二つ葉 至る夏、小さな夏。小さく至らぬ器

7/1

---


 貰った本の中に、マズローという人の欲求に関する話があった。生理的欲求をこなし、安全な場所を手に入れて、集団に属する。歪な形でも、私はそれを満たしていた。そしてその先にあるのは承認欲求。認められたい。それを黙々とこなしていた私は、確かに次に自らが何かをしたい、という思いを持ち始めていた。

 しかし自己実現欲求をこなすには少し難しかった。巫女の私を崩す訳には行かなかったからだ。考えて考えて、話をすることにした。預言ではなく、ただの話。相手の何かを知って、こちらの何かを伝える。

 話し始めたときは、人数が多くなかったのでほとんどの人と話した。みんながいつもしている趣味だったり、ここへ来たきっかけだったり。ただ話し合いを楽しんでいた。関係や巫女としては崩さず、ただ仲良くなる。集団の仲が深くなる。

 ……それはある日、有料になった。

 

7/2


丘があった。のぼるのはたいへんそうだ。明日のあさにする。


---


 レンガの家は、立派な屋敷になった。とても沢山の部屋が出来て、沢山の人が入れるようになった。大きな部屋で人を集めて活動し、私と話す、という活動をする部屋。合わせて4部屋くらいしか使っていないので、実は使ってない部屋の方が多かった。


7/3


頂上に着いたらもう日が沈みかけていた。丁度良いので今日は暗くなる前に進むのをやめる。黒猫も初めは『こういうのってやけにワクワクするよね』と言っていたのに、途中から『疲れた』『まだつかないの?』と繰り返すようになった。登りきった先には、大きな湖と湖に沿うように建物が並んでいるのが見えた。風に、水の匂いが混じっていた。


7/4


丘を下り湖へと着いた。丘から見えていた建物たちは本当に隣接していた。大きな湖へと出る小舟がいくつかあった。入口に立っていた人は私と黒猫を見てとても驚いた顔で、『こんな辺境の村へよういらしたねぇ』と迎え入れてくれた。

村は湖に面した場所を広場に3方向に別れていて、居住区、商業区、旧居住区になっていた。しばらく滞在したいと言うと、旧居住区の空き家を貸して貰えた。外部からの人は珍しいと喜んでいた。人馴れしていそうな人は、やっぱりお世辞が上手い。

黒猫は少し乗り気でない。『村はすぐ噂が広まるから厄介だよ』と。どうせいつも通り終わりの日は来るのだから、と言うと、黒猫は黙ってしまった。


7/6


昨日の記憶がない。ずっと寝てたよと黒猫は言った。

また日課をしようと村の方に図書館が無いか聞いた。小さな図書館しか無いらしい。案内してもらうと、確かに小さな子供向けの絵本と郷土史しか無かった。

郷土史を読んだ。この村は湖の神が発祥となって出来たもので、豊かな水をいかした産業で暮らしている、との事だ。

年に一度湖の神を祀る為に村の女の子供1人が巫女として着飾り湖に舟で漕ぎ出して祝詞をあげると書いてあった。司書の方に問いただしてみると祭りとして1日しかこのようなことはやっていないそうだ。

よく分からないが私とは違うみたいだ。そう思って安心していると『やりたくなったのね? 丁度この夏にやるのよ! 可愛いからきっと似合うわぁ』と勘違いされた。祭りに使う道具を作成、保管、修繕する建物へ連れていかれた。その建物では、頭にタオルを結んだ男がテレビを付けて何かしていた。

『宗教団体が暴徒化だってよぉ、怖いねぇ』

『重要人物を匿ってると決めつけるって、よくわかんねぇ動機だな』

とテレビの内容について会話しているが、その手の先では貝やサンゴをかたどった細やかな被り物が作られていた。

司書の話を何故か了承した。

『こんな可愛い子が巫女なら他の子も納得するだろ』

『そうだな。せっかくの客人だし問題ないだろ』

そう言って色んな道具のサイズを合わせられた。

わからない。巫女なんてやりたいと思う理由も、あの人たちの意図も。


7/7


図書館に行くと、長方形の紙を渡された。今日は七夕で、願いを短冊というこの紙に書いて願うらしい。『他人』に願うことなんて、1つしかない。

なんでも落ち着いた環境で働けるからと小説を書いている人がこの村に別荘を構えていて、丁度来ているらしい。本当に客が珍しいらしく、自分以外の来訪者にその人も気になっていると言っていた。


7/8


今日は日課として絵本を読んだ。白黒が好きなペンギンが、様々な動物と出会いながら7色の虹を見つける話だった。とても綺麗な話だった。

帰り道に女の子たちとすれ違った。『見て! あのお姉ちゃん! 綺麗な髪!』『可愛い!すごーい!』『今村中で噂だよね、ずっと住んで欲しいって。納得しちゃった』

この村に来てからずっと、また言葉が頭にこびりついている。


---


 屋敷に変わる時、自室を大きくするか聞かれたが断った。私には必要ない。あのスペースで事足りていた。フィールの為の机と椅子とベッドと本棚。私の為の隅っこ。良いバランスだと思った。


7/9


夢を見た。自分が普通になっている夢。なにかの組織に属していて、「裏切り者」を追っている。普通であることに慣れられずに困りながらも、仲間に助けてもらう。全く想像もつかないことなのに、解像度は高い。妄想は、実現しないからこそ美しい。

今日は郷土史を読んだ。冬になると湖面が凍るが、その中心だけが割れて盛り上がることがあるようだ。『神様の通り道』と名付けられていた。

今日は本を読んでいるところに黒猫が来た。村に来てからは何をしているのかあまり会わない。『確かに僕なら通れるかもね』と言っていた。

私は確実に無理だろう。どんな事でも、逃げる口実が欲しかった。


7/10


今日も郷土史を読んだ。

湖は元々もう少し広く、3つの集落がバラバラに住んでいた。その時はお互いに仲が悪く、湖の所有権で小さな諍いが起きていた。その時に湖の神様が怒って地団駄を踏んだ。その影響で湖の水が少し減ってしまい、それを追う形で内側へ建物を伸ばした。すると丁度一点に集まってしまい、湖の神様が諍いを辞めて協力するようにしたのだと考えた。そしてできたのが今の村だという。

よく出来た話だなと思いながら読んでいた。

案内されて居住区の最奥、少しだけ高所になっている小屋に来た。インターホンを押すと、男性が出る。

私を見るなり、目を見開く。アルビノの子とあったのは初めてだと言った。あって一目で遠慮なくアルビノだと言われたのが初めてで新鮮だった。

今日は遅くなってしまったので、また明日来るように言われた。祭りの日まであと5日。


7/11


 今日は小説家の元へ行った。色々な質問をされた。  

 日光に当たったらどうなる?

 当たったら死ぬって言われてるので当たったことが無いです。

 アルビノは世間一般に理解がないがそれについてどう思う?

 酷いと思います。

 思った通りに回答をしていたら『誤魔化さないでくれ』と言われた。

 なんでこんなところに?

 宗教から逃げてきました。

 逃げてきた?

 巫女にされてましたが、悪いことをしていたので。

 今度は喜んでいた。よくわからない人だった。

 お礼にと小説を見せてもらった。悪いことをしている人と超能力を使って戦い、殺す話だった。あまり上手下手は分からないのでそこは触れなかった。行を変える度に1マス開けていた。理由を聞くとそもそも行ごとに変えるのではなく、話のまとまりで変わっているという。ただ『よく知らないけどそういうルールなんだ』と言っていた。まるで私みたいだ、と思った。文章を書くルールだと言うので取り入れる。小説が形になったら教えてくれると言われて別れた。

 村の人ではないので練習した方が良いと言われて祭りの準備をする建物へ行った。祭りであげる祝詞は村の無事を神に感謝して、これからの繁栄を願う文だった。

 いつも私に言われていた言葉とよく似ていた。耳が覚えていて直ぐに覚えてしまった。自分が言うことになるとは思ってなかったので新鮮だった。

 祭りまであと4日。


7/12


 読む本がなくなってしまった。小説家のところで話をする。宗教がどんなことをして来たかとか、小説とはなにか、とか。彼は悲劇的な話が好きなようだった。こちらの話で何か悪いことがあったら喜ぶ。あちらの話も報われないヒロイン、主人公に並ぶ女性のことらしい。とか、絶対に成就しない夢をもった主人公とか、幸せな登場人物が少ない。

 考えられているのは、表面上はみんな幸せになっていることだ。『文字を見て考えもせずに判断するやつに、僕の作品は理解されなくていい』なんて言っていた。万人に理解されることをしてきた私とちょっと離れてしまった。

 今日は船に乗った。日傘は離せないと言ったら漕いでくれる人をつけてくれた。揺れる物に初めて乗った。日傘を離さないように初めは必死だった。最後は何とか祝詞を言える程には慣れた。あと3日。


7/19


 久しぶりにくろねこに日付をきくことになった。6日前、くろねこにおこされた。あおが入るとちゅうくらいの、くらい空だった。「みこをさがす人が村のすぐそこまでせまっている」「村の方にめいわくをかけるわけには行かない」と。にもつをまとめていえを出た。

 村の出口でしょうせつかに出会った。きゅうにここにこなければ、と考えた、と言っていた。出ていかなければ行けなくなったことを告げると、「ひげきてきだね」と笑って私に1枚のかみをくれた。しょうせつをかく時のルール、とかかれたかみだった。「ぼくはおぼえているし、なくしたといえばまたもらえるさ」そう言ってわかれた。

 わかれぎわ、「ただにげただけじゃないんだろ」と言われた。それに、「しぬなよ」とも。

 私には、とてもむずかしい。

 村からはずいぶんとはなれたところにこやを見つけた。ひざしをさえぎれるばしょをさがすてまがなくなった。明かりはなかったがよごれてもなかった。

 急いでいて気づかなかったが、クローバーの2つ目が白く染まっていた。はだの色とまじって気づきにくかった。

 かみをよんだ。「」は人のがしゃべったことをかくとき。『』は本のタイトルをかくとき。くらいと目がつかれる。まつりはおわった。


---


「フィール。お話したいと言われたら、1枚お札を受け取ってこの中に入れなさい」

 有料になってしばらくして、父にそう言われた。私が座る後ろに大きな金庫が置いてある、新しい部屋が出来たのだ。今まで私から話に行っていたものは、相手からお金を貰って初めて出来る物に変わった。正直私にお金を払って話に来る人は居ないと思っていた。

 しかしそこからも毎日のように誰かが来た。大きな金庫はどんどん埋まっていく。嬉しかった。なんでもないような事で来てくれる人が。

 両親からの言葉を少しでも否定するべきだった。避けるべきだった。人が多くなっていること、既に集団が狂っていること。

 ……何か一つでも気付いてもっと早く逃げ出すべきだった。


7/20


 通る道にトンネルがあった。抜けると、コンクリートで道が固められていた。等間隔に街灯も並んでいる。両脇も整備されていて、日光を遮れる場所を探すのが大変だった。

 ただ歩きやすいことはいいことだ。

 黒猫は黒に同化して少し見にくい。儀式が少し進んだことで、力が少し戻ったらしい。「元気になった」と喜んでいた。あの村で何をやっていたか聞いた。村の周辺を散策することと、私の評判を聞くことをしていたという。儀式は少し前から進んでいたらしく、遠くまで散策に行けたから村に来る人も気づけたらしい。評判は、私が関わった人が特殊で、実はそこまで良いものではないと言った。

 建前と本音はそんなものだ。建前を通し切ることも難しいことだ。私と関わった人だけでもそれが出来ているだけ、よっぽど凄いことなのだと思う。


7/21

---


 何かがおかしい、と感じたのは法律の本の中身を見飽きた頃だった。子供の権利は当然履行されていない。研修と称して、私が住む家に5、6人で住み込む。その代金は10000が十数枚重なっていた。料理の本に、とても豪華で高級、と銘打ってある店の値段よりも高い。私と会うだけでその2倍のお金が手渡される。意味が分からなかった。わかったのは一つだけ。今後一切、周りから巫女として認められることはあっても愛されることは無いということだった。


7/22

---


 昔から本だけは沢山読んでいて、覚えることが出来るのも本だけだった。そこで現実は早く知ってしまった。でも否定してしまうと、なんだかみんないなくなってしまうような気がして、どうしても出来なかった。本当に怖かった。みんなが見ているのは、私では無くて、その後ろにあるもっと大きな偶像だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る