第76話 コンテ・レッスン

 ローザンヌ国際バレエコンクール、レッスン2日目。

流衣の女子Aクラスは午前中は舞台でのクラシックレッスン、午後からはコンテのコーチングというスケジュール。

 流衣は到着して着替えたあと、柔軟をするために舞台に行く手前のホールに到着すると、クラシックレッスンのために出場者達が所狭しとアップしており、隙間を見つけて流衣も甲だしから始めた。

初日(日曜日)は勝手が分からず遠慮していた流衣だが、少しでも空いてるスペースで参加者達が身体を慣らしてる姿を見たのと、今いるホールに等身大の鏡が何枚も置いてあるのを見て、ここでの練習オッケーだと理解し、更に柔軟ならば何処でも大丈夫なのだと分かった途端、コンクール慣れした猛者と同化してしまった。


——なんか華やかだと思ったら、女子AとBクラス一緒なのか、向こうに菅野さんたち居るし。とと、舞台の方に向かってる、もう時間?


菅野たちだけではなく、舞台の方へ人が流れ始めたのを見て、流衣は身を引き締めた。


——今日は釣られないようにしないと、昨日みたいに鏡がなくて分からなかったなんて、情けない事思わないようにしなくちゃ。


流衣は自分が鏡を見て確認しなら踊っていたことに、昨日ようやく気が付いたのだ。教室には正面に鏡がある、今まで何も気にせずその前で踊って来た、しかし目で見て直す事に慣れてしまい、無意識下でそれをしていたのは、まさに悪習といえる。


——日野先生に頭で考えて身体を動かしなさいって、言われてそうしてたつもりだったのに、出来てなかったの……悔しい。

ここでレッスン室に鏡が無いのはそういう事なのか……。

うん、でも気がつけて良かった。

……それも昨日のコンテのレッスンのおかげで……。


 昨日のクラシックレッスンの後、蓑虫みたいに自分の殻に篭り、食事も喉を通らないほど落ち込んだ流衣。その後のコンテンポラリーレッスンも気持ちを引きずり、クラシックとそう変わらないセンターでのアップは、頭の中が無の境地となっていた。

しかしコンテのレッスンに入った途端に雰囲気が変わった。

 ヒスパニック系でニューヨーク・シティ・バレエ所属、コンテンポラリーの講師インストラクターリタ・モレノ。

真っ直ぐ立ち一瞬直立した後、上半身を下に折り曲げ、そこから腕を伸ばして横から円を描くように一周する、正面に戻した腕を体の後ろに持っていき、脚を屈伸してから右足を一歩踏み出すと同時に腕を前に出して、左の脚を横に上半身は反対方向に捻る。

バレエとは違う体の使い方に困惑しながら動く。


 2012年頃のバレエコンクールはコンテンポラリーダンスは必要性は重要視してるものの、まだクラシックの方に重点を置いてる子が多く、コンテの課題曲を踊り込んできてるが、コンテ自体のレッスンを受けた事がない子もいた。よってコンテは各自の鍛錬度が素人目にもハッキリと分かるほどであった。

 しかしここに居るのは選りすぐりの才能のある子供達。キーボード、ドラム、パーカッション等を巧みに操る、音楽担当の演者の楽しそうな様子につられ、半数以上の子達が音楽に合わせて踊り出し始めた。流衣もまたそのひとり。

真面目に取り組もうと講師の動きをつぶさに観察していたのは最初だけ、講師が時々取る見慣れた動きに好奇心が疼き出し、妄想力が湧き出した。


——これボールやフープを受け取る時の、新体操の動きに似てるかも。

えへへっ、おもしろ〜い!

いやそれに、これ、手を振り上げるこの動き、何だかよく知ってる懐かしの動き……。

これはっ、まさにっ、ラジオ体操第一〜!

やばい、不真面目だって美沙希ちゃんに怒られそう。

いや、美沙希ちゃん居ないけど、みっちゃんは笑いそう!

……じゃなくて、声に出さないように気をつけよ。


 そしてコンテのセンターレッスンが終わり、振り移しに入るのかと思いきや、唐突に先生からアイデアが出された。

「〈アナタ達の名前を踊りで表現してみてください〉」


——え、それって……。


流衣は自分の耳を疑った。

あちこちにスタンバイしている通訳が、講師の言葉を自国の言葉で説明すると周りが騒ついた。

「〈時間は1.2分、曲はこれで、ジャック “モーニン” お願い〉」

そう言ってモレノ講師が音楽担当の男性に向かって頷くと、それに応えるように男性は、ジャズのスタンダードナンパー、アート・ブレイキーの “モーニン” を軽いタッチで弾き、コンサートマスターの仕草で優雅に胸に手を当て挨拶した。

「〈必ずしもこの曲でという強制ではありません。曲は無くても構いません、テンポを変えるのも曲を変えるのも自由、その際はマエストロに相談してください〉」


——えええっ、それっ即興、インプロビゼーションじゃない!

しかもこれジャズ……だよね、4拍子だけど、いきなりそんなの聞いてないよ〜っ、秋山さん⁈

舞台でじゃないの?

……もしかして、舞台でもやるの?

そんなに何回もやるの?

嘘でしょ〜⁈


「〈10分後に若い番号順に始めます、みんなリハーサルして下さい〉」

モレノ講師は、場所を開放して練習するように促し、自分は正面の審査員席に居る人達の元に行った。


——……名前の意味……。

小学生の時、国語か道徳の授業か忘れたけど「自分の名前の意味を家の人に聞いてみよう!」の宿題出されて……、その日の夜ご飯食べながら聞いてみたら、お父さんのお婆ちゃんの田舎で有名な人だって聞いたんだよね、名前を付けたのがお母さんじゃ無くてお父さんだったのに驚いて、嬉しくてちょっとはしゃいだらおみ汁こぼちゃって、お母さんからスッゴイ怒られて……。

結局こぼしたおみ汁の片付けしてるうちに、話しの続き出来なかったんだっけ、どんな有名な人なのか分からない……お父さんのお婆ちゃんって、確か明治生まれの人で……、え〜と、それしか分からない、明治って……そんな昔のこと教科書でしか知らないよ?

誰のことなんだろう。

アイドルとか居たのかな?

女優さんかな?

や〜ん、もっとちゃんと聞いておけば良かった……。


流衣が切ない思い出と共に思案に暮れていると、

皆んなイメージが出来てるのか、フロアでリハーサルをしている。


——皆んなすごっ!

外人さんってこういうの強いなぁ、踊らず立ってるの……日本人組だ。

確か田中さおりさんと、みきちゃんって呼ばれてた人、向こうに2人いるけど名前分からないや。

名前……名前の意味って言われても、あたしの名前……流れるころも……?

いやそれは漢字を当てはめてるだけで違うよね?

それに衣が流れてる……それを表現したとしても、自分が川で流れてるみたいで……なんか嫌だっ。

……漢字がそのままの意味だったら……。


 流衣が色々と考えてるうちに、インプロビゼーションが始まってしまった。


——わわわ、はやっ!

って一番パヴリィナだよ。

番号って年齢順だったっけ。

明るくて可愛い、あ、キューピッド要素の踊り入った、でも黒髪だから白雪姫みたい、わんっ、キュート〜!


パヴリーナは約1分で踊りを完結させた、捌けて来たパヴリィナを流衣は拍手で迎えた。

「〈緊張したの〜〉」

終わってもまだ緊張した顔のパヴリィナ。

「〈明るくて陽気なダンス、素敵だったよ〉」

流衣は思った事を伝えた。するとパヴリナはホッとした顔をした。

「〈ホントぉ? 伝わって良かったぁ、私の名前『陽気な女の子』だからぁ〉」 

「〈陽気な女の子……〉」

「〈そうなの、ルイも頑張ってぇ〉」

流衣が頷き、パヴリーナは水を飲みに荷物の所にいった。


——陽気な子か……なるほど、日本人なら陽子ちゃんってことかな?

そういえばバレエのキャラクターにもある『ダイアナ』って女神の名前だよね、あたしが知らないだけで、外国の名前に色んな由来が有るかも……!

意味がわかってればそれに合わせて踊れるよ。

いや待って、そしたらあたしみたいな当て字の人はどうすればいいの……?

……流衣。

……ルイ。

外国こっちでは男の子の名前……それなら

あれは2拍子……いけるかな。


考えながら見つめていたフロアに、見知った女の子が踊り始めた。


——107番、バジルのお友達。

メリハリあって特徴的、太陽を表してる?

あ……音の取り方が1の前だよ?

あたしと同じだ、なんだか仲間がいて嬉しい。

……終わった、次はあたしの番。


「〈108番、ルイね。曲のリクエストはある?〉」

講師は皆に同じ質問をする。

「〈このままでお願いします〉」

流衣が腰に手を当てポーズを取る、曲がスタートすると流衣はツーステップを踏みだし、これまでの子の出だしと違う。何が始まったのかと後ろで練習してた子達も踊るのをやめて注目した。

フロアのやや後ろよりの真ん中に到着すると、左右に手を横に捻って交互に出しながら、少しずつ移動する。

「タランテラ?」

平が日本語で言ったのだが、その周りの人達に聞こえ、何人か思わず顔を見合わせ、流衣にも聞こえた。


——ビンゴ!

うん、タランテラは2拍子だけど、4拍子でいける。わわ、タランテラをスローでやると、めちゃ

お茶目! 花魁道中みたいなゆっくりステップ!

そして呼び込み店員ステップ!


「え? 男子パート⁈ 」

意味が分からず、田中さおりは顔をしかめた。

田中とは逆に、男子パートに気が付いた他の子達は、名前と一致した事で理解を深めた。

 クリスマスまでさんざん踊り込んだステップ、本番は女の子の踊りだったが、それでもまだ流衣の身体に染み付いてるテンポの早いタランテラの男子。


——はい、そしてここから新体操、『ボール』バージョン!


 流衣はクルクルっと回転して、天からボールを授かるように掴み、そこから姿勢を低くし、片手片膝を床に付くと、反対の手足を伸ばし三日月のポーズ。伸ばした手にはボールをエアで持ったまま、ボール落とさないように手をグルリと回して身体の横に、同時に脚は前後開脚して上体は前、腕は後ろ、その腕を鳥の羽ばたきのように優雅に身体の横に、両脇の床に着けて腕の力で身体を持ち上げて、前に出した脚を折り曲げて腕の間を通し開脚倒立、ゆっくり脚をついて起き上がる。


——続いて新体操『フープ』バ〜ジョン!


フープを背中に付けて片足バッセ、反対の足はルルベで2回転。

次に行ってこいフープで(やったつもり)片手側転2回、2回目に足を床につける前に両手をつき、滑るように脚を回して海老反りポーズでフープを受取り(つもり)海老が跳ねる等に飛び上がった。

ここで曲は3分の2。


——時間ないからリボンはパス。

「タランテラ』に戻って、店員呼び込みステップ・パート2〜!


プリゼ・ヴォレをくり返し、流衣はジャンプしてアントルラッセ、その高さに驚いて何人か息を吸い込む様な声を出した。


——ラスト、思い切ってザンレール!


ざわめきが起こり、流衣が手を挙げて最後のポーズを取った。

場は静まり返った。


——あ……。

なにこの雰囲気……。

あたしもしかして、やらかした?

やりすぎ?

失敗?

下手くそ?

どれ⁈


流衣が不安になって青ざめる直前、パラパラと拍手が巻き起こり、それが全体に巻き起こった。

「ファンタスティック!」

モレノ講師が子供たちと一緒拍手をして流衣を褒めた。


——褒められた……?


戸惑いながら下がるために頭を下げると、今度はあちこちから笑いが起こった。


——あっ、やばっ、日本の挨拶しちゃった!


下がりかけて振り向き、レベランスをし直すと、またしても笑いが起こった。


——また笑われちゃったよ〜、も〜恥ずかしい。


「〈はい次の人109番ね、どうぞ〉」

講師は笑い声は出さずも余韻で微笑んでいた。

「〈ルイ、ルイ! スゴイ〜、なんであんな事出来るのぉ〉」

パブリナが顔を紅潮させて飛んできた。

「〈名前が、男の子みたいだから、それで……〉」

流衣は声を出した後、煩いかと辺りを見渡したが、まわりはもう次の人の踊りに見入っていた、来たる自分の番の為に、イメージトレーニングに入っていて、流衣たちを気にする子は居なかったが、邪魔にならないようにスルッと後ろに下がった。

「〈だからタランテラの男の子パートなのぉ?〉」

「〈うん。他の……〉」

「……なんなの」

「え?」

日本語で聞こえて来た一言に、流衣はドキッとして発言者を見つけようと周りをみた。

しかしほとんどの人がフロアを向いていて、近くでこちらを見てる人は見当たらなかった。

「〈どうしたの?〉」

流衣がキョロキョロしているので、パヴリィナが不思議に思った。

「〈……何でもない〉」


——今の日本語だったよね。

あたしに言ったように聞こえたし……?

そこに田中さん達いるけど、あたしになんか言う事無いと思うし、向こうのアジア系の人はチラチラとこっち見てるけど、あそこからじゃ声届かないよね。

うーん、知らない言語の独り言かなぁ……そう言うことにしとこう。


「ムカつく……なんなのあれ」

「さおりちゃん、そういうの良くないと思うよ」

流衣を見ながら、ムッツリしてる田中さおりを、平水姫がなだめた。

「……いいよね、名前に意味がある人」

「……狩野さんの『ルイ』って日本だと男女区別ないもんね、こっちに来てから男の子の名前だって気が付いたんだと思うよ? でも何で男子パート出来るのか分からないけど」

ずっと大きなバレエスクールに居た平は、男子パートを女子がやる裏事情に気が付かない。

「水姫ちゃんも『お姫様』で良いし……」

さおりの静かな言い方に、ただ事じゃ無いと悟った平は、避けて通れない話題を振る。

「さおりちゃんの名前は?」

さおりはその問いかけに能面のような顔で答えた。

「……パパの初恋の相手……」


……キモい……。


父親に初恋相手の名前をつけられた娘の

           世界共通の思い炸裂。


「さおりちゃん、……ドンマイ」

さおりの目に怒りと軽蔑の眼差しを見た平水姫は、声に出すのはやめ、八つ当たり仕方なしと判断し、応援するしか無いと思った。

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