第30話 勇者は遂に対峙する

 一点の曇りも無い月夜。

 そんな月夜の光が小説荘のエントランスホールを優しく包み込んでいた。

 しかし、エントランスホールではつんざく叫び声が響き渡った。


「なんで君がここにいるんだーーー」


 そう言ったのは民夫たみおであった。

 そして彼の目の中心に居た人物、それは……


作人さくと君っ!」


 そう、自らの欲に溺れ、自ら悪に堕ちた人物。

 ジョン・ライターこと『本衆ほんしゅう 作人』であった。


「久しぶりだな、民夫」

「そうですね、作人君」

「「……」」


 ぎこちない会話をした後、暫くは沈黙が続いた。

 そして民夫が再び口を開いた。


「なんで戻って来たんですか?」


 民夫の口調はいつもの様に明るい物では無く、重く低い物であった。

 それはまるで、恨みの念がこもっているかの様であった。


「なんでって、ここに用があったからさ」


 作人はさも当たり前かの様に答えた。


「貴方がここに来る用なんて無いはずです」

「お前には無くても俺にはあるんだよ」

「ふざけないでください!」


 民夫がまた大声で叫んだ。

 その声はホールの窓ガラスを震わせ、廊下に木霊した。


「ふざけてなんかいないさ。俺はこいつと一緒に一仕事しに来ただけさ」


 そう言って、作人は隣にいる人物の腕を何回かタップした。

 その人物は作人よりも背が高く、身体がガッチリとしていた。


「それより民夫、お前の隣に居る奴、なんか凄く驚いてて声が出てないぞ」

「えっ?」


 作人が少しおちょくる様に言った。

 すかさず民夫はネイサンの方を向くと、ネイサンの顔は酷いものだった。

 口を半開きにさせながら震わせ、額からは大量の汗が出ていた。

 目は少し焦点が合ってなかったが、ただ一点を見ていたのは確かであった。


「い、いさみさん!どうしたんですか!?」

「ほぉ、今はイサミっていう名前なんだな」


 急に喋ったのはさっき作人に腕をタップされた人物であった。

 その人物は筋骨隆々であり、サングラスをしていた。


「よぉ、覚えているかネイサン?……あー、こいつを外したらもっと分かるか」


 そう言ってサングラスを外し、顔を露わにした。


「これで確実に分かるだろ」


 男は口をイッとして、歯をネイサン達に見せた。

 するとネイサンは顔を更に白くし、震える指で男を差した。


「お、お前はまさか……メ、メチャワール」

「え、それって」


 ネイサンが小声で呟いたら。

 サングラスをしていた男の正体、それはネイサンの宿敵、大魔王メチャワールだったのだ。


「おぉ、よく覚えていてくれたな、嬉しいよ」


 メチャワールはガッハッハと高笑いをした。

 その高笑いは魔王その物であり、とても不気味であった。


「だが俺は今、メチャワールという名前じゃない。今は『あく 代官だいかん』という名前で生きてる」

「悪……代官……」


 ネイサンはメチャワール改め、悪の名前を鸚鵡おうむ返しした。

 しかし、この名前を聞いて恐れ慄いたのはネイサンだけであった。


「……なんか、そのまま悪者の名前って感じで分かりやすいですね」


 民夫が真顔でボソッと呟いた。

 すると作人も悪の顔を見ながら言った。


「確かに。時代劇に出てくる悪の親玉の総称だからな。ある意味でピッタリだわ」

「いや、ピッタリだわ、じゃねーよ」

「でも、最終的に将軍様が現れて負けちゃうんだよね」

「いや俺、名前で負け確定してるじゃん。誰が俺の名前決めたんだよ」


 悪が誰にでもなく訊くと、作人がいきなり手を挙げた。


「俺だよ」

「お前かよっ!」


 悪のツッコミもとい、大きな怒号がエントランスホールに反響した。

 そんな見事な漫才(?)に民夫は一瞬拍手をしかけた。


「お前ーーー」


 不意にネイサンが口を開いた。

 その声はいつもより低く、どこか怖さがあった。

 そんな声色に、悪は背中に寒気が走り思わず身構えた。


「なんか雰囲気変わったな」


 ネイサンは近所のおじさんみたいな事を言った。

 もっと違う事を言うと思っていたら悪は体が少しガクッと崩れかけた。


「なんだよ……あんなに声を低くしてた割に、言ってる事が久しぶりに会った友人かよ」


 悪の言葉にネイサンが真顔で答えた。


「いや、友人じゃないだろ」

「友人じゃないのは百も承知だよ!……てか、なんで俺がツッコミ担当なんだよ!」


 悪が思いの丈をこれでもかと叫んだ。

 すると、いきなり作人が悪の肩に手を置いた。

 そして満面の笑みで言った。


「多分、作者のせいだよ」

「良い迷惑だな、おいっ!」


 その後も悪は作人に対してガミガミ言っていた。

 まるで姑の様であった。

 そして、言い終えた後にネイサンの方を向き、不気味な笑みを浮かべた。


「そう言えば、まだ話してなかったな。俺が肩に担いでるモノを」


 悪が肩に担いでいるモノ。

 それは黒い布状のシーツに入れられており、中身は分からなかった。

 ネイサンと民夫の額から汗がたらりと流れ始めた。

 なんとなく嫌な感じ、いや、間違いなく嫌な感じがしたのだ。


「……そ、その中には何が入っているんだ?」


 ネイサンが恐る恐る訊くと、作人が動き出して黒いシーツのチャックを少しだけ開けたのだ。


「「!?」」


 二人は声にならない驚愕をした。

 何故なら、その中には憑郎つきろうが入っていたからである。


「ど、どうして……」


 民夫はそれしか言えず、ただ呆然と立ち尽くしながら憑郎を見るしか出来なかった。


「弾銃郎さんはどうしたんだ!?」


 ネイサンが叫ぶと、作人は当たり前かの様に話した。


「あの人なら今は眠ってるよ」

「眠ってる?」

「あぁ、これを使ってね」


 すると、作人が懐から銃を取り出した。

 その銃を見た瞬間、ネイサンと民夫は身構えた。


「そう怖がらなくて良いよ。弾はもう入ってないからね」


 作人が自嘲気味に言うと、実際に引き金を引いて弾が無い事を証明した。


「弾はその弾銃郎という男とこの憑郎に使ったのさ。……ボスが金をケチってたせいで、弾が二発しか買えなかったんだよ」


 作人はそう説明していたが、最後の方はゴニョゴニョ言っており、ネイサン達には聞き取れなかった。

 ネイサンはもう一度何を言っていたのか訊こうと思ったが、それよりも先に民夫が作人に訊いていた。


「憑郎さんを……憑郎さんをどうするんですか」


 民夫の声は普段と比べて小さく、そして震えていた。

 悲しみと不安が入り混じっている、そんな声であった。

 そして、その民夫の質問に答えたのは悪であった。


「どうするって、決まってるだろ。コイツを作者に合わせて会話をさせ、消えてもらうんだよ」


 民夫は両手で握り拳を作っていた。

 爪が食い込み、後一歩で血が出る寸前まで力を入れた。


「どうして憑郎が消えなきゃいけないんだ!」


 今度はネイサンが叫んだ。

 あまりにも理不尽で身勝手な答えに苛立ちが隠せなかった。


「そんな事、俺達に言われても困るよ。この作戦を考えたのはボスだからね」


 ネイサンとは対照的に作人が冷静にネイサンの質問に応えた。

 しかし、その回答は更に身勝手であった。


「ま、理由を知りたかったらボスに直接訊きな。……もし本当に会えたらね」


 作人はそう言うと目を更に細め、口角を上げてニヤリと笑った。

 その不適な笑みに二人は怒りが湧くのと同時に怖さも覚えた。


「さ、俺達はそろそろ仕事に戻るよ。このままじゃボスに怒られちゃう」


 作人がそう言うと体を玄関の方を向いた。


「今日二人に会えて良かったよ。また何処かで会おうな」


 それだけを言い残すと、スタスタと玄関から出て行った。

 悪も作人に続いて歩き始め、玄関まで歩いた。


「俺もお前の顔が見れて嬉しかったぜ。次はもっと絶望した顔を見せてくれよ」


 そして悪は玄関を出て行き、重い玄関扉を閉じた。

 ガチャンという重い音が四回反響した。

 暫くは二人共呆然としており、立ち尽くすのみであった。


 遂に起こってはならない事態になってしまった。

 避けねばならない運命がそのまま現実になってしまったのだ。

 もっと憑郎と一緒にいれば、もっと周りを注意しておけば、もっと早く起きていれば。

 しかし、もう何もかもが手遅れなのだ。

 二人共、立つのが限界でくずおれかけた時、


「勇!民夫!」


 二人を呼ぶ声がエントランスホールを木霊した。

 呼ばれた二人は顔を上げ、声のした方を向いた。

 自室である200号室から顔だけを出している侵入しんじゅが立っていた。


「急いであの二人を追いかけろっ!」

「で、でもーーー」

「『でも』じゃないだろ!二人にとって憑郎はその程度の繋がりなのか?」

「「!?」」


 侵入に言われて二人は気が付いた。

 自分達にとって、憑郎という人間は諦め切れる存在なのかと。


 答えは、否である。


 ネイサンと民夫はお互いに顔を見合い、同時に頷き合った。

 どうやら意見が一致したようだ。

 そして、今度は二人して侵入の方を向いた。


「侵入、ありがとう」

「侵入さんのおかげで前向きになれました」

「そうか、それなら良かった」


 ネイサンと民夫は頽れかけていた足をしっかりと立たせた。


「うん、その様子だと二人共、本当に大丈夫そうだな」

「はい、問題ないです」

「よし、それじゃあ時間が無いがこれを渡しておく」


 そう言うと侵入は部屋から出てきて、二人に一つずつ何か小さな物を手渡した。

 ネイサンはその物を確認してみたが、どんな代物かは分からなかった。


「侵入、これは一体……」

「ワイヤレスイヤホンだ」


 手渡されたのは、侵入お手製の白くて小さなイヤホンであった。


「二人共、そのイヤホンを右耳に装着して」


 二人は侵入に言われた通り、右耳に装着した。

 するといきなり侵入が自室へと戻って行った。

 そして、数秒後にイヤホンから侵入の声が聞こえたのであった。


『二人共、僕の声が聞こえるか?』

「はい、しっかり聞こえていますよ」

「あぁ、こっちも聞こえてる」


 暫くイヤホンから侵入がキーボードをカチャカチャと打つ音が聞こえてきた。

 そして最後にカタンッという、小気味よい音が聞こえた。


『よし……。今この小説荘を中心に、範囲100km以内の全ての監視カメラをジャックした』


 突然、侵入がとんでもない発言をした。


「えっ、そんな早く出来るものなのか?」

『おいおい、僕を誰だと思ってるんだい?見た目はアレだが天才ハッカーだぞ』


 侵入はパソコンの画面の前で腕を組みながら得意げになった。

 しかし直ぐに真剣な顔つきになり、急いで画面切り替えを始めた。


『とにかく、監視カメラをジャックしたから、これから奴らが何処を車で走るか分かるぞ。だから今すぐに追いかけて!』


 侵入が言葉を最後まで言い切る前に、ネイサンと民夫は既に階段を降り始めていた。

 間接的ではあるが、侵入の言葉はネイサンと民夫の背中を押したのである。

 そして、二人が階段を降り切った時、目の前にある管理人室に育代いくよが立っていたのだ。


「ほれ、わしの車を使いなさい」


 そう言って、車の鍵を民夫に投げ渡した。


「育代さん……ありがとうございます!」


 それだけを言い残し、ネイサン達は小説荘を走って後にしたのだ。


「勇、民夫……あとは頼んだぞ」


 二人を背中を見送った育代はそのまま管理人室に戻らず、エントランスホールの階段を上り始めた。

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