第7話 勇者は新たな匂いに出会う

 お腹が減ったネイサンたち五人はエントランスホール正面の通路の先、食堂を目指していた。

 正面の通路にはドアは無く、既に食堂の中が見えていた。


「ん?なんだこの匂いは」


 通路を歩いていると、ネイサンは一度も嗅いだ事がない匂いに気がついた。

 しかし警戒するような匂いではなく、寧ろ食欲をそそる良い匂いであった。


「これは醤油の匂いですね」

「ショウユ?なんだそれは?」


 分からない単語が出てきたネイサンは、民夫たみおに訊いた。

 すると、民夫が優しく教えてくれた。


「醤油とは調味料の一つなんですよ。大豆などの穀物を原料とし、塩や砂糖、そして微生物による発酵で造られているみたいです」

「なるほど、よく分からないが美味しい物なんだな……」

「はい!」


 ネイサンは自分が分かって無い事を素直に伝えた。

 しかし、よく伝わって無いのにも関わらず、民夫はどうしてか上機嫌であった。


「今日の夕飯は何だろうな〜!」


 妙にテンションが高い民夫であった。

 そんな民夫を見て、ネイサンのテンションは反比例するかの如く下がっていった。

 なんだか、嫌な予感がする……。

 ネイサンはそう思わずにはいられなかった。




 食堂に着いた一行。

 中の構造はネイサンの部屋と同様、敷地面積以上に広い空間が広がっていた。

 いくつあるか分からないテーブルと椅子。

 上から吊り下げられた、辺りを暖色に彩るライト。

 壁には様々な人によって描かれた絵画が飾られていたり、所々に観葉植物まで置かれていた。

 端にはテレビが置かれており、その隣にはよく分からない機材が積み重なって置かれていた。


 そして、カチャンカチャンと金属の音がしたり、パチパチと何かが焼ける音がしていた。


「ここも広いな」

「そうですよ。この食堂も皆さんのお部屋同様、人の意思によって変化しているんです」


 民夫が説明をした時、ネイサンは気になった事があった。


「ちょっと待て、人の意思で変化するんだったら、これは誰の意思で変化した空間なんだ?」


 民夫がネイサンの顔を見ながらキョトンとした。


「誰って、それは……」

育代いくよさんの意思よ」


 便よすがが民夫の発言を遮って答えた。


「育代さんが?」

「そう。あの人の意思によってこの空間が変わったのよ」


 便がネイサン達よりも一歩前に出る。


「育代さん、昔は民宿をやってたらしくてね。ここに住んでるのはその延長線みたいなものよ。ほら」


 そう言って、便はある場所を指差した。

 それは食堂入って左手奥。

 そこはキッチンであった。

 上部が露わになっており、調理風景が丸分かりであった。


「見えるかしら。あの右にいる人」


 便はネイサンに教えた。

 その教え通りに見てみると、そこには育代が立っていた。


「あぁ、見える。育代さんがいるな」


 ネイサンが呟いた。


「わしには見えんな!」

「爺さんには言ってない!」


 鍛冶炉かじろの発言に便がツッコむ。


 キッチンには何人か働いている人がいた。

 それは男性も女性もどちらもである。

 その中で育代はコンロの前に立っており、蓋をしているフライパンを凝視していた。

 全く動かない。

 生きていないのでは?と思わせる位、微動だにしなかった。


 パチパチパチパチ……


 フライパンの中で何かが焼かれている音。

 それは水分がまだ含まれている証拠の音。


 パチパチパチパチ……


「育代さん、全く動いてな……」


 ネイサンが育代を心配した時、


 パチパチパチパチ…パチンッ!


 焼ける音色が変わった。

 それはさっきから鳴っていた音とは違う、一音上の音であった。

 焼ける音色が変わったのと同時に育代は動き始めた。

 蓋を取り、小鉢を持って中身をフライパンに振りかけた。


「!?」


 それは一瞬の出来事であった。

 育代は目にも止まらぬ早さで一連の動作を行ったのである。

 全く無駄の無い職人芸。

 ネイサンは驚愕する他無かった。


 ジュワーー!


 育代が小鉢の中身を入れた事により、フライパンの中では音が大盛り上がりであった。

 食堂内ではこの音が聞こえない場所なんで無いだろう。

 それと同時にネイサンはある事に気がついた。


「この匂い……さっきも嗅いだぞ!」


 他の調味料では一切説明が出来ない匂い。

 しかし、今回も嫌な感じは無く寧ろその逆である。

 香ばしくも何処か甘さを感じさせる、芳醇な香りである。


「これが醤油の匂いです!」


 民夫はまるで自分の事の様に自慢した。

 その顔はしたり顔であった。




 育代の料理姿や醤油の談義をしていると、育代がネイサン達に気がついた。

 そして懐から何かを取り出し、それを口元まで持っていった。


「おぉ、おぬしらやっと来たか!!!はよ、こっちに来んかい!!!」


 ネイサンは耳が壊れたかと思った。

 突然、鼓膜を突き破ってくるかの様な劈(つんざ)く声が聞こえてきたのだ。

 脳が揺さぶられ、一瞬倒れかけてしまった。

 育代が懐から取り出した物は電子式のメガホンであった。


「育代さん、そのメガホンうるさいからやめて!」


 便は耳を両手で塞ぎ、涙目になりながら育代に言い放った。


「なんだ!?何言ってるか分からんぞ!!!」


 再びとんでもない音がネイサン達を襲う。

 ネイサンは倒れかけそうになったが、なんとか踏み留まった。


「育代さん、それを使うのをやめろ!こっちは十分聞こえている!」


 今度はネイサンが育代に叫んだ。


「あぁ、なんだ。ちゃんと聞こえてるんじゃな。ならこれはもう要らないのう」


 そう言い、育代は電子メガホンを流しに入れた。

 調理場が少し騒ついていた。

 育代による音波攻撃に耐えたネイサンは、他の四人を確認した。


 便は相変わらずうずくまって泣いていた。

 巨内きょだいもさすがに辛かったのか、顔が引きっていた。

 何のリアクションもしていなかったのは鍛冶炉と民夫の二人であった。

 思わずにネイサンは二人に訊いた。


「どうして民夫と鍛冶炉さんは平気なんだ?」


 すると、民夫が答えてくれた。


「あ、僕は耳栓してたので平気でした」


 民夫は顔を輝かせ、黒い星を周りに散らつかせていた。

 一方、鍛冶炉は未だに何の返答も無かった。


(おかしいな。あれだけの大音量を直に食らったはずなのに……これは)


 ネイサンは鍛冶炉に近づき、肩を揺さぶってみた。


「おい、鍛冶炉、大丈夫か!?」


 強めにネイサンが鍛冶炉を揺さぶってみると、ちゃんとリアクションをしてくれた。


「……むにゃ……」

「は?」


 ただただ寝ていた。

 もう意味が分からなかった。

 あれだけの大音量の中、寝ていられる神経が分からなかった。

 なんとなく腹が立ったネイサンは、鍛冶炉の肩を理不尽に一発パチンッと叩いた。


「……ん?俺、なんで叩かれたんだ?」




 ネイサン達五人は、育代のいるキッチンへと歩み寄った。

 中ではまだ忙しなく動いている人でいっぱいであった。

 そんな中、育代だけとても余裕そうであった。


「よう来たの〜、おぬしら」

「こんばんは、育代さん。今日はどんなメニューですか?」


 民夫が普段からしているかの様な会話をし始めた。


「今日のメニューは和食じゃよ」

「やった!」


 民夫は子供の様にキャッキャと喜んでいた。

 それとは反対に悲しむ声をあった。


「えー、今日は和食か。あたし、食べれる物無いかも……」


 便は悲しみに暮れていた。

 そのいじけている姿は、女児そのものである。


「嬢ちゃん、そんなんじゃ背伸びないぜ!俺みたいに何でも食べないとな!」


 鍛冶炉が便にちょっとだけ説教をしていた。

 ネイサンは心の中で少しだけ鍛治炉に感心した。


(あぁ、鍛冶炉さん、こういう一面もあるのか)

「ま、俺は舌が死んでるから味とか分かんないけどな!」


 鍛冶炉は余計な一言を言って、ガーハッハッハと高らかに笑っていた。

 ネイサンの鍛冶炉に対する感心はプラマイ0の振り出しに戻った。


 巨内はと言うと、蓋をされているフライパンを凝視していた。

 そのフライパンとは、育代が醤油をかけていたフライパンである。

 巨内がフライパンに興味を持っていると感じ取ったネイサンは、育代に一つ訊いてみた。


「育代さん、その中には何が入ってるんだ?」


 すると育代は、


「ほほぉ。おぬし、なかなか良い目の付け所をしてるのぉ」


 そう言って、育代は蓋を開けた。

 開けた瞬間、醤油の香ばしい匂いが辺りを充満させる。

 鼻腔をくすぐり、思わず唾液が口から溢れて出て来る香りである。

 そして、育代は言い放った。


「今日はブリの照り焼きじゃ!」

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