第71話 囚われの月

圭一と真司が、拘束されてる椅子の前まで来ると、一臣は二人を交互に見比べゆっくり口を開いた。

「……何故こんな事をしたのか教えてやるよ」

それを聞いて圭一が堰を切ったように喚き出した。

「何だとお前がやらせたのか? こいつらのボスかよ⁈」

喚き声が耳障りだった一臣は、手に持っていた煙草を、圭一の口の中に押し込んだ。

「うわあっ! ペッ、ペッ!」

圭一は煙草の葉を直ぐに吐き出したが、葉の苦さとタールの匂いが口の中に広がった。

「あんた達がどんな人間か知るためにこんな真似したけど……」

一臣は二人のタコ糸で巻かれた指の上に、自身の左右の手を乗せて静かに体重を掛けて引き離した。

「ンーッ! ンーッ!」

「やめっ、指が千切れるっ!」

声を出せない真司は、呻き声を上げて泣きながら首を振り、圭一は叫んだ。

一臣は体重を手に掛けたまま、位置だけゆっくりと戻した。

「思った通りのクズ野郎で安心したよ」

一臣の静かな喋りは、かなりの怒りを感じさせ、ハク、セキ、まみの三人は固唾を飲んだ。当初の予定通りにここからは黙って見守る事になる。

「何が目的なんだ、こんな事して、お前ら見てろよ! 訴えてやるからな、俺の親父は力があるんだ、ただで済むと思うなよ!」

圭一は親を傘に着て息巻いた。

ハク達は声には出させない苛立ちを、眉間に出してムッとして聞いていた、しかし一臣は眉一つ動かさず冷静に言った。

「それがどうか?」

「なに⁈」

「ひとつ言うけど」

「……何だよ」

「あんたが、その親父に連絡を取る前に事は済む」


『事は済む』の一言に圭一はゾッとした。


——何だこいつ……。

 こいつは他の連中と違う……。

……いったい……なんなんだ、何なんだこいつ……!


「何なんだよ、俺を殺したいのか……殺すのか⁈」

「いいや」

「金か? 金ならやるよ、幾らでも、いくら欲しい?」

「要らない」

取り付く島も無い。

徹底したポーカーフェイス、表情からは何も分からない、口数の少なさが恐怖心を増す。

「じゃあ何なんだよ、いったい!」

「俺はただ、あんた達に無い感覚を覚えて貰おうと思って」

「え……」

訳がわからない、そんな表情をする圭一に一臣は顔を近くに寄せ、囁くようにしかしハッキリと言う。

「生理的嫌悪感ってやつ」

一臣はスッと離れて、先ほどまで自分がいた場所の床に置いてあった紙袋を手に取った。


——生理的嫌悪感?

……何言ってんだバカかこいつ……。


ふざけた事を言う奴と圭一は、心に残る優位意識が一臣を嘲笑う。

一臣は圭一と真司の近くまで来ると、袋から小さいプラスチック容器をふたつ取り出し床に置いた。

「……ミミズ?」

後ろで遠巻きに見ていたハクが、昔釣りに行く時によく見た、見覚えのある容器に反応してつい声を出した後、失言したことに気付き目を伏せる。

「?」

 圭一はプラスチック容器を凝視した。確かに中にミミズらしき物が蠢いてるのが見えた。今までそこはかとなく部屋中に漂っていた生臭い匂いの正体に、圭一はぞわりと鳥肌が立つ、真司は恐怖と口の中のティッシュのせいで意思表示ができないもどかしさに涙が出た。

 一臣は容器の蓋を取る。釣り餌の定番の赤いミミズが寒さのせいかお互いの体を絡ませ合い動かずにいた。圭一と真司がよく見える様に圭一の膝の上に乗せ、新たな煙草を一本取り出し火をつける、煙を吸い込み吐き出す煙をミミズに吹きかけると、ミミズ達は苦しそうにのたうち回った。

「デリケートだね」

ミミズを上から観察して、冷静にそう言った一臣を見て、圭一達は気味が悪くなる。

「……それ、どうする気だよ」

圭一が聞いた。

「どうって」

ミミズが容器から逃げ出そうとする姿を見て、一臣は容器を手に取った。

「こうするんだよ」

圭一の胸元を広げて中のミミズを全て入れた。

「うああああああ!」

圭一はたまらず悲鳴を上げた。

ミミズ達は突如変わった環境に追いやられ、自分の好みの場所を探して縦横無尽に動き回り、そのヌメヌメとした肌触りに耐えられず、圭一は身をよじり暴れた。すると椅子が動き出しタコ糸が指を締め付け、真司も痛みによって悶絶した。

「ヒイイッ」

叫びもがく圭一を尻目に、一臣は足で椅子の動きを止め、ふたりの指が千切れるのを防いだ。そしてもう一つの容器を手に取り、真司の方を向く。真司は一臣とその手にした物を見比べて、鼻息が荒くなり必死に首を横に振る。

「ミミズに毒は無いから心配要らない」

「ンーッ! ンーッ!」

真司は自分が心配してるのはそういう事じゃ無いと、首を振る速度を上げた。

一臣は今度は真司の膝の上にミミズが入った容器を乗せると、真司の口の中のティッシュを取り除いた。真司はようやく口の中の異物から解放され、空気を吸うと喉が驚いて咳き込んだ。


一臣はberで聞いた会話を思い出す。


『前におまえと一緒に突っ込んだ女居たじゃん、ほらあの背の高い美人、あれいい女だったよな、お代わり出来ねーの?』


—— 力の差は人を黙らせる……。

……何も分かってないのも『罪』の形。


「沈黙は承認じゃ無い」


一臣の氷のように冷ややかな視線に射抜かれて、真司は恐怖で身がすくむ。

「……なあ、おれ……東京、の事件、関係ないんだ……」

「知ってる」

「はな、離してくれよ、だ、だ、誰にも、言わないから」

「断る」

真司の必死の訴えを突き放す様に一臣は言った。

片手まで容器を持ち真司の後ろに周り、反対側の手で真司の下顎を掴み上を向かせた。真司は下から一臣の顔を凝視し、何をしようとしてるのか悟った。

「頼む、やめてくれよ! どの女か分からない……! ヤダ、ヤダヤダやめてっ!」

真司は泣き叫んだ。

「もう遅い」

一臣は下顎を掴んだ手に力を入れて、真司の口を全開にさせると、容器の中身を注いだ。

口を開けたままの真司は口の中に広がるミミズの生臭さとぬめり、その『食感』で気が狂いそうになり、口の中でウネウネと動くそのミミズの数匹が食道に入るその時。ゴーという音がすると同時に一臣は手を離し、次の瞬間に真司は全てを噴水のごとく吐いた。

胃の中の物全てを目の前にいる圭一にぶちまけた。

「ぎゃあああっ。きったねえ! 何しやがる真司!」

嘔吐物をかけられ異臭にまみれ、自身もミミズを纏い、圭一が喚き散らかしたが、真司は白目を剥いて気絶していた。

一臣が紙袋からもうひとつ、最後の容器を取り出したのを見た圭一は、ガタガタと震えた。

「やめてくれ、やだ、はなせよっ」

少しでも動くと嘔吐物の匂いが鼻につき、肌にまとわりついたミミズが蠢く、気持ちの悪さと恐怖で圭一は気を失いそうになったが、少し動くと指が糸で締め付けられて、痛みで目が覚める。

「あんた達の罪が何か分かる?」

一臣の問いかけに、圭一は考えが及ばない。

「な、なに、なにが……」

「想像力が無い所だよ」

一臣は核心に触れた。

「え……」

「だからひとの痛みが分からない」

ここまで来て、謝罪も改心もしない。

「頭で理解できないなら身体で覚えろ」

一臣は手にしていた容器の蓋を開けた。

圭一はそれを見て身体の芯が雷に撃たれでもしたかの様に戦慄した。

それは “ミミズ” では無く “青イソメ” だった。

青灰色のそれは海に近い釣り場で使う餌だが、ミミズのそれとは気持ち悪さが桁違い、ムカデの様な脚があり、噛み付いてくる口も有る、SF映画の“ワーム” の様な面のグロテスクな物体。

圭一は言い訳する事も虚勢を張る気力も無かった。

「ウソだ、そんなの、いやだ」

圭一の下顎を掴み口をこじ開け、青イソメを注ぐと圭一は失禁した。

「ナンパしたければすれば良い」

空の容器を投げ捨てた。

「けど今度女とやる時は思い出せよ」

空いた手で圭一の肩を抑える。

「この味をな」

下顎を押さえてた手で思いっきり口を閉じた。

口中で噛み砕かれたその衝撃で、青イソメの体液が飛び散り、部屋中がいっそう生臭くなった。


ぐ、ぐ、ぐ……。


圭一の喉から音が聞こえたかと思うと、急に静かになりそのまま圭一は失神した。


一部始終を見ていたハクとセキとまみは、非情で冷徹な一臣の行動に、約束以前に全く声が出なかった。


やっぱこいつヤバい奴だと、改めて一臣の容赦のなさにセキは寒気が走った。


ここに流衣がいなくて良かったと、ハクは冷や汗が流れ、一臣を怒らせるのだけはやめようと心に誓った。


この子……今時こんな刺激的な男の子がいるなんて、すっごくゾクゾクしちゃう……と、まみは動悸が激しくなり心が躍った。


「こいつらどうする? ここにこのまま置いとけないだろ」

三者三様の感想を持った3人の中、セキが最初に現実に戻った。

「どっか派出所の近くまで持ってっとくか? ちと遠いけど」

取り壊し予定の小学校から、近くの交番まで二キロは有ると、面倒くさいと思いながらハクは言った。

「捨てていいんじゃ無いかな、明日ゴミの日だし」

あくまでも情を示さない一臣。

「……いい」

まみがうっとりとした声を出した。

「はあ?」

まみをジト目でみるハク。

「いいわあ、その冷徹な視線に、情けや容赦無い制裁を繰り出す気迫。弁明を打破する信念。顔も良い度胸も良いなんて、もうまみゾクゾクしてイっちゃいそう」

まみはウルウルしながら、一臣に熱い視線を投げかけた。

「もうおまえ帰れ」

ハクが冷たくあしらう。

「ハクの友達はなにか変わった果物でも食べたの?」

一臣は一番わかりみ早いハクに聞いた。

「そう、『メロメロの実』を年の数ほど」

でもまみが答えた。

「そんなにねえだろ」

「悪魔の実は限定一個だ、つか、ガチ帰れ!」

セキとハクに突っ込まれた。

「どーしてぇ、何でのけものにするのっ? 

まみ一生懸命頑張ったのにー! ひっどーいい!」

まみがイヤイヤしながら拗ねて訴えた。

「ゲロまみれの男ふたり、運ぶの手伝いたいなら別に良いけど」

一臣がこれからの工程を暴露する。

「おっ疲れさま〜! みんな、待ったね〜!」

「変わり身〈速マッハ〉かよ」

笑顔で去っていく同級生にハクが呟いた。


一月の末の真夜中なのに気温は氷点下にならず、外に置いておいても風邪をひくくらいで済むと判断した3人は、担架がわりにシーツを使い、校舎から男ふたりを運んだ後一息つき、ハクは煙草を取り出し火を付けた、セキを眺めて煙を吐き出してから、視線を置いたまま口を開いた。

「んで、おまえはなんで来たのよ?」

セキは振り返り一臣を親指で指して聞いた。今日の打ち合わせの段階では、まみがいたので追求しなかったハク。

「呼ばれた。車回してくれってな」

「それだけ?」

「ああ」

「おーい、一臣?」

回答がアッサリ過ぎて、埴輪に呼びかける様に一臣を呼んでしまうハク。

「うん、繁華街で万が一でも車止められて職質されたら、無免許はまずいと思って」

ハクは二輪の免許しかなく、一臣は無免許である。

「そうじゃなくて、オレはいいさ。けど、流衣にどう説明すんのよ? お前らがフツーに喋ってたら嫌がんだろ?」

ハクの疑問。

「ああ」

一臣は今初めてその事に気が付いた。

「俺が説明するよ」

ハクの疑問に一言で答える一臣。

「……お前はなにも聞かないのかよ」

セキはハクに向かって聞いた。

「オレ? 一臣が納得してんならオレは構わねえよ、ただお前、流衣に悪いと思わねえ?」

「……」

ハクの言い分にセキは黙り込んだ。

「あいつはさ、一生懸命じゃん? 踊るの好きってだけであんなに打ち込めんのかって思うくらいさ、オレなんかただフラフラしてるだけで、羨ましいと思うほど真面目に生きてもいねえ。『頑張れ〜』ぐらいしか言わねえし……けどな、一途に夢見てる奴の邪魔するほど不粋でも無いわけよ」

「……不粋」

「そっ、おまえ最悪、武骨で野暮で、しょっぱいわ〜」

ハクは塩っ辛いものを食べたみたいに露骨に不味そうに顔を歪めた。

セキは、煙草を出そうと懐のポケットを探ったが、その中にタバコとは違う感触のものにあたり、正体が分からずに取り出した。

掌に飴が2個。

以前、流衣が手渡した物がそのまま入っていた。

セキは飴を元に戻し、左サイドのポケットからタバコを探り当て、何事もなく咥えて火を付けた。

「あいつファンが多いんだな……」

セキは煙草の煙を空ぶかししてから車に乗り込み、静かに走り出してその場を後にした。

セキが車で走り去るのを黙って見送るハクに、一臣が話しかけた。

「ハク、なにも聞かずに手伝って貰って、悪いね」

一臣の謝意に驚いたハク。

「なに⁈ 急にしおらしくなっちゃって、さっきまでの冷酷感な一臣君はどーしたよ?」

「……虚しい」

「一臣……」

「映画やドラマで敵を打ちに行く話は腐るほどあるけど」


『恨みをぶつけたって、自分が傷つくだけなのに、なんでそんな虚しい事するの?』


「ひとりの人間を尊厳もなく、性欲の対象物としか見てない奴等を見てたら腹が立って……。でも、ハクの友達の言ってた通り、奴等のしてた事は犯罪とは違う、俺がやった事はただの復讐で自己満足、正義じゃ無い」

 流衣が言っていたことが、正しくその通りだと、奇しくも同じ場所で繰り広げられたことが、一臣の中に虚脱感が漂い、自分がやってる事が空回りに感じた。

「カレーがご馳走じゃ無い奴らだからじゃね?」

「カレー?」

「おうよ。うちは母子家庭でおふくろが一日中働いてたからな、普段は炊飯器にあるご飯に納豆やら卵やらふりかけ掛けて食べてたんだわ、そん中でカレーが置いてあるとめっちゃホリデー状態な」

冬は冷凍庫並の借家の台所で、下手すると1週間近く続くカレーを、それでも飽きずに食べてた自分の単純さと、休みの日にイビキをかいて寝ている母親を起こさない様に、コッソリと家から出てスポ少に通っていた事を思い出して、懐かしさに含み笑いをしながら煙草をふかした。

「まーなぁ……。頑張ってる大人の後ろ姿見てねーとそうなんじゃね? 知らんけど」

それ以上、的確な言葉が出て来ないハクは、自分の語彙力のなさについ誤魔化した。

「大人の後ろ姿……」


『……大人って複雑だね』


月を眺めて言った流衣の横顔が鮮明に蘇る。

なんだか無性に

「流衣に会いたい」

郷愁に囚われ月を眺め、素直に感情を出した一臣を見て、ハクは無言で煙を吐き出した。

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