3.魔王、舞う


 二人と一振りがどこか緊張感のない会話を重ねている間も、魔物は臨戦態勢を整えている。

 フクロウの姿をした魔物が翼を広げ、その場で何度か羽ばたく。

 フクロウはその鉤爪で地面をしっかりと掴むと、勢いよく地を蹴った。


 足元はすべて氷だ。

 弱い力でも充分な推進力が得られる。

 翼を広げたフクロウが、まるでアイススケートのように地面を駆け出した。



「なんだあれは!? すごいではないか!!」


「翼から出た冷気がキラキラして……キレイだねぇ!」


「言ってる場合か! 来るよッ!!」



 滑るように駆け出したフクロウは器用に翼を羽ばたかせ、勢いそのままに垂直な壁をも滑り始めた。

 そしてまたもやくるりと回転すると、翼の下から無数の氷の棘が射出される。



「我が背に隠れろ!」


「っ!」



 言われたとおり、ゼレウスの背中側へと回り込む。

 ただしそこにはフュージアの切っ先があるため、必要以上には近づかないが。


 撃ち出された無数の氷がゼレウスの拳によって迎撃される。

 フクロウは舞うようにスピンしながらも、滑り続けることで射出地点を自在に変えながら連続で魔法を繰り出した。

 ゼレウスはそれらを撃ち落とし続けるが、このままでは防戦一方である。

 しかし氷の棘に対処し続けなければならない彼では他にどうすることもできないだろう。


 ──それなら。



(護ってくれるのなら……あたしが切り開く!)



 エレイナは背負った矢筒に手を伸ばし矢を掴むと、左手に持った弓にそれをつがえた。

 格上を倒すために磨いた、弓の腕。

 このダンジョンの魔物は強敵ばかりだ。

 いつもは決して正面からは戦わないのだが……この状況でも『一矢報いる』くらいならできるはず。



「ゼレウス、さん!」


「呼び捨てで構わん!」



 迫りくる氷のすべてを砕きながら、ゼレウスが叫ぶ。



「なら……ゼレウス! あたしが隙を作る! たぶん一瞬だけだけど!」


重畳ちょうじょう! あとは我に任せろ!」



 背中越しでも、彼が笑みを浮かべているのが声色からわかった。

 いざとなれば『切り札』もある。

 エレイナもまた小さく笑みを浮かべたあと、その目つきを鋭くした。


 広げた翼でバランスを取りながら縦横無尽に壁を滑るフクロウへ、矢尻を向ける。

 狙うのはその巨体の向かう先。だがそれだけが狙いではない。



(そこッ!!)



 照準を定め、エレイナが矢を放った。

 フクロウの向かうルートを先取るような、偏差射撃。

 ダンジョン内部のためそこまで距離は離れていない。狙うのは比較的容易だった。


 しかし槍衾やりぶすまのように飛来する、無数の氷の棘がそれを迎撃する。

 エレイナの矢はそのうちの一つに撃ち落とされてしまった。

 壁を滑るフクロウの目が、まるで笑みを浮かべるかのように細められる。

 だが──



(……残念)



 エレイナもまた、ニヤリと笑みを浮かべていた。

 放った矢には火の魔法を付与しておいた。

 エレイナの持つ魔力量は少ないが、武器に付与する程度であればコストは安く済む。

 何の問題もなく、威力の高い超高温の炎を付与することができた。


 矢尻に灯された炎が氷の棘とぶつかり合い、氷塊は融解を介して水蒸気と化す。

 狙ったのはフクロウの進む先だ。

 高速で氷上を滑る彼に急激な方向転換は難しい。

 エレイナの狙いどおり、フクロウの視界はほんの一瞬だけだが白い水蒸気で染め上げられた。

 これで氷の棘の狙いを定めることはできないはず。

 もうゼレウスに護ってもらう必要もない。


 頼んだ! とエレイナは叫ぼうとするが……その必要はなかった。

 フクロウの視界に人影が現れる。

 背中から棒状のものが伸びた、奇怪な影。



「ふははは! 今度はわれが‶舞〟を見せてやろう!!」



 空中で、影が回転する。

 もやが切り裂かれるように晴れる。

 現れたのは、白銀の輝き。


 フクロウはそれに反応することができず、背中に生えた剣身で攻撃するという、世にも奇妙な斬撃をその身に受けた。

 衝撃にフクロウは思わず壁から足を離し、空中でバランスを崩す。

 斬撃を放ったゼレウスとともにその身が地へ落ちていく。


 しかしただ落ちていくフクロウとは異なり、ゼレウスは空中で自身の姿勢を完全に制御していた。

 そして右腕を引き絞る。



「きゃあっ!」



 地面が、割れた。

 エレイナはそのあまりの威力に、そんな光景を幻視した。

 ゼレウスの拳はフクロウではなく、凍り付いた地面に振り下ろされていた。

 砕けた薄氷うすらいが衝撃に浮かび上がり、ゼレウスたちの姿を鏡のように映し取る。



「……これで準備は整った。凍っていない地面であれば大地から脚へ、脚から腰へ、そして腰から拳へ、十全に力を伝えられる。そして──」



 ゼレウスが歩み寄るとフクロウは翼を広げ、もう一度氷の床を展開しようとする。

 しかし。



「──魔法を使えないだろう? それこそがフュージアの能力だ。互いに条件は同じだが……お前に振るえる拳はあるまい」



 獰猛に嗤う。

 魔法が使えないことに混乱したフクロウは、ゼレウスの威圧感も相まって逃げることすら考えついていない。

 影が駆ける。

 そしてその拳がもう一度振り抜かれた。


 思わずエレイナは目を閉じてしまった。

 大地を轟かすほどの衝撃に。

 しかしそっと目を開いたエレイナの視界が捉えたのは、意外な光景だった。



「美しき舞。そして我を楽しませた褒美に……見逃してやろう。去るがいい」



 ゼレウスがフクロウの眼前から踵を返し、背を見せる。

 彼が殴ったのは伏せるフクロウの、すぐそばの壁だった。

 砕けた壁を見れば、それで充分、彼我の力の差は伝わったことだろう。

 証明するように、フクロウは困惑しつつもよたよたと歩いてその場を立ち去った。



「……フュージアによって付けられた傷は跡も残らず癒える。問題はあるまい」


「そうだね。痛みも出血もなし? ……そっか、お疲れさま」



 立ち去るフクロウを一瞥いちべつしながら、ゼレウスはフュージアの問いに肯定を返した。

 安堵からエレイナがへなへなとその場に座り込むと、彼がこちらに向けて歩み寄ってくる。

 その顔には余裕にあふれた笑みがたたえられていた。



「自己紹介がまだだったな。我が名はゼレウス・フェルファング。名を聞かせてくれるか?」


「……え、エレイナ・イーサニリス……」


「ふむ、そうか。素晴らしい働きだったぞエレイナよ。飛来する氷の棘を撃ち落とすとは……比類なき弓の名手だな。褒めてやろう」


「……どうも」


「さっきゼレウスが勝手に教えちゃったけど、ボクの名前はフュージアだよ! それでさ、相談があるんだけど、ちょっと外を案内してよエレイナちゃん! パンツの色言っちゃったのは謝るからさ! めんご!」


「わ、わかったから、それはもう忘れて……っ!」



 座り込んだまま羞恥から顔を伏せていると、目の前に手が差し出された。



「怪我はないか? 立てないのなら我が背負って……は、無理だな。であれば肩を貸すぞ」


「いや、大丈夫……です。ありがと」



 差し出された手は取らず、両手を地について立ち上がる。



「そうか、ではゆこう」



 せっかく差し出してくれた手を取らなかったというのに、彼は気にする様子も見せなかった。

 ゼレウスがひるがえり、出口へ向けて歩き出す。

 ……ん、翻り?



「──あっぶなッ!?」



 眼前を白銀の刃が通過する。

 上体をらしてなければ顔を斬り裂かれていただろう。



「む? おぉ、すまんな」


「気をつけてよゼレウス! 女の子の顔を傷つけちゃったら大変だよ!!」


「ああ……しかしお前なら傷跡も残らんだろう」


「うわ、サイテーだ。ごめんね、エレイナちゃん?」


「だ、大丈夫……」



 顔を引きらせながら、エレイナが答える。

 謝罪のために振り返っていたゼレウスだが、今度は少し後ずさってから再び前を向いた。

 流石にもう切っ先の届かない位置だ。

 届かない位置だが、エレイナが反射的に上半身を後ろへ少々逸らしてしまうのは、致し方ないことだった。



(…………)



 ゆったりと歩むゼレウスの背中を、エレイナは静かに追う。

 背中から剣を生やした、意味のわからない存在。

 奇妙でどこかコミカルな一人と一振りだが、その力は人の限界を遥かに超えている。

 その強さに、エレイナの背筋はゾクリと震えた。

 そして小さく、本当にわずかに……その口角を上げた。


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