第74話 初めてのお使い

 ローザンヌの国際バレエコンクール初日。

流衣は日本人の出場者達とボーリュー劇場に赴き、午前中にエントリーを済ませた。

流衣の番号は108番。

女子ジュニアクラスは100番台、シニアクラスは300番台、男子は200台がジュニア、400台がシニアという割り振り。渡された番号は明日からのレッスン中、レオタードの前後に付けなくてはならないと説明を受け、付き添いの人がいるか確認され、いないと答えると、出入りする際に必要なIDカードを一枚渡された。流衣は練習する場所があるかどうか受付に尋ねると、午後からレッスン室を開放すると言われた。

ホッとして喜んだのが表情から読み取られたのか、微笑まれて横にいた50代と見られる女性スタッフに呼ばれて、その彼女にポアントを履いて出来るレッスン室とストレッチなどを行う場所を丁寧に教わった。流衣はスタッフにお礼を言い、渡されたゼッケンとIDカードをカバンにしまうのに手間取っていると、さっき説明をしてくれたスタッフがもう一度寄ってきた。

「〈明日からは入る前にIDカードを首から下げるのよ〉」

子供に教えるようにゆっくりとした英語だった。

「〈明日、朝からですね。理解しました。ありがとうございます〉」

お礼を言い、人のいない一画に避ける様に移動した。


——凄く丁寧にゆっくり英語で教えてくれたけど、あたし……そんなにできない子に見えるんだろうか、カードを首から下げるくらい出来るけど……。そりゃあ英語下手クソだし、ゼッケンとカードをカバンに入れ損なって落としそうになって、鈍臭いのもバレバレだけど、“初めてのお使い” を観る的な目で見られてるような……うーん、まあいいか。


 流衣はここまでの道のりを同じホテルの子達と一緒に来た為、使わずにカバンに入れておいた地図が中にある事を確認してから辺りを見渡した。エントリーの為に続々と人が来ているが、受付で手間取ってる間に、一緒に来た日本人達は見えなくなっていた。


——知らない顔だらけ濱田先生達どこだろ、さっきまでそこに居たのに……。

アジア人の団体様が居るけど、日本人?

じゃ無いよね。

中国とかの人かな?


そこに居たのは、日本の次に出場者が多い中国人と韓国人と思われる5.6人の団体が二組。どちらも身長が高めな完成されたスタイルで、ちょっと独特な雰囲気で近寄りがたい。その点、他の国の出場者は白人とラテン系と多様性に富み、白人も欧米とヨーロッパ北欧の人達では顔立ちが違ってて、髪の色も身長もバラバラで、個性的な様子を見た流衣は感動してしまう。


——や〜ん、あたしと同じくらいの身長の子結構いるよ〜!

日野先生が、ロシアやヨーロッパではバレエを職業にできるか、趣味にするかで小さい時に振り分けられるって言ってたから、あたしみたいな子居ないと思ってた、昨日のバジルといた女の子も小さかったし、なんか嬉しい、元気出る〜。

それにしてもみんな顔立ちが綺麗。

当たり前かもだけど映画観てる気分。

ここにいる人たちクラシックの衣装着けたら、夢の国になっちゃう、それ見た〜い!


流衣は自分もその中の一人だということを忘れ、ミーハー度全開で喜んだ。そしてドキュメンタリーフィルムのカメラのように周りをゆっくり見渡した。


——……やっぱり先生達居ない。

来る時は朝食一緒にしたからそのまま来たけど、お昼とか他の約束とかはしてないし、声掛けてから出ようと思ったけどこのまま行っちゃおうかな。


 意を決して流衣は外に出た。そしておもむろにカバンから地図を取り出し、大きく背伸びをして深呼吸をひとつ、ふたつ、呼吸を整え歩き始めた。



「……外に出たみたいですよ、制服の子」

シニアクラスの郷右近祐一がエントリー受付広場の先である奥の通路から顔を出して、流衣が出て行ったのを見てた。

「狩野さんね」

「せっかく濱田先生が控室や練習場所の確認に連れてってくれたのに、彼女は付いて来てなかったですね」

「誰も声かけなかったのね」

三井が苦笑いで言うと、子供達は顔を見合わせた。

「だってあの人受付の人と話し込んでたし」

「日本出発する時から気になってたけど、なんで制服着てるのかな」

ジュニアクラスのたいら水姫みきは海外で日本の高校の制服を着てる女子の感性が理解できず、周りに聞いてみた。するとみんなもそう思っていたらしい共感する空気になった。

「無いんじゃないのかな……服?」

一番オーソドックスな理由を言ってみる、三井講師引率の生徒、シニアクラスの内海うつみ天音あまね

「ええ、まさかそんなのあり得ないよ」

濱田が勤めているバレエ学校の生徒である、ジュニアクラスの田中さおりが、そうだったらバレエ習えないじゃ無いと、言いたげに喋るとそれが伝わったのか何人か笑った。

「制服だとコーデ考えなくていいから楽だって、休みの時も制服着る子はたまにいるよね」

内海がフォローしようと試みるが

「でもそれ……海外でやる?」

田中のセリフを聞いて、みんな密かに周りを見渡す事で否定していた。

「狩野さんって、どこのコンクールに出てたんだろ、誰か知ってる?」

そんな事どうでも良いと、渋顔のシニアクラスの菅野かんの麻衣子まいこが流衣の素性を問うと、みな知らないと首を振る。

当たり前にその存在を知られてない流衣、顔も名前も聞いたことが無いバレエダンサーがここにいること自体に違和感が生まれ、同調圧力により壁を作っていた。

「狩野さんはコンクール初挑戦なのですって、日野先生が言ってたわ」

濱田が菅野の斜め後ろから答えた。

「え、初挑戦でローザンヌ?」

驚いて声を出したのはボストン留学中のジュニアクラス松川まつかわ冬伊とういだった。

「バレコン無しで⁈ そんな事あるんですか?」

宍戸講師が引率する和泉いずみひなたがもっと驚いて聞いた。

「ビデオ審査が通ればあるわよ、ローザンヌは実績関係ないから」

濱田はすんなり答えた。

「日野先生って……もしかしてワガノワ主席卒業した日野史子さんですか?」

日野の名前をここに来て初めて聞いた三井が、ちょっと目を丸くして濱田に聞いた。

「先生知ってるんですか?」

田中さおりが聞いた。

「私達の世代ならほぼ知ってるわ。ボリショイでセカンドソリストまでいった人よ」

濱田が答える。

「そうね、でも2年くらい怪我が続いて……悲運よね、戻れないまま引退したの」

宍戸は残念そうに語った。

「彼女の教え子ならローザンヌにチャレンジする子が出てきてもおかしく無いわ。そうだ、ユース2位の及川さんって日野さんのとこの子じゃなかったかしら」

三井が続けて話すと、出てきた有名な名前に皆ハッとして喋った三井を見た。

「及川美沙希さん! 埼玉のバレコンでみました、去年のYAGP《ユースグランプリ》で国内で2位取ったけど、アメリカ本選辞退しちゃったんですよね、なんて勿体無い、私ならどんな事があってもユース出るのに」

震災時、海外で短期留学中だった内海は、震災の体感は薄い。

「でも……あの及川さんなら分かるけど、狩野さん……知らない」

どう反応して良いか分からない子達は、お互いに答えを見つけるように顔を見合わせた。

なんせ普段の流衣からは才能溢れるダンサーのオーラはなく、ちまちまとして落ち着きのない小さい子のイメージしか受けない。しかし、その受けるショボイ外見に反して、ひとりでの参加、留学経験が無いにも関わらず、英語でスタッフと話している流衣の姿に違和感と不気味さを覚えた。

「美沙希さんを差し置いて出てきたって事ですよね」

「じゃあ凄い人なの? 秘密兵器?」

「何それ⁈」

「でもそんな感じしないような……」

実力が分からない全く無名の流衣は、やはり掴みどころがない。

「及川さんってSバレエスタジオだった気がしますけど、日野先生ってSバレエスタジオの先生なんですか?」

田中さおりが濱田に質問した。

「そうね、及川さんのプロフィールには “日野史子師事” ってかいてあったから、そうだと思うわよ」

濱田は〈Sバレエスタジオ〉と〈ヒノアカデミー〉ではスタジオが違うことは流衣のプロフィールを見て分かっていたのだが、実績のある子を手放さないという、教室絡みの大人の事情は子供達に言う必要はないと、さりげなく会話を切った。

「まあまあ、みんな、明日にはわかる事じゃない。明日からのレッスンで見せてもらいましょ、彼女の実力」

三井が子供達の好奇心をバレエに戻した。

「ですね、楽しみです」

お互いに頷きあう、その剥き出しのライバル心を見たふたりの男子は、どちらからともなく視線を交わし、ちょっと決まり悪そうに体を捻った。

「祐一さん、僕らも側から見たらあんな感じに見えるんでしょうか」

「うん、バレコンって、あんな感じでやってたかも、……綺麗じゃないね」

海外では身内とも言える日本人同士で、火花を散らしている女子達の姿を見た事で、国内のバレエコンクールでの自分らの姿を垣間見たような、恥ずかしい気分になった。


 自分の知らない所で憶測が憶測を呼び、流衣が苦手とするライバル値が爆上がりしてることを知らない流衣は

「わ〜、このパン三つ編みだ! 可愛い〜」

近くのカフェの中で売られている、初めて見るスイスのパンの形に夢中になっていた。

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