第22話 勇者は鈍感である

「ありがとう、助かるのじゃ」


 育代いくよが感謝の意を表して頭を下げた。

 それを見た民夫たみおは、


「い、育代さん!頭を下げないで下さい!僕達にとっては当然の行動ですよ!」


 と、今まで見た事がない焦り様であった。


「民夫さん、いさみさん、また迷惑を掛けてごめんなさい……」


 憑郎つきろうも深々と頭を下げて謝った。


「いやいや、憑郎さんも頭を下げなくて良いですよ!」

「そうだ、困った時はお互い様、だろ?」

「……!?」

「ここは素直に『よろしく』だろ?」

「は、はい!よろしくお願いします!」


 場の空気が一気に明るくなり、全員の顔も明るくなった。

 今のこの気持ちならどんな相手でも返り討ちに出来る、そんな気持ちにさせる位に士気が上がっていた。




「……すんすん……なぁ、なんか変な臭いがしないか?」


 ネイサンは今いる位置からなんだか臭い匂いを感じた。

 すると、その場に居る全員が匂いを嗅ぎ始めた。


「確かに……何か焦げた臭いがしますね」


 民夫が冷静に分析をした。

 するとその2、3秒後、更に違う変化が起きた。


「ね、ねぇ……なんか煙たくなってないかしら」


 便よすがの言う通り、辺りが白い霧の様な物に包まれ始めていた。

 視界はどんどん白んできており、煙としてちゃんと認識出来るようになってきていた。

 皆が徐々にこの現象に気付いて慌て始めた時。


「あぁー!」


 一つの悲鳴が上がった。

 その声の正体はノドカであった。

 ノドカは急いでキッチンの奥へと駆け込んで行き、何かをカチャカチャといじっていた。


「グリルで魚を焼いていたの、忘れてたわー!」


 危うく火事になる一歩手前であった。

 ノドカは顔を俯かせながら、皿を持ってこっちにトボトボと歩いてきた。

 皿の上にはかつて魚だったであろう、黒い物体が三尾程乗っていた。

 ジューッという音と共に、煙を立てていた。


「……おばあちゃん、ごめんなさい」


 ノドカは泣きそうな声で育代に謝った。


「まったく、忘れちゃいけないじゃないか」

「……うっ……グスッ……」

「まぁ良いじゃろう。次からは気をつけるんじゃぞ」

「……うん」


 どうやら円満解決したらしい。

 しかし、ネイサンは一つ分かっていない事がある。

 それは…


「育代さん、申し訳ないんだが、この子は一体……?」

「「あっ……」」


 思わず民夫と便から感嘆の声を漏らした。

 そう、この『ノドカ』と呼ばれる女性の自己紹介がまだだったのである。


「そ、そう言えば、まだノドカちゃんの紹介はしてなかったわね……」

「僕も頭から抜けてました……」


 どうやら民夫も便も、憑郎の件で頭が一杯になっていたのだろう。

 現にネイサンも今の今まで憑郎の件で頭が一杯で、ノドカについて聞くのを忘れていたのだ。

 仕方ない、誰も悪くないのだ。

 強いて言えば、タイミングが悪い。


 ノドカは自分が持っている皿をキッチン台に置くと、ネイサンの方にクルリと体を回転させた。


「あ、あの…私、『和紋わもん のどか』って言います!」

「和って言うんだな?」

「は、はい!」

「俺の名前はーーー」

「勇、さんで間違ってないですよね?」

「あぁ、なんだ。分かっていたんだな」

「便さんや民夫さんが呼んでいたので」

「なるほどな。因みに上の名前は『姉川あねかわ』だ。これからよろしくな」

「は、はい!よろしくお願いします!」


 お互いに簡単な自己紹介を終えた。

 と思ったが、ここで民夫から補足が入った。


「勇さん勇さん、和さんって実は育代さんのお孫さんなんですよ!」

「あー、うん。会話の流れからそうだとは思ってたよ」


 どうやら知っている情報であった。


「しかも、育代さんのお孫さんですから、料理はどれも一級品なんですよ!」

「なるほど、料理の腕は受け継いでるし磨かれているんだな」

「まぁ、わしから言わせてもらうとまだまだじゃがのぉ〜。しかも、魚を焦がしておるし」

「あぅ〜……」


 育代に痛い所を突かれた和。

 思わず頭を抱えてしまった。


「ま、まぁ、育代さん。それ以上は止めてあげてくれ。和だってわざと焦がした訳じゃないんだろ?」

「い、勇さん……!」


 ネイサンはすかさずフォローを入れた。

 和の顔をチラッと見るとその顔はとても輝いており、憧れの様なつぶらな瞳をしていた。

 元はと言えば、便がキッチンに……というより和に言伝をし、それをいち早く教えてくれと催促したのが原因なのだ。


(……あれ、これ便が悪いみたいな事になってるな)


 一度ネイサンは便の顔を見てみた。

 その顔には怒りの文字がうっすら見えた気がした。


「なによ……」

「い、いや……なんでもない」


 もうこの詮索は諦めよう。

 ネイサンは育代の方を向き直った。

 育代は一度、大きなため息を吐くと話し始めた。


「まぁ、そうじゃな。色々頑張ってくれた事は褒めてやろう」

「おばあちゃん…ありがとう!」

「でも、次は本当に気をつけるんじゃぞ」

「う、うん……」


 一度再熱した問題は再び鎮火した。

 めでたしめでたし…………とはならなかった。


 全員、無惨な姿に変えられ、無残にも皿の上に乗せられた、かつて魚であった炭に視線が向いていた。

 未だに煙を放っており、熱々であった。


「こ、これ……どうしよう……?」


 和が物悲しげに小さく呟く。

 相当悲しんでいるのだろう。

 和の背中にはどんよりと暗いオーラが漂っていた。


「……これって食べれたりしますか?」


 民夫は恐る恐る、その場にいる全員に訊いてみた。

 すると、育代が一番初めに口を動かした。


「いや、ダメじゃな」


 全員が納得の答えであった。


「確か焦げには発がん性の物質がある、とか言ってたっけなー?」

「そう言えば、僕もそれ聞いた事あります」


 ごうが育代の答えに補足をすると、民夫も同調した。

 皆さんもご存じかと思いますが、『焦げ』には発がん性の物質があるらしい。

 そして、その成分は食物によって変わる様です。


「お嬢さん、その焦げた物は確か魚でしたよね?」


 弾銃郎だんじゅうろうが突拍子も無く、和にその焦げの正体を訊いた。

 すると、和は少しあたふたはしたものの、ちゃんと受け答えは出来た。


「えっ……あ、はい、魚です」


 そう、和が『グリルで魚を焼いているのを忘れていた』ことを、弾銃郎は覚えていたのだ。

 そして、ここで弾銃郎は……。


「魚の焦げに含まれる物質は『ヘテロサイクリックアミン』と言われている物質です。

 この物質は野菜やパンを焦がした時に含まれる『アクリルアミド』と比べると、発がん性への影響は低いと言われていますが……」


 頭の良さを遺憾無く発揮した弾銃郎。

 民夫が紹介した通り、本当に頭は良い様である。

 しかし、周りは全員ポカーンとしており、全くついて行けなかった。

 その事実に気がついた弾銃郎は一度咳払いを挟んだ。


「……と、とにかく。発がん性は低いですが、食べる事はお勧め出来ない、そういう事です」


 右手の人差し指で、二度クイっと眼鏡を直した。

 弾銃郎をよく見ると、少し頬を赤らめていたが、ここはあえて何も言わない事にしたネイサンであった。


「やっぱり……捨てないといけないですよね……」


 和が再びしょんぼりしながら喋り始めた。


「そうですね、捨てた方が良いかもしれませんね……」


 民夫も和の意見に賛同した。

 もうその場に居る者、全員がその焦げた魚を捨てた方が良いと考えていた。

 しかしこの中に一人だけ、納得出来ていない人物がいた。


「……いや、俺が食べる!」


 ネイサンであった。

 力強く声を張ったネイサンはキッチンの方へ、一歩前に歩いた。


「和、その皿を持っていてくれ」

「い、勇さん!ダメですよ!」

「そうよ!育代さんもダメだって言ってたじゃない!」


 民夫と便が同時に慌てふためきながら叫んだ。


「焦げは本当に凄くマズイんですよ!絶対食べちゃダメですよ」


 民夫がネイサンの片腕を掴みながら、再び呼びかけた。


「だが、命を粗末にしてはいけないだろ!折角忙しい中、和が作ってくれたんだ。無下には出来ない」

「勇さん……!」


 ネイサンの意志は固く、どんな言葉を掛けられても動じなかった。

 そんなネイサンの言葉を聞いた和は、とても嬉しかったが心中は複雑であった。


「はぁ〜……和、そのお皿を勇に出しなさい」

「お、おばあちゃん!?」


 ネイサンの言葉は和だけでなく、育代にも響いていた。

 突然の育代の発言に驚いた和であったが、おばあちゃんが言うのであればという事で、ネイサンの前に焦げた魚が乗っている皿とフォークを置いた。


「ありがとう」


 ネイサンは軽く和の向かって感謝した。

 和もそれに軽く会釈をし、その後は心配そうに見守るだけであった。


「では、いただきます」


 両手を合わし挨拶をするネイサン。


 この場にいる全員が見守る中、フォークを持ち、それを魚に刺す。

 ザクッという、魚らしからぬ音が周囲に響き渡った。

 フォークで刺した魚を持ち上げ、ネイサンは口に入れた。

 ネイサンの口の中ではジャリ、ジャリという音と共に苦い味に襲われていた。

 ネイサンの表情は一瞬ではあるが、苦い顔をした。


「い、勇さん……無理をせずに吐いても良いですよ……」


 心配で心配でたまらなかった民夫。

 口にせずにはいられなかった。

 しかしネイサンは何も言わず、ただ目を瞑って食べていた。

 その姿はどこか落ち着いていた。


 ネイサンは焦げの部分を、ただひたすらに咀嚼していた。

 するとある時、急に食感が変わったのである。

 それはとても小さい球体状の物であり、食感はプチプチしていた。

 その球体を歯で割ってみると、じゅわーと旨味が口一杯に広がった。

 そう、この魚の正体は『ししゃも』であった。

 十分に咀嚼をし、その味わいや風味を楽しんだ。

 そして、喉に流し込んだ。


「……うん、焦げてる部分はアレだが、中はしっかり焼けてて美味しかった」


 ネイサンは正直な感想を言った。

 すると周りから「おーっ」という感嘆と共に拍手が喝采した。


「い、勇さん……漢ですね!」

「いや、俺としては当然の事をしたまでだ」


 民夫はネイサンを称賛しながら、激しく拍手していた。


「勇、君は特転隊としてもやっていけると思う」

「あ、ありがとう……」


 弾銃郎も拍手をしながらそんな事を言った。

 少し嬉しかったのか、ネイサンは少し照れながら頭を掻いた。


 ふとネイサンは和の方を向くと和は両手で口を塞ぎ、目に涙を溜めていた。

 そんな和に、ネイサンは笑顔で一言添えた。


「美味しかったよ、和」

「ーーー!?あ、ありがとうございます!」


 和は両手を口から離し、何度もネイサンに感謝した。

 その頬は赤らめており、照れている様にも見えた。


「勇……なかなかのやり手ね」

「そうですね、こんな事言われたら惚れちゃいますよね」

「しかも、和って確か17歳だからイチコロよね」

「確かに思春期にあんな事言われたら、ときめいちゃいますよね」


 ネイサンの近くに居た民夫と便は、そんな会話で盛り上がっていた。


「ん、なんだ?」


 しかし、当の本人はあっけらかんとしており、どういう状況か理解していたかった。


「……もしかして、気付いてない?」

「そ、そうかもしれませんね……」

「はぁ〜、勇は恋愛に鈍感なのね」

「あ、あはははは……」

「?」


 便は左手で頭を押さえながら呆れ、民夫は少し引き攣った笑顔で苦笑いする他なかった。

 そして、ネイサンは自分の行動で和を射止めた事に気付いていなかった。


 一方、和というとキッチンの奥へと行き、ネイサンに背を向けていた。

 両手を頭に乗せ、体を小さく丸めていた。


(ど…どうしよう……心臓が破裂しちゃいそう……!)


 頭の中はネイサンで一杯になっていた。

「あわわわ」と小さく喚きながら、さっきのネイサンの笑顔を思い出していた。

 高校2年生の17歳の女の子には、ちょっとばかし刺激的過ぎたのであった。


 そんな悶絶している和を、少し離れた場所から見守る育代。


「カッカッカ!これだからこの小説荘は面白いのじゃ」


 一人違う視点でこの場を楽しんでいた育代であった。

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