〈2〉

 ほかの罪人が後方に退げられ、ふたりの王子を取り囲むように騎士や兵士が壁を作った。

 王の許しを得た騎士がシザリオの縄を解くと、青年はよろめきながら立ち上がって長剣に手を伸ばした。

「どこまでも私を愚弄する気か、下劣な傭兵め……」

「レイシア王家のすえへ、平等に機会を与えようという王のご慈悲だ。俺はテメェを身内だなんてこれっぽっちも思っていないがな」

 外套を脱ぎ捨てたイヌワシは双剣を抜いた。

 シザリオもまた鞘を投げ捨て、叫びながらイヌワシに斬りかかった。

 頭に血が上りきっているのか、シザリオの攻撃は素人目にも無茶苦茶だ。勢い任せに突進してはあっけなく弾き返される。

 先代のエーヴェヌルト侯爵を手にかけたときのおそろしさはどこにもない。怒りと欲望に振り回されて踊り狂う姿は、愚かしさを通り越して憐れだった。

 イヌワシはシザリオの刃を受け流しながら、死角から斬撃を放っては敵の勢いを削いでいく。いくつもの死線をくぐり抜けてきた傭兵の、研ぎ澄まされた兇刃だ。

「くそッ、くそくそォッ!」

 シザリオが雪に脚を捕られて体勢を崩したところへ、イヌワシの連撃が容赦なく叩きこまれた。一撃目で得物を弾き飛ばし、二撃目でシザリオの利き手を斬りつける。

 苦鳴が響いた。

 白雪に血飛沫が散った。利き手を押さえて膝をついたシザリオの衣が赤くまだらに染まっていく。

「ああっ、手が! 手が……!」

「安心しろ、早く縫合すればくっつくさ。腱を切ってるから、まともに動くかどうかはわからねぇけどな」

 イヌワシは淡々と刃の露を払った。軍靴が雪を踏みしだいてシザリオに迫る。

「待ってくれ! 私の負けだ、レイシアはあきらめる! だから命だけは……ッ」

 尻餅をついたシザリオは、半狂乱になって懇願した。

 イヌワシは剣先をシザリオに突きつけた。ヒィヒィと喉を鳴らす敗者を見下ろす眸は凍えるほど暗い。

 戦場の夕べに佇む死神のような――

「グルジールでテメェを見たぜ。派手ないくさ装束を着飾って、護衛に取り巻かれてふんぞり返ってやがった。だが旗色が悪くなったら、前線の味方を置き去りにして逃げだしたな」

「そ、それは……」

「テメェと王位を争ったヴァスティアン陛下は違ったぞ。最前線で泥まみれになって自軍を鼓舞して、俺たち傭兵や民兵といっしょになって最後まで戦った。ふたりの王子の姿を見たグルジールの民がどうしてヴァスティアン陛下を支持したのか、まだわからないのか?」

 シザリオは屈辱に美貌を歪め、激しく体を震わせた。

「テメェはいま負けたんじゃねぇ。とっくに負けてたんだよ」

 イヌワシの刃がシザリオの首筋をなぞる。ひと筋の血が流れ、すっとんきょうな悲鳴が上がった。

「やめてくれ! 頼む、殺さないでくれェ!」

 イヌワシは無言のまま長剣の柄を握り直した。

 アレクにいさまは静観を貫いている。このままイヌワシがシザリオの命でその罪を贖わせても責めはしないと言うように。

 だが、それで本当にいいのだろうか?

 思わず先生を見ると、先にわたしを映していた濃褐色の瞳とかち合った。すべてを見透かすようなまなざしが告げる。

 ――信じなさい。トゥスタのローゼリカ、あなたの想いを。

 火が点いたように胸が熱くなる。決意を拳に握りこみ、わたしは息を吸いこんだ。

「待って――!」

 イヌワシが瞠目した。

 わたしはドレスの裾を絡げて走った。アレクにいさまの前で膝をついて訴える。

「勝手な発言をお許しください。おにいさま、この場でのシザリオの処刑をお考えならば、どうかお待ちください」

「……よい。理由を訊こう」

 促す声は思いがけずやさしかった。

 わたしは必死に言葉を並べる。

「シザリオはグルジールから逃げだした身とはいえ、まだかの国の王族です。罪状は確かなれど、他国の王族を――それも直系の王子を勝手に処刑したと知れ渡れば、グルジールとの外交問題に発展しかねません」

 アレクにいさまは顎を撫でて耳を傾けている。その隣では、先生が満足そうにほほ笑んでいた。

 王妹として何を優先すべきか。いまこの瞬間で問われるのは、トゥスタの国益にほかならない。

「しかもセレイウス……さまが手を下したとなれば、名を騙られ、レイシアを奪われかけた私怨を晴らしたと見なされる可能性もあります。グルジールと国境を接する属領地の統治にも、影響を及ぼすやもしれません」

「なるほど。では、おまえはどうするべきだと考える?」

「まずはグルジールの国王陛下にこたびの顛末をお知らせするべきかと。その上でシザリオとその一味の処断について協議し、トゥスタとして然るべき要求を通達してはいかがでしょうか」

 頭を捻って絞りだした答えに、アレクにいさまはちらりと妻を見遣った。

「どう思う? わが軍師殿」

「すばらしい意見ですわ、わが王」

 先生はおっとりと首を傾げた。

「姫が申すように、ここで先走ってシザリオを罰するのは得策ではないかと。密入国、王妹の誘拐及び脅迫、殺人、レイシア王太子を詐称し人心を惑わして国家の転覆を企てた――以上のような罪状で拘束している旨をお伝えし、対応をお願いしてみてはいかがでしょう?」

 含みのある台詞に、アレクにいさまはやれやれと首を横に振る。

「ふっかけるのもほどほどにしてくれよ」

「まあ、人聞きが悪い。まるでわたしががめつい守銭奴のようではありませんか」

 つまりシザリオの不始末の代償として、グルジールへ賠償金を請求しようという話だ。あるいは賠償金に代わる何か――領地や鉱山の占有権など――を。

 われらの王妃陛下は味方であれば実に頼もしく、敵に回すとこの上なくおそろしい。

 アレクにいさまは肩を竦めた。

「金があるに越したことはない。属領地の建て直しも入り用だしな。……ということだ、セレイウス」

「承知いたしました」

 イヌワシは双剣を鞘に納めた。

「流民の祈祷剣舞か、面白いな。あとで相手になってくれ」

「俺でよければ」

 兄の軽口に笑う顔はいつもどおりで、わたしは胸を撫で下ろした。

 視線が絡むと、かれのほうが安心したように眦を垂らした。

 すっかり脱力してへたれこんでいるシザリオは簡単な処置を受け、再び拘束された。騎士に引っ立てられる間際、はたと気づいたようにわたしへ顔を向ける。

「ロッ……ローゼリカ姫!」

 わたしに歩み寄ろうとしていたイヌワシの脚が止まる。

 シザリオはなぜか頬を紅潮させ、興奮した様子でまくし立てた。

「命を助けていただき、心から感謝する! あなたをいずれ花嫁にと見初めた私の目に狂いはなかった。あなたは本当にすばらしい女性――」

「今度こそ腕を斬り落とされたくなけりゃ、おしゃべりな口を閉じろ」

 イヌワシが威嚇のように長剣の鍔を鳴らした。

 シザリオがぐっと押し黙る。睨み合う若者と青年に、ため息を出そうになった。

 意を決し、イヌワシの隣まで進みでる。当然のようにシザリオから庇う位置に立つ傭兵の存在を頼もしく思いながら、悪魔の成れの果てを見据えた。

「勘違いしないでちょうだい、グルジールのシザリオ」

 鞭打たれたようにシザリオの肩が跳ねた。なぜか騎士たちまで背筋を伸ばしている。

「わたしはあなたに情けをかけたつもりなんてこれっぽっちもないわ。あなたを許すつもりなんてないし、あなたに殺されたひとたちのことを思えば百回地獄に落としてやりたいくらいよ」

 外套の頭巾を払い落とす。毛先が揺れる頬のあたりに視線を感じた。

 シザリオは驚愕に固まっている。よほど衝撃的なのだろう。

 わたしはわざと短い髪を掻き上げてみせた。恥じることも悔いることもないと示すために。

「あなたから逃げるために髪を切って男の子のふりをしたのよ。生きていれば髪なんていくらでも伸びる。でもね、あなたに踏み潰された命は二度とよみがえらない。あなたの罪は永遠に赦されない」

 忘れるなと、わたしは呪詛のごとく告げた。

「わたしはあなたの花嫁でも人形でもない。わたしの名はトゥスタのローゼリカ――傭兵イヌワシ、レイシアのセレイウスの妻になる女よ」

 シザリオが弱々しく呻いた。糸が切れた人形のようにがっくりとうなだれる。

 青年を先頭に罪人たちが連行されていく。長々と息を吐くと、イヌワシが肩を揺らして笑いだした。

「な、なによ」

「やっぱりあんたって最高だよ、お姫さん」

 イヌワシは心底愉快そうに言った。

 訳がわからず疑問符を浮かべていると、大きな手がそっと差しだされる。

 軽々と双剣を振るい、シザリオの腕を斬った手だ。きっとこれからも、故郷を守るためなら更に血を浴びることも厭わない。

 その罪ごと愛したい。信じたい。

 イヌワシの手にひと回り以上小さな手を重ねる。最初は包みこむように、やがて力をこめて握り返された。

「本当にシザリオを殺すつもりだったの?」

「いいや。兄上は勝負しろとお命じになっただけだからな、せいぜい怖がらせて終わらせる予定だった。……止めてくれてありがとな。実は結構危なかった」

 苦笑まじりの告白にこっそり冷や汗をかく。

「思いとどまってくれてよかったわ。ほら、おにいさまたちが待っているから行きましょう」

 ごまかすように明るい声を出して手を引くと、イヌワシはくすぐったそうに相好を崩した。

 穏やかにほほ笑む空色の瞳を見上げ、わたしはこのひとと幸せになるのだと確信した。

「ああ――行こう」


 斯くして、わたしは幸福の金貨を取り戻した。

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