老婆の誤算

玄関前に立つ老婆の顔面には、翁の能面が装着されていた。

この暗闇の中を動く事が出来るのは、この能面を装着したもののみ。

装着すれば、暗闇の中では暗視スコープを使用しているかの様な効果を得られる。


扉を開き玄関に入る。

更に老婆は数珠を三つだけ取り出して足で踏み潰す。


「【泥尾どろお】」「【斬首浪士くびたちろうし】」「【卑呼鳥ひこちょう】」


地面に潜水するアメーバ状の手。

笠を被る血だらけの侍。

首が人の頭をした鳥が出現する。


霊媒の素質を持つ老婆は、数珠に悪霊を封じて飼う能力を持っていた。

この力を使い、瞳を…外神人外の確保に勤しもうとしている。

老婆には勝算があった。

数珠の一つ一つに、魔を飼っている。

この魔の半分、いや、全てを使えば、必ずや外神人外を入手出来ると。


そして、まだ老婆には奥の手と言うものがある。

それは、この四継市に眠る封じられた魔物を一つ、飼い慣らしていると言う事実。

少なくとも、同じ封じられた魔物と言う枠組みであるならば、力も同程度のものだと老婆は推測。

まず、負ける筈などなく、安い出費で高い買い物が出来ると高を括っていた。


しかし、廊下を呑気に歩く平人真純と、そのすぐ近くに、彼の体に手を巻き付ける瞳の姿が見えた。

その瞬間に、老婆の甘い考えは即座に消え失せる。


「(なんだ、あの、化け物は、…ひ、人の姿をしておるが、其処から漏れる、瘴気の重さ、た、耐えられぬ、あ、あんな化け物が、存在するなどッ!!)」


老婆は、外神人外の異常性に気が付いた。

このままでは、あの化け物は己へと向かい、そして…無惨にも殺されてしまう、と。

幸いにも暗闇の効果によって、平人真純は此方に気が付いていない。


ならば、この隙を狙って…逃げようと考えた矢先。


「だぁれ?」


…暗闇で見えない筈、暗闇で声は聞こえない筈。

それなのに、瞳は、老婆の方を向いて、老婆の耳に聞こえる声を漏らす。


「【ひ、いっ!】」


瞳が老婆の方に顔を向けて笑みを浮かべた。

人間の中身などない、皮だけの空虚の器だけが目に見える。

彼女の背中からは、大柄で、白くて、辛うじて人間らしい姿を保つ、外神人外の本性が出て来た。


「【く、来るなッあ!】」


錯乱して、老婆は数珠を全て、地面に叩き付ける。

ひび割れる数珠からは、多くの化け物が出現して、それらに対して、外神人外を妨害する様に命令する。


ただ、妨害するだけ、無論、老婆には分かり切った事。


この化け物には、絶対に敵わない。

出来る事があるとすれば、ただ悪霊を使い、自分が逃げる時間を作るだけである。


先陣に立つ三体の化け物。

剣士が刃毀れを起こした刀を抜き構える。

人の顔をした鳥が外神人外に向けて猛禽類の爪を向ける。

外神人外は鳥の攻撃を掴んで握る。

一捻りで鳥を潰れて消滅する。

床を潜水する泥の化け物を、彼女は握り拳を固めると共に床を強く叩きつけて泥の化け物を潰した。

潰した残骸、泥を掬いあげると共に、それを侍に向けて投げる。

腕の膂力、その速度は弾丸を越える。

侍は最初の泥だけを払い切った。

その後から迫る無数の塊に体に穴を空け、侍は絶命をする。


後方から迫る魍魎の群れ。

それらを一体ずつ相手にする事すら煩わしいとすら感じる。


「【痛】」


平人真純が暗闇の中で何もないのによろめいた。

暗闇だからか平衡感覚がおかしいのだろう。

しかし、彼の言葉に反応した外神人外は、その言葉から負の感情を湧き出した。


「うぅ、ざ、ぁい、ぃ、ぃぃぃいいいい!!!」


叫び声を漏らすと共に、地面を爪を立てる。

暗闇を掴むと同時に、彼女は、ビニール包装紙を破くかの様に、暗闇を破る。

同時。

老婆の能面が砕けた。

『暗影雅楽闇翁』が間接的に殺された。

老婆の持つ化け物の内、二番手に上がる性能を持つ化け物の死。


時間稼ぎにすらならない。

肉体が老化した老婆は、恐らく人生で最も早く動き逃げているだろうが。


「何をしているの?」


その声が前から聞こえて来た。

外神人外が、老婆の目の前に立ち、そして彼女は、平人真純に取り巻いている。


老婆は喉を鳴らす。

何故、人間である平人真純が、脱兎の如く逃げ出した老婆の前に瞬時に現れる事が出来たのか。

自らが放った化け物の群れを、一体どうやって殺して此処までこれたのか。


いや、疑問に思う事すら甚だしい。

外神人外。

この化け物に不可能などない。

平人真純が其処に居るのも、当たり前なのだろう。


「さっきの暗闇も、もしかしてお婆さんがしたの?」


平人真純は聞いた。

それはただ単純に、疑問に思った事を聞いただけだが。

老婆にとっては、その言葉は威圧的に感じたらしく、尻餅を突いた。


「ひ、ひぃッ!」


ここで、対話を試みれば、老婆は未だ生き残れたかも知れない。

けれど、霊媒の技術を持つ彼女にとって、最後に頼るものは、やはり自らの術式だった。


懐から取り出すは、他の数珠よりもひときわ大きい水晶だ。

外神人外から視線を外さずにコンクリートの地面に何度も何度も叩きつけては水晶に罅を入れる。


そうする事で、紫色の水晶は割れると共に、他の化け物とは違う、異質な怪物を顕現させた。

四継市に眠る四つの守り神、その一つを司る犬の妖怪。


四継市の悪鬼から人々を守るべく、奇形として生まれた首が三つある犬を蠱毒に使い首を落とした犬憑き。


つむじ憑きッ」


老婆はそう叫んだ。




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