11.ふたりの王子
〈1〉
新年最初の朝は雪だった。
薄明るい曇天から雪の羽根が落ちてくる。〈上の城〉から見下ろした王都は
簡単な朝食を済ませ、わたしはカロンにいさんに付き添われて〈上の城〉から〈中の城〉へ下りてきた。
昨日と同じ赤色の外套に、新年らしい華やかなサフラン色のドレスという装いだ。腰帯や袖口の縁取りに濃い朱色が差しこまれ、外套の頭巾で隠れているが同色のコサージュを髪に飾っている。
国内外の賓客をもてなす場でもある〈中の城〉は王城で最も壮麗で、城館だけでなく園遊会が催される庭園もある。いまは緑も花もなく、一面の雪景色だ。
雪の庭には二、三十人ばかり騎士や兵士が集まり、祝祭に似合わぬ物々しい雰囲気が漂っている。かれらはわたしの登場に気がつくと、きびきびとした動作で礼を取った。
先生に教えられたとおり、優雅に見えるようにゆったりと首肯する。『ローゼリカ王妹殿下』はかれらよりも身分が上なので、礼を返すことは作法に反するらしい。
王族のふるまいだけでなく、学ぶべきことは山ほどある。祭が終われば王妃陛下直々のご指南の下、花嫁修行の幕開けだ。
不安とも期待ともつかない気持ちを噛みしめていると、号令がかかり騎士たちが整列した。
「国王陛下並びに王妃陛下、御出座!」
護衛の騎士に囲まれて兄夫婦が姿を現した。
黒い毛皮で飾られた外套に黒々とした髪をたなびかせたアレクにいさまは、黒獅子の異名にふさわしい威厳に溢れていた。
夫の腕を借りてその傍らを歩く先生は、水鳥の羽毛の襟がついた銀灰色の外套を羽織っている。編みこんだ栗毛に雪の結晶がビーズのように散りばめられ、冬の女神さながらに美しい。
王と王妃はそれぞれ額に銀細工のかんむりを戴いていた。細い茨が絡み合って輪を作っている意匠は精巧だが簡素で、宝飾品らしい宝飾品は見当たらない。
王のかんむりは祖父が即位の際に仕立て、王妃のかんむりは二代ぶりに迎えられた先生のためにアレクにいさまが用意したものだ。代々王家に伝えられてきた黄金の宝冠は、傾いた国の建て直し資金にするために祖父が売り飛ばしたらしい。
トゥスタの玉座に就く者は茨の王冠を被る――この訓戒を示した祖父も、跡を継いだ父も、道連れとなる王妃を迎えなかった。愛する女性を王妃の重責から遠ざける選択をしたのだ。
だが、アレクにいさまは先生に茨のかんむりを贈り、先生はそれを受け取った。
祖母や母のように妃の称号を持たない王妾でも後宮がないトゥスタでは公的な伴侶として遇されるが、あくまで王の庇護を受ける愛人に過ぎない。
王妃は政治的な権限を有し、単なる妻ではなく公私に渡って王を補佐する役割を担う。王妃とは王佐であり国の母である――と、亡きロナキア公はおっしゃったそうだ。
兄夫婦の佇まいはこの国の父と母と呼ぶにふさわしく、圧倒されて見惚れてしまった。カロンにいさんに小声で促され、慌てて一礼する。
「あけましておめでとう、ローゼリカ」
アレクにいさまが鷹揚な口調で告げた。続けて先生が「昨夜はよく休めたかしら?」とやさしく尋ねる。
「おにいさま方におかれましてはご機嫌麗しく、新年のお慶びを申し上げます。おねえさま、お心遣い痛み入ります。実は、夜もすがら朝の訪れをいまかいまかと待ちわびて、あまりよく眠れておりません」
「まあ、それは大変。ですが、あなたの気持ちもよくわかりますよ」
先生はゆったりとほほ笑んだ。白らかな目元には隈ひとつない。
「さっそくだが、そろそろはじめよう」
アレクにいさまのひと声に何人かの騎士が動いた。しばらくして、新たな集団がぞろぞろとやってきた。
縄でつながれた男たちが十人ばかり、騎士に取り囲まれて引き立てられてくる。全員手負いなのか、俯いて脚を引きずっている。
かれらとは対照的に集団の先頭を颯爽と歩いてくるのはエーヴェヌルト侯爵と――イヌワシだ。
藍青色の外套に濃紺の騎士服という出で立ちは、雪の庭でハッとするほど目を惹いた。頭髪はかれ本来の金褐色に戻り、衣装の青さをいっそう引き立てている。
淡青の双眸は穏やかなほど冴え冴えとし、腰には見慣れた一対の長剣。軍神の王子という呼び名が自然と浮かんだ。
ふとイヌワシの視線がわたしを捉え、口元を綻ばせた。安堵しながら頷いてみせる。
集団は国王夫妻からじゅうぶんに距離を取った位置で止まった。エーヴェヌルト侯爵とイヌワシが示し合わせたように前へ進みでる。
外套の裾を捌き、エーヴェヌルト侯爵が雪の上に片膝をついた。
イヌワシもまた年長者に倣い、神妙な横顔で目を伏せている。
「正月早々に出仕を命じてすまないな、エーヴェヌルト侯」
「いえ――父の喪に服している最中のため、新年のご挨拶を欠く非礼をお許しください」
「わかっている。先代のことは無念極まりない。よく妹を守ってくれた。礼を言わせてくれ」
アレクにいさまが哀悼と感謝の意を伝えると、エーヴェヌルト侯爵は深く頭を垂れた。
「ありがたきお言葉にございます。父も草葉の陰で喜んでおりましょう」
顔を上げたエーヴェヌルト侯爵がこちらを一瞥した。
王の御前で勝手に発言することもできず、とにかく兄と同じ気持ちであると伝えたくて視線で訴えると、口元に笑みを覗かせて応えてくれた。
アレクにいさまの瞳がイヌワシに向けられる。
水面がさざめくように王の表情が揺らぐ。義弟を手放してからの七年を噛みしめるかのごとく押し黙り、ゆるりと呼ぶべき名前を口にした。
「レイシアのセレイウス」
周囲がシンと静まり返った。
人びとの視線がイヌワシに集中する。かれは顔を上げると、まぶしそうに義兄を仰いだ。
「お久しゅうございます。両陛下におかれましては、ご壮健のようで何よりと存じます」
「おまえは――大きくなったな」
アレクにいさまが破顔した。
再会したわたしを抱擁したときと同じ、慈しみと喜びに溢れた表情だった。
「よく生きて、帰ってきてくれた」
イヌワシがぐっと口を引き結ぶ。見ているこちらが泣いてしまいそうだ。
「傭兵イヌワシの噂はトゥスタにも届いているぞ。こたびの一件も、王妃の依頼を見事完遂してくれたな」
「傭兵は、請け負った
アレクにいさまの称賛に、イヌワシは少し照れ臭そうに返した。
「セレイウス」先生がそっと呼びかけると、忙しく瞬いて息を呑む。
先生は一歩前に出ると、長い袂から両手を差しのべた。爪の先まで整えられた白い指がイヌワシの頬に触れるか否かの距離で留まる。
「おかえりなさい。この言葉をあなたに伝えられる日を待ち焦がれていましたよ」
イヌワシの表情が一瞬歪んだ。
「――ただいま戻りました」壊れ物を扱うように姉の手を押し戴く。
束の間再会の喜びを分かち合った姉弟は、すぐに意識を切り替えて距離を取った。
王妃が隣に戻ってきた間を見計らい、王が口を開いた。
「さて。これで役者は揃ったわけだ」
鋭く眇められた金緑色の瞳がエーヴェヌルト侯爵とイヌワシの後方を見遣る。ふたりが両脇に退くと、罪人たちが跪かされた。
抵抗する者は容赦なく雪上に引き倒される。くぐもった罪人の怒号に眉をひそめたアレクにいさまは、悠々とした足取りでかれらに近づいた。
「主犯格は貴様か。レイシア王太子を詐称したグルジールの第二王子、シザリオ」
騎士ふたりかがりで押さえこまれた金髪の青年が顔を上げる。顔の左側に包帯が巻かれ、血走った右目がアレクにいさまを睨みつけた。
「違う! 私こそが正統なレイシアの王位継承者だ! レイシア王家の血統を示す、この瞳が何よりの証だ!」
「この状況でなおも妄言を垂れ流せるとは大した度胸だ」
アレクにいさまは冷笑すると、「では尋ねるが」と続けた。
「〈武王〉と謳われた、亡きレイシア国王ヴランヒルトの瞳は何色だ?」
「何を――」
「訊いているのは私だ。貴様がレイシアの王位継承権を主張するなら、先代の瞳の色を知っていて当然だろう?」
青年――シザリオの顔に困惑が滲む。
ヴランヒルトが亡くなったとき、まだ物心もつかない幼児だったはずだ。たとえ面識があったとしても記憶に残っているわけがなく、肖像画を目にしたことがあるのかどうか。
罪人のひとり――あの吟遊詩人だ――がハッと顔を上げた。焦りを浮かべながらシザリオを見、無表情で静観しているイヌワシを見る。
吟遊詩人は理解しているのだ、イヌワシが瞳の色まで若かりしころの〈武王〉の生き写しであることを。
「それは……もちろん、私と同じ青灰色の瞳をしていたに決まっている」
「王子、なりませぬ!」
吟遊詩人が悲鳴まじりに叫んだ。すぐさま近くにいた騎士が口を塞ぐ。
アレクにいさまはイヌワシへ振り返った。「従兄弟殿はこのようにおおせだぞ、セレイウス」
「実に奇妙ですね。亡くなった母は、父は私と同じ淡青の瞳をしていたとよく話しておりました」
イヌワシは芝居がかった口調で言った。
愕然とするシザリオを冷ややかに見据え、薄く笑う。
「しかし、父も私も生まれたときは青灰色の瞳をしていたそうです。レイシア王家には成長の過程で瞳の色が青く変わる者がごく稀にいるのだと母から聞いたことがあります」
「そ、そんなことがあるはずがない!」
「シザリオ王子がご存じないのも無理はないかと。十七年前にレイシアが倒れた折、グルジールは飛び火をおそれて知らぬふりを決めこんでいたとか。グルジールに嫁がれていた叔母上も、わが子とご自分の庇護をグルジール王家へ求める代わりに進んでレイシアの王位継承権を放棄したと聞き及んでおります」
シザリオ王子の顔色がみるみる悪くなっていく。
グルジール王家でレイシア王家の話題を口に出すことはご法度だったのだろう。何しろ、嫁いできた王女自ら縁を切ってまで関わりはないという態度を取っていたのだから。
「レイシアの王族ならば承知しているはずのことも、叔母上や周囲の者が口を閉ざしていれば知りようもありません。知る必要などないのです、かれはグルジールのシザリオ殿なのですから」
呆然とするシザリオに、イヌワシは淡々と告げた。
「レイシア王家の生き残りとして、当時のグルジール王家の判断を批難するつもりはない。王家が第一に考えるべきは国と民だ。先代のグルジール国王の考えは正しいし、なくなった故国よりも幼い息子を守ることを選んだ叔母上は俺の母親の何倍も正常だ」
だが、といったん言葉を切ると、かれの声は底冷えするほど低くなった。
「息子のテメェは違ったみたいだな。跡目争いに負けて国を追われたからといって簡単にグルジールの名を捨て、生まれ育ったわけでもない亡国の王権を自分のものだと主張する強欲さ、腹を空かせたコヨーテよりもたちが悪い」
「だ、だっ……黙れ! 私は王になるべくして生まれたのだ! ならば玉座を欲して何が悪い!?」
シザリオが唾を飛ばして反論する。イヌワシは鼻で笑った。
「テメェが王にならなくて正解だな。グルジールの民がレイシアの二の舞になるところだった」
「貴様ァッ!」
歯を剥きだしにして怒りをあらわにするシザリオへ、アレクにいさまがおもむろに尋ねた。
「そんなにレイシアの王になりたいか?」
シザリオが口をつぐむ。
アレクにいさまは近くに控えていた騎士からひと振りの長剣を受け取ると、シザリオに向かって放り投げた。
鞘に納まった長剣は空中でくるりと弧を描き、青年の眼前に突き刺さった。
「欲しいなら自分の力で手に入れてみせろ、グルジールのシザリオ」
「……なんだと?」
「いちどだけ機会をやろう。己こそが〈武王〉の後継者にふさわしいと言うのなら、実力で示してみせろ」
いったい何を言いだすのか。驚いているのはわたしだけで、先生もイヌワシも落ち着きを払っている。
「セレイウス。
「――わが王がお望みであれば」
イヌワシは胸に片手を当てて一礼すると、外套を翻して前に出た。
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