第12話 勇者は新しい朝を迎える

 チュンチュン……チュンチュン……


 柔らかなそよ風と樹木の隙間から見え隠れする木漏れ日。

 小鳥達のさえずりが、今は朝である事を告げる。

 その囀りが合図であったのか、虫や動物達は起き上がり、本能のままに行動を開始した。

 植物達はそよ風になびかれ、葉の擦れ合う音はまるで合唱そのものであった。


 そんな気持ちの良い朝。

 一頭の蝶がヒラヒラと何かに導かれるかの様に一直線に飛んで行く。


 ヒラヒラ……ヒラヒラ……


 羽が黄色である為、太陽の光に照らされると黄金に光る蝶。

 そんな一頭の金色の蝶が陽の当たらない場所へ移り、黄色の蝶へと戻る。

 陽の当たらない場所に移った蝶は円を描きながら降下していき、遂にある場所へと降り立った。


「……すぅー……すぅー」


 そこでは静かな寝息が聞こえて来る。

 それ以外は何一つ聞こえなかった。

 暫く時間が経つと蝶がいる場所に再び陽の光が射し込んで来た。

 陽の光を浴びた蝶はまた黄金に光り始め、辺りが次第に暖かくなる。

 いつまでも日向ぼっこをしたい気分にさせてくれる。

 しかし、蝶はその場で激しく羽を動かし始めた。


「う…うーんっ!」


 ネイサンの起床である。

 顔に陽の光を浴びたネイサンは少しずつ目を開けていった。

 その眼前には、黄金色に光る何かがいた。

 脳がまだ覚醒していない為、目の前に広がるそれを理解出来ない。

 しかし、時間を掛けて見てみるとそれが蝶である事をしっかり認識する事が出来た。

 蝶はネイサンの鼻に降り立っていたのである。


「なんだ、蝶か」


 一言ボソッと呟くとネイサンは上半身を起こし、右手の人差し指を蝶の前に差し出した。

 すると、まるで意思疎通が出来ているのか、蝶はネイサンの人差し指に乗った。


「君が起こしてくれたんだな。ありがとう」


 ネイサンが小さい声で蝶に話しかけた。

 そして、またも意思疎通しているのか蝶は羽を開いたり閉じたりして応えた。


「よい…しょ」


 ネイサンはベッドから離れて窓に近づいた。

 そして、蝶が乗っている人差し指を外に向けた。


「さぁ、羽ばたきなさい。君には広い世界がお似合いだ」


 その言葉を合図に蝶はネイサンの人差し指から離れ、どこまでも続く広い世界へと旅立った。


「うーっん、と!」


 ネイサンは一度、背伸びをした。

 起きたばかりである為、身体の筋肉が伸びているのがとても分かる。


「よしっ!」


 ネイサンは気合を入れると開けっ放しだった窓を閉め、そのままの格好で自室を後にした。




 食堂に向かおうと一階に降りようとした時、何処からか声を掛けられた。


「ネイサンさーん!」


 ネイサンは辺りを見回すと、201号室から出てきたばかりの民夫たみおが立っていた。

 物凄くキラキラした笑顔をネイサンに向けていた。

 その笑顔のままネイサンに駆け寄ってきた。


(まるで犬みたいだな……)


 ネイサンは心の中でそう呟いた。


「犬ではなく、民夫ですよ?」

「心を勝手に読むな!」

「心じゃなくて顔に書いてありますよ?」

「えっ?本当に……?」


 思わずネイサンは手で顔を触った。

 が、すぐに民夫が笑った為、嘘である事が分かった。


「あんまり茶化さないでくれよ、民夫」


 ネイサンは民夫に対する怒りを沸々と沸かせていた。


「ハハハッ!ごめんなさい、ネイサンさん」

「……」

「これから食堂ですか?」

「あぁ、そうだ」

「では一緒に行きませんか?」

「……良いぞ」


 なんだかんだで優しいネイサンであった。




 ネイサンと民夫は二人『仲良く』食堂に入った。

 中には昨日程ではないが多くの人で賑わっていた。


「まだ6時半なのに、皆さん早いですよね」

「確かにそうだな」

(てか、今6時半なのか)


 ネイサンは今、時間を把握した。

 ネイサンと民夫はキッチンにいる育代いくよに話しかけた。


「育代さん、何しているんですか?」

「ん?民夫か。わしは今洗い物をしとる」


 ネイサンと民夫は育代が洗っている物に目をやった。

 ーー昨日使っていた、電子メガホンであった。


「ちょっ、育代さん!それ洗っちゃダメ!」


 珍しく民夫が叫んだ。

 すると、キッチンの奥から他の人が出てきた。

 縦に長いコック帽を頭に被り、純白の白い服を着た男性であった。

 目があまり開いてなく、かなり眠そうであった。


「どうしたんすか〜?」


 その男は気怠けだるそうに訊いてきた。

 そのリアクションとは反対に民夫が危機迫る顔と口調で言い放った。


「コバクさん!育代さんが洗ってる物を見てください!」


 民夫に『コバク』と呼ばれた人物は、育代が作業をしている流し台を見た。


「あ〜、メガホンを洗ってますね〜。…………メガホンッ!?」


 さすがの眠そうだったコバクも目をまん丸に見開き絶叫した。

 そして、急いで育代の持っているメガホンを取り上げた。


「い、育代さん、何やってんすか!」

「何って……。それを洗ってただけじゃよ」

「これは洗っちゃいけないんです!」

「そうなんじゃな…」

(俺ら、一体何を見せられているんだ……)


 ツッコミをせずにはいられなかったネイサン。

 ただ呆然と民夫と一緒に見る事しか出来なかった。


「あーもう…。そう言えば育代さん、今日は用事あるんすよね?そっちを片付けたらどうです?ここは俺やっときますんで」

「良いのかい、コウ君」

「これくらい簡単すよ」


 育代は少し考えていた。

 5秒程、間が開いた末、


「……分かった。それじゃあ頼むよ」


 渋々であったが了承した。


 育代がキッチンを去り、ネイサンと民夫、そして流し台を隔ててコバクの3人がその場に残った。


「ふぅ〜……民夫、助かったぜ」

「どういたしまして。大事にならなくて良かったですね」

「ホントだぜ」


 会話が一旦終了した時、ネイサンとコバクの視線が合った。


「……そういえば、民夫。この人は?」

「あっ、そういえばまだ紹介してなかったですね」


 民夫はいかにもわざとらしい咳払いを一つした。


「コバクさん、この人は昨日からここに住む事になった『ネイサン』という方です。因みに、日本名はまだ貰ってません」


 ネイサンは軽く会釈をした。


「そして、ネイサンさん。この人は小麦こばく こうさんと言います。小麦さんはここでパン職人をしてる人なんですよ!」


 民夫が得意気に言い放った。

 なんでお前が得意気なんだ、とツッコミをしたかったが、前にもやった気がしたのでここはあえてスルーを決めたネイサンであった。


「ネイサン、よろしくな〜」

「あぁ、こちらこそよろしく、酵」


 これでネイサンと酵、二人の自己紹介が終わった。

 終わった途端、民夫が酵に訊ねた。


「小麦さん、今日の朝食はどんなパンですか?」

「今日はクロワッサンにメロンパン、他にもバゲットとか作ったぞ」


 ネイサンにとって今出た単語はもはや呪文でしかなかった。


(一体、どんな物なんだ……?)


 昨日の夕飯を考えると期待半分不安半分であった。

 しかし、ネイサンが不安がっているのを他所に、民夫が色々決めていった。


「じゃあ、クロワッサンを3つずつお願いしようかな?」

「あいよ」


 酵はトレーを二つ出し、その上に少し大きめの皿、そして更にその皿にクロワッサンを3ずつ置いていった。


「あ、そうだ。飲み物はカフェオレが良いぞ」


 と、酵がオススメの飲み物まで教えてくれた。


「小麦さん、ありがとう!はい、これお代」

「毎度あり〜」


 こうしてネイサンと民夫は酵と別れ、無料であるドリンクバーでカフェオレを選び、適当な席に座った。


「……こ、これがクロワッサン、か」


 ネイサンは物珍しそうに呟いた。

 それもそのはず。

 クロワッサンを見た事がない、というよりパンすら見た事が無かったからである。


「ネイサンさん、パクッと食べてみて下さい」


 民夫がまるで悪魔の囁きの様に、ネイサンに催促した。

 ネイサンは少し不安であった。

 本当に美味しいのか、と…。

 しかし、クロワッサン自体の小麦の匂いとその上に塗られているバターの香りが食欲を増し、口一杯に頬張って幸せになりたい、そう思わせてくるのである。


「ーーーっく!」


 ネイサンは思い切ってクロワッサンを齧った。

 外はサクッ、中はフワッとしていて、いつまでも口の中に入れておきたい気持ちになった。


「ネイサンさん、今度はカフェオレも」


 また悪魔の囁きを聞いてしまったネイサンは、言われるがままにカフェオレを飲んだ。

 カフェオレの甘くてほろ苦い味が、クロワッサンの甘さとバターのコクで調和して、また違う物へと昇華した。


「……う、美味い……!」


 ただ一言、それだけしか言えなかった。

 ネイサンの語彙力はクロワッサンとカフェオレに奪われたのだ。


 そんな感動しているネイサンを正面から民夫が両手で頬杖を突きながら、ニコニコして見ていた。


「な、なんだよ」

「いや〜、まるで自分の事の様に嬉しくなってしまって」

「う、うるさい……」


 少し照れ臭くなったネイサンであった。




「「ごちそうさまでした」」


 ネイサンと民夫はしっかりと挨拶を終えると、トレーとお皿をキッチンに返した。


「さて、これからどうしましょう?」

「いや、どうしましょう、て言われてもな……」


 ネイサンと民夫、二人で今日の予定について話をしていると、二人の背後から一つの影が忍び寄って来た。


「そういえば、日用品とか無いですよね?」

「確かに、言われてみたら何も無いな」

「では、今日は買い物をしましょう!」

「その前にっ!」


 二人の背後から忍び寄っていた影が、突然大きな声を出した。


「「ーーー!?」」


 驚いた二人は同時に後ろを振り向いた。

 振り向くとそこには育代が立っていた。


「い、育代さんっ!驚かせないで下さいよ〜」

「いや〜、すまんすまん」

(あ、多分これは反省してないな)


 ネイサン、正解である。


「それで、どうしたんだ?育代さん」


 どうして育代が二人を止めたのかネイサンは訊いてみた。


「あ〜、そうじゃったそうじゃった。ネイサン、おぬしに渡したい物がある」


 そう言って、育代は一封の封筒をネイサンに差し出した。

 それはA4サイズの封筒であった。


「こ、これは何だ?」

「おぬしの新しい、日本での名前じゃよ」

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