第2話 抱きつきたい

 理科の中山先生は二十七歳、ルックスは悪くなかった。若いのだけど渋くて。なかなかユニ-クだった。

 テストで三択問題の解答が、カ行とかダ行とかで、ヘンだなあと思ったら、全問正解すると。

「キョウデオワカレネ モウアエナイ」

 先生の好きな歌の歌詞になるのだった。さぞや採点しやすかったことらろう、回答を丸暗記できているのだから。

 と思うと、枯れた花を捨てる時、紙にくるんでいると言ったりする。

「かわいそうじゃないか」

 というのが先生の言い分だった。美しく咲いて楽しませてくれたのに最後は無残な姿になる。それをそのままゴミにするのは忍にないということか。繊細なんだな、とハッとした。その記憶が鮮烈で、現在も私は枯れた花をゴミ箱に映すときは神でくるむのだ。


 秋の運動会。中山先生は女性から弁当らしきものを受け取っていた。ショートカットの後ろ姿は若々しかった。

「あの人、中山の奥さんだよ」

「教え子だったんだって」

 ふうん、と私は思った。

 前の赴任先の生徒だったのか顔は見えなかったがきっと綺麗な人だろう。

 中学生だった教え子と結婚したんだ。新卒で知り合ったとして先生は最低でも二十二歳。彼女は十三から十五歳といったところだろう。そんな少女と付き合うのは論外だが、こっそりと真剣交際を重ね、彼女の卒業後に正式に結婚、となれば、やましいことは一つもない。それでも教え子との秘めた恋、をしていたのだと思うと、やるなあ中山、と、ついニヤニヤしてしまう私だった。


 秋のある日。理科の実験か何かだったのか。私は中山先生の後ろに立っていた。衝動的に、先生の背中に抱きつきたくなって焦った。

 とんでもないことだ。優等生の仮面はたちどころに剥がれ、ハレンチ女子中学生の烙印を押されてしまう。

 ほんの短い時間だったろうが、衝動を抑えるのはかなり難しく感じられた。

 少年ではない、成熟した男性の背中に抱きつきたいなんて、それ以降、感じたことは皆無なのだ。どうにか平静を保ち、私は先生の傍から離れた。

 中山先生とのドキドキの思い出は、それだけ。抱きすきたくなった、それだけで十分だろうか。

 秋が深まり、受験を考える時期になり、学年主任の先生が、

 中二の君たちは今が、一番頑張れる時期なんだ」

 と仰り、その気になった私は勉強に没頭した。三年になると周囲も受験一色で、ときめきを探そうという気も失せた。


 卒業式、当日。

 謝恩会から戻った母が、中山先生の話をしていた。

「教室に行くと寂しいんですよ、ああ皆、卒業していっちゃったんだなあって」

 と語っていたそうだ。

 いい先生だったんだなあ、と改めて感慨がわいてきて、私は中山先生からも卒業したらしかった。



 高校では、同級生を遠くから見つめるだけの恋。大学では、自信がなくて恋愛とは縁遠く。社会人になったとたん、いきなり恋愛体質に変身、次々と恋をしたが、好きになるのは年下ばかり、という展開に。現在、もう恋はしなくていいが、どうしても、というなら、やはり相手は年下がいい。

 だから、私が年上を好きになったのは、中学時代の二人の教師だけ、ということになり、とても不思議だ。


 果たして、あれは恋と呼べるものだったか?

 淡い初恋、と、教師への思いを歌った歌もあるから、恋といって差し支えないのかな。あの歌のように胸を焦がし慕い続けたという感じではなかったが。どちらかというと冷静に観察した、に近いような気がする。

 佐川先生、奈矢山先生。

 二人への思いは、いままで誰にも打ち明けたことはない。すっかり記憶の彼方の出来事だし、そんなこともあったね、と笑い飛ばしてもよさそうなものだけれど、結局、誰にも言えずにきてしまった。

 教師に対するこうした感情は、やはり独特の秘密めいた感覚があるからだろうか。

 こうした形で今になって公表できて、なんとなくスッキリしている私なのだった。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

十三歳、二人の教師に恋をした チェシャ猫亭 @bianco3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る