6.寒の戻り
「みなみのうお座、FK5-867フォーマルハウト。星の名を管理するガーディアンの名のもとに、新しく天に従事する魂『蓮見風花』の名づけの儀式を執り行います。」
フォーマルハウトの声が、星空に響き渡る。
「お嬢さん、天球をごらんなさい。」
言われるがままに、目の前の球体に目を落とす。
そこには、『星の項』と書かれた条文が並んでいた。
「お読みなさい。」
プロキオンに視線を向けると、『がんばって』と口の形が動いた。やるしかないようだ。
腹をくくって条文を読み始める。
星は天に従属する
星は魂を運搬する
星は過干渉しない
星は天命に背かない
星は蝋燭に触れない
風花の声に呼応するように、周囲の星が瞬く。
「おめでとう、お嬢さん。君は蓮見風花としての人生を終え、新しく星として生まれ変わった。歓迎しよう、我らが同胞よ。」
芝居がかった動作とセリフに少々面喰いながら、どうもと頭を下げる。
「さて、君の名前を決めようか、お嬢さん。希望はあるのかい?」
満足したように椅子に座りながら、フォーマルハウトが問いかける。
希望の名前か。せっかくなら、とさっき見つけた星の名前を答えてみることにした。
「じゃあ、シリウスで。」
その名前を風花が口にした途端、その場の空気が凍りついた。
「お前、なぜその名を望む?」
カノープスの左隣に座っている厳つい男から発せられた声は、なんとも形容しがたい硬さを含んでいた。
なぜ、と聞かれても大した理由はないのだ。
プロキオンとお揃いにしてみたかった、ただそれだけの事。
威嚇するのは寄せ、アルデバランとカノープスが牽制してくれたが、彼の視線が風花から外れることはなく、むしろ怒気を孕んでいるようにも思える。
その目が、風花の負けん気に火をつけた。
「別に。理由はありません。」
はっきりと言い返すと、アルデバランと呼ばれた大男の顔に、わかりやすく不機嫌の色が浮かんだ。
希望を聞かれたから答えただけなのに、なぜ怒られなければならないのだ。
大嫌いな生徒指導の先生に似た彼の物言いが、ますます風花を苛立たせた。
「何か、問題でもあるんですか?」
アルデバランやフォーマルハウトの様子を見るに、シリウスという名前には何か厄介事があるらしい。
「説明できないくらい、大変な事なんですか?」
風花が畳み掛ける。
援護を求めてプロキオンの方を見ると、口を横一文字に結んでうつむいていた。こいぬ座の彼にとっても、その名前は特別な意味があるようだ。
おおいぬ座のシリウス。
全天で最も大きく輝く星で、冬の大三角の一つ。
その星に、どんな背景があるのだろうか。しんと静まり返った星空は、何の答えも返してくれない。
たっぷりと20秒ほど続いた沈黙を破ったのはカノープスだった。
「いいんじゃないかい、シリウスでも。」
しかし、マスター!といきり立ったフォーマルハウトを制し、カノープスが続ける。
「座は空いているんだろう。ならばなぜ、拒むことがある。前のシリウスのことは、この子は関係ないだろう?いいな。アルデバラン、プロキオン。」
「師匠がそうおっしゃるなら、私には反対できません。」
腕を組み、難色を示したままアルデバランが答える。隣にいるプロキオンも小さく頷いた。
フォーマルハウトも仕方なく了承したようで、大げさにため息をついて立ち上がり、カノープスと共に風花の前へと進み出た。
カノープスが右手を天球儀にかざし、目を閉じる。
「りゅうこつ座α、カノープスが指揮者の名において命ずる。かの名はシリウス。おおいぬ座α星9番、シリウス。」
天球儀が淡く光り、おおいぬ座の星座が浮かび上がる。その中の最も輝く星が風花に吸い込まれる……
はずであった。
しかし、それは叶わなかった。
風花の胸の前で星座が崩れてしまったのだ。
「どういうことだ……?」
天球儀の向こう側で、カノープスがつぶやく。
先ほどまで顔をしかめて儀式を見ていたアルデバランでさえ、驚きの表情を隠せないでいる。
「中止!中止だ!!」
ヒステリックにフォーマルハウトが叫び、そのままバタバタと姿を消す。
それを追うようにアルデバランが、そしてカノープスがプロキオンに声をかけて去っていく。
星の世界に疎い風花にも、とんでもない事態になっているということだけは理解できた。
南の星たちが去り、夜空に静寂が戻る。
プラネタリウムに輝く星は、何事もなかったかのように静かに瞬き続けている。
宝石をちりばめたような空の中には、半ば呆然として天球儀を見つめるプロキオンと、訳も分からず立ち尽くす風花がぽつんと取り残されていた。
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