第31話 勇者は追いかける
小説荘から出てきたネイサンと
鍵にはセンサーが付いており、ボタンを押すとピピっという音が鳴り響いた。
「そう言えば、育代さんの車ってスポーツカータイプでしたね」
育代の愛車はGT-Qという車で、日本では割と主流なスポーツカーなのである。
そんな車にネイサンは助手席へ、民夫は運転席へと座った。
ネイサンは初めての車という事もあり、急がないといけないと思いつつも、内心は車に乗れる事が堪らなく嬉しかった。
「
「あぁ、大丈夫だ」
「では、行きますよ!」
すると民夫はシフトレバーをDに入れ、アクセルを全力で踏んだのだ。
この時、ネイサンの頭の中でいくつかの結論が出た。
それは『車は怖い』という事と、『民夫に車を運転させてはいけない』という事である。
追跡中、
黒のハイアーエースというバンである。
民夫は侵入にナビゲーションしてもらいながら、次々の前の車を追い抜いて行った。
(絶対に真似しないで下さい)
その間ネイサンはと言うと、一人車酔いと奮闘していた。
民夫の運転はそこらの遊園地のジェットコースターよりも酷いものであった。
しかし、民夫に「もう少し速度を下げろ」や「もっと安全運転で」とは言えず、ただひたすらに耐え凌ぐのみであった。
小説荘を出てから約十分。
遂に作人達が乗っているであろう、黒いバンの後ろ姿が見えたのだ。
「多分、あれですね」
「そ、そうだな。ゆっくり近づこう」
民夫は速度を落とし、作人達にバレない様に安全運転を開始した。
そのおかげもあってか、ネイサンの車酔いも少し回復した。
一番前を走っていた作人達が赤信号で止まると、それに倣って後続車二台も止まり、それに倣ってネイサン達の車も止まった。
赤信号でも発進しない所を見るに、まだバレていない様子が伺えた。
これなら大丈夫だと、ネイサン達は確信した。
信号が青に変わる。
すると、キュルルルというスキール音がけたたましく鳴った。
いきなり作人達のバンが、物凄い勢いで発進したのだ。
「マズい!バレました!」
「急いで追いかけよう!」
民夫は対向車線に入り、前の二台を急いで抜かした。
そして、元の車線に戻って作人達と同じ位の速度で追いかけた。
カーチェイスが始まり、二台の車は暴走状態であった。
信号や歩行者は無視する、対向車線に入る、ガードレールや街灯にぶつかる、他の車のサイドミラーを破壊するなど。
迷惑行為も甚だしかった。
そんな荒い運転にネイサンは言わずにはいられなかった。
「お、おい、民夫!もう少し運転どうにかならないのか!?」
「どうにもならないですよ!僕のドライブテクニックではこれが限界なんです!」
ネイサンは民夫の顔を見てみると、その顔に余裕が無い事は明確であった。
更にネイサンは気が付いた事があった。
「あと、この車って育代さんのなんだろ?ガードレールとかにぶつかってるけど、大丈夫なのか!?」
ネイサンの言葉に、民夫の顔から今度は色が失われていった。
「そ、そう言えばそうでした。どうしましょう……」
『安心しろ、それに関しては問題ない』
いきなりイヤホンから侵入の声が聞こえた。
「侵入さん!どうしてですか?」
『さっき
「「全額っ!?」」
ネイサンと民夫は思わず同時に声を張り上げた。
いくら価値が分からないネイサンでも、修理費に数百万掛かる事はあまりにも容易であった。
侵入は更に話を続けた。
『あと、ガードレールとかの破損物も、全て支払うと言っていた』
「「全てっ!?」」
再び二人は大声で叫んでいた。
「どうして、そんなに……」
ネイサンは思わず小声で呟いた。
一体、どうして彼女はこんなにもサポートしてくれるのか。
彼女にとってはデメリットしか無いはずなのに。
「侵入さん、どうして富華さんが全て払う事になったんですか?いくらお金を持っているからって、酷すぎますよ」
民夫がいつに無く、真剣な語調で話した。
侵入も何か思うことがあるのか、少し間を空けてから話し始めた。
『……僕だってこの件に関するお金を、全て富華に担わせるつもりは無かったんだ』
「だったら、どうしーーー」
『富華が全部払いたいって言ったんだよ!』
侵入が珍しく感情的に話した。
二人はそんな侵入に驚いたのと同時に、富華自身がそれを望んだ事にも驚いた。
『富華曰く、育代さんにはいつもお世話になっているし、他の皆んなにも感謝を込めて、全て払いたいって』
「富華さん……」
車内では色んな感情が入り混じり、混沌としていた。
しかし、話はこれで終わりではなく、更に侵入は話を続けた。
『ただ……』
「……ただ、どうしたんですか?」
なんとなく、侵入の言葉が重く感じ取れた。
民夫は思わず聞き返した。
『富華、FXをやってるだろ?それで最近、異常に膨れ上がったらしくて、どうやら今の所持金、日本の国家予算レベルであるらしい』
「「よし、それなら安心だな!」」
ネイサンは富華を心配する気持ちを完全に捨て、民夫は今まで以上にアクセルを踏んだ。
カーチェイスを始めてから、かれこれ30分が経とうとしていた。
相変わらず二台の車は、公道を80〜120キロで走っている。
辺りは真っ暗闇であり、いつの間にか人気も無く、街灯も数キロに一つという場所を走っていた。
「あいつら、一体何処に行こうとしてるんだ?」
ネイサンは民夫にも聞こえる独り言を呟いた。
すると何の前触れも無く、急に作人達が乗っているバンが右に曲がった。
「くっ……!」
民夫も慌ててハンドルを右に切った。
キュルキュルという音と共に、ネイサン達に重い重力が襲いかかる。
軽くドリフトをさせながらも、なんとか右に曲がる事が出来た。
「あ、危ないところでした!」
「間一髪だったな」
二人はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、そんな時間は一瞬であった。
曲がった先に広がっていた場所は、さっきまで走っていた公道とは違い、煌々と光が照らされていた。
上部を見てみると、上から大きなライトが二十個程ぶら下げられていた。
そして、そのライトが照らす先には大きなコンテナが数十個、綺麗に置かれていた。
作人達のバンは、コンテナの間を右に曲がったり、左に曲がったりと走り回った。
ネイサン達も見失わない様に追いかけたが、あっさりと見失ってしまった。
「畜生、何処に行ったんだ」
「仕方ありませんね。ここからはゆっくり走って探しましょう」
そう言うと、民夫は車をゆっくりと走らせ、二人で辺りを見回した。
暫くゆっくり走っていると、作人達が乗っていたバンが止まっているのを見つけた。
民夫は少し離れた場所に止め、二人は車を降りた。
バンの中を調べてみたが、そこにはもう誰も居なかった。
「ダメだ、もぬけの殻だ」
「まだ遠くには行っていないはずです。探しましょう!」
「……そうだな」
二人は車には戻らず、自分の足で走って探す事にした。
ずっと車の中に居たせいで感じる事が出来なかったが、今の季節が夏である事もあり外はとても蒸し暑かった。
走っている為、次第に身体中から汗が吹き出し、肌に服がへばり付いてきた。
心地よい風が吹いていた事が唯一の救いであった。
「あれ?民夫、何か聞こえないか?」
走っている途中、ネイサンが何かの音に気が付いた。
民夫も注意深く聴いてみると、その正体はすぐに分かった。
「これは波の音ですね」
「波の音?近くに川か海があるのか?」
「ありますよ。東京湾が近くにあると思います」
そう、ネイサンが聞こえて来た音の正体は波の音であり、この風の正体は海からによる物であった。
匂いを嗅いでみると、ほんのり潮の匂いが漂っている気がした。
「一度、そっちの方に行ってみるか?」
ネイサンは民夫に提案してみた。
「……そうですね。その方が良いかもしれません」
民夫は一度考えた末、ネイサンの提案に乗る事にした。
再び二人は己の足で走り始めた。
既に方向感覚は失われ、自分達がどのルートで来たのか、自分達が乗り捨てた車の位置すら分からなくなっていた。
波の音だけが頼りであった。
比較的大きい十字路に差し掛かる前に、ネイサン達は注意深く耳を傾けてみた。
波の音は右側から聞こえて来た。
「右から波の音が聞こえてきますね」
「よし、右に曲がろう」
急いで十字路を右に曲がると、前方に人が立っていた。
作人と
「憑郎さんっ!」
民夫は反射的に叫んでいた。
左右がコンテナである為、何度も言葉が反響した。
しかし、憑郎の耳に届いている様子は無かった。
「残念だったな、コイツはまだ夢の中だぜ」
悪はそう言って、ニヤッと不快な笑みを浮かべた。
その何処か余裕のある態度に、民夫は唇を噛んだ。
「まったく、君達はしつこいな。しつこい人は嫌われるぞ」
作人がやれやれというポーズを取りながら言った。
ポーズを取った後、その顔には悪と同様、不敵な笑みをしていた。
「誘拐なんかしている奴に、そんな事を言われる筋合いは無いと思うんだが」
「フフッ…言ってくれるね」
ネイサンは真剣な顔をしながら、至極真っ当な意見を言った。
しかし、それでも作人達の表情は変わらず、笑いを堪えている様にも見えた。
「憑郎さん……」
民夫はもう一度、弱々しく憑郎の名前を呼んだが、起きる気配はこれっぽっちもなかった。
奇跡は起こらないのか。
敗北を受け入れ、このまま憑郎を失う他無いのか。
『民夫、勇、聞こえるか!?』
悲しみに暮れる中、急にイヤホンから侵入の声が聞こえて来た。
『今、特転隊に救援要請を出したんだ!30分、いや、15分だけ粘ってくれ!』
侵入は尋常じゃない程焦っていた。
早口で捲し立て、少し何を言っているのか理解出来なかった。
しかし侵入とは逆に、ネイサンと民夫はその言葉を聞いて安心していた。
二人は互いに顔を見合い、一度頷いた後に作人達の方を向いた。
その顔はさっきとは違い、自信に満ち溢れていた。
「お、おい、なんだよその顔は!」
ネイサン達の顔が気に食わなかったのか、苛立ちを隠せない表情で悪が声を放った。
そんな悪に対し、ネイサンは一言だけ言った。
「正義の女神が、俺達に微笑んだのさ」
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