第39話 勇者は準備をする

 ピヨピヨ……ピヨピヨ……

 ピィロロロロロ……


「う、うーん……」


 ネイサンは何処からともなく聞こえる、小鳥のさえずりで目が覚めた。

 上半身を起こそうと試すと、とても重く感じ、起き上がるまでに時間を要した。


「痛っ!」


 上半身を起こした瞬間、頭に重い鈍痛が走った。

 その痛みは長く、やる気を削がせる様な痛みである。

 ネイサンはそんな痛みに耐えながらも、前に起こった出来事を遡る事にした。


「……そうだ。俺、ビールを飲んだ後、倒れたんだ」


 ネイサンはたったジョッキ一杯のビールを飲み、そして卒倒した事を思い出した。

 それと同時に一つ分かった事もある。

 自分か『下戸』である事に。

 多分、初期設定のせいである。


「次からは気をつけないとな」


 ネイサンはそう反省すると、一度辺りを見回した。

 そこは自分の寝室であり、時計を見てみると時間は朝の七時であり、日付はパーティーの翌日を示していた。

 どうやら、一晩中寝込んでしまっていたらしい。


 ネイサンは大きなため息を吐き、ベッドから降りた。

 そして窓の方へと歩いてカーテンをバッと開けた。

 強烈な日差しと共に心地よい風がネイサンの顔を撫でた。


「良い風が吹いてるな」


 ネイサンは独り言を呟き、全てをそのままにして寝室を出た。




 ネイサンはエントランスホールに向かう前に顔を冷水で洗い、ちゃんと着替えてから自室を出た。

 向かう道中、色んな人に会い、事あるごとに心配されてしまった。

 一度も話した事が無い人にもである。

 ネイサンは全員に「特に問題は無い」と軽くあしらい、足早にその場を後にした。


 エントランスホールに着くと、民夫たみおだけがその場に居た。

 民夫は椅子に座っており、とても真剣な眼差しで本を読んでいた。

 ネイサンは一瞬躊躇いながらも、民夫の肩を軽く叩いてみた。


「おはよう、民夫」

「……」


 しかし、民夫の反応は全く無かった。

 どうやら相当集中している様である。

 仕方なく、ネイサンは民夫の対面の椅子に座り、気が済むまで待ってみる事にした。


 10分、20分、30分と時間は過ぎて行き、民夫はようやく本をそっと閉じ、表紙が見える様に本を置いた。


「最後まで読み終えたか?」

「わっ!?」


 ネイサンの呼び掛けに、民夫は椅子から飛び上がる程驚いた。

 その声は小説荘全体に響き渡り、ネイサンは思わず耳を塞いだ。


「い、いさみさんでしたか、ごめんなさい」

「まったくだ。だが、俺も驚かせてしまった事は謝る」


 ネイサンは謝るのと同時に、視線を民夫から本に移した。

 本の表紙には、一人の眼鏡を掛けた青年が万年筆を持ち、高く聳え立った建物に対峙している絵が描かれていた。

 ネイサンはその姿に見覚えがあった。


「その表紙に描かれてるのって、もしかして作人さくとか?」


 ネイサンが訊くと、民夫も視線を本に落とした。


「…はい、そうです」


 民夫の顔をふと見てみると、優しく微笑んでいた。

 しかし、その内どこか悲しさがある様に伺えた。

 ……やはり、作人の事が忘れられないのだろう。

 それは民夫だけでなく、ネイサンも同じ気持ちであった。


「なんだかあれ以来、読みたくなってしまいまして。……いや、違いますね。読まなければいけない、が正解ですね」


 民夫は本を持ち上げた。


「作人君の事を忘れてしまいそうで。勿論、作人君との思い出はちゃんと心に刻まれていますし、本だってあるので忘れる事は無いとわかってはいます。ですが、それでも不安に思ってしまうんです」

「……」


 悲しげな声色で民夫が話してくれた。

 それはネイサンにも酷く痛感し、何か気の利いた事を言おうと模索してみたが、結局何も出ては来なかった。

 暫く、無の時が流れた。


「あ、そうだ!」


 民夫が突然、何かを思い出して声を上げた。

 その声はさっきとは打って変わって、とても明るい声であった。


「実は後で育代いくよさんと買い物に行こうと思ってたのですが、もし良かったら勇さんもご一緒に行きませんか?」


 それは唐突な提案であった。

 しかし、特に予定が無いネイサンにとって、この提案は嬉しかった。

 それにとても都合が良かったのだ。


「ああ、勿論良いぞ。だが、その前に朝食を食べないか?」

「そうですね。僕もまだ食べていないので、一緒に食べましょう」


 二人は椅子から立ち上がり、食堂へと移動を始めた。




 食堂に入るや否や、制服姿ののどかが一目散にネイサンの所にやって来た。

 その表情は真剣であり、焦っている様にも見えた。


「勇さん……!もう体調は大丈夫なんですか!?昨日いきなり倒れたって聞いて、私、心配で心配で!」


 和はとても早口で捲し立てた。

 そんな和の頭にネイサンは優しく手を置いた。


「ふえっ!?」


 和は驚きを隠せず、喉から変な声が出た。

 そして、慌てて両手で口を覆った。


「和、ありがとう。心配させてすまないな。体の方は全然大丈夫だ」


 ネイサンが優しい声色で話すと、安心したのか和はホッと胸を撫で下ろした。

 勿論、顔を紅潮させながらである。


「和さん、そろそろ学校に行く時間では?」


 食堂内にある時計を確認した民夫が口を開いた。

 そう言われた和は、自身の腕時計で時間を確認した。

 その途端、赤かった顔から色が抜けていった。

 時刻は7時35分を示していた。


「た、大変!ごめんなさい、私行かないと!」


 和は猛スピードでキッチンへと駆け込み、直ぐにカバンを持って出て来た。

 そして、「いってきます!」と声を張り上げて食堂を後にした。

 二人はそんな和の背中を見守りながら、小さく手を振った。




 ネイサンと民夫がキッチンへと歩いて行くと、そのにはいつも通り、育代がせっせと料理を作っている姿があった。


「育代さん……」


 ネイサンは昨日の事を申し訳なく思いながら、声を少し低くして育代の名前を言った。

 すると育代はその声に気が付き、顔を上げた。


「おぉ、おぬしら、おはよう」


 育代は昨日の事を忘れてしまったかの様に、いつも通りの挨拶をしてくれた。

 そんな育代に安心したのか、ネイサンは昨日の事をちゃんと謝罪し、一緒に買い物に行っても良いかを訊いた。

 すると育代は「誰にでもああいう失敗はある、良い勉強をしたと思いなさい」とネイサンを許し、買い物についても快く認容してくれた。

 余談ではあるが、鍛治炉はあの後、物凄く猛省していたとかなんとか……。


「さて、今日も朝食を食べて行きなさい」


 育代の一言に、二人は隅に置いてあるトレーを手に取った。




 朝食をゆっくり堪能したネイサンと民夫は、「ごちそうさま」と挨拶をし、トレーを返して食堂を後にした。

 そして、一度お互いに身支度をする事に。

 二人共、身支度に五分も掛からず、直ぐエントランスホールに集まってしまった。

 仕方なく、二人は育代が来るまで他愛もない会話で暇つぶしをする事にした。




 時刻は十時を少し過ぎた頃。

 一仕事を終えた育代が食堂から出て来た。

 手にはさっきまで着ていた割烹着を持っており、とても綺麗に折り畳まれていた。


「すまんの、かなり待たせてしまったじゃろ」

「あっ、育代さん、お疲れ様です。全然大丈夫ですよ。ずっと勇さんとお話してたので」

「そうかそうか。それじゃ、もう少しだけ待っておれ。わしも準備をしてくる」


 育代はネイサン達のテーブルを通り過ぎ、自室である管理人室へと入って行った。

 そして五分も掛からずに出て来た。


「待たせた。それじゃ、行くとするかの」


 育代がそう言うと、民夫が椅子から立ち上がり、玄関まで歩いてドアノブを掴んだ。

 ネイサンも慌てて立ち上がった時、一つ肝心な事を忘れていた。


「そう言えばなんだが、一体、何処へ行くんだ?」


 何処へ行き、何を買うのか。

 ネイサンは何一つ、把握出来ていない事に気が付いたのだ。

 すると育代と民夫はキョトンとし、お互いの顔を見やった。


「民夫、言っとらんのか?」

「そうでした。はっきりお伝えしていませんでしたね」


 民夫は育代からネイサンに視線を移した。

 そして玄関のドアを開きながら、目的地を教えてくれた。


「これから、秋葉原に行くんですよ」

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