいました。
薬売りの叔父さんも、万に一つ悪い病ではなくて、治る事があるかも知れない。
だけど商売柄変な噂が立ったなら、店は
立ちいかなくなるだろう。下のお嬢さんの縁談にも差し障る。早いうちに何か手を打つに越したことはない。と助言してくれたのです
私の父も母も信心深い人でした。
ご先祖様を大切にし、神社やお寺にも何かと寄進し町内の催事には協力を惜しまず、
困っている人の話を聞けば、陰からそっと助けてやるような親達です。
そんな親達に神仏の祟りがある筈がありません。
ましてや、人一倍心の優しい姉に、何の咎があるというのでしょう。
これはきっと、悪い夢に違いない、明日になったら姉の体調もスルスルと良くなって、元のあの美しい姉に、戻る筈だと私は思おうとしました。そうとでも思わなければ、まるで、
闇の井戸の中に、真っ逆さまに落ちていくような、不安で狂いそうなきもちだったのです。
でも、どうして、こういう事になってしまったのでしょう。
子供の頃からこの恐い病気の事は知っていました。
私が幼い頃、浜辺を、手や足を包帯でグルグル巻いた乞食が歩いて行ったと、人々が、大騒ぎしていたことを覚えています。
ですけれど、姉も、私も、そのような人に近づいた事も無ければ、その人の物に触れた事も無いのです。
それなのに何故?どう考えても思い当たる事は一つも無いのです。
薬売りの叔父さんは両親とあれこれ細かく相談し、動転して悲嘆に暮れている父や母に
、これからしなければならない事を助言してくれました。
その後、この病気に良く効くという薬を届けると約束して帰って行きました。
そして、帰りがけに私と目が合うと、誰に言うともなく、きっと、寝て耳を澄まして聞いている姉にも聞こえるよう、
「私達人間は、幾度も生まれ変わるそうですな。生まれて一生懸命に生きて、やがて死んで行く。そして又、この世に違う人として生まれて来るとと言いますナ、だから、その、あらゆる人の人生には悲しみもあれば苦しみもあるように出来ているのですな。前の世で幸福であったなら、この世では悲しい事があり、この世で不幸が多かったならば、次の世では幸せが多いという風に出来ているに違いありません。
私はそうお思っています。
だから、わたしは思うんです。
どんな時にも、心の中だけはサラサラときれいに澄んだ川の流れのようでありたいとネ。」
薬売りの叔父さんは、私に聞かせるように、姉に聞かせるように、両親に言い聞かせるように、そう言うと悲しそうな笑顔を残して帰って行きました。
それから、一週間もしないうちに、朝目が覚めたら、姉の姿は家の中から消えていました。
その前に
いつも、山に籠って炭を焼いている清やんの年取った親父さんが、頻繁に家に来て父と話をしていました。
「お姉ちゃんはどこ?」と聞く私に父と母は真剣な顔で私に言いました。
「お姉ちゃんは薬売りの叔父さんのつてで、大きな薬種問屋の息子さんの所に嫁入りが決まって、その嫁入り修行がてら顔見せと行儀見習いに行ったんだよ。
そう言う事だから、いいね!」と念を押すように言いました。
私はそれ以上、何も聞けませんでした。
薬売りの叔父さんがあちこちに、そのような話をしてくれたのでしょう。
両親が自ら何もいいつくろわないのに、世間ではそういう事になっていて、
「本州とはまた随分遠いですね。お淋しいでしょう?」等と声を掛けられて、母も
「ええ、まあ・・・」と、仕方なし無しの返事をしておりました。
その後も、世間の噂は勝手に独り歩きして
「上のお嬢さんは相手の人が一目で気に入って、親が反対したのに、相手の人と一緒になってしまって、向こうに行ったまま帰って来ないんだって。大人しそうに見えたけど、余程お互い相手を気に入ってしまったんだろうね。」と言う具合になってしまいました。
両親にもそうですが、妹の私にもいろいろ聞いて来る人もいましたが、私達は、ただ
黙って笑って何も言いませんでした。
だけど、私の頭の中では、姉はどこに行ったのだろう?と、気になっていました。
両親にその事を聞こうとすると、私の問いたげな目を見ただけで辛そうな悲しそうな顔をするのです。
そして、実は私も、本当の事を知るのが恐ろしかったのです。
姉は世間で噂しているように、好きな人の所に居て幸せに暮らしている。
そう思いたかったのです。
そう思う陰には、薬売りの叔父さんの言葉が頭にこびりついて離れませんでした。
「下のお嬢さんにも、もしもの事があった場合・・・」
確かに、そう言ったのです。この病気は人から人にうつると、恐れられていました。
姉はどこかで、そう言う人に触られたか、あるいは、病気の人が可愛がっていた犬か猫に知らず知らずのうちに触れたかもしれないのです。
私は姉が大好きで、いつもくっついて歩いていました。
両親が忙しいという事もありましたが、優しい姉と一緒にいると少しも淋しくはなく、
お風呂も一緒、眠るのも一緒でした。うつる病気なら、もうとっくにうつっている筈でした。
この頃、家はしんと静まり返っています。私は自分がどうなってもいい、もうとっくにうつっているはずだ・それでも構わない。お姉ちゃんの所に行きたい!と激しく思うようになっていました。淋しくて、淋しくて不安で、姉のいない家の中は、暗い牢獄のようです。
習い事で一時は友達と楽しかったのが、もう少しも楽しく無くなりました。
只々、姉に会いたい気持ちがつのっていくばかりでした。それからの私は、両親の動きを少しも見逃すまいとしました。
すると、
私達がいつも山爺と呼んでいる清やんの親父さんが最近ちょくちょく山から下りて来て店に顔を出すのに気が付きました。
山爺は無口な人で、清やんの父親だと聞いていますが、清やんとはあまり似ていません。
山爺は我が家の山番をしながら、そこの山の木を切り炭を焼いていました。
時々、出来た炭を担いで山から降りてきて、その炭を置くと帰りには米や魚を担いで、又、山にもどっていきます。
とても、無口な人で、秋には山で採れた山葡萄や栗やキノコをどっさり持って来てくれるのです。母も姉も私も喜んだものです。
春には、タラの芽や、フキ、ワラビ、タケノコを背負って来てくれました。
とうに両親のいない母は山爺を、自分の親のように何かと山爺を頼りにしていたようです。
母は時々、野良着や肌着等を新しく作って持たせたり、寒くなるころには、綿入れを作ってあげていたようです。
父も信頼して山の事はすっかり任せていました。
その山爺が三年ほど前突然十四歳になる清やんを連れて来ました。そして、その日から清やんは店で働くことになりました。私と姉は山爺に息子がいたんだネ。山爺はあんなに年取って見えるから孫みたいだねと話し合ったものです。
清やんも山爺に似て口数が少なくて、父や母の話では、一生懸命働く良い若者だそうです
浜の方にある番屋に寝起きしていて、朝早く店に出て来て、家族と一緒に朝ご飯を食べますが、大抵は私達が食べる前に済ませてもう仕事を始めている人でした。
通いの人達と違い、半分は家族のようで、半分は他人のような、そんな人でした。
私は清やんを見ていて、こういう人が姉のお婿さんになって家に来てくれたらいいなぁと想像したものです。
清やんは山爺の息子だし、真面目で仕事熱心だし、それに背も高く、見た目も悪くないし、
私達にはニコニコしないけれど、お客様と話をしているのを遠くから見た事があるけれど、
笑顔で感じよく応対している顔はとても優しそうだったからです。
そう言う訳で、山爺と清やんは使用人というよりも身内に近い人でした。
その山爺が、朝早く山から降りてきて、裏口で、用意してある荷を背負って、父と母の見送りを受けて、また、そっと隠れるように山に帰って行くのを見てしまいました。
私はすぐに、姉は山爺の所に居るのだと解りました。
何故なら、以前はこんなに頻繁に山を降りて来る山爺では無かったからです。今まではせいぜい月に一、二度でした。
この時以来、私は、朝早くに、まだ辺りが薄暗いうちから目を覚ますようになりました。
やはり、山爺は二、三日置きに山から降りてきて、なにやら用意してある荷を背負って父母の見送りを受けて、山に帰って行くのが解りました。これは間違いありません。
山爺の小屋は知っていました。
笹山と言う小さな山のその裾の辺りに細い小川があり、その流れの脇を又、暫らく登って行かなければならない所にありました。
私は、サラサラ流れるその小川の所までは行った事がありました。
、
ある日、私はその朝両親に、お師匠さんの家のかたずけの手伝いがあると嘘をついて、動きやすい働き着に着替えて出かけました。
お握りも水も多めに用意して、何が何でも、山爺の小屋に着くまではと、心に決めて出かけました。町から外れて山道を登って行くとだんだん道らしい道ではなくて、かすかな、何かが通ったような、これが獣道かと思うようなそういう所を頼りに歩いていきました。辺りは今にも突然熊が出て来そうな笹薮です。あるいは、蛇が出て来るかも知れません。
でも、そこは、山爺が頻繁に歩いたせいでしょうか道はたしかにわかりました。やがて、行く先の上の方に煙が上っているのが見えました。
間違いない。あれは山爺の炭焼き小屋に違いありません。
私はその煙を見て安心しました。
急に力を得て、早足でそこに向かいました。
やっぱり!ありました!小屋がありました!
私は息を切らして、その小屋の中に走り込みました。
山爺は私を見ると非常に驚いたようでした。暫らく呆然としていましたが
何も言わずに座る場所を開けてくれました。その後も、二人は黙っていました。
私は今まで、山爺とは直接話をした事が無かったのです。
髭ずらの煤に汚れた山爺を,こんなにまじかに見たのは初めてでした。前から嫌いではなかったのですが、ちょっと近寄りがたい不思議な人でした。
山爺はしげしげと私を見つめますが何も言いません。
山爺は着ている物も、様子も一見お爺さんのようですが、世の中の汚れを感じさせないきれいな目をしている人だなと私もしげしげと見つめ返しました。気まずい時間が流れましたが、山爺は自分から話す素振りはありません。
私は堪り兼ねて
「父さん、母さんには内緒で来ました。何故か解りませんがここに来たら姉さんに会えるような気がしたんです。」
そう言いながら涙が溢れて来て仕方ありませんでした。
すると、山爺は何度も何度も頷きながら、それでも考えているようでした。私が、持って来たお握りと水を出そうとすると、山爺はそれを押しとどめるような仕草をして立ち上がりました。
そして、一度振り返ると小屋を出て更に上の方へ歩き始めました。私も一緒に後ろをついていきました。辺りは一面の笹薮です。その、笹で覆われた、あるか無きかの道を歩いて行くと、突然その笹薮が途切れて野原のような所に出ました。山爺が立ち止まったので、山爺の背中越しに、そのちょっとした野原のような所に小さな小屋のようなものがみえました。
私はどきんとしました。そこは周りが木々や笹薮で囲まれた小さ野原のようなところでした
そこは、もしかしたら元々山爺が畑でも作っていたのでしょうか。昨日今日笹薮を刈り取って広げたのではないのが解ります。黒土の上には、柔らかい丈の短い草がパラパラ生えています。その真ん中に小さな小屋の屋根がポツンと見えました。
それはよく見ると平地に建っているのではなく野原の中央を掘り下げてあり半ば埋もれているように見えました。
それは、野原の地面をかなり掘り下げてあるうえに、掘り上げた土をグルリに盛ってあるからでした。
これは恐らく山爺が作った、小屋なのでしょう。
山爺はどれほどの日数と労力をかけてこの小屋をつくったのでしょうか。
正面は土を盛って無いので、その緩い坂を降りるように小屋の前に行くと、山爺は小屋に向かって、
「お嬢さん、山爺ですよ。」と声を掛けました。
初めて聞く山爺の声は、とても優しい声でした。
「お嬢さんに会いたいという人をつれてきました。」
すると、入り口の小さな戸が静かに開きました。
そこには、あの、あんなに会いたかった姉がいました。姉は美しいままでした。
きれいな晴着の着物を着ていました。私は嬉しくて駆けよって抱きついていきました。
「お姉ちゃん、どうしてこんなところに居るの?」
すると、姉は私を突き放すようにして、
「私に触っちゃ駄目よ!」と言った後、左袖をまくって見せました。腕にはひじの上から包帯が撒かれ左手迄グルグル巻かれていました。
「どんどん腐って行く恐い病気になっちゃったのよ。」姉は悲しそうに言いました。
山爺はいつの間にか私達を二人だけにして、自分の炭焼き小屋に帰ったようでした。
狭い小屋の中は、可愛らしい小物も置いてあり、小ざっぱり片付けられて、居心地の良い部屋につくられていました。
姉は、私がそこに入るのを最初は押しとどめましたが、私は半ば強引に、その小屋の中に入って行きました。
姉は諦めて座ると話し始めました。
「私ネここに来てから最初は、どうして?どうして?ってずっと考えていたのよ。だって
父さんの親戚も、母さんの親戚もこういう病気のひとは一人もいなかったのにどうして?
ってね。母さんの話では、只一つ思い当たる事と言ったら、私が生まれてすぐに、私の子守をしてくれていた、ねえやがいて、とっても優しい良い人だったのだけれど、急に体の調子が悪いと言ってやめて帰ってしまったんですって。その人は本州から出稼ぎに来ていた若い男衆と一緒になって夫婦みたいに暮らしていたんだけど、どうした訳か、二人共急にいなくなって、それきりだったから、母さんが里の方に問い合わせたら、里の親は申し訳なさそうに、体の調子が良くならないので遠く離れた所に療養に行っている。と言うだけで詳しい事を話さなかったそうなの。父さんと母さんは何の病気か解らないまま、その後、随分忘れていたのだけれど、この頃そう言う事があった事が思い出されてネ、もしも、それが原因なら
この病気は母さんのせいだヨ、と泣いていた。と姉はいいました。
店が忙しい、ばっかりに生まれたばかりの子を他人に任せたせいだと・・・
姉は今では自分の病の事をすっかり諦めて、自分のこの世での身の上はこうなるより他無かったのだと“悟り”の気持ちになっているようでした。
姉は
「山爺が、側にいてくれて良くしてくれるから、何の心配もないのよ。
これが自分の運命だと思っているから。」と、悲しそうに笑います。小屋の中をじっくり見渡すと、天井の低い四畳程の板敷きの間にその半分を畳みが敷いてあり、壁に
は棚も吊ってあります。右奥の方に仕切り戸があり、その奥が手洗いと物置になっているという事でした。
「山爺には、私が死んだら、すぐにこの小屋を燃やして土をかけてって言ってあるのヨ
あの家を出てここに来たばかりの時は、山爺は嫌がりもしないで、自分の小屋の後ろの部分に私をかくまってくれて、
先々のことを考えて、ここをこしらえてくれたのヨ。私、この家を見た時、すっごく嬉しかった。ここは自分だけの小さなお家、気に入っているのよ。
今も、山爺は一日に二度は必ず来てくれるの。その他にも何か困った事があったら、この紐を引けば、山爺の小屋の鈴が鳴るようになっているのヨ。だから、父さんと母さんには、私が心安らかに暮らしてると伝えてね。出家した尼さんになったと思えば何の事はないのよ。」と笑ってから、姉は棚の上から読みかけの、お経の書物を取って見せてくれました。
「ここに来てから、いろんなことを考えて、こんな難しい書物を読む事になって、私には又、
違った人生が与えられたと考えるようになったのよ。
スギ、あんまり遅くなると父さんと母さんが心配して騒ぎ出すからもう帰りなさい。
そして、もう来ちゃだめよ。」と言いました。それから二人で、私が持って行った塩むすびを、泣きながら笑いながら、「おいしいね。」と言って食べました。
食べ終わると姉は赤いきれいな紐を二回クイクイと引きました。耳を澄ますとかすかに遠くでリンリンと鈴の音が聞こえたかと思うと、山爺がやって来るのが見えました。
姉は「ほらね、だから何も心配ないのよ。」と笑いました。私の心も安心しました。
姉は私を送り出す時、又、
「もう来ちゃ駄目ヨ。絶対来ちゃ駄目ヨ。」と行ったけれど、私の心は決まっていました。
私は又、必ず、絶対に、ここにくる!
ここは、昼は明るいけれども夜はどんなに心細いだろう。こんな淋しい所に、体の弱った姉を一人ぽっちになんかしておけない!そう強く、強く、思ったのでした。山爺に途中の見覚えのある小川の近く迄送ってもらい、その後、まだ陽の明るいうちに家に帰る事が出来ました。そして、家に着くなり私は母に本当の事を話しました。
母は大層驚いていましたが、口数の少ない山爺からの話では
詳しい様子が解らなかったのでしょう。私が事細かに辺りの様子や小屋の中の様子、姉の病気の具合や心の持ち様をきかせると、泣きながら聞いていました。
又、私は、山爺の小屋と繋がっている赤い紐や鈴の事を、努めて明るく話して聞かせましたので、かなり安心したのだと思います。
私はその後、ひと月もしないで、
“姉の住む本州に行った。”と言う形で家をでました。それまでのひと月の間に世間の人達には姉のいる所に行ってみたい、行くつもりだと、あちこち振れ回って置きました。
だから、私が姉を慕って本州に渡ったという事は誰も疑わなかったと思います。私は秘かに心にきめていました。
秋が深まり冬がやって来るのは遠い事ではありません。雪はあの小さな小屋に容赦なく降り積もるでしょう。一日一日と弱って行く姉を一人にして置けるでしょうか。それを思いながら過ごすのは自分の命を絶つよりも辛い事です。でも、だからと言って両親は下の娘迄あの山にやる事は何があっても許さないでしょう。そこで考えました。
私は両親の前では病気の予兆のように少しずつ少しずつ振る舞いました。
何か風邪を引いたみたい、体がだるい、と言って早く床についたり、のぼせたような赤い
顔を作ってみたり、しまいには、眉毛を抜いて、痒いからこすったら抜けたと嘘をつきました。
その度に、両親は震えあがりました。
両親の苦しむ顔を見るのは私も辛く胸は締め付けられる程でしたが、私の決心は変わりませんでした。
両親を納得させ諦めさせるために、そして、この現世から、そっと別れを告げ、山に登るその日の為に、私は着々と準備を進めました。姉と私の二人の生活に必要な物、慰めになる物も色々用意しました。
そして、初雪がチラチラするその朝に、家を出ました。
両親には
「私達二人は新天地で明るく、楽しく、愉快に、手を取り合って暮らします。何の心配もありません。そして、いつか、二人共必ず優しい旦那様と孫を連れてかえってきます。
必ずそう思って楽しみに待っていて下さい。
世間様には悲しい顔や暗い顔をしてはいけませんよ。
本当に困ったもんだとでも言っておいてください。」
私はそう言い置いてひっそり山に登りました。
山爺は驚きを余り顔に出しませんでしたが、事情は呑み込んだようでした。姉はしきりに私を里に返そうとしましたが、私が「同じ病気なのよ。だから、ここにいさせて。」と粘り、居ついてしまいました。
実際姉には、私が必要な状態になっていましたから…
姉の両手と両足は氷のように冷たくて、左腕の包帯の下の手指は治る見込みの無いものでした。感覚が無いのか、我慢をしているのか、痛いと苦しむ事も無く、いつも、悟りを開いた人のように、静かに微笑んでいました。
二人は良く生まれ変わりの話をしました。
来世でも姉妹で生まれて来ようね。とか、どんなお婿さんが良いか、とか、子供は何人が良いかとか、娘らしい憧れの話です。
時にはシンシンと降る雪を眺め、口を揃えてお経を読んでみたり、それに飽きると熱いお茶を頂いたり・・・
朝と夕方には、決まって顔を出す山爺が来るのを楽しみにしたり
山爺の今までの人生を憶測しては美しい物語を作ってみたり
私達二人は小さな小屋で楽しく生きていました。
姉は少しずつ少しずつ弱って行きました。
だからこそ、私は姉の耳元で愉快な話をして、姉を笑わせたりしました。
姉はさも可笑しそうに笑った後、
「私は、スギ、おまさんのお陰で幸せだったワ。
不幸だったとか、そうでないとかの話では無くて、本当に楽しくてしあわせだったのよ。人間ってどんな場所でも、どんな状況でも幸せになれる者なのね。
そりゃあ、この病気に罹った時は、地の底に落とされて行くような気持だった。
自分は何て不幸な星の元に生まれたのだろう?何でこの私が?・・・と思った。
そして、他の人がこの事を知ったら、この私は幸せのかけらを少しも持たない、悲しい哀れな人間に映るでしょうね。
でも不思議ね、強がりでも何でもないのよ。スギ、おまさんのお陰かもしれない。
本当ヨ、本当に私、ちっとも自分が不幸だとは思わないの。
おまさんがここに来る迄の一人の時も、山爺が顔を出してくれるのが楽しみだったし、
スギが今頃どうしているかと想像するのも楽しかった。
世間の雑音からいっさい離れて月日や時間をも気にしないで、いろいろな書物を読み、その意味を知る事は新しい楽しみになっていたのヨ。
それなのにその上スギがここに来てくれた。
私は何て幸せ者だろうと思ったワ。
今もしみじみそう思っています。
私の体は少しずつ、少しずつ崩れて、いずれ死ぬでしょう。
でもネ、私、少しも悲しくも辛くも無いのヨ。
スギがいつも傍にいてくれる。
だから、その日が来ても私は安心なの。
山爺も口では何も言わないけれど、いつもいつも気にかけてくれているのが解るのヨ。
ただ、お父さんとお母さんの心を思うと辛いの。
だから、私にその日が来たら、私が決して不幸せな気持ちで逝ったのではないという事を伝えてネ。
私はこうして覚悟が出来て後はその日を静かに待つだけだけれど、一つ気がかりな事があるワ。
スギ、貴女の事ヨ。
貴女は私と同じ業病だと嘘をついてここに来た事は、今でははっきりしているワ。
きっと神様、仏様が私の看護をしてくれた貴女の事をこの業病から守ってくれたのだと思うワ。
今、はっきり言えます。スギ貴女は御仏に守られているのヨ。
こんなに私の近くにいて、私の世話をして、私の血膿の着いた肌着に触れても、貴女にはすこしも業病の症状が現れなかったもの。
スギ、貴女は大丈夫ヨ。
私が死んだら安心して家に帰っていいのヨ。
そして貴女が望むような生き方をしなさい。
幸せになりなさい、約束よ。」
と言った後、
姉は自分が死んだ後の遺体をどうするか、両親にどう伝えて欲しいかの細々とした事を言い残した事で安心したようでした。
最後に思い出したように、
「山爺から聞いたんだけど、海の向こうに渡った先端の所にお山があって、人は死ぬとそのお山に行くというのヨ。
そこのお山には地獄谷もあれば、極楽浜もあるんですって。
極楽浜のその浜辺に座っていると姿は見えないけれど、死んだ人が側に来て隣に座っているのが解るんだって山爺はそう言っていたワ。
きっと山爺も大事な人を亡くしているのネ。
スギ、私が死んだらいつかそのお山を訪ねて会いに来てくれる?
もしも本当なら私はそのお山に行って待っているから。」と言いました。
私は姉の死んだ時の事を考えるのは悲しくて嫌だったけれど、姉があんまり一生懸命に目をキラキラさせて言うものですから約束しました。
私は自分が健康である事は解っていました。
出来れば姉と同じようになって二人一緒にあの世までもどこまでも一緒に行きたいと思った事もあります。
体や頭に少しでもかゆい所があると、もしやと思ったものです。
でもそうはなりませんでした。
その山小屋に来てもう二年近くなろうとしていました。
隣りに眠る静かな寝息を聞きながら、今度は私が先々の事を考えねばならない時が来たのだと思いました。
姉は、明日にも自分が死んだらこの小屋ごと全部燃やして何も無かった状態にして欲しいと言います。
そしていつかそこに桜の木を植えて欲しいと言いました。
“業病”とは燃やしたお骨の中にも業病の菌がいると恐れられています。だから、実家に持ち帰る事も出来ません。
ましてはそこに墓を建てる事さえ出来ません。
そんな事をすればいつか世間の知る所となりましょう。
ただ自分がこの世にいた証として一本の桜の木を植えて欲しいと言うのです。
「何年か何十年後かにその木が大木となって、春に花を咲かせる日も来るでしょう。やがては満開になる日が来るでしょう。」
姉は夢見るように言いました。
姉はそれからいくらもしないで静かに息を引き取りました。
山々が錦に染まる秋の日の事でした。
“花”のような生き様でした。
あのような病に侵されながら、どこまでも静かで優しく美しい生き様でした。
私は一晩中、姉の亡骸の傍で泣き明かしました。
そしてまだ暗い早朝、
山爺の小屋に繋がる赤い紐を引きました。
山爺はすぐに来ました。泣き明かした私の顔を一目見て悟ったのでしょう。
それから何もかも準備されていたかのように、私を自分の小屋に連れて行き着替えを渡して着替えさせると、それまで着ていた物も全て小屋と一緒に燃やし尽くしました。
どのようにしたのか油のついた物に火をつけたのか火はまだ暗い野山を照らすように燃え盛りました。
燃えて、燃えて、燃えて、燃えて。
どこまでも燃えて何もかも灰にしようとしているようでした。
燃え盛る炎は、姉の熱い想いのようにさえ見えました。
やがて小さな小屋は呆気なく燃え尽きました。
やがて煙がくすぶっている所にはこんもりとした小さな山のような物だけが残りました。
姉がその暖かい灰布団の下に美しい姿のまま眠っているようでした。
山爺はその上に丘のように積み上げてあった土をかけて行きました。
かなりの時間をかけて土をかけて、そこは何も無かったような平らな土地になりました。
そしてあらかじめ用意してあった河原の石を五つばかりその中心に置きました。
それが、その下に姉が眠っている場所の印でした。
山爺は一言だけ、
「年が明けて春が来たら桜の木を植えましょう。」と言いました。
それから、早朝の薄暗いうちに、
私は山爺に連れられて人目につかないように里の両親の家に帰りました。
両親は覚悟していた事とはいえ、姉の死と姉の遺した言葉を伝えると母さんは身も世もなく泣きました。
父さんも山爺も私も母さんと一緒に泣きました。
通夜も葬式も出来ない姉の為の精一杯の供養の涙でした。
里に帰った私は魂の抜けたようにぼんやり過ごしました。
やがてチラチラ雪が舞い始め、冬が来て、正月が来て、年が明けても何を見ても自分が生きている手ごたえもなくボーッとしているだけでした。
親達は一度は私の事も諦めていたそうです。
二人共、業病の病で亡くす事を覚悟していたのです。
それが、私一人だけでも健康な体で戻って来たのを御仏の思し召しだと感謝し喜びました。
親達は私の心が癒えるのを辛抱強く待ちました。
やがて春が来ました。天気の良い日、暖かくなると、山爺と私は姉との約束通りそこに桜の木の若木を植えました。
山爺と私だけが知っている姉の証しの桜です。
二人は黙々と桜を植えました。
山から戻って来ると、両親に呼ばれました。
外に出るようになった私を見て親には私がすっかり元気を取り戻したように見えたのでしょう。
ある日、両親は私に、
清やんと一緒にならないかと言われました。
山爺にも清やんにも話はしてある。
勿論、清やんの気持ちも確かめてある。
清やんはお前と一緒になってこの店を継ぐ事を承知している。
スギ、お前も十七歳だ。
人の嫁になってもおかしくない年だ。
お前が清やんの事を嫌いなら仕方が無いが、もしもそうでなかったら承知してくれ。
まつの分も幸せになってくれ。
幸せな姿を私達に見せてくれ。
父親からも、母親からもそう懇願されて、私はそれを受け入れました。
そして私と清やんは祝言をあげました。
姉の姿はそこに無かったけれど、周りの人達皆から祝福されて私達は夫婦になりました。
祝言をあげた翌日に、私と清やんは旅に出ました。
両親、清やん、山爺には祝言をあげたら姉との約束を果たす為、海を渡りあのお山に行く事を前から話してありました。
海を渡った所にそのお山はありました。
遠い所からも大切な人を亡くした人達が、その霊に会いに来る事で有名な所でした。
姉が話した地獄谷もありましたが、姉が地獄に落ちる筈はありません。
清やんは私が気の済むように見守るようについて歩いてくれます。
私は極楽浜に行きました。
そこは名前の通り、お山の上なのにこの世のものとは思えない目の覚めるような青々とした海が広がっています。その前の浜辺に腰を降ろしました。
山爺が言っていた通りすぐ隣に姉が腰を降ろしているような気がしました。
でも姉は私が清やんと一緒になった事をどう思っているのでしょう。
姉はもしや清やんが好きだったのではないかと思うと私の胸は苦しくなりました。
その時、誰かに支えられるように、目の見えないお婆さんが近づいて来ました。
そしてそのお婆さんは、
「お前さんの名前はもしかして木の名前かネ?」と聞きます。
「はい、スギと言います。」と答えますと、
「同じ木の名前の若い女の人が、お前さんに話があると言っておられるヨ。」と言います。
「もしかして、その人の名前はまつと言いませんか?」と私が聞くと、
「そうだ、まつっていう人だ。
お前さんにだけ話があるって言っている。」と言うのです。
それを聞いた清やんは気を利かせてどこかに行ってしまいました。
私とその不思議なお婆さんは極楽浜で二人になりました。
そのお婆さんが大きな粒の数珠をじゃらじゃらさせて口の中で何かぶつぶつ言った後、急に力が抜けてクッタリしたかと思うと優しい声で、
「すぎ、よく来てくれたネ。」と言いました。
それは間違いなく姉の声でした。
「姉さん?本当に姉さんなの?
姉さん?今ここにいるの?ずっとここにいて待っていたの?」と私が聞くと、
「私は今、どこにでも行けるのヨ。
スギが呼んだらすぐにスギの所に来れるのヨ。
スギは清やんと一緒になったのネ。
良かった、本当に良かった。
清やんはとても良い人ヨ。
スギは私の分迄、幸せになってネ。
そして、私の悲しい事等すっかり忘れてしまいなさい。
父さんと母さんの事もお願いネ。
私はスギが呼んだらいつでも貴女の傍に来るけど、もう私の事は忘れた方がいいのヨ。
スギ、約束を守って会いに来てくれてありがとう。
じゃ、私は行くネ。さようなら。」
そう言ったかと思うとそのお婆さんはもう何も言いません。
「姉さん、姉さん、行かないで!」
私は泣いて呼んだけど、口寄せのいたこだというお婆さんは力の抜けたお人形のように私の隣で眠ってしまいました。
それでも、確かに今、姉はここに居たのだ。
姉は私に会いに来てくれたのだと確信しました。
やがて、いたこのお婆さんは迎えに来た人に起こされて目を覚ましても何も覚えていないようでした。
でも、そのお婆さんは目の不自由な人なのに、何故私が木の名前のスギだと解ったのでしょう。
やはり姉のまつが、あのお婆さんの口寄せを使って会いに来たに違いありません。
私は急に姉の事が懐かしく、もう一度会いたくて会いたくてその場で一人泣きました。
もう戻って来ない人を思って泣きました。
だんだん陽が落ちて夕暮れになってもそこを去る事が出来ず泣いていました。
そこに薄暗がりの中から尼様が近寄って来ました。
そうです。思い出しました。
あの時の尼様が貴女でございますネ。
縁側の左手で腰かけて私の話を聞いて下さっている貴女でしたヨ。」
あの時の私はまるで迷子になった幼児のように泣きながら、尼様に手を引かれて山を降りました。
暫らく下った脇道に小さな庵がありました。
そこには心配そうな清やんが待っていました。
尼様はそこの小さな庵に私達を泊めてくれました。
そして何故そうも泣いているのか等、私達の事情を少しも尋ねずに翌朝には、
「私はいろいろな所を回って歩いている尼です。今日からまた、暫らくここを留守にしますからここにいて構わないのですヨ。」
そう言って出て行ってしまいました。
少しは元気になった筈の私はまた、姉の声を聞いた事で、元のような腑抜けになってしまってボーッとしていたようです。
清やんが、
「お姉さんに会ったんだろ?約束は果たしたんだろ?もう帰ろう。」
と言いました。
私は、
「まだ帰れない。このままじゃ帰れない。お姉ちゃんが可哀想。」
そう言いながら泣きました。
清やんは泣きじゃくる私を抱きしめてくれました。
「スギはよう頑張った。ようやった。お姉さんも感謝している筈だ。
もう十分にお姉さんに尽くしたんだから、悲しい事は忘れて自分の事を考えよう。」
清やんはそう言って大きな体で私を包んでくれました。
冷え切った心と体が温められるような幸せを感じました。
これが幸せなんだと思いました。
けれど、その後からまたすぐに大きな波のように罪の意識が襲って来るのです。
お姉ちゃんが可哀想。
お姉ちゃんも幸せになりたかった筈なのに、私だけが幸せになんてなれない。
そんな私を、清やんは根気強く慰めコンコンと諭して、まるで赤子をあやすように優しくしれくれました。
その心地良さに私はいつしか清やんの人柄や誠実さに心を開き愛するようになりました。
人並みに愛し愛される幸せも感じました。
けれど幸せになればなる程、その反動のように後から大きな苦しみが襲って来るのです。
私一人だけが幸せになるなんて許されないという気持ちです。
もう家を出て来てから十日間も経っていました。
清やんはいつまでも店を留守にする訳には行かない、帰ろうと言いました。
でも私は到底、家に帰る事は出来なかったのです。
幸せそうな顔で両親の元へ戻り、幸せそうな顔をして日常を送る事等、出来ませんでした。
私は清やんに、もう少しここにいて心が元気になったら帰りますから先に帰って下さいとお願いしました。
清やんは帰りがけに、
「俺はずっとスギが可愛かった。
元気でおきゃんなスギが可愛くて眩しかった。
俺はずっとずっとスギが好きだったんだ。
また、元気を取り戻して帰っておいで。待っているから。」
そう言って帰って行きました。
私は清やんの残してくれた言葉を宝物のように胸に温めながら一日また一日とその小さな庵で時を過ごしました。
庵にはひょっこり尼様が顔を出す事がありました。
そして托鉢をしていただいた米や何やらを置いて、また出て行くのでした。
尼様が近所の誰かに頼んでくれたのか、時々野菜やおかずが庵の外に置いてありました。
それで私は飢えて死ぬ事もなくボンヤリと自分の中に気力が戻るのをそこで待ちました。
でもそうしながらも私の体の中には新しい命が宿り、その命は確実に育っていたのでした。
ある日、ふくれたお腹が突然グルリと動きました。私は驚き怯えました。
丁度、その時も尼様が庵に立ち寄りました。
尼様は笑いながら、
恐い事はありません。貴方のお腹にはややがいるんですヨ。
と言いました。
その時の驚きと戸惑いは喜びとは程遠いものでした。
すぐに姉の顔が浮かびました。
生前、姉は夢見るように、
「私が死んで生まれ変わったら、今度は丈夫な体で沢山子供を産んで子沢山のお母さんになるの。」
そう言っていたのを思い出したからです。
するとまた涙が湧いて来ました。
姉があんな形で悲しく亡くなったのに、この私はあの清やんと一緒になれて子供も授かった。
姉がどんなに望んでも得られなかった幸せを私はこんなにも簡単に手に入れようとしている。
姉は仏様のように私に幸せになるのヨと言ってくれた。
でも、それが本当の気持ちだったろうか。
姉は本当に心の優しい人だったから、きっとそれは本当の気持ちだったろう。
だけどそれ以上に悲しい気持ちだったに違いない。
私と姉がもしも逆だったらどうだろう?
自分の体が腐って死んで行く身。
それとは逆にどこも悪くない姉が自分の死後幸せになる事を素直に祝福出来るだろうか?
自分には無理だと思う。
悲しくて苦しくてのたうち回る程、自分の運命を悔しく思うだろう。
日々、お腹の中で育つ子供に素直に愛情を持つ事も出来ない私でした。
臨月を迎え、尼様と近所のお産婆さんに無事取り上げて貰いました。女の子でした。
尼様が連絡をしたのか清やんが駆けつけて来てくれました。
嬉しそうに赤子を抱いて、
「スギ良かったナ、赤子が出来たら少しは元気が出たか?」と言いました。
私は、「うん、少しずつ少しずつ良くなってるの。でも、もう少し待っていて。もう少しだけ。」
そう言って清やんを帰しました。
子供が出来た知らせを聞いてさぞや両親も喜んだでしょう。
でも私の心はそう簡単には良くなっていなかったのです。
私の様子を心配して近所のおばさん達が代わる代わる顔を出してくれて、
尼様も以前より頻繁に顔を出してくれましたが、でも私の心は愛らしい子供の顔を見ても気持ちが晴れる所か、突然急にワーッと悲しくなって泣いてしまったり、幸せな筈の自分を責めたりする事に変わりはありませんでした。
そして子供が生まれてからいつの間にか一年経っておりました。
さすがにしびれを切らした両親と清やんが私と赤子を迎えにやって来ました。
その時既に、私の気持ちは決まっていました。
私はもう家には帰れない。里の家に帰って何もなかったように元気に普通の生活は送れない事に気がついていました。
「もうずっと考えていた事だけれど、私は一人になって出家して尼になって生きて行きます。」
と三人に伝えました。
さすがに三人は驚いていました。
特に母親は私に泣いてすがって、お願いだから家に帰って来てくれ、お前の心は今疲れているんだ。
それは時間をかければ必ず治る。
必ず治るから家に帰って養生するようにと言いました。
でもこの気持ちは、時間をかけて治るものではないのです。
あの姉と一緒にあの小屋にいて自分も一緒に死のうと思った私にしか解らない事なのです。
もし今、両親に説得されて家に帰っても、私は自分の幸せを、幸せな自分を許せなくて死にたくなるだろう。きっとそういう日が来るだろうと思いました。
それで三人に手をついて謝り、子どもだけを連れて帰って貰いました。
私はそこに一人残り、やがて俗世を捨てて尼の道に入る事を決めました。
私はどうしても自分一人だけが何もかも忘れて幸せな生活を送る事が出来なかったのです。
それから先は、
両親と清やんが子供を育ててくれました。
山からは山爺も降りて来て四人が力を合わせて幼い子供を育ててくれたようです。
清やんからそういう便りを受け取ると、私は安心して尼様に導かれるままに得度し心を切り離す意味でも遠い都まで行き、そこの尼寺に入りながら本格的に仏の道に入りました。
自分が平凡な幸福を捨て、優しい夫と愛らしい子供を捨てて後悔が無かったかと言えば嘘になります。
何度、そういう幸せな自分を頭に描いて恋しく思ったか知れません。
けれど、そういう事は徐々に薄れ、
私は穏やかな本当の意味で心安らぐ道を歩き始める事が出来たのです。
得度して尼僧になってはじめて心に安らぎを取り戻せました。
あれから何十年経ったでしょう。
私はすっかりお婆さんになって再び海を渡って懐かしい故郷に帰って来ました。
長年勤め上げたお陰で方々の偉いお寺や尼様とも知り合い、その方達の御助力で里に終の棲家ともいうべき小さな庵を作っていただく事になりました。
こちらのお寺さんとも御縁が出来て、私が願った通り“あの場所”に庵を作っていただきました。
出来たばかりの庵は、昔、姉と二人で二年を過ごしたあの小屋を思い出す愛らしいものです。
その辺りの熊笹は更にずっと広く刈り取られ焼き払われて気持ち良い程広々としていました。山爺の炭焼き小屋はあの辺りだったろうかと見渡す所にも既に小屋の跡さえなく、今ではその辺りの周りには何本も桜の木が植えられていました。
庵は私がいつも桜を愛でられるように中心の桜が良く見える所に建てられていました。
私はその桜の木に向かって朝な夕なに話しかけます。
「姉さん、私、帰って来ましたヨ。
もうこんなにお婆さんになったけど帰って来ましたヨ。」
姉の優し気な顔が嬉しそうにしているのが見えるような気がします。
もう、山爺も両親も年老いてとうにこの世から居なくなっているでしょう。
清やんと私が生んだ子供の事を考えない訳ではありませんが、自らあの人達を捨てた私に思い出すその資格はありません。
私はそこに落ち着くと権行の合間に更に一本また一本と桜の苗を求めては植え始めました。
都から頼んで取り寄せた桜も植えました。
それが年老いた尼の唯一の楽しみでもあったのです。
それが、私だけでなく、毎年少しずつこの辺りに桜を植えているお爺さんがいると聞きました。
どおりでこの辺りは街からずっと山の方なのに桜の木の周りも草を取ったり手入れしている様子です。そしてやがて冬が去って春が来て、
暖かくなると桜が咲き出しました。
姉の桜は立派な大木に成長して見事に花を咲かせました。
「姉さん見てる?とってもきれいネ」とみとれていると、
そこに娘盛りのお嬢さんを二人連れた夫人が花見にやって来るのが見えました。
二人の娘さんは艶やかな着物を着ていて、本当にお花見にふさわしく華やかです。
遠い昔の姉と自分を思い出しました。
すぐ近くまで来て、
「きれい、きれい。」と桜を愛でています。
娘二人の傍のその母親の顔を見て、誰かの面影に似ています。
その人は若くして亡くなった私の姉にどこか似ているのです。
姉のまつが死なずに生きていたら、こんなふうだったろう。
そう思って眺めていると、
後ろからやって来た御隠居風の老人にその方が、
「お父様、ここは私のお母様と叔母様の思い出の場所なんでしょ?
それならもっともっと沢山桜を植えましょうヨ。」
そう言ったのです。
連れの二人の娘達も賛成の声をあげました。
私は驚いてその女の人を見つめました。
その女の人は私の視線に気付くと、えも言われぬ笑顔で私に挨拶を返してくれました。
私はその視線を次に側にいる老人に向けました。
ニコニコ笑っている御隠居には清やんの面影がまだ残っていました。
そうです。こっちを見て笑ったのはまさしく清やんでした。
清やんはとうに私がここに戻って来る事を知っていたに違いありません。
その日から、私はその庵にいても少しも淋しくはなくなりました。
そしてそこで一生を終えました。
あらまあ、
一生を終えただなんて。
私はホラ、この通りまだ生きていますのにネ。
縁側の尼様、
あの節はとてもお世話になりありがとうございました。
私を仏の道に導いて下さったのも尼様ですネ。
ところで、私は自分は尼の道に入ったつもりでおりますが、本当に私は尼でしょうか?」
縁側の尼は笑いながら、
「ええ、ええ、お婆婆様は尼でいらっしゃいますヨ。
辛い事を経験し仏の道に入られた立派な尼様でいらっしゃいますヨ。」
そう答えるのだった。
おわり
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