8.戦場へ


 冒険者には傭兵の側面がある。

 特に、この最前線の街ロントリーネではそれが顕著けんちょだ。

 他の街でも周辺の魔獣の討伐や商人の護衛などの傭兵業があるが、ロントリーネではさらにそこへ魔王軍への対処が含まれる。

 これはほぼ強制なのだが……ゼレウスはそれを知らなかった。



「ごめん、そういえば伝え忘れてた。冒険者は魔王軍との戦いには可能な限り参加。自分たちの住む街を護るためだし、当たり前なんだけど。あなたも出るでしょ?」



 今のゼレウスの立場は人族だ。

 断ることが疑念へと繋がりかねない。

 それに、現代の魔王軍がどの程度の戦力を持っているかも気になるところである。

 ゼレウスは了承を返した。


 拡声の魔道具を使って街中に知らされたため、しばらくすると冒険者たちが続々と集まってくる。



「今回はオークの軍勢のようです。高い身体能力と近接戦闘能力に警戒を。さらに少数のデーモンを後衛にしていると見られ──」



 短髪の受付嬢が、ハキハキとした声で説明を始める。

 冒険者たちの反応は様々だ。

 腕を組み、笑みを浮かべる者。緊張に口を固く結んでいる者。この状況に慣れているのか、落ち着いて食事を進めている者。パーティ内で綿密に作戦を練っている者たち、などなど。

 そこには昨日と異なり、エルフやドワーフの姿も多く確認できた。



「空を飛べるデーモンがいるのなら、市街戦になる可能性もあります。魔法使いの方々は市壁しへき付近で警戒を。索敵のためにできるだけ一人以上の獣人の方と行動を共にしてください。オークが相手ですので、女性はあまり前線に出すぎないように」


「よーし、野郎ども! ウチの美女たちが連れ去られないよう、気合入れろよ!!」



 誰かが言ったその言葉に、男どもが「おぉ!!」と拳を上げながら応える。

 その中に紛れるように発された「美女なんてタマかよ」という言葉は、その発信源を特定され男女問わず殴られていた。女性を敵に回すと怖い。



「エレイナちゃんはゼレウスが護るからねっ! 安心して!」



 フュージアが勝手に約束する。

 エレイナは『そうなの?』と、視線に疑問を乗せながらゼレウスを見上げた。



「今の魔王軍がどれほどの強さなのかわからんが…………必ず護ろう」


「っ……ま、まぁあたしは別に護ってもらわなくても平気だけどっ。それより、その背中の剣で味方を斬っちゃわないよう気をつけること!」


「もちろんだ、安心しろ」


「「いや安心はできない」」


「な、なんだ、フュージアまで」



 声をハモらせる二人に、ゼレウスは地上に出てから初めてたじろいだ。





  ◇





 遥か彼方まで続く草原。

 晴れやかな薫風くんぷうにわずかに混じる、血の匂い。

 ゼレウスの鋭い嗅覚が嗅ぎ取ったそれが、ここが戦場なのだと強く実感させた。


 遠くに見える、緑色の体色をした魔族たち。

 オークの軍勢だ。

 ゴブリンと同じ体色をしているが、同じ扱いはされていない。

 理由は単純に、強いから。

 八百年前は荒くれ者どもの集まりだったはずだが、ゼレウスたちの眼前に広がるオークの軍勢は規則正しい隊列を形成していた。



「おや? オークの様子が……八百年の間に進化したのかな?」


「ふむ、こんな光景は初めて見るぞ」


「オークはより強いオークに従う。この軍の指揮官が几帳面な性格なんでしょ。でも、あたしもここまで統率の取れたオークを見るのは初めて……」



 そう呟くゼレウスたちの視線の先、オークの軍勢の上空に、いくつもの影が舞い上がる。

 デーモンだ。

 人間に似た姿だが、頭部にヤギのような一対の角と、背中にコウモリのような翼を持つ種族。

 開戦の合図はそれらの影が告げた。


 火、水、風、土、闇。

 デーモンたちによって放たれた色とりどりの魔法が、雨のように冒険者たちへと降り注ぐ。



「迎撃魔法展開ィイ!!」



 どこからか聞こえる、拡声された男の声が冒険者たちの鼓膜を叩いた。

 姿は見えないが、冒険者ギルドのギルド長が指示を出しているらしい。

 号令に従い、戦場、そして市壁の上の魔法使いたちが一斉に魔法を放つ。


 空中でぶつかり合った魔法が、衝撃と爆風を巻き起こしながら消滅した。

 その余韻を数多の怒号が引き裂く。

 オークの軍勢の突撃だ。

 まだ距離はある。

 しかし魔法でそれを迎撃することはできない。

 なぜなら魔法使いたちは、宙に浮くデーモンたちが撃ち出す魔法を再び迎撃しなければならないのだから。



「魔法使いは迎撃! 弓兵、射撃用意! ──てぇぇえ!!」



 ゼレウスの後方でエレイナが弓に矢をつがえ、ギルド長の指示に合わせて上方へ放つ。

 市街地の守りも固めておかねばならないため数は多くはないが、街の憲兵たちもこの戦いには参加している。そして彼らも弓の扱いは収めている。

 今度は迫りくるオークたちに向けて、矢の雨が降り注いだ。



「グルォォオオオオッ!!」



 しかしオークたちは盾を上方に構えてそれらを防ぎながら、なおも突撃。

 高い身体能力に任せた猛々しい進軍。

 ここからは前衛同士の戦いだ。

 前へ出る前衛職の冒険者たちに混じって、ゼレウスもまたエレイナと離れ、突撃した。



(……あいつ、死ぬな)



 ゼレウスの後ろを駆ける冒険者は、剣身の生えたその奇妙な背中を見て思う。

 ただでさえ目立つ格好をしているうえに、誰とも組まないことで有名なエレイナと行動を共にしている、謎の男。


 エレイナは優秀な冒険者だ。

 しかし弓兵でもある。前衛がいなければ、接近された途端不利になる。

 それでも今まで一人で生き残っていることが、彼女が優秀な戦士であることの証明であり、パーティへの加入を誘われる理由だ。

 だが彼女はその一切を断っている。

 一時的に組んでその優秀さを証明することはあっても、長期的な加入は一度もない。


 彼女は何かを隠している。

 周囲にそう思わせるほどに、エレイナは一人を好んでいた。

 しかし冒険者には様々な事情を抱えた者も多い。

 かつて仲間を失い、それがトラウマで誰とも組まない……なんてこともよく聞く話だ。

 しかしそんなエレイナが、おそらく初めて自発的に行動を共にしている存在。

 疑問と、一部からは嫉妬を含んだ眼差しを向けられた彼の情報は、この戦いの前準備を機会に、瞬く間に冒険者たちへと共有されていた。


 今日ギルド登録したばかりの新人。

 背中から剣を生やした彼は冒険者たちが形成した隊列から一人抜け出し、一足先にオークたちへと向かっていってしまった。


 新人が勇み足を踏むことはよくある。

 冒険者たちは舌打ちをしたり、苦笑したり、諦めの目を向けたりしながら、その剣身の生えた背中を注視した。

 出来る限りのフォローをするため、あるいは巻き込まれないよう離れるために。


 彼を注視するのはオークたちも同じだ。

 隊列を乱した愚か者。もしくはかわいそうな新参者。

 オークたちの目にはそう映った。

 どちらも末路は同じだ。

 戦場での慈悲は足元を救われる危機にもなりかねない。

 オークたちは戦場でのセオリーに従い、一人飛び出た彼に三人で当たった。


 接敵。

 意気揚々と駆ける新人が、オークの膂力のもと、簡単に吹き飛ばされる。

 冒険者たちはそんな光景を幻視したが……その結果はまったく予想外のものだった。



「ぎッ!?」



 ぐしゃりと、鎧のひしゃげる音。

 オークたちの着る鎧は統一された立派な物だ。

 野卑なイメージを持たれる彼らだが、戦場での危険とそれを防ぐ鎧の有用性は理解している。

 ──その鎧が、ただの拳などに砕かれないことも。



「はぁああぁあっ!!?」



 その光景を目にした冒険者たちは、例外なく驚愕の声を上げていた。

 戦場での動揺は危険を招く。

 優秀な戦士であれば、仲間の士気のためにもそんな様子は決して見せない。

 しかし彼らの胸中はこんな思いでいっぱいだった。

 『あの光景を見て、足を止めなかっただけマシだ』と。


 新人に鎧ごと胸を殴られたオークの巨体が後ろへ飛んでいき、隊列を崩す。

 だがこの攻防、これで終わりではない。

 彼に襲いかかるオークはあと二人いた。

 二人は同じタイミングで攻撃したはずの一人が吹き飛ばされたことに驚愕しつつも、呼吸を合わせて巨大な大剣を振るっていた。

 膂力に任せた強力な振り下ろし。

 受け止めるのは困難だ。

 本来であれば。



(背中の剣でいなした!? いや──ッ!?)



 拳を振り抜いたままの姿勢の彼を襲う、左右からの挟撃きょうげき

 左からの斬撃を回避した彼は右手で自らの胸元の柄を掴むと、そのまま右からの振り下ろしを背中から生えた剣身で受け止め、そして身体を回転させることで背中越しに薙ぎ払った。

 オークが持つ剣はその後方に弾かれ、一歩退

 あの、恐ろしいほどの膂力を誇るオークが。



(ありえねぇ!!)



 オークはその驚異的な腕力を十全に活かして剣を振るった。

 だがあの新人は、腕力など一切使っていない。

 胸に刺さった剣を手で振るうことなど不可能だからだ。


 オークは自らの体重を乗せて剣を振るった。

 だがあの新人は、自身の体重すら利用していない。

 背中から生えた剣身に体重を乗せて振るうなど、あまりにも困難だからだ。


 それなのにあのゼレウスという男は。


 彼は体勢を崩したオークへ瞬く間に肉薄すると、またもその鎧を歪ませながら遥か後方へと殴り飛ばした。

 もう片方のオークは唖然とした表情で固まってしまっている。


 正直言って……共感してしまっていた。

 ゼレウスの死を幻視していた彼もまた、あまりの驚愕に今度こそ立ち止まってしまっていたから。


 しかし当然、驚いてしまっている冒険者ばかりではない。

 最前線の街だ。ゼレウスの強さに驚きながらも行動できる優秀な者たちは多い。

 立ち尽くすオークへ、冒険者の一人が横から攻撃を仕掛けた。

 オークは反応できない。


 冒険者の持つ槍の切っ先が、その頭部目掛けて襲いかかる。

 だがそれが届くことはなかった。

 疾風の如き速度で駆けたゼレウスが、そのオークを軍勢の後方へと蹴り飛ばしたからだ。

 彼は蹴り上げた足を下ろすと、大口を開けて笑う。



「ふははははァッ! は我にかかってこい!! 手加減してやる!」



 驚くことに、あの新人には冗談を言う余裕すらあるようだった。

 思わずつられるように、何人かの冒険者が興奮混じりの笑みを浮かべる。

 やがてゼレウスが驚愕で停止させていた空間が動き出し、本格的な戦いが始まった。


 彼が本気でそう言っているのだと、誰一人気づくことなく。

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