2.魔王会敵


 安置されていた場所から足を踏み出し、石畳の床を歩く。

 細やかな自然に囲まれた、ある程度の広さを持った空間。

 視線を巡らせれば、ちろちろと湧き出る清廉な水がささやかな流れを生み出していた。


 踏み入れた者に亡き文明を想わせるこの空間は、難関ダンジョンと名高い‶あけ沈む地底〟である。

 かつて一振りの‶魔剣〟が眠っていたこの地だが強大な魔物が多く、魔族が目ぼしい物を持ち出して以降は、潜る旨味の少なさゆえに誰も立ち入ることのない地と成り果てていた。

 さらに当時は人族と魔族の戦争真っ只中だったため、輪を掛けて挑戦する者は少なかった。


 つまり、何かを隠すのにうってつけだったというわけだ。



「この景色も見納めだと思うと少し残念……いやそうでもないかな?」


「ああ。生憎この景色には飽いて久しい。美しく緑豊かな……いや、『蒼』の豊かな光景だったのは数少ない救いではあったが」



 皮肉めいたことを言う二人だが、声の弾みは隠せていない。


 アリの巣のように地底の奥深くへと伸びるこのダンジョンは当然、地下に存在する。

 しかし周囲は柔らかな光に照らし出されており、草花は背の低いものばかり、かつ石畳に勢力拡大を阻害されてはいるものの、豊かに生い茂っていた。


 地底の世界は魔力のともしびに照らし出されている。

 ふわふわと浮かぶ、蛍のような光の粒たち。

 それらによって育つ地底の植物の多くは『緑』ではなく『蒼』の葉をつける。

 花弁までもがそうとは限らないが、少なくとも葉や茎は蒼色であることが多い。

 魔力灯の淡い光に照らされる蒼き草花たちは、地上では見られない幻想的な風景を創り出していた。


 永い間、ゼレウスの周囲で起きる変化といえば流れる水か、小さな光を頼りに懸命にその身を伸ばす蒼き草花たちだけだった。

 そしてそれらはゼレウスたちの永き退屈を埋める一助になっていた。

 それを思えば、やはり多少はこの場所への思い入れもある。



「……さらばだ、我が安寧の地よ」



 別れと感謝を唱え、振り返らずに部屋を出る。

 魔力灯を反射し煌めくフュージアからは、爽やかな笑みを浮かべたような、そんな気配を感じられた。





  ◇





 さて、ダンジョンといえば語らずにはおけない存在がいる。

 魔物。

 ダンジョン内で自然発生する異形のそれらは、どういうわけかその内部から外へ出ることはない。

 同じく、ダンジョン内部の‶隔域〟と呼ばれる場所にも立ち入ることはない。

 ゼレウスが安置されていた場所がその例の一つだ。


 そしてその場所から出たゼレウスは、魔物との遭遇を余儀なくされることとなる……のだが──



「おぉー、余裕だねゼレウス。身体は鈍ってないんだ? 腰イタになってたのに」


「……あれは何かの間違いだ」



 フュージアの言葉に軽口を返す。

 二人の態度からはまったく緊張を感じられない。

 それもそのはず。

 今もマイペースに歩み続けるゼレウスの背後には、原型を失った無数の魔物たちの姿があった。



「……弱いな。魔法を使えずとも、容易にほふれる」



 あの安寧の地を離れてから最初の一戦こそ警戒を強めていたが、それ以降は戦えば戦うほど、そしてダンジョン内を上れば上るほど、警戒心は薄れていった。



「草木と風の匂い……地上が近いぞ」



 ゼレウスの優れた嗅覚が、脱出への最短ルートを導き出す。



「はぁ~楽しみだなぁ~。でも……どうする? もし地上がボロボロになってて、人族も魔族も滅んでたらさ」


「我が嗅覚を信じるならば、少なくとも自然は変わりなく存在する。しかし確かに、人族か魔族のどちらかは滅んでいるかもしれんな」


「平和になってるかもねぇ。最強の魔王サマもいなくなってたワケだし?」


「ふん、我はもう魔王でも最強でもない。我が敗北はお前が最も近くで見ていたことだろう……む?」


「うん? どったの~?」



 何かに気づいたように顔を上げるゼレウスにフュージアが問いかける。



「出口付近に誰かいるぞ。おそらく女だ」


「へぇ、ちょうどいいじゃん! その子に外を案内してもらおうよ!」


「……向こうが魔族であればな」



 ゼレウスの優れた嗅覚はその女性以外の存在を嗅ぎ取っていた。

 おそらくは魔物。

 それをフュージアに伝えると、なぜか急かすように移動を促される。



「もし魔物に襲われてるなら、恩を売るチャンスだよ! しかも女の子! 恋に落ちちゃうかもねぇ、ゼレウス?」


「胸に剣の刺さった男にか?」


「そうだよ! ほら走って!!」



 まったく、『聖剣』と呼ぶにはあまりにもぞくすぎる思考だ。

 呆れたように笑ったあと、ゼレウスは駆け出した。





  ◇





 ──‶背中で護ってくれるような人〟に憧れがある。

 まるでおとぎ話の王子様のような。

 といっても白馬に乗っていることまでは望まない。

 流石にそこまで夢見てはいないし、なんなら戦場で着飾って白馬に乗って来られたらむしろイラついてしまうだろう。


 そんなどうでもいいことが彼女……エレイナ・イーサニリスの脳裏にはよぎっていた。

 尻餅をつく彼女の眼前には、人を超える体躯を持つ魔物と背の高い一人の男と……その背中から斜めに伸びる、白銀の輝き。



(いやどういう状況?)



 背中から剣身を生やした男。

 深い藍色の髪の彼は、立ちはだかる魔物を正面に、エレイナをかばうようにして立っていた。

 ちょうど、背中で護ってくれているような位置関係だ。

 うん、ただのそういう位置関係だ。

 幼い少女のような願いが叶っているのに、エレイナはそれ以上の感想が浮かぶのをがんとして拒否していた。



「え、っと……」


「案ずるな、我は味方だ。護ってやろう。恩を感じるがいい」


「え、あ……はぁ」



 とりあえずその広い背中に声を掛けてみたが、敵ではないらしい。

 肩越しに笑みを返された。

 このダンジョンの奥から来たことを鑑みれば、彼の実力は相当なものだと推測できる。


 乙女心が、こんな背中から剣の生えた変な奴に護ってもらうなんて! と微妙に嫌がってはいるものの、護ってくれるのなら任せてしまおう。

 腰にいた剣の柄を指でなぞりながら、エレイナはそう思案した。


 瞬間、魔物が魔法を放つ。

 人の腕ほどの太さの氷のとげが、男へと襲いかかった。

 見たところ彼は武器を持っていない。

 対抗するには魔法が必要だろう。

 高速で飛来する氷には充分な質量がある。

 火では解かしきれない可能性を懸念するなら、土の魔法で壁を創るのが最適解だろうか。

 そう考えたエレイナだったが、彼の出した答えは違った。


 男が右腕を引き絞る。

 そして、氷の棘をした。



「──は?」



 砕けた氷の欠片たちが、魔力灯に照らされキラキラと煌めきながら落ちる。

 エレイナは思わず、呆けた声を出してしまった。



「冷たいな……しかしそれがいい! それが気持ちいいぞッ!! ふはははははッ!!」



(うわぁ、変態さんだ……)



 楽しそうに笑う彼に怪我はないようだ。

 それは良かったのだが、正直言ってその言動にエレイナはドン引きしていた。

 当の本人は久方ぶりの刺激に喜んでいるだけなのだが、エレイナに知るよしはない。


 男の笑い声に反応したのか、相対する魔物がその翼を広げる。

 フクロウによく似た姿の魔物。

 音もなく忍び寄られたため、常に周囲を警戒していたはずのエレイナでもその接近に気づけず、弓を主な武器にしているにもかかわらず接近を許してしまっていた。


 くるり、と魔物がその場で回転する。

 その瞬間、まるでバレエダンサーのように輪状に広げられた翼の下から、無数の小さな氷の棘が射出された。

 こちらへ向かってくるものはすべて男が殴り落とすが、残りは地面へと突き刺さる。

 するとピシピシと音を立てながら、棘を起点に周囲の地面が凍り付き始めた。



「まずい!」



 エレイナが焦燥に満ちた声を上げる。

 続けてフクロウが翼を持ち上げるように振るい、エレイナたちのいない位置にまでも氷を飛ばし始めた。

 射出され着弾した氷の棘すべてから冷気が広がり、足元、壁、天井問わずに凍り付いていく。

 無事な足場はエレイナたちのいる場所のみだ。


 普段からいつでも逃げられるようダンジョンの出口付近で探索をしていたエレイナだったが、あのフクロウに音もなく近づかれたあと、今のように氷の棘で退路を凍り付かされてしまい、出口から離れざるを得なくなった。

 絶体絶命、と呼ぶにはまだ少し早いが、かなり切羽詰まった状況でもあったのだ。

 そこに彼が現れたのだが……結局、また悪い状況になってしまった。



「なるほど……これでは踏み込むのは困難。──いや、まずは試してみよう」


「え、いや、ちょっ──」



 呟きながら、男が凍り付いた地面に一歩踏み出した。



「ぬぉお!!」



 案の定彼の足はつるーん! と勢いよく滑り、その上半身は後ろへと倒れ始めた。

 男は慌てる様子も見せず、なぜか倒れながらもゆったりとした動作で腕を組む。

 しかし背後にいるエレイナのほうへ倒れてくる彼の背中には、相も変わらず白銀の輝きが──



「あっぶなッ!?」



 尻もちをついていたエレイナの脚の間をうように、男の背中から生えた剣身が地面へと突き刺さった。

 思わず立てた膝を胸元へ引くようにして、身を小さくする。



「あ、パンツ見えた」


「へっ!?」



 驚きつつも羞恥から、エレイナは反射的に脚の間に手をやってそこを隠した。

 といっても穿いているのはキュロットスカートのため、下着は隙間からチラリとしか見えてはいないはずだ。

 ……それでも恥ずかしいことに変わりはないが。


 いやそんなことより。

 どこからか聞こえた少年のような声。

 背中から剣を生やした男はこちらに背を向けているため、彼からは見えていないはず。

 そのうえ明らかに声が違う。

 つまり、他の誰かがこの場に存在するということだ。



「ピンクだぁー。かわいい」


「!? ちょ、言わないでよ! てか誰!? どこから声してるの!?」


「落ち着け、女よ。喋っているのはこの剣だ。めいは『フュージア』。その力は……今から見せてやろう」


「ふゅ……?」


「あはは、ゼレウス~! その体勢、ツラくない?」



 ゼレウスと呼ばれた男は、腕を組んだまま笑っていた。

 背中から生えた剣の切っ先を地面に突き刺し、斜めになった状態で。

 ピンと伸ばされた両足のかかとと剣の切っ先だけが、今の彼の身体を支えている。


 なんだか腹筋が鍛えられそうな恰好である。

 ゼレウスは「何の問題もない」と言いながら、両脚を畳んで凍り付いていない箇所で踏ん張り、上半身を起こすことでフュージアの切っ先を地面から抜いた。


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