第10話 勇者は初めての風呂に入る

『風呂』という存在を知らなかったネイサン。

 この事実に、ネイサン以外の4人は仰天した。

 今まで何のリアクションもしなかった、あの巨内(きょだい)でさえもだ。


「ネ、ネイサンさん……。今までどうやって身体を綺麗にしていたんですか?」


 民夫たみおが恐る恐るネイサンに訊いた。

 すると、ネイサンはさも当たり前の様に答えた。


「え、浄化魔法で綺麗にしてたが」

「なるほどね」


 便よすがが納得した。


「そんな魔法あるんですか?」


 納得しきれない、というよりちゃんと理解出来ていない民夫は便に尋ねた。


「少なくともあたしが居た世界ではそんな魔法は無かったわ。でも毒を治したりする魔法はあったから、身体を綺麗にする魔法があってもおかしくないわ」

「そういうものなんですかね……」


 民夫は若干腑に落ちていないが、便が言うのだからそうなのだろう。

 いや、そう思う事にした。


「で、結局風呂ってなんだ?」


 ネイサンが再度、訊き直した。


「風呂ってのは身体を綺麗にし、湯船に入って心も身体も癒す場所だ」


 鍛冶炉かじろがネイサンに向かって説明した。

 しかし、この説明でもネイサンにはイマイチ分からなかった。


「やっぱりよく分からないな」


 ネイサンは皆んなに聞こえるギリギリの声を洩らした。


「まぁ、実際に行ってみるのが分かりやすいと思いますよ。あ!それじゃあ、一緒にお風呂に入りませんか?」


 民夫がネイサンを風呂に誘った。

 その目は純粋でキラキラと輝いていた。

 ネイサンは少し迷った。

 このまま民夫の流れに乗ってしまって良いものなのか。

 しかし、風呂というものに興味はあるネイサンである。

 ここで断ってしまったら、二度と風呂に入れないかもしれない。


「……良いのか?」

「はい、勿論!」

「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて……」

「はい!巨内さんと鍛冶炉さんも一緒に行きますか?」

「おうよ!俺もこれから銭湯に行こうと思ってた所なんだよ!」


 民夫が巨内と鍛冶炉を誘うと鍛冶炉はもちろん、巨内も縦に一回頭を振って肯定した。


「では、決まりですね」

「それじゃ、あたしはここでお別れね」

「え、便も一緒に行かないのか?」


 便が一緒に風呂に来ない事を不思議に思ったネイサンである。


「えぇ。あんた達と一緒に行った所で一緒に入れる訳ないし。あたしは自分の部屋でゆっくりお風呂に浸かりたいのよ」

「そうなのか」

(一緒に入れないってどう言う事だ?)


 便の一緒に行かない意思が強いと分かり、仕方なくここは引く事にした。

 そして、再び疑問も増えた。


「では、思い立ったが吉日!早速、お風呂に行きましょう!」


 民夫は一言上げ、椅子から立ち上がった。

 それに続くかの様に巨内、鍛冶炉も立ち上がった。

 釣られてネイサンも椅子から離れた。


「では、便さん、おやすみなさい」

「嬢ちゃん、おやすみ!」

「えぇ、皆んなおやすみ」

「……」


 ネイサン以外が挨拶を交わし(一人無言が居たが)、一行は食堂を後にした。




 エントランスホールに出た男四人衆。

 一度、立ち止まって話をしだした。


「一回自分達の部屋に戻って服を取って来ましょう」

「あぁ、そうだな」

「……」

(どうして服なんか持ってこないといけないんだ?)


 ネイサンの疑問は膨らむばかりである。


「ネイサンさんは先に三階に行っててもらっても良いですか?」

「え、あ、あぁ良いとも」


 ネイサンは度重なる疑問を考えるばかり、不意に掛けられた言葉に上手く対応出来なかった。


「では」


 一同は解散した。

 巨内と鍛冶炉は一階に、民夫は二階に、ネイサンは三階へとそれぞれ向かった。




 先に三階に着いたネイサンは、一度このフロアを観察してみる事にした。

 構造的には二階とほぼ変わらなかった。

 左右に通路があり、中央正面にガラス張りの自動ドアが備え付けられていた。


(もしかして、ここが風呂という場所か?)


 ネイサンの直感がそう感じとった。


(うーん、入るのに躊躇われるな……少しここで待つとするか)


 ネイサンは民夫達が来るまで、自動ドアの前で待つ事にした。




 待つ事五分。

 民夫、鍛冶炉、巨内の順で三階にやって来た。


「全員来たな」

「そうですね。では、行きましょう」


 特にこれといった話をせず、すぐに自動ドアを通った。

 皆んな早く風呂に入りたい一心である。




 自動ドアを通り、通路に沿って歩いて行くと、少し広い場所に出た。

 左右に色の違う暖簾のれんが掛けられており、右には赤い暖簾で『女』と書かれており、左には青い暖簾で『男』と書かれていた。


(なるほど、一緒に入れないとはそう言う事か)


 便が言っていた事をようやく理解したネイサン。

 そして、正面にネイサンよりも少し高い所に人が居た。


「ツガイさん、こんばんは〜」


 民夫がその人に親しみを感じる挨拶をした。


「あら、民夫君じゃない!こんばんは」


 ツガイと呼ばれた人は女性であり、歳は多分30から40の間であろう。

 眼鏡を掛けており、とても元気のある人だ。


「それにそれ君と鍛冶炉さんも一緒じゃない。珍しい組み合わせね」

「そうなんですよ〜」


 民夫とツガイはかなり仲の良いみたいである。

 あと、『其君』とは巨内のあだ名である。


「それに、見かけない人もいるわね」


 ツガイはネイサンをギロっと睨んだ。

 その視線でネイサンは変な汗が出始めた。


「ツガイさん、今日からまた新たな人が入ったんですよ!ネイサン、ていう方なんです」

「ど、どうも」


 民夫がネイサンを紹介した。

 さっきの視線に少し怯えていたネイサンは、それ以上は何も言えなかった。


「『ネイサン』って日本名?それともラノベ名?」


 ツガイが単純な疑問を発した。


「ラノベ名だ。まだ日本名貰ってないみたいだぜ」


 今度は鍛冶炉が代わりに答えた。


「そうなのね!はじめまして、私はつがいって言うの。よろしくね!」

「は、はい、よろしく……」


 番が自分で自己紹介をしたが、ネイサンの返しは何処かぎこちなかった。

 少し変に感じたのである。

 というのも、番が自己紹介をしている最中、視線がネイサンの顔ではなく、身体に行っていたからである。


「番さん、お風呂セットを4つお願いしても良いですか?」

「ん、4つね。はいよ」


 番に身体を睨まれていた中、民夫が話しかけてくれたお陰でその視線が切れた。

 ネイサンは心の中で民夫に感謝した。

 番が用意したお風呂セットが四人全員に行き届いた。

 風呂桶や身体を洗う物、ボディーソープ、シャンプー、リンスが入っていた。


「よし、それじゃあ行きま……うわっ!」


 民夫が青い暖簾をくぐろうとした時、誰かとぶつかったみたいである。


「すみません……って、憑郎つきろうさん!?」


 民夫とぶつかった人は憑郎という、少し身体が小さく長髪で顔が青白い人であった。


「ご、ごめんなさい……。ちゃんと見えてなかった」


 その声は物腰の柔らかい声色であるが、かなり小さい声であるため聞き取るのが少々大変であった。


「おいおい兄ちゃん、大丈夫か?顔色が凄く悪いぞ?」


 鍛治炉の言う通り、憑郎と呼ばれる人の顔はとても白かった。

 さすがの鍛冶炉もかなり心配していた。


「だ、大丈夫です……」


 そう言って、憑郎は番にお風呂セットを渡した。


「では、僕はこれで」


 それだけ言い残すと、憑郎は出口へと去った。

 凄く焦っているような感じであった。


「憑郎さん、大丈夫ですかね?ちょっと心配です」

「なんだか最近、幽霊だけじゃなくてストーカーにも目を付けられてるみたいよ」


 憑郎の体調が優れてなさそうな原因を番が教えてくれた。


「幽霊であるかストーカーであるかなんて、分かるものなのか?」

「彼には分かるのよ。いつも幽霊に憑き纏われてる彼には。だから、逆に人の視線には敏感なのよ」


 ネイサンの疑問に番がまた答えた。

 すると、番が頬杖を突いて、


「はぁ〜、残念。憑郎君の身体、結構筋肉質で好きなのよね〜。もうちょっと見ていたかったわ」

「……」


 急にそんな事をぼやき始めた。

 身の危険を感じたネイサンは脱衣所へと早足に駆け込んだ。




 脱衣所の中はかなり清潔感のある印象であった。

 木製のロッカーがズラッと並んでおり、かなりの大人数が来ても問題ないくらいに並んでいる。

 全身が写せる鏡が3つあったり、マッサージチェアーが5つあったりと、銭湯としてはかなり充実している。


 ネイサン達は適当にロッカーを選び、各々服を脱ぎ始めた。

 ネイサンも皆んなの真似をして服を脱ぎ始めた。

 ネイサンが上着を脱ぐと、急に民夫が寄って来た。

 寄ってきた民夫に、ネイサンは少し驚いた。


「うぉっ!?な、なんだよ民夫」

「ネイサンさん、良かったらこの服、使ってください。僕の服ですが」


 そう言って、民夫が上着とズボンを差し出した。


「あ、ありがとう。助かるよ」


 同じ服を着ようと思っていたネイサンは素直に嬉しく思い、民夫の服を借りる事にした。




 ガラガラガラッ!


 服を脱いで全裸になった四人は、風呂場の前に置いてあった風呂椅子を持って風呂場に入った。

 いかにも銭湯らしい、タイル張りの床、腰くらいまでしかない壁が二列、壁から生えてる蛇口などがあった。


 四人は横に並んで座る事にした。

 ネイサン以外の三人は、慣れた手つきでシャンプーのボトルをワンプッシュした。

 まごついてるネイサンに、民夫が教えてあげた。


「ネイサンさん、『シャンプー』って書いてあるボトルがあるの分かりますか?」

「あぁ」

「それを掌にワンプッシュしてください」


 ネイサンは民夫に言われた通り、シャンプーのボトルを掌にワンプッシュした。


「な、なんだこれは!?」


 掌に出てきた液体に、ネイサンは驚いた。


「シャンプーですよ。では、次に両手で泡立ててください。こんな風に」


 民夫が両手を使ってシャンプーを泡立てた。

 ネイサンもそれに倣って泡立てる。


「おぉ、これは凄いな!」


 初めての経験で興奮するネイサン。

 それを見て微笑ましく思う民夫。

 何も気にせず、黙々と身体を洗う鍛冶炉と巨内。

 こんな感じで、ネイサンは民夫に教えてもらいながら身体を洗った。




 身体を洗い切った四人は、遂に湯船に浸かる事にした。

 普通の湯船と電気風呂があるが、今回は普通の湯船のみに入る事にした。

 四人同時に湯船に入った事により、ザブーンッとお湯が溢れてしまった。


「「「ふーーぅ」」」


 巨内以外の三人は、つい息が漏れてしまった。

 何も経験した事がないネイサンさえも。


「やっぱりお風呂は良いですね〜」


 民夫が湯船の中で背伸びをしながら言った。


「こうやって風呂に入らないと一日が終わらんな!」


 鍛冶炉もそんな事を大声で言っていた。

 そういえば「風呂でもゴーグルは外さないんだな」と言おうとしたが、もう面倒なので心の中にしまっておく事にした。

 巨内の方を見ると、目を瞑りながら入っていた。

 よく見ると、広角が上がっている様に見えた。


「ネイサンさん、どうですか?」

「あぁ、凄く気持ちが良い。これは何回でも浸かりたくなるな」

「それは良かったです!」


 ネイサンはいたく気に入ったらしく、暫く出たくないと思っていた。




 ふと、ネイサンは壁を見上げた。


「民夫、これは何の絵だ?」


 それは日本人であれば、誰もが知る絵である。


「これは『富士山』という、ここ日本を代表する山です」

「こんな綺麗な山が本当にあるのか?」

「はい、ありますよ。といっても僕も一度も行ったこと無いんですけどね」


 民夫が恥ずかしそうに頭を掻いた。

 ネイサンはもう一度、富士山の絵を凝視した。


「……行ってみたいな」


 ネイサンはボソッと呟いた。


「では、いつか一緒に行きましょう」

「あぁ、そうだな」


 ネイサンと民夫の間で一つの約束が生まれた瞬間であった。




「さて、そろそろ出ましょう。これ以上浸かっているとのぼせてしまいます」


 民夫の鶴の一声で、四人は湯船から出る事にした。

 風呂場を出てそれぞれ身体を拭いたり、服を着たりしている時、ネイサンは一つ驚いた事がある。

 民夫から借りた服が動きやすくてピッタリなのである。

 ネイサンと民夫の身長は10センチ程度違うのにも関わらず。


(……ま、いっか)


 お風呂に入った事により、ツッコミ力がガクンと下がったネイサンであった。


 風呂椅子を『使用済み』と書かれた場所に置き、ネイサン達は番がいるホールへと出た。


「番さん、今日のお風呂も気持ちよかったです!」

「おぉ、そう言ってくれるとこっちも嬉しいよ〜」


 民夫と番が仲良く話し始めた。


「いや〜、毎日風呂に入らんと一日が終わった感じがせんな!」

「鍛冶炉さん、良い過ぎやって〜」


 鍛冶炉がまた大声でガーハッハッハと笑いながら、番さんも釣られて口を手で隠しながら笑っていた。

 ネイサンもその光景を見て、つい広角が上がってしまった。


「ネイサン君、お風呂どうだった?」


 急に番がネイサンにお風呂の感想を訊いてきた。


「あぁ、とても気持ちが良かった。また、ここに来たいと思ってる!」


 ネイサンが素直に、心からの感想を番に話した。


「それは良かった!いつでも来てくれて良いからね」

「ありがとう、番さん」


 番の視線はネイサンの顔ではなく、やっぱり身体であった。

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