第26話 勇者は護衛をする 三日目①
ーーー朝。
夏特有のジリジリとした暑さと、咽せ返る様なジメジメとした湿気。
「う、うーん……」
昨日の夜はグッスリと寝ていたネイサンであったが、そんな暑さと湿気に無理矢理起こされた。
目を開き、重い体を起こし、大きな欠伸を一度した。
「……ん?」
ふと耳を傾けてみると、ここ日本に来てから一度も聞いた事の無い音が聞こえてきた。
気になったネイサンは窓に目をやった。
「今日は雨が降ってるのか」
窓の外では一つの雨粒が白い線を描く程、激しく雨が降っていた。
このジメジメした湿気は雨が原因であった。
原因が分かったのと同時に懐かしい記憶が蘇った。
「そう言えば、タキナール山を思い出すな」
それはネイサンがラノベの主人公である時のお話。
タキナール山とは年中激しい豪雨と雷が降っていた山の事である。
その斜面を流れる水はまるで滝の様であり、来る者全てを拒んでいた。
ネイサン達はこのタキナール山の火口付近にあるダンジョンを目指すのであるが、これはまた別のお話……。
ネイサンが何気無しに辺りを見回すと、一昨日IKEYOで買った時計が目に入った。
デジタル表記で、6時13分を表示していた。
「ちょっと寝過ぎたか」
ネイサンは一人言葉を洩らした。
いつも6時前に起きているネイサンであるが、雨の所為なのか少しだけ寝坊をした。
重い腰を上げてベッドから離れた時、妙に身体が痛い事に気付く。
筋肉が硬直しているのか、思う様に身体が動かない。
ネイサンは少しばかり疑問に思ったが、取るに足らないと考え、着替えを始めた。
「……あっ」
着替えを終えたネイサンは、リビングへと繋がるドアを開けた。
すると、そこには今までとは違う部屋が広がっていた。
いや、正確にはネイサンが住んでいる部屋のリビングなのだが、様々な家具が置かれているのだ。
六人で囲める長方形のテーブル。
鳥の刺繍がしてあるカーペット。
誰が描いたのか分からない、理解に苦しむ絵画など……。
キッチンには大きい食器棚が置かれており、中には色んな食器類がしまってある。
「そういえば、昨日まで家具の組み立てをしてたな」
一昨日IKEYOで買った家具を、ネイサン達は二日掛けて組み立てたのである。
何故そんな事を忘れていたのか……。
きっと疲れ過ぎていたのだ。
そうに違いないと考え、ネイサンは部屋を出ようとした時、再び筋肉に痛みを覚えた。
「なるほど、筋肉痛って事か……」
ネイサンがエントランスホールまで行くと、既に
「すまん、少し遅くなった!」
ネイサンはそう言いながら階段を下った。
その声に反応して、民夫と憑郎の二人が声のした方を振り向いた。
「あ、
民夫は声を上げ、椅子から立ち上がった。
「痛っっった!」
ネイサンが三人の前に着いた瞬間、両足に酷い筋肉痛が襲った。
「あはは、勇さんもですか」
「も?」
「実は僕も民夫さんも筋肉痛なんですよ」
憑郎がそう言いながら、少し困った顔をしていた。
「普段使わない筋肉を使ったからだろう」
今まで微動だにしなかった弾銃郎が、腕を組みながら喋った。
その声は前に聞いた時と同じく、冷静で何処か落ち着く声であった。
「風呂で全身を温め、タンパク質などの栄養素をちゃんと摂り、しっかり眠る事をお勧めする」
弾銃郎はやはり微動だにせず、大まかな筋肉痛の回復方法を教えてくれた。
ネイサンはそんな弾銃郎に一つ質問をした。
「栄養素を摂りって言ってたが、具体的にどんな物を食べれば良いんだ?」
その質問をされた瞬間、弾銃郎の目が光った気がした。
どうやらこの質問は地雷の様だ……。
「そうだな、まず大きく分けるとなるとタンパク質、ビタミンB群、ビタミンCやE、そしてポリフェノールだな。
タンパク質は言わずもがな、魚や鶏肉、大豆の事だ。
次にビタミンB群、これはビタミンB1、2、6、12そして、ナイアシン、パントテン酸、葉酸、ビオチンの事を指すんだ。
それでビタミンB1を多く含んでいるのは……」
「……」
弾銃郎の解説はマシンガンの如く、止まる事を知らなかった。
これはダメだと考えたネイサンは、ずっと喋り続ける弾銃郎を余所に、民夫と憑郎に質問をした。
「なぁ、二人は朝食を食べたか?」
「いえ、まだですよ」
「一緒に食べないか?」
「はい、喜んで!」
ネイサン達一同は、朝食を食べに食堂へと足を運んだ。
勿論、弾銃郎も一緒に。
15秒掛けて食堂に着いたネイサン達四人。
中はいつも通り、数十人が食事や談笑を楽しんでいた。
そんな人達に目もくれず、ネイサン達は足早にキッチンへと向かった。
キッチンには
今日の朝食は鮭の定食かサンドイッチのどちらかであった。
ネイサン達は悩んだ末、ネイサンと民夫は鮭の定食、憑郎と弾十郎はサンドイッチを選んだ。
四人共飲み物を選び、何処かの席に座ろうとした時、ある二人の人物が目に入った。
それはネイサンも知っている人であった。
あのゴーグルは……。
「
民夫がいきなり大きな声を上げた。
それと同時に駆け出していた。
ネイサン達も民夫に続いて歩き始めた。
民夫の声に気が付いた鍛冶炉はネイサン達の方を振り向いた。
「おぉ、お前達!」
鍛冶炉の加減の知らない
一瞬、気を失いかけたネイサンであった。
「おはよう!」
「おはようございます」
「おはよう」
各々が挨拶を終えると、民夫は巨内と鍛冶炉に質問をした。
「ここで一緒に食べても良いですか?」
「あぁ、もちろん大丈夫だ」
ネイサン達は鍛冶炉の席に相席する事にした。
そして、椅子に座ったネイサン達四人は、手を合わせて挨拶をした。
「「「「いただきます」」」」
「「「「「ごちそうさまでした」」」」」
朝食を心置きなく楽しんだネイサン達。
それぞれ自分のトレーを返却し、もう一度自分達が座っていた椅子に座った。
「さぁ、これからどうしようか」とネイサンが言おうとした時、
「あっ、そうだ!」
鍛冶炉が何かを思い出して声を上げた。
そして、急に民夫の方に顔を向けた。
「ちょっと困った事があってな。助けてくれないか?」
「僕は良いですけど……。どうしたんですか?」
民夫が鍛冶炉に訊くと、鍛冶炉は徐に自分のポケットを弄り始めた。
そして、何かを取り出した。
それは掌サイズの物で、黒く鈍く光っていた。
「それなんだ?」
ネイサンは怪訝そうに質問をすると、民夫が教えてくれた。
「そういえば勇さんは初めて見ますよね。これは携帯電話って言うんです。正確に言うとスマートフォンと言うんですけど」
「……」
民夫が何を言っているのか、ネイサンには何一つ理解する事が出来なかった。
ケイタイデンワ……スマートフォン……何かの呪文か?
ネイサンの頭の上には疑問符がいくつも浮いていた。
そんなネイサンを見た民夫は、「あはは」と苦笑いをする他無かった。
「えーっと、それで鍛冶炉さん。スマホがどうしたんですか?」
憑郎が話の軌道を修正した。
「それがだな……」
鍛冶炉が画面を民夫達に向けながら電源を入れた。
画面には鍛冶炉が剣を作っている画像が写っていた。
流石は鍛冶屋。
そして、鍛冶炉が画面を上にスワイプすると、1〜0の番号が出てきた。
一度、ネイサンは鍛冶炉の顔を見てみると、神妙な面持ちであった。
……相当深刻な事なのだろうか。
鍛冶炉がゆっくりと口を開けた。
「……暗証番号、忘れた」
ネイサンと鍛冶炉以外の皆んなが、一斉に椅子から崩れ落ちた。
テーブルに手を掛けながら、民夫は鍛冶炉に言った。
「か、鍛冶炉さん……今年に入ってもう27回目ですよ」
さすがの民夫も呆れた口調であった。
その顔を見てみると、苦笑いの中に怒りを感じた。
「いや〜、面目ない面目ない!」
鍛冶炉は悪びれる事も無く、ただひたすらにガッハッハと笑いながら頭をポリポリと掻いていた。
椅子から崩れ落ちた民夫達は、もう一度しっかりと座り直した。
民夫が一度深呼吸をし、鍛冶炉に顔を向けた。
「鍛冶炉さん、さすがの僕もそれはどうしようも出来ないです」
「そうだよな……」
「シンジュさんが居れば、なんとかなると思うのですがーーー」
民夫がいきなり知らない人の名前を出した。
ネイサンが誰なのだろうと思っていると、その答えは直ぐに出た。
「僕を呼んだか?」
急に民夫の後ろの席から、男の子の声が聞こえてきた。
見てみると、小さな男の子がハンバーガーを片手に持ちながら立っていた。
「シンジュさん!」
民夫が大きな声を出しながら、椅子から立ち上がった。
ネイサンは心の中で、まだ子供ではないか!と驚いていた。
しかし、よくよく思い返してみると、便(よすが)も見た目が子供であるが35歳なのである。
もしかしたらこの子も意外と歳なのかもしれない、と考えたネイサンであった。
「とても良いタイミングで来てくれましたね!」
「僕は君達がそこに座る前から居たぞ」
シンジュと呼ばれた男の子はハンバーガーを齧り、モグモグと咀嚼し始めた。
ネイサンがシンジュを凝視していると、シンジュがその視線に気が付いた。
「……どうした?」
「あ、いや……」
怖気付いてしまったネイサン。
何故か自分の心を読まれている様な、そんな感覚に一瞬陥ったのだ。
「あっ!」
またしても民夫が大きな感嘆の声をあげた。
そして、急にネイサンの方に顔を向けた。
「そう言えば、シンジュさんの紹介はまだでしたね。この方はラノベではハックという名前で、ここ日本では
民夫が何故か自慢気に侵入を紹介した。
紹介された当の本人は、未だにハンバーガーを齧っては咀嚼をしていた。
「で、侵入さん。この方はーーー」
「ラノベ名はネイサン。日本名は姉川 勇(あねかわ いさみ)だろ?」
民夫が紹介する前に、侵入はネイサンの名前をピシャリと言い当てた。
やはりこの子は人の心を読めるのかもしれない……。
「もしかして、もうハッキングしたんですか?」
「当たり前だ。僕を誰だと思ってる」
またしてもネイサンにとって意味の分からない単語が発せられた。
ネイサンが困惑の顔をしていると、民夫が説明してくれた。
「ハッキングというのは、コンピューターなどの機械に深い知識を持っている人が、その知識を利用してインターネットのあらゆる難題をクリアしていく人の事を言うんです」
もうネイサンにとっては分からない事だらけである。
あまりにも分からな過ぎてネイサンの脳はショートしてしまい、そういう物があるんだな、と完結する事にした。
「で、侵入はそのハッキングで俺の情報を手に入れたって事か?」
「そういう事です」
ネイサンは一度、侵入を足先から頭へと見入った。
こんな子供がそんな凄い事を。
改めてネイサンは感心した。
「でも、確か侵入さんってコンピューターの知識とか持ってなくて、適当に触ってーーー」
「うわーっ!やめろー!」
民夫の言葉に、侵入が急に声を張り上げた。
どうやら触れられたく無い部分なのだろう。
民夫と侵入以外の四人は、そっと両手で耳を覆った。
「ゼーゼーゼーゼー……。と、とにかく、僕はハッキングが得意なんだ。だから、鍛冶炉の爺さんの暗証番号くらいならハッキング出来る……」
侵入は大粒の汗を掻きながら言った。
「あと、勇。君はスマホを持ってないだろ。今日用事が無いのであれば、僕が一緒に買いに行ってやっても良いぞ」
侵入はネイサンの顔を見ながら言った。
ネイサンは一度民夫、憑郎、弾銃郎の三人の顔を見てみた。
全員なんの迷いもなく、ただ首を縦に振った。
「あぁ、今日は空いてる。一緒に行ってくれると心強い。よろしくお願いする」
「そうこなくっちゃ」
ネイサンは侵入に対して、椅子に座りながら頭を下げた。
そんなネイサンの態度に気を良くしたのか、侵入は満面の笑みであった。
「勇さん、侵入さんまだ8歳です」
「えっ、ちょっ!」
「あ、じゃあ、よろしく」
「おいっ!」
侵入は民夫の要らぬ情報と、その情報を聞いた後に態度を変えたネイサンに怒った。
しかしネイサンにとって、侵入か怒っている姿がなんだか微笑ましく思えてしまった。
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