昔話/尼とお婆婆の昔語り

やまの かなた

第1話 頭巾様(完結)

 小鳥の可愛いさえずり

今は何時だろう?

お日様がすっかり上ってしまっている。

ほんの少し、うとうとしていたようだ。

着物はきちんと着ているのだもの。

ここはどこだろう。

思い出せない。

自分は誰だろう。

すぐには思い出せない、はがゆくて情けなくて悲しくなるが

だが、これも今に始まったことではないような。

いつものことのような気もする。

頭の中に深い靄が立ち込めていて

容易に知りたい所に辿り着けそうもない。

諦めよう、諦めが肝心だ。

この際、自分が誰だっていい。

ここがどこだっていい。諦めることにする。

疲れるからやめて他のことを考えることにする。


心地良い風がたまに、そよりと吹いて来る。

風の吹いてくる方に目をやると、

縁側の先に庭が見える。

開け放された縁側の先は庭で、そこから、気持ちの良い風が、

まるで私を眠りから誘い出すように吹いてくれていたのだ。

庭に目をやる。

広い庭だ。きっと見慣れた庭だろう。

何本かの背の高い木と、

あちらこちらに咲く色とりどりの花。

あの小高い丘の陰には確か小さな川が流れている筈だ。

やっぱりここは気持ちの落ち着く見慣れた庭だ。

今日は天気が良い。

空は刷毛で掃いたような薄い雲を少し浮かべただけだ。晴れ渡っている。

今は春だろうか?

夏にはなっていないようだ。

自分の着ている単衣の小袖を見てみる。

それにしても私はどれ程眠っていたのだろうか?

「お目覚めですか?」

どこからか、静かな声がする。

声のする方に目をやると、いつの間にか、

あるいはいつものようにか、

縁側の左手の縁に腰掛けて、

尼僧が一人、こちらを見て微笑んでいる。

それもまた、

いつものような気がして懐かしい。

その笑顔を見るとどこかほっとする。

「まあ、失礼しました。私、すっかり眠っていたようです。」

「いえいえ、私の方こそ、あまりに美しい庭ですので勝手にここで腰掛けさせていただいてのんびりお庭を拝見しておりました。」

と包み込むような笑顔だ。

「はて、私のおつむはかなり耄碌しているようで、ちんぷんかんぷんなことを申し上げるやも知れませんが。」

と言うと、相手は頷きながら、

「いいえ、いいえ。婆婆様はそのお年にしては本当にしっかりしていらっしゃいますヨ。」

と言う。

「でも私は自分が何者で、今、何歳になるのか。

ここがどこなのかも霞がかかって思い出せそうもないのですヨ。本当に情けないことです。

ですから、尼様にも今日初めてお目にかかるような気がするのですが、それでいて、何故か懐かしい心地がするのは初めてではないのですネ。」

すると相変わらず優しい笑顔で頷いて、

「無理に何もかも思い出さなくていいのですヨ。

その時、その時思いついたことが婆婆様の人生ですもの。

それだけを大切になさればいいのです。

それが真実なのですから。

婆婆様が、私に今日初めて会ったと思うのならそれが真実で、

以前にも会ったことがあると思うのなら、それも真実なのですヨ。」

と言われる。

そう言われると心がスーッと楽になって来る。


「こうしてお話をしていると、

遠い遠い昔に、私がまだ十二にもならぬ頃に会った尼様が、貴女様だったような気がするのはおかしい話ですよネ。

だってあの頃から何十年も経って、この私はこんなに年をとってしまったのですから。

そんな筈はありませんよネ。」

そう話しながら、見る自分の手の甲はシワシワの老婆の手だ。

これが自分の手なのだとしみじみ見つめる。

すると、

「いいえ、そのような事。気になさる事はありませんヨ。

無理になにもかも四角い箱にきちんと押し込めて辻褄を合わせる必要はないのですヨ。

婆婆様のおつむは自由でいいのですヨ。

あの青い空を飛び回る鳥のようにネ。

何を考え、何を思っても良いのですヨ。」


「そうですか?それでいいんですか?」


「ええ、ええ。お婆婆様のお話は大変、楽しゅうございますもの。

私はそれを楽しみにしているのですヨ。」

「そう言われると、何だか思い出せそうな気がして参りました。

それでは私のおつむの中から尼様を思い出してみましょう。

尼様、婆婆の昔話を聞いて下さいますか?」

尼はニッコリ笑って待ってくれているようだ。


「頭巾様」


「白い霞の向こうにまだ十くらいの女の子が見えて来ました。

そうです。あの時私はまだ十くらいの女の子で、父様も母様もおりました。

そこは大きな街道に面した宿場町のようでした。

父様は履物屋を営んでおりました。

街道を行き交う人々にとっては、草履、草鞋、下駄等の履物は無くてはならない大事なもので小さい店ながらも父様の店は大変、繁盛しているようでした。

両親は近所の気の良いおかみさんに手伝って貰い、三人で店を切り回していたと思います。

私は一人っ子で、他に兄弟姉妹はいなかったように思います。

父様は真面目な働き者で、母様も笑みを湛えた顔しか思い浮かびません。

口数の少ない利口な人でした。

手伝いに来てくれているおばさんが、とても元気な人で、世間のことや噂話を仕入れて来て、おもしろおかしく話してくれるので、

それを笑いながら聞いている、そんな印象があります。

母様はよそのおかみさん達のように口やかましくなく、井戸端で洗い物をする時にも人の話を笑いながら、時には困ったように聞いていた印象しかありません。

きっと、そういうおかみさん達が苦手だったのではないでしょうか。

私は両親から怒られたり叱られたという記憶はありません。

そうそう思い出しました。

ある日、

旅の途中だという尼様が立ち寄られました。

草鞋を替えるのに立ち寄った尼様が、確かに貴女ですヨ。

その笑顔、忘れもしません。

確かに貴女でした。

そうそう。母様には珍しく、その尼様と本当に楽し気に話しをしておりました。

自分から何やら話をして楽しんでいる母様を見たのは初めてだったのでよく覚えているのです。

まるで仲の良い姉と妹が再開した時のように、あるいはまた、小さい頃から仲の良かった友達に久しぶりに再会した時のように。

本当に打ち解けて嬉しそうに話しをしていました。

私は子供ながらに邪魔をしてはいけないと物陰から二人の様子を見ておりました。

それに気付いた尼様が、

私を、こちらへおいでなさいと呼び寄せました。

その時の私は、

尼様という方にお会いするのは初めてでした。

気恥しくて頬を赤くして恐る恐る出て行きました。

近くへ行くと、次第に何とも言えない良い香りがしました。

線香とも違う檜の香りに似たような何とも言えぬ良い香りです。

深呼吸してもう一度確かめたくなるような香りでした。

尼様はまだかなりお若くてきれいな方でした。

そう言えば、そこにおられる尼様も、あの頃と少しも変わらずお若く美しいままですね。

昔、人魚の肉を食べて年を取らない八百比丘尼という尼様がおられたと聞いた事がございます。

もしや貴女様はそのお方ではございませんか?」

縁側の尼は笑って頭を横に振った。

「まあ、とにかく、

あの時の尼様は母様と同じくらいかと思いましたが、間近で見ると、

白い頭巾に包まれて出ているお顔は、旅をなさっているというのに、

少しのシミもシワも無い美しい白い肌はみるからにスベスベして、唇は桜色をしていました。目は睫毛が長く、濡れたような美しい目をしていました。

そうです。やっぱり貴女でしたヨ。

あの時見た尼様にそっくりです。

長く生きていると不思議な思いをするものですネ。

でも、このことは深く考えないでおきましょう。

あの時、私が近くで尼様のお顔をじっと見ていますと、

その私の目を尼様もじっとじっと見返しておりました。

私は幼いながらも女の人が仏門に入って尼になるのには、何か特別深い訳があるのではないか、その訳はどのようなものかと思って見ていたのです。

多くの女の人は年頃になったらお嫁に行き、家庭を持って子供を生み母親となります。

その普通の女の道を選ばずに頭を丸めて仏門に入る時のその気持ち、きっと深い事情がある筈です。

この美しい若い尼様の事情や訳はどんなものなのだろうかと。

子供なりに知りたくてお顔を見ていたのです。


この特別美しく、いい香りのする若い尼様。

しかも女だてらに男の坊様にように方々を修行して歩いていらっしゃるという。

子供でなくても大の女でも、男の人なら尚更、もっと不思議がるでしょう。

だけれども勿論、子供の私は黙っているばかりでした。

その時、尼様は、

私の目をしっかり見つめながら、

「良いお子じゃ。美しいお子じゃ。賢いお子じゃ。」

と誉めた後、私の母様に向かって、

「だが美しいから賢いからといって何事もなく幸せにならないのが世の常です。

逆にそれが災いして人の妬みをかい、苦労することがあるものです。

だけれども、そのような災いが降りかかった時は恨んではなりませぬぞ。

恨めば恨みの地獄に落ちます。

救いは自分の心の中にこそあるのです。

心の中にはいろんな虫が蠢いています。

悔しがったり、恨んだり妬んだりまたは、人の不幸を願ったり、欲しいものが手に入らないと地団駄を踏んだり、子供のような心があるものです。

だが、それとは反対に、

聞き分けなく泣いたり、喚いたりする子供のその心の手を引いて、

そうではないヨ。

そうしていても何も自分の為にならないと、安らかな場所に導いてゆく、もう一人の姉のような心が必要なのです。

そのもう一人の自分を育てるのが徳を積むということです。

人間という者はとにかく人と争って生きている所があります。

何故、人と競うのか。

何故、そんなに他より勝ちたいのか。

誰もが生まれた時から訳も解らぬままに人と競っている所があります。

人より物持ちだ。

人より力がある。

人より金を持っている。

人より頭が良い。

人より美しい。

心の中ではいつも無意識に人と自分を比べていて自分が優れている場合は安心するが、自分が劣っている場合は面白くない。

悔しくて眠れない。そんな人間も多いのです。

その一つが姿形の美しいことです。

金や物は努力次第で手に入るが、美しさだけは生まれながらのもので、

それが厄介なのです。

人の一生は誰もが所詮苦労の多いものです。

だがその苦労という泥水を浴びた時が肝心なのです。

泥水の中にすっかり浸かり切って泣き叫んで、挙句の果てに悪態をついてばかりではいつまでもそこから抜け出ることは出来ないでしょう。」

尼様はそこまで言うと、

今度は幼い私の方に向き直って、


「あなたは今、父様母様の翼の下で大事に守り育てられています。

あなたは心優しいお子で、人に意地悪や人の困る事をするお子ではないでしょう。

人を嫌ったり、人が悲しむようなことを言ったりすることもないでしょう。

でもいつか、

それなのに、人から嫌われ遠ざけられて、淋しさや苦しみや悲しむことがやって来る事があるものです。

何故?と悩むでしょう。

どうして?と自分を避ける相手に聞いてみたくもなるでしょう。

でも、それが世の中というものなのです。

貴女がそれに負けずに自分らしさを失わずに生きて年老いた時、

その時を振り返って得心することなのですから。

世の中、正しいこと、良いことだけが日の目を見る訳ではないのです。

悪いことをしたり、人を泣かせたりしながらも大きな顔をして生きている者もいます。

でも私はそういう者達については、こう考えているのです。

そういう悪業をした者にはいつか必ずつけを払う時が来るだろうとネ。

とにかく、災いの泥を被った時は、その時々で自分の出来得ることを精一杯したら後は御仏に委ねることです。

地団駄を踏んで悔しがる自分をなんとかなだめ、心安らぐ方へ導いていくのがまた自分なのですヨ。

まずは心を育てなさい。

今のあなたにはまだ難しい話かも知れませんが、これから他人が苦しみ悲しむ姿を感じたら、自分の心の中に慈悲の心を育てなさい。

ですが、そういうことは表に出しては嘘になりますヨ。

また他に、人に悟られぬように努力することはいくらでもあります。

読み書き、縫い物、お料理、

あらゆることに精進なさい。

それらはいつか貴女に押し寄せる苦労の慰めになるでしょう。力ともなる筈です。」


そこまで言うと私の母様に向かって、


「このお子は私の話すことを充分に理解しています。

このお子は人のせぬ苦労をすることもあるでしょう。

ですが、かか様、

このお子は必ずやそれを乗り越えて人から敬われる女人になるでしょう。」

そう言いました。


尼様、あの時の貴女は私にそう言いましたネ。

その頃、既に私はその兆しを感じておりました。

幼い頃からの近所の遊び友達が、何故か近頃私だけを仲間外れにして、どこかに遊びに行ってしまうことが多くなっていたからです。

私はその時既に淋しい思いをしていたからです。

そしてそれから、尼様は草鞋のお礼にと頭陀袋から冊子を取り出して、サラサラと何か書いておりました。

そして別れ際に私に、それを置いて行かれました。

それは子供には相応しくない美しいかな文字の歌集でした。

あの後、

一人いることが多くなった私はそれを見て、手習いをしたり、また母に習って縫い物をしたり、月に何度かは少し離れた所に琴や、お茶や踊りを習いに通い、自分を慰めるようになりました。

尼様が言われたように、いつの間にか、私は何故か幼馴染の女の子達から忌み嫌われるようになっていました。

父様も母様もそういう私の様子に気付いていたでしょうが、何も言いませんでした。

そして月日は流れて行きました。

十二・三歳になると母様と一緒に買物に出る時など、すれ違う人、すれ違う人に好奇の目で見られるようになりました。

何故そんなにジロジロ私を見るのだろうか?

隣りの母様を見ると困ったように、俯き加減に歩いています。

私は増々心細くなって、一刻も早く家に帰りたいとそればかり考えていました。

そのことがあってから、私は外に出ることを嫌うようになりました。

母様も無理に私を外に連れ出すことはしませんでした。

履物の店のずっと奥の庭に面した日の当たる部屋で縫い物をしたり、店のことで忙しい両親の代わりに家の中では母に負けぬ程、家の中のことが出来るようになっていました。

そしていつの間にか、心の慰めに始めた縫い物が、人様の着物を仕立てるまでになっていました。

家の中で手仕事をするのは私の性分に合っていたのです。

店から頼まれた色とりどりの反物を手に取り、それを着る人のことを思い浮かべながら仕立てるのは、私の楽しみの一つにもなっておりました。

家の中ばかりにいて裏庭を歩くほかは外に出ないようになっていた私には、

その仕立て仕事だけが唯一、人との繋がりのようになっていたのです。

幸い、仕事は不思議に手の空くことがなく。次から次へと持ち込まれて来ました。

呉服屋の年老いた番頭さんが、お勝手から声をかけて庭の方へ回って来るのです。

そして持って来た新しい反物と寸法を置いて、仕上がった品物を持って行きます。

好きこそものの上手なれと言いますが、

私はこの仕事を楽しんで、おもしろいように仕事がはかどりました。

ある日、その番頭さんが母様が出したお茶を飲みながら、

「早くてきれいなので助かります。」

と言って下さったので、自分の仕事を気に入ってくれているのが解り、安心して嬉しく思いました。

その頃には外に琴や踊りのお稽古に通うこともなく、家の中にばかりいましたので、

それを可哀想に思ったのか、

ある日父様が、

どこからか横笛を買って来てくれました。

街道沿いと言っても日が暮れると、その辺はひっそりとして、しかも裏の庭の向こうは竹林が続いており、人の往来も殆どないのです。

店を閉じた後は、誰の目も耳も気兼ねすることなく、縫い物の区切りがつくと笛を吹いたりしていました。

誰に習ったわけでもない笛は勿論、最初からうまく吹けた訳ではありませんが、

その時々の想いを笛の音で胸から吐き出すようなそんなものでしたが、

私が吹くその笛の音を両親はひっそりと聞くようになっておりました。

「私の笛、おかしくない?」と聞きますと、

「何か気持ちが洗われるような気がするヨ。」

と母様は言ってくれました。

でも、お師匠さんから教わった訳でもなく、曲のお手本がある訳でもありません。

ですが、父様もお酒を呑みながら満足そうにしています。

そのように私は、はっきりした曲というものを知らないままに我流で夜更けに笛を吹くことを覚えました。

若い娘ですから時には訳もなく物悲しくなることもありました。

そういう時は自然、音色が物悲しくなります。

仕立物がはかどったり、誉められた時はそれなりに穏やかな音色になるのが自分でも解りました。

私はそのようにして、外に出ることもないまま十七歳の冬を迎えようとしておりました。

冬になりますと仕立物は忙しくなります。

老番頭さんは三日とあけずに来るようになっていましたが、

師走もあと何日もないという押し迫った日に、老番頭さんではなくて若い番頭さんが代わりにやって来ました。

背が高くキリリとした美しい若い人が土間に立った時、びっくりしたのと胸が苦しいようなドキドキしたのを覚えています。

年寄りの番頭さんが風邪を引いて代わりに来たということでした。

そして、さるお大名から、どうしても年内に仕上げて持って来てくれと頼まれて困っている物がある。

日数も残り少ないがお願い出来ないかと、十枚分の反物を持ち込んでの話でした。

きっと正月用のお年玉にと急に思いついて注文したのでしょう。

よっぽど困っている様子に私は引き受けました。これは大変な仕事です。

これから寝ないで頑張らなければ間に合いません。

母様にも手伝って貰い、必死で頑張りました。

それからの三日間は殆ど眠らず、縫い物の横に少し仮眠するだけで、時にはおにぎりをかじりながら頑張りました。

思い返してみてもよく頑張ったと思います。

そしてとうとう、約束の大みそかの朝には十枚仕上げることが出来ました。

その朝、ほっとしている所にあの若い番頭さんが小僧さんを二人連れて何やら持たせて受け取りに来ました。

仕上がっていることを知ると大変喜んで、


「無理をさせて申し訳ございませんでした。

お陰で本当に助かりました。

これから、すぐ届けることが出来ます。

これは私共からのお礼の品です。どうぞ召し上がって下さい。」

と正月用の料理や、お餅が家族三人が食べきれない程、お酒やしめ飾りまで一切合切用意してありました。

仕立て代もお礼と言って沢山置いて行かれました。

正直、こちらの方が大助かりしたのです。

暮れは履物の店も何やかやと忙しく、おまけに私の仕立ての仕事が急に入って何の正月の準備も出来ていなかったのです。

頂き物の中から店を手伝ってくれているおばさんにもお裾分けをして喜ばれ、何もない大みそか、元旦を覚悟していた我が家は、お昼で店を閉めて来た父様を迎える頃には家の中もきれいに拭き清め、

お正月飾り、お供え物も飾り、ご馳走も並べ、お風呂も入るばかりにしていました。

あの大みそかは一生忘れることが出来ません。

とても満足した良い気持ちで新年を迎えることが出来たのです。

何よりも人の窮地に自分の力が役に立った。

それが何よりうれしい気持ちでした。

本当に久々に心の晴れる思いでした。


実はその若い番頭さんだと思っていた方が店の若旦那さんだったというのは後で解りました。

年が明けて一月も終わり、節分も過ぎた頃です。

私に縁談がありました。

私はその年、十七歳になっておりました。


仕立て物の方も暮れの慌ただしさが過ぎ、春物が忙しくなる前のほんのひととき、ゆっくりと息のつける頃です。老番頭さんも体調を取り戻しており一月の末頃から顔を見せるようになっておりました。

それがその日は仕立て物のことではなくて、母様に内々の話があるというのです。

若い番頭さんだと思っていた方が、実は若旦那様だということ。

暮れの時以来、数回ここに来て仕事の事で少し話しただけだが、気立てや心根に惹かれて是非私を嫁に欲しいと思うようになったこと。

もしもこちら様が良ければ改めてお願いにあがりたいと大旦那様も申していると、そういうことを話して帰られました。

私は本当に驚きましたが、母様は薄々気が付いていたようなのです。

家から殆ど出ない私でしたが、実は昨年からいくつか父様の方に私を嫁に欲しいと話があったそうなのです。

でも大事な娘の一生を左右する事であり、本人も見ず、その人柄も知らずに返事は出来ないと断っていたそうです。

しかし、この度については父様も乗り気になりました。

何故なら、呉服屋の若旦那は子供の頃から世間の評判が良く、今や近隣の年頃の娘達が嫁に行きたいと憧れる若者だということを聞いていたからでした。

確かに見目形も良く話し方にも誠実さが感じられる方だと思いました。

私も、もう嫁に行って良い年齢になっておりました。

私と昔遊んだ人達の中には子供のお母さんになっている人もいると聞いたばかりでしたから、父様母様にお任せしますと返事しました。


それから何度かお店とのやりとりがあって、やがて大旦那様自らがお越しになって、話はトントン拍子に決まり、

私は桜の咲く頃には嫁入ることになりました。

その前に先方から、一度遊びに来てはと招かれましたので、天気の良い日母様と一緒に出掛けました。

そのお店は我家からは少し離れた賑やかな町の中心にありました。

以前、人々の好奇の目に晒されてからは町の中を歩くことはありませんでした。

その日は、母様と一緒に歩きながら、以前にも増して周りから見られていることを感じました。

「あれが呉服屋さんの嫁さんじゃと。きれいじゃナー。」

「ああ、ほんにきれいなお人じゃ。」

と口々に話す声が聞こえて来ます。

本当に私のことを言っているの?

本当に私のこと?

信じられない気持ちでした。

でも町中の人はもう誰もが知っているようでした。

母を見るとすれ違う人から、

「おめでとうございます。」と声を掛けられて、

笑顔で嬉しそうに、「ありがとうございます。」と答えています。

やはり私のことなのだと思いました。


子供の頃に母様と何度か通ったことのあるその店はとっても立派なお店でした。

ここの店の仕事を自分がしていたのかと思うと、今更ながら驚きと責任の大きさを感じました。

そして、これから自分がこのお店の人間になるということが信じがたく恐れ多く、次第に不安になって参ります。

お店は大変繁盛しておりました。

私達が入って行きますと、店の人達は皆さん温かく迎えて下さいました。

大旦那様も奥様も鷹揚な人柄の方達で、今では店の事は若旦那さんと番頭や店の者達に任せているようでした。

私と母様を奥の座敷に通して下さり挨拶が済むと、お二人は私のことを大変気に入ってとても喜んでいるとおっしゃって下さいました。

お茶を頂いていると仕事の区切りがついたのか若旦那様が現れ、母様に挨拶した後、私に家の中を案内してくれました。

その部屋数の多さには驚きました。

使用人の数も多く、いつか自分がここの奥を仕切ることになるのが夢のようで信じられません。

広い大きな中庭があり、それをグルリと囲む長い廊下は大名屋敷もこれ程あるのだろうかと思う程でした。

只々驚いている私を見て笑いながら、

「貴女は見た目も美しいが、私はその正直さに惹かれました。」とあの方は言いました。

「外観の美しさよりも、その心、気立てが大事だと思っています。

私は商売柄、数多くの女の人を見ています。

美しい人も、着飾って美しくしている人も、また、働き者で気立てのいい人も、多くの女の人を見て来ました。

でも今まで、この人こそと思う人に出会いませんでした。

それがあの暮れ近くに初めて会った時から、地味な着物をこざっぱりと着て、化粧もせず髪飾りも付けない貴女のことが忘れられませんでした。

実は何故か逢う前から知っていたような気がしたのです。

大番頭が風邪を引いて替わりに暮れに伺う時は既に、貴女のことが気になっていたのです。

番頭もおしゃべりな方ではないし、店の中であれこれ貴女の噂を聞いた訳ではないのですが不思議ですネ。

会ったことのない貴女のことはいつの間にか、会ったらすぐに解るような気がしていました。

本当に不思議です。

そして、あの暮れに初めて会った時、

ああ、本当に思った通りの人だと感じました。何だか懐かしいような信頼に足る心持ちの人だと解りました。

貴女に対する気持ちは一時の浮ついたものではありません。

例えば貴女がお婆さんになっても今の私の気持ちは変わりません。絶対に。

いいですか?」

と、あの人は私の目を覗き込むようにしてニコっと笑いました。

その時の私の気持ちは言葉に表すことは出来ません。

あの時、私は本当にその人を好きになりました。

人の一生で最高の幸福を感じるとしたら、きっと今かも知れないと思った程です。

だけれども、人の一生、良い事ばかりではないと尼様がおっしゃったことは本当でした。


嫁ぎ先も決まり、

まして、商家に嫁ぐのなら家の中にばかりいるのは良くないと、少しずつ外にでるようにしたのです。

派手ではなくても少しはきれいにしなければと思い、身の回りにも気を遣うようになりました。

少し心がウキウキしていたのかも知れません。

私は仕立て上がった物を自分で届けるようにしておりました。

店先で若旦那様と会ってもお互い目で会釈をするだけでしたが、それだけで温かい気持ちになりました。

その日もすぐ帰るつもりでしたが、相手のお母様に呼び止められてお茶を御馳走になり、帰りが夕方になってしまいました。

まだ真っ暗という訳ではありません。

誰かに送らせるというのを断って小走りに家に帰って来ました。

家があと少しという所まで来た時、

そこは滅多に人の通りのない道でしたが、いきなり物陰から飛び出て来た者に何かを顔にかけられました。

熱い!

そう思った瞬間、左頬が何か変なのです。

それからは恐ろしさのあまり訳も解らずに夢中で家に帰り着きました。

途中、他の誰にも会いませんでした。

何かとんでもないことが起こったのだということだけで心の中はいっぱいでした。

母様!父様!

家の中に入ると、倒れ込んでそのまま気を失ってしまいました。


気が付いて目を覚ました時は、私は顔から首にかけて包帯でグルグル巻きにされて寝かされていました。

お医者の話では熱い油のようなものをかけられたのではないかということでした。

左の頬から首にかけて特にひどい火傷であり、きれいになるのにはかなり時間がかかるだろうという事でした。

父様は怒りで震え、母様は泣いていました。

私の心の中は、怒りや悲しみよりも、体も頭の芯もだるくて重く、あの時、草陰から突然踊り出た闇のような陰が人ではなく悪い物の塊のようで女か男かも解らず、届け出て犯人を捜すとなると簡単ではなく、町中が大騒ぎになるだろうと思いました。

それだけは避けたいと思いました。


こうしてあの夢のような幸せは一瞬にして遠くへ行ってしまいました。

あの優しい夫となる人の面影も急に自分には手の届かない縁のない人のように思われました。

私は両親にもお医者様にもこのことは決して口外しないように頼みました。

こういう形で世間の噂になるのだけは耐えられないと思いました。

人に知られたら生きては行けない。

何故か必死にそう思いました。


誰かに私のことを尋ねられたら質の悪い風邪を引いて寝込んでいることにしてくれと。きっときっとそうしてくれとお願いしました。

縁談は理由を言わないでこちらからお断りし、見舞いに来てくれるなと伝えるように父様に言いました。

誰にもこの惨めな姿を見られたくなかったのです。

でもあの人は飛んで来ました。

すぐ私に何かとんでもない災いがあったと思ったのでしょう。

私が姿を見られたくない本当の理由を知ると屏風越しに、

「自分はどんな事があっても貴女を大事にすると言ったではありませんか。

すぐには無理でも必ず一緒になります。

ここで私達が駄目になったら、こんなひどいことをした者が喜ぶだけです。

私の両親も大層悲しんでいます。

特に自分が引き止めたせいで帰りが遅くなったとおふくろは後悔して自分を責めてばかりいます。

そして、これからのことは全て私に任せると言っています。

いいですか?

いつか、きっときっと幸せになりましょう。解りましたネ。」

と言ってあの人は帰って行きました。

私は何も言わずに屏風越しに背中であの人の言葉を聞いていました。

有難いと思いました。

でもそういうことは無理に決まっています。

私は醜くただれたこの顔を誰にも見せたくありません。

両親にも見せたくないし、自分だって見たくない。

まして、あの人には絶対に見せられない。

それなのに嫁入りなんか出来る筈がない。

やっぱり束の間の夢だったのだと思いました。

ほんの一瞬、信じられない程の幸せな夢を見た。

その代償がこれなのかと思うと、自分があまりに哀れでポロポロ涙が溢れました。

その時、気が付いたのです。

涙が出る、目は見える、両手をかざして見ると両手は前のままで火傷の跡はありません。

これなら前のように仕事が出来る。

もう少し元気になったら誰にも見られない部屋で誰にも会わずに仕事をして生きて行こう。

それなら出来る、とボンヤリ考えたりしました。

何日かしてお医者様が、火傷の効果のある馬の油を毎日塗るようにと包帯の替え方も教えて行きました。

帰り際、母様と何やら低い声で話し合っている様子が気になって耳を澄ましていると、元のようにきれいに治るのは難しいということなのでしょう。

声の調子で解りました。

“羽二重の頭巾”という言葉を幾度かおっしゃったように思います。

後で母様から、火傷の跡の皮膚はとても弱く傷つきやすいので、傷が渇いてからそういう物で外気から守った方が良いということのようでした。

お医者様は若い娘の心をおもんばかっておっしゃって下さったのかも知れません。

私はその夜、寝ながら、こうなった以上、父様、母様を悲しませない為にもこの醜い顔を頭巾で隠して生きようと思いました。

例え、人から奇異な目で見られようともと決心しました。

やがて一ヶ月もすると包帯が取れるようになりました。

私はそれまでに白い柔らかい薄絹で何枚か頭巾を作ってありました。

馬の油は欠かさず塗っていました。

母様がお医者様から頂いて来ておりましたから。

それからの私は自分の顔を、人には誰にも、例え親や医者にさえ見せずに馬の油を塗っては頭巾を被って暮らし始めたのです。

変り果てた娘の顔を見て悲しむ親を見るのも辛く、いつまでも不幸から抜け出せないでいる自分を見るのも辛く、私は馬の油を塗る時でさえ鏡を見ることはありませんでした。

それ以上に、襲われる程、人から憎まれていた自分が何と言えばいいのか、許しがたい嫌な人間に思えて、両親の悲しむことを考えなければ、この世からいっそ消えてしまいたいと思ったくらいです。

結局、辿り着いたのは、これからは顔のない人間として生きて行こう。

そう思い込むことにしました。


頭巾を被り人の目に触れないように生活し始めると、少し心が落ち着いて来ました。

何かふっきれたような諦めの気持ちだったのかも知れません。

夜眠っている時も、お風呂に入る時も頭巾は取りませんでした。

両親は最初戸惑っていましたが、私の好きなようにさせてくれました。

世間ではどのような噂話が囁かれていたか知りません。

両親は何かを聞いたり、または尋ねられたりしたかも知れませんが、私の所までは届きませんでした。

やがて私はあたかも昔からそうだったかのように頭巾を被って縫い物の仕事を続けました。何かしている方が気が紛れて良かったのです。

あの頃の楽しみというと夜更けに琴を弾いたり、笛を吹いたりすることでしょうか。

特に笛は自分の心持ちがその音に乗って、どこまでも飛んで行くようで毎夜のように吹きました。

この先に希望のない私は縫い物の合間に絵を写したり、書を写したり時には思い出しながら景色を描いてみたりしました。

そういう時間は悲しいことを忘れて、心をフワリと包み込んであやすような不思議な安らぎがありました。

尼様のお言葉が思い出されて来たのもその時です。


「世の中には理不尽なことが沢山ある。

多くの人々が少なからず理不尽な目に遭いながら、それでも尚、喘ぎ喘ぎ生きている。」と…。

私はこう思いました。

今の自分が、心底それに気付けたのは神仏のお導きなのかも知れない。

泣き叫んで悔しがる幼児のような自分をあやし、噛み砕いて諭し、安らかな心持ちにさせてやるのも自分自身だと尼様がおっしゃっていたっけ。

尼様はあの時、既にこのような日が来ることを予見していたのではあるまいか。

そう思いました。

桜の咲く頃には嫁入りする筈だった春は過ぎて行きました。

夏も過ぎ秋が来てそれも過ぎ冬になりました。

が、私は一歩も外には出ることがなく、母様を通して頂いた仕立て仕事は無理のない程度にしておりました。

それが唯一あの人の店との細い糸のようで、それを思うと悲しくなりましたが、それかと言ってこの先のことを思うと全く何もしないでボンヤリ時を過ごす訳には参りません。

心細さを抱きしめながらも仕立て仕事を辞めることは出来ませんでした。

その合間に絵を描いたり書を写したりしました。

そうして年の瀬が近づいた時、ふと去年の今頃、あの人に会ったのだと思い出し、また悲しい気持ちになりました。

両親は私に一切何も言わないけれど、もしかしたらあの人は親の勧めたどなたかともう一緒になり幸せに暮らしていらっしゃるかも知れない。

縁談を断ったのは私の方なのだもの。そうであっても仕方がない。

そんなことを考えたりしておりました。


やがて新しく年が変わり、そうこうしている間に寒さも少しずつやわらいで春の気配がして来ました。

春が来ても、咲く花々を見ても、以前のようにうっとりするような気持ちにはなれません。

私の心は死んでしまったのです。

もう心楽しい夢見るような気持ちになることはないだろうと思うと悲しくて、悲しくてそんな自分があまりに哀れで泣きながら笛を吹いておりました。

裏庭には月明かりが射して吹く笛の音はどこまでも、うら寂しく密やかに流れて行くようなそんな夜でした。

その時、庭をぐるりと囲む植え込みの陰に人の気配がして私は思わず身を固くしました。

すぐに縁側を立って家の中に入ろうとすると、背後に忘れもしないあの懐かしい声が私を呼びました。

「どうか逃げないで下さい。

私はここから動かずにいますから。

貴女が嫌なら貴女の方も見ません。

ですからどうぞ笛を続けて下さい。」

それは苦しそうな声でした。

私は何も答えず、ただ笛を吹き続けました。

私の吹く笛の音は、私の心そのものでした。

悲しくて、切なくて、恋しくて、苦しくて淋しい私の心そのものでした。

あの人は、この思いを受け取ってくれたでしょうか。

暫らくすると、

「ありがとうございます。また来ます。」

あの人は約束通りこちらを見ずに帰って行きました。

闇の中に消えて行くその後ろ姿を、居なくなった後もいつまでも思い出し、思い浮かべながら、私はそこに立ち尽くしていました。

甘い悲しみが私を覆っていました。

どんなに好きになっても所詮、この気持ちは報われることなどある筈ないのです。

それでも、私は暗くなると裏庭の縁先で笛を吹きました。

あの人の気配がするようで、植え込みに向けて心を込めて吹きました。

すると、以前のような甘やかな物悲しいけれど恋しい心持ちが蘇って来ました。

だけれども、それがどうかなるというのでしょうか。

私はこの通り人の目には奇異に見える頭巾姿の身の上です。

あの人はこの地では有名な呉服屋です。

どうなりもしないのです。

あの人の気配が消えた後は一層辛くなるばかりです。

寝に床についても悲しくて悲しくて声を殺して泣きました。

泣いて、泣いて諦めきれずに泣いて、その時の私はまだまだ夢の途中の頑是ない幼い子供のようでした。

その時は、普段、利口にしてこらえている姉の部分の私は泣く事を許して見守っているのです。

あの人を、あの後ろ姿を追いかけて泣く涙は、それでも、少し甘やかな味のする涙でした。



それから一ヶ月程、後に私はあの人のもとに嫁ぎました。

それはあの翌日の日中に突然あの人が訪ねて来ました。

父様も母様も驚いておりましたが、上にあげて三人で話をしておりました。

私は奥の部屋の襖を少し開け、屏風越しに話を聞いておりました。

あの人は父様、母様に熱心に話をされました。

“私の心は少しも変っておりません”という言葉が幾度も耳に入って来ました。

“他の誰をも嫁に迎える気がありません”という力強い言葉は私の心を打ちました。


父様と母様は

それでもあの頭巾姿では無理でしょうと幾度も申しておりました。

“かまいません”

強い言葉が返って来ました。


大きなお店でしたので取引先や親戚筋に対してもいろいろ大変だったのではないでしょうか。

それでもあの人は、それらのことを私達の前では気配さえ感じさせずにことを進めて行きました。

「何があっても私だけを信じて一日一日を一緒に生きて行きましょう。」と言ってくれました。

その時の私の気持ちを例えるならば、周りが荒れ狂う猛吹雪の中を腰まで雪に浸かりながら、只々あの人の背中だけを見失わないように一足一足必死に歩いて行く、そんな覚悟のようなものでした。

でもそれでいて不思議と胸の奥から、

それでもいい!これからどんなことがあろうとも今よりはましだという気持ちが湧いて来たのです。

私はあの人に言いました。

「こんな私で本当に良いのですか?

いろんな意味で後悔なさいませんか?

もしも、こんな私の為にお店が困るようなことがあったら、その時はいつでも身を引く覚悟です。」と申し上げました。

あの人は笑って、

「私をそういう人間とお思いですか?」とおっしゃいました。


父様も母様も私達が望むようにさせてくれました。

でもその胸の内はいかばかりだったでしょう。

心の奥底の心配は計り知れなかったと思います。

嫁入りと言っても表立った披露は全くせず、相方の親達だけで盃事をしただけです。

後は方々に報告の書面を添えた引き出物を届けるだけにしました。

店で働く者達には前もって事情を説明してあったのでしょう。

頭巾姿の私を皆の前に紹介する時も、特別大きな驚きもなく受け入れて貰えたと思っております。

これも全て若旦那様の熱心な気持ちが皆の心を一つにしてくれたのだと思います。

環境に慣れるまでは人の目につかない、廊下づたいの奥まった離れに住まうことにしました。

そして無理に頭巾を取らぬこと。

大旦那様もおかみさんも、

「我が家の嫁に決まったせいで、こんな災難に合わせて本当に申し訳なかった。辛い目に遭わせました。」と心のこもったお言葉をかけて下さいました。

「これからは何の遠慮もいりません。

貴女のいいように貴女の暮らしやすいようにして下さい。

息子は貴女以外は一生、嫁を取らぬと言い張りました。

あの子は真っすぐな気性です。

貴女が災難に遭ったのは自分のせいだと、それは責任を感じておりました。

どうぞこれからは表に出ずとも息子を支えてやって下さい。」

とかえってお願いされてしまいました。

そのお言葉の真実さと優しさに触れ、私はどんなに救われたでしょう。


このような大店の嫁でありながら、私は表に顔を出すこともなく、しかも頭巾を被ったままの姿で暮らすことになりました。

とても普通では考えられない特別な形のものでした。

私はあの人の思いやりの中で、どうにかこうにか生きて来ました。

随分後になって、あの人が話してくれたのには、

私が災難に遭い婚礼を中止した後、すぐに方々からかなりの縁談があったそうです。

中には店の買い物がてら頻繁に訪れる娘さんや、店のお客の中にも仲立ちをしようとする人も多く、私へのあの事件は、あるいはそういう人達の中に居たのではと考え心を痛めていたそうです。

それでもその暮らしは私が想像していた程には辛いものではありませんでした。

頭巾姿で顔を隠している嫁は、いくら言い含められていても使用人にとっては物珍しい見世物のようだったに違いありません。

ですが、それも慣れるというのでしょうか。

やがて家の中ではそれが当たり前のようになって行きました。

気心の知れた信用の出来る人。

例えば御両親様や頼りになる女中頭にはほんの一瞬だけ素顔を見せたこともありました。

自分の手で触っても解るその片頬のひきつれを女中頭は、

「殆ど解らないくらいでございます。大変、美しゅうございます。」と言ってくれたけれど、その顔には痛ましいという気持ちが表れていました。

思いきって身近な人達にだけは素顔をさらしたことで私の心は随分軽くなりました。

おかしいかも知れませんが、包帯をグルグル巻いて床に伏っていた時、これから一生他人に顔を見せまいと決めたのでした。

どこかにいる誰か。

あの後の私の顔に、他の誰よりも関心を持ち、気にしている人間には決してこの顔を見られてはならないと決めた筈でした。

その時の私は心までひきつっていたのでしょう。

でも私はあの人の真心に癒され、周りの人達の優しさに触れ、少しずつ少しずつ、最初はおずおずと臆病だったのが、奥の仕事を手伝いながら、あるいは短い会話をしながら馴染んで行きました。

その間にも、呉服に関することを一から勉強し、商いについても知ることが出来ました。

取引先や、大口のお客様宛の書き物等は私がお手伝いするようになっておりました。


ある日、酒問屋の御隠居様がお店に見えられました。

毎年、従業員達の物や、家族、お得意様へと大量の注文をして下さる大口のお客様です。

その日も沢山の品を注文して下さいましたが、嫁の私の噂は耳に入っているらしく、一度私に会ってみたいとおっしゃっておられるというのです。

夫は困った顔で私の所に来ました。

昔からの上得意のお客様が、

私が書く諸々の字に大変感心なさって、是非直接会って話をしてみたいとおっしゃっていると言うのです。

夫は、「自分の所で断ろうと思ったが、あの方は悪いお方じゃないからネ。

だが、お前が気分がすぐれないと言ったら、それで帰られるだろうから、無理することはないヨ。」

と言うのです。

私の字を気に入っていると言って下さる方に会わずにお帰り頂くのも、後々悔いが残りそうな気が致します。

私は勇気を奮い起こして、

お茶の替えを持って表座敷に出て行きました。


「嫁の“およう”と申します。

このように顔を隠したままでの失礼をお許し下さい。」

と私がご挨拶を致しますと、

御隠居様が、

「貴女のことはいろいろ聞いていますヨ。災難じゃったナー。」

としみじみおっしゃって下さいます。

顔を上げて見たお客様のお顔は私を安心させました。

大きな酒問屋の御隠居さんと聞いて、海千山千のお酒の匂いのする方を想像していたのですが、頭の真白な小さな優しそうな御老人が、いかにも暖かそうな眼差しをこちらに向けておられます。

私の心は思わずホッとし緊張がほぐれました。


「貴女はその頭巾の下の顔はどうであろうときっと今でも美しい筈です。

その身のこなし、声と話し方、筆の跡、全てがそれを物語っています。

貴女に熱湯をかけた奴は人間じゃない。

いずれ、そやつは地獄に落ちるでしょう。

それなのに貴女はこの不幸に負けなかった。貴女の本質の美しさを少しも失わずにいてくれた。

そういう貴女の為に、数々の困難と戦って夫婦になったここの若旦那を私は増々見直しましたヨ。

実に立派です。

儂はこれから世間に向けて宣伝しますヨ。

それが、私からのお二人に向けてのお祝いになるようにネ。

これから貴女のことは心を込めて、“頭巾様”と呼ばせて貰うヨ。」

とおっしゃって楽しそうにカラカラとお笑いになりました。

私も夫もあまりにあっけらかんとした物言いに苦笑するしかありませんでした。

が、その後、

誰かれとなく、周りから恐れ多くも、私のことを“頭巾様”と呼ぶようになりました。

そして、呉服の「山清」の“頭巾様”は誰もが知る所となってしまったようです。

夫までもがからかい半分に、

「これをお願いしますヨ、頭巾様。」などと言ったりしました。


最初は困りますからやめて下さいと言っていたのですが、世間ではそれで通るようになっていました。

夫の両親も従業員達も、

「いいじゃないですか。

あの酒屋の御隠居様があちこちで宣伝するものだから今じゃ誰もが若奥様のことを山清の“頭巾様”と呼んでいるそうですヨ。

お店にとっても我家にとっても何の不都合もありません。」

と笑って取り合ってはくれません。

不思議なことですが、それ以来、

自分のこの欠点をお日様の下にさらしてくれたお陰で、家の奥だけに隠れて生きていた私が、このジメジメと湿っていた心が陽に当てた座布団のようにふっくらと暖かくなりました。

これは全てあの御隠居様のお陰です。

それからは夫に請われるままに、少しずつ店にも出るようになりました。

“頭巾様”に着物の品選びを手伝って欲しいというお客様まで現れました。

頭巾姿に好奇心を持たれているのは解りますが、御隠居様が私のことをあれこれ褒め称えるものですから、どんな人だろう?と実際会ってみたいと思われても仕方ありません。

最初は恐ろしくもありました。

そのような噂に乗って表に出て行き、またあの時のように手痛い災難を自分から招くのではないかと恐れましたが、

夫がいつも一緒でしたので少しずつ少しずつ、お客様のお呼びがあれば品選びのお手伝いに店に出るようになりました。


私も御隠居様の心尽くしの宣伝に背かないように気を付けてお客様の相手をしました。

お客様はどなたも満足してお帰りになられたようです。

あれから、これといった災いも起こらず、私には信じられない程の穏やかな日々がやって参りました。

夫は私に誓った通り、変わらず私を守ってくれました。

あれから何十年経ったでしょう?

子供にも恵まれました。

男の子が二人に、女の子が四人です。

皆、素直な思いやりのある人間に育ってくれたと思います。

子供達が幼い頃、抱いている私の頭巾を小さな手でめくって、幼児が聞きます。

「どうしてこれを被っているの?」

「火傷をしたからヨ。」

私は子供達には正直に話しました。

子供は聞きます。

「痛かった?」

「ええ、とっても。」

「悲しかった?」

「ええ、とっても。」

幼心に可哀想だという心が芽生えたのでしょう。人に悪いことをしてはいけないという心が育ったのでしょう。

私のこの災難は大きな悲しみと苦しみを、若い頃の私に与えました。

それに、二度と再び、あの頃の自分の顔を取り戻すことは出来ません。

ですが、それと引き替えにとでも申すのでしょうか、夫の真実の心を得ることが出来、悲しみの後の大きな幸せを得ることが出来ました。


私は年老いても尚、頭巾を被り続けました。

一日の殆どをこの絹の頭巾を自分の顔にして過ごしました。

そのお陰でしょうか。

もう嫁入った長女が孫が生まれるといって里帰りをした時に、私の頭巾をそっとまくり上げて私の素顔を見ました。

私は子供達には好きなようにさせているのです。

長女は私の肌に手を触れて、

「お母様の肌はとってもきれい。

若い娘のようで、ちっとも年を取らないのネ。私よりずっとずっと若くてきれいヨ。」と言ってくれました。

それが年老いた私への最高の贈り物のように嬉しく思いました。

女はいくつになっても、きれいと言われるのは嬉しいものです。

それでも、私はあの災難以来、自分の顔を鏡に映して見ていないのです。

それでいいのです。

どんなに長女に褒められても、ましてや今となっては、昔の若い頃には戻れようもないのですから。


尼様、いかがでしょうか。

私の顔のひきつれはまだ余程ひどいのでしょうか?」


「お婆婆様、大変、美しゅうございますヨ。

剥いたばかりのゆで卵のように、つるりとしたきれいな肌です。

とても、そのお年にはとても見えません。

やはり繭から出来た頭巾のお陰でしょうか。」

尼は更に大袈裟に、

「顔だけなら二十歳の娘さんのようですヨ。」と言ってくれた後に、

二人はコロコロと笑い合いました。

楽しい笑い声は、その辺りに咲く花々より、

飛び交う蝶達よりも更にこの春の空に華を添えているようでした。



おわり

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