黒髪の犬耳少女
夜に映える。
巨大な体躯。
黒き毛並みは闇と同化してしまいそうな程に色が濃い。
四足で地面の上に立つ化け物。
その頭部は、一つではない。
三つ。大きな犬の首が生えている。
しかし胴体と頭部は繋がっていない。
頭部を支える首が無く、胴体に続く首が無いのだ。
だと言うのに、首に繋がっているかの様に、頭部が浮いている。
赤く、充血した目から、人を簡単に発狂させる眼光を迸る。
これが章枝珠子老婆の奥の手。
三つの首を持つ首の無い三つ首の犬。
猋憑き。
その強大さ、放たれる瘴気。
常人が相手にすれば先ず脳裏には死、次点で逃走を覚える。
先程まで、外神人外に殺されると恐怖していた老婆ですら、その姿を見て安堵を覚える程だ。
老婆は興奮気味に声を荒げた。
「やれ!やってしまえ!」
その言葉に反応して犬の化物は牙をむいて外神人外に向けて走り出した。
狼の口が開いた。
外神人外を食い殺す顎を開く。
外神人外はその狼の攻撃に対して、手を広げて、ラグビーボールを受け止めるような姿勢で攻撃を受け止めようとした。
だかその寸前の時だった。
「おい」
そのような簡素な言葉がどこまでも遠く響いた。
そしてその言葉とともに平人真純が前と出てくる。
そして三つ首の犬の方に手を挙げた。
それはまるで「その場で止まれ」と言っているようなものだ。
その行動に対して当然ながら犬が止まる様子はない。
それと同時に老婆も少年の方を向いては、「馬鹿め」と蔑んだ。
そのような行動でこの狼が止まるはずがなかろう。
しかし見ればあの子供が、あの外神人外に殺されずにいる。
同時に側にいる事から、あの少年が依り代なのだろうと看破した。
「(ならばあの餓鬼を殺して、所有権を私に移行させてしまえば…)」
老婆は欲にまみれた思考でそれを思った。
しかしそれは取らぬ狸の皮算用でしかない。
犬は口を開いたまま、そしてゆっくりと体を静止させて行き、そしてあろうことか平人真純に敬服した。
頭を下げて平人真純の掌に頭を乗せるかのような仕草をしてみせたのだ。
これには老婆も驚きを隠せない。
あろうことか何の能力を持たない平人真純が、特別な力も使わずに、ただ手を掲げるだけで化物を制してしまったからだ。
まさかと老婆は思った。
そのようなことありえるはずがない。
「ねえ、おばあさん」
唐突に平人真純が老婆に向けて話しかけてきた。
ビックリと体を震わせる老婆。
平人真純のほうを見て、そして蔑んだ目を浮かべる。
「なんだっ、お、お前、私を、そんな目で見るんじゃない!」
悪わめきながら近くに落ちてある石を投げようとした。
でだが外神人外が一瞬で老婆の方へと近づき、石を握った手を折った。
乾いた木を折ったような音が響く。
それと同時に老婆の甲高い声が周囲に響いた。
叫び声を上げる老婆の口を、平人真純は自らの手で塞いだ。
人差し指を唇に近づけて静かにというジェスチャーを加える。
「だめだよおばあさん、そんな大声を出て近所迷惑だよ」
平人真純は的外れなことを言う。
老婆の脳裏にはもはや外神人外を手にするという考えが消えていた。
とにかく自分の命が大事である。
薄汚くともいいから、生き永らえたいとそう思っている。
だから、助けてほしい。と一言でも口に出せればよかったのだが、声を出すことができない。
それはただ単純に口を抑えられているからわけではない。
この化物が目の前にいるから、恐怖で声を出すことすらできなかった。
確実に、自分は今ここで殺される。
そう思った。
だが。
そんな怯える老婆を見て、平人真純は老婆の口から手を離す。
そして老後に向けてそういった。
「なんだか、痛そうですし、早くその折れた手を、お医者さんに見せた方がいいですよ?」
平人真純は動画にそういった。
優しい口調でだ。
特に怒っている様子ではない。
なにも感じていない様子で言った。
その平人真純の言葉に、老婆は嫌悪感をもたらした。
「みすみす逃すと言うか…この小僧、今日のところはこの辺りで引き上げてやる。だが覚えている必ずお前を殺し」
そこまで思考した時だった。
老婆の目の前に犬の牙が向けられる。
そして大きく口を開くと老婆の上半身を食べた。
これには平人真純の意外な展開だった。
「あ、食べられた」
そんな簡素な言葉を口にしていた。
林檎を食らうかのような瑞々しい音が響き渡る。
老婆の上半身はすでに犬の化け物に喰われていて、ごくりと飲み込んだ。
「ぐ、う、ううぅ」
喉から捻り出すように声が漏れると、化け物は段々と体を縮小させていく。
風船から空気が漏れ出すように、犬の化け物はだんだんと小さくなり、そして人の姿となった。
光すら吸収してしまいそうな漆黒の髪をなびかせる。
頭からはツンと尖った狼のような耳が生えており、彼女の意思に従い、左右に耳が動揺れ動く。
それは驚くほどに綺麗な女性だった。
頭部から生える耳に注目しなければ、誰もが彼女を絶世の美女として認識するだろう。
四つん這いで頭を下げる。
裸の女性がゆっくりと顔を上げる共に、彼女は紫色の瞳で平人真純を見た。
「…ご主人様、よくぞ私の契りを破壊して下さいました」
嬉しい感情を浮かべて、黒髪の女性はそうはにかんで言うのだった。
感謝の言葉を噛み締める様に伝えて、彼女は再び頭を下げる。
平人真純は彼女の姿を見てとりあえず自らの服を脱ぐ。
そして自らのシャツを彼女の肩にかけた。
「こんなところで、そんな格好をしてたら危ないから…使ってください」
と平人真純はそう言って黒髪の少女に自らの服をかけた。
その行動に黒髪の少女は目元に涙を浮かばせた。
「何と言うありがたきお言葉…慈悲深く行い…ご主人様、ありがとうございます」
そう言って平人真純に抱きついてくる黒髪の少女。
感動しながら平人真純を強く抱きしめる。
少し目を細めながら、平人真純は彼女に聞いた。
「君は一体何者だい?」
平人真純は正体を聞き、少女は答えた。
「私は『猋憑き』と呼ばれる、この町に住まう妖で御座います…、数十年前までは、この町に封印されておりましたが…あの老婆によって、無理矢理手駒として扱われておりました…あなた様が助けてくれなければ私は、あの老婆にずっと使われていたでしょう」
簡単ながら説明する黒髪の少女。
それを聞いた平人真純は事情を理解する。
しかし、話半分だ。
何よりも、興味があるのは、彼女の尾てい骨の少し上の部分からは生えている尻尾だ。
それが左右に揺れていて、柔らかそうだと、平人真純は思った。
「…あぁ、それは良かったね」
我に返り、平人真純は答える。
しかし、会話はそれで終わろうとした。
「じゃあ、解放されたのなら、僕らは行くよ」
平人真純は妹を連れてその場から離れようとする。
しかし黒髪少女が彼の服を掴んでその場にとどまらせようとした。
「お待ちください!どうか…どうか!私を救ってくださった素晴らしきご主人様!!私をあなたのお側に置かせてください!!お願いします!」
と。黒髪の方にはそう叫んだ。
自分を救ってくれた平人真純に対して恩を返したいと思っている。
「あー…うん、いいよ」
平人真純は、何を考えているのか分からない口調で、彼女を傍に置く事にした。
「家族が増えるなぁ」
そう言った。
頭の中では、一家団欒を思い浮かべていた。
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