3.三分咲き
「相変わらず要領を得ない子だね、アンタは!」
声がした方に目を向けると、そこには白いハットを目深にかぶり、裾にファーのついたコートを肩からかけた妙齢の女性が仁王立ちしていた。
その姿は女王のような風格さえ感じさせる。
ハットの縁からのぞく鋭い眼光に捉えられ、風花は自分の鼓動が早くなったように思えた。
「アンタが風花かい?」
急に名前を呼ばれ、びくっと肩を竦める。上目遣いで顔を伺いながら会釈すると、ふわりと頭を撫でられた。温かく優しい手のひらに少々の安堵を覚える。
「事故、気の毒だったね。でも、相手を恨んじゃいけないよ。」
「え?」
「きちんと死を自覚しないと、先には進めない。目をそらすんじゃないよ、風花。」
その言葉に、思いがけず風花の目から涙がこぼれた。
急に訪れた若すぎる死、わけもわからず連れてこられた知らない場所、自覚のなかった不安が一気に押し寄せてきて、一筋の涙は徐々に嗚咽に変わった。
泣きじゃくる風花を抱きしめ、女性が背中をさする。
風花が泣き止むまで、その手が止まることはなかった。
おろおろと狼狽えるプロキオンに温かいお茶を持ってくるように指示を出し、女性はもう一度風花に語りかけた。
「怖かっただろうね。悪かったね。でも、アンタの力が必要なのは間違いないんだ。私の話を聞いてくれるかい?」
鋭いと感じた目は、母のような温かい眼差しに変わっている。
真っ赤になった目をこすりながら風花はこくこくと頷いた。
「私はカノープス。りゅうこつ座α星FK245と堅苦しい符号が付いているが、特に気にしなくていい。南の空で、天の調整をしている。アンタを呼んだのも、この私さ。」
カノープス、と声に出してみると何故だか不思議な心地よさがあった。
先程感じた恐ろしさは消え、安心感だけが残っている。
プロキオンが申し訳なさそうに差し出したマグカップを両手で包み込むと、あたたかさが沁みた。
「ごめん、僕うまく説明できなくて…」
首をふるふると横に振り、カップに口を付ける。
やわらかなハーブの香りが広がった。
「……おいしい」
「昔、先輩に教えてもらったんだ。落ち着くお茶。
なんだっけかな、ええと……カモシカ?」
「カモミールだよ、このバカ犬が。自分の花じゃないか。」
すみません、としょぼくれたプロキオンの頭に垂れた犬の耳を想像して、風花はふふっと笑いをもらす。カノープスは、まるでお母さんみたいだ。
「さて、風花。あんたどこまで聞いたんだい?」
プロキオンから聞いた情報をカノープスに伝えると、彼女はその情報に補足をしながら詳しく『星』の世界についての説明を始めた。
✿『星』が魂を運ぶのは、地球上の魂の総数を減らさないために必要なこと
(化学でいう質量保存の法則のようなものらしい)
✿魂が死神に食べられてしまうと、その魂は消えて転生できなくなってしまうこと
✿天界にきちんと連れて来れば、ちゃんと転生できること
✿『星』が魂を回収するときには、魂は花の形をして現れること
✿天界では人の魂は蝋燭の形をしていること
風花が理解できたのは以上である。
カノープスの説明はとても、とてもわかりやすかった。
「つまり、星は亡くなった人の魂が次の人生で幸せに暮らしていけるように、循環の手伝いをするのが仕事ってことですか?」
「その通りだ。風花、かしこい子だね。」
カノープスに褒められ、風花の顔が綻ぶ。
この人がいるなら大丈夫そうだ。
「それなら、頑張れそうです。」
「ですって、カノープス先生!」
パッと顔を明るくしたプロキオンに、そうか、とほほ笑んだカノープスが続ける。
「すべての魂には幸せになる権利がある。
もちろん風花、アンタにもね。しっかりやんな。そして幸せに、生きるんだよ。」
「私はもう、死んだのに?」
「そうさ。そのための星だ。詳しくはまた今度。」
じゃあ後は頼んだとプロキオンに声をかけ、カノープスがコートを翻して去っていく。その背中を見ながら、風花は少し興奮している自分に気が付いた。
もともと好奇心が強く、順応性も高い性格の風花の目に、新しい世界は魅力的に映ったのだろう。
カノープスはどこへ行ったのかと聴けば、南の空に戻って新しい星の名づけの儀式を準備するのだという。
それは、風花のことだ。
「僕らは、星の名前をもらうんだよ。君はどんな星になるんだろうね!」
地学の授業をほとんど睡眠の時間に費やしていた風花には、星の名前と言われてもピンとは来なかったのだが、自分に新しい名前が付くということはなんだか嬉しいことのように思えた。
明日訪れるはずだった春については、まだ少々後ろ髪が引かれる思いではあるが、まあ次の人生にとっておこう。
横でにこにこしているイケメンを『先輩』と呼ぶことにして、風花は心の折り合いをつけた。
「よろしくお願いします。先輩!」
プロキオンの目が大きく開き、あっという間に細くなる。どうやら大変お気に召したらしい。
小さなつぼみがぽつぽつと花開くような柔らかい笑顔を向けられ、17歳の少女は、見えないように思いっきりガッツポーズを取った。
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