成体 幸福の言葉のクローバー

 辿り着いた街は、逃げたあの日からほとんど変わっていなかった。大小様々な家が立ち並び、地面は石畳がカーペットのように敷き詰められている。

「今日だよ、8月の31日」

 いつも日付に正確だった黒猫は、今日も私に日付を教えてくれる。言葉につられて手の甲をみると、4つ目がピンク色に染まっていた。せっかくのピンク色なのに、白や黒が周りにあるせいでハートのシールが貼っているようには見えなかった。

「わかっています。ちゃんと考えたんですよ?」

 黒猫に返答しながら1番道幅が広い道を進む。人はまだ起きておらず、鶏は喉を温めている。たまに鳥が屋根の上から羽ばたく。

 道の一番奥には、そこらの家とは比べられないほど大きな屋敷がある。白色の壁に青い屋根。庭を挟んで黒金の柵が囲んでいる。家自体は全く変わってないが、その前の庭は植物が繁殖していた。家の外壁をツタが登っている。

「なにここ?」

 迷いなくここへ来た私を不審に思ったのか、黒猫が声を漏らす。

「私の家ですよ」

「君の?」

「はい」

 逃げたあの日から柵の開け方は変わっていなかった。庭に入って、黒猫を振り返る。

「さて、願い事でしたね」

「お、やっとかい?」

「ええ。何でもいいんですよね?」

「うん、任せてよ」

「じゃあ、お父さんとお母さんをもう一度ここに来させてください」

 一瞬きょとん、とした後、黒猫は慌て始めた。

「まって、今まで馬鹿にしてきたやつを殺すとかは? しないのかい?」

「殺すなんて、私なんかが許される筈がないじゃないですか」

「許されるって、お前にとって他人なんて信用に値しないどうでもいいやつなんだろ!?」

 「何を言っているんですか? 今まで出会ってきた皆さん、信用してますよ?」

「はあ!? だってお前はいつも表面は完璧で、裏の日記で他人の嘘なんて簡単に見抜いてる風に書いてたじゃねぇか、あっ」

 日記を見られていた、ということを今知った。少し恥ずかしかった。

「日記を見たなら分かるんじゃないんですか? 今まで私がなんにも知らずに生きてきたこと」

「お前の日記を見た時にはそんなこと書かれてなかったぞ!」

 それを聞いて、最近書いた恥ずかしい記憶は読まれていないことに気がついた。少しだけ恥ずかしさが減った。

 つまりこれは、願いを叶えるに値する人間かを試されている。そう思った。

「私は、ずっと狭い所で暮らしてたんです。そんな私に分かることなんて、本の知識くらいしかありません。だから、私なんかより皆さんのほうが、絶対に正しいんです。だからみなさんの事を、誓って1度も疑ったことはありません」

 器用にコロコロ表情が変わっていた黒猫が、ピタリと止まった。

「もしかしてお前、まだ俺の事神様だと思ってるのか?」

 え?

「違うんですか? お願い、叶えて貰えないんですか?」

 ああ、ここで、私が今まで人を騙してきた罰が下るのか。

「いや、そうじゃないさ。俺は、俺は悪魔になろうとしたんだ」

 予想していた否定の代わりに、黒猫は重々しく口を開く。

「お前に似たやつがいたんだよ。同じような見た目して、報われなくて。幸福の神様だった俺はそいつを幸せにしたけど、他の人の幸せのために、結局殺した。不幸にしたんだ。俺は自分が許せなかった。周りの人間が許せなかった。あの子みたいに不幸な奴以外はみんな、他人の不幸でしか幸せになれない。願いを叶えるために、直ぐに誰かの足を引っ張ろうとする。だったらいっそ不幸なやつと一緒に全員を不幸にする、悪魔になろうとしたんだ。最後に派手に裏切るのが、悪魔ってやつだろ?だから初対面の人間に神様だっていかにも臭いことを言って、わざわざ不幸の象徴である黒猫になって、不幸なやつしか見えない神社を建てた。そこまでやれば疑ってくれるって」

 試されてなんかないことを、今理解した。ただ黒猫にも、過去があるだけだ。期待されてきた過去が。

「私、本来はあなたに殺してくれ、って頼むつもりだったんですよ」

「は、めちゃくちゃな」

「本当に。両親は私を愛してくれていない。宗教しか見ていない。そう思っていました。疑うことなんて、1回も無かったんです。なら宗教を何とかしないと、と思って、旅をして、最後に死のうと。その途中で変な人だと言われ、可愛がられ、心配されました。でも親の視線が、全部と違ったんです」

「親の視線?」

「はい。親の視線は、もっと暖かい。もっと優しかった。それで最後に絵本をみて気付いたんです。私の本当の望みは、両親からたった一つの言葉を聞くことだったんです」

「ならなんでそれを俺に願わない?」

「それは、私もお父さんとお母さんに伝えたい事があって、こちらだけずるをしたくなかったからです」

「ふうん?」

「あと、あなたの視線が、両親と全く同じだったんです。だから、あなたにも伝えたいと思いました」

「?」

「ありがとうございます、神様。あなたのおかげで、私は幸せに気づけました。だから、ずっと信じています」

「は、あ、はっ・・・・・・くそ」

 急に黒猫はゴロン、と庭草に寝転がる。白い小さな花の着いた草が揺れる。

「あの、それでお願いなんですけど」

「わかってるさ、ちゃんと叶えるよ。これでも神様だ」

「もう一つだけ良いですか?」

「なんだよ」

「もし2人が新しい人生をきちんと歩いてたら、放っておいてあげてください。私のせいで、その人たちに迷惑を、かけたくないんです」

 それを聞いた黒猫は、今までで1番笑った。

「やだね。何があろうとも、お前には幸せになってもらう。そのための不幸は、今までの人間の勝手のツケ払いだ」

 そういうと黒猫は、ぴょんと柵を飛び越えてどこかへ行く。暫くして、またぴょんと帰ってきた。

 その後に足音が2つ聞こえた。柵の入口に、それぞれ反対側から男女が歩いてくる。彼らはお互いに入口の横で気付いた。

「あら、・・・・・・久しぶりね」

「ああ。・・・・・・お前も呼ばれたのか?」

「なんだかここに来いって。あなたもなの?」

 少し歳をとっているが、殆ど変わっていない。2人が居た。

「お前ら、こっちだ。分かってんだろ」

 黒猫が、2人を呼び寄せる。それにつられてこちらを見たふたりは、日傘をさした私をみて、今までに見た事がないくらい目が大きくなった。

「おい、どこへ行ってたんだ!? 心配したんだぞ」

「元気にしてたのね! 今までごめんね、本当に、ごめんね」

 2人は走って駆け寄ってくる。ああ、ずっとこんな景色を夢見ていた。他の誰も居ない、全てを捨て去った後に残る、とても綺麗な景色。

「お久しぶりで……ううん。久しぶり、お父さん、お母さん。それでね、2人に私、一つだけ聞いてもいいかな」

 信じていても、まだ怖い。もし違ったら、これで終わりだ。思わず俯くと、黒猫がこちらをじっと見ていた。口には、四つ葉のクローバーを加えていた。幸せの神様が見ていた。

「どうしたんだ?」

息を吸い込む。

「2人は、フィールが好きなの? 入江愛子が好きなの?」

 2人は顔を見合わせて、静かに頷いた。

「私たちは、どちらか、なんて選べないわ。あなたを愛しているの。間違えてしまったあの日よりもずっと前から、ずっとずっとあなただけを愛しているわ」

「ああ、ずっと前から、変わっちゃいない。迷走だらけで、迷惑ばかりかけたけど、そこだけは本当だ」

 手の甲が熱かった。幸せの熱だった。目から何かが口に入る。幸せの味だった。

「うん、うん。私も、失敗ばっかりだったけど、それでもずっと大好きだよ!」


9/1


 その後1年はとても忙しかった。屋敷は売り払い、少し遠くの街へ引越して、そのお金でしっかりとした一軒家を建てた。私の部屋は、少し小さくなって本棚で角が潰れてしまった。でも大丈夫だ。何も無いその時間は、どこを見ても大切な夏を思い出せるだけだ。この日記も、終わろうと思う。蛇足で続くのは、幸せだけでいい。図書館に行く日課は、その町にある神社へ行く日課へと変わった。賽銭箱の前の階段に座って日傘をさしながら少し見上げる。森の切れ目には、青い空が広がっている。


---


 彼女わたしは、すっかりどこかへ行ってしまったような気がする。でも、きっと彼女わたしも、大好きだと、伝えたかっただけなのだ。あの時、多分私は私になったのだ。

 ルビを振る。あれから小説家に教えてもらった事だ。やっぱり、使い方は分からない。

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言葉のクローバー お望月うさぎ @Omoti-moon15

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