第70話 エゴイスト

 カビ臭さと生臭い匂いが鼻にまとわりつき、圭一は目を覚ました。

身体のダルさと軽い目眩を感じながら、ゆっくりと目を開けると、薄暗い部屋の中、窓から差し込むカゲロウのように頼りない月明かりで、自分が椅子に座ってるのが分かった、しかし体が動かない、不快感を覚えながら目眩がする視界を必死に広げた。

すると目の前に真司の姿が見えた、向かい合わせに椅子に座ってる、凄く近い。

現状が理解できない圭一は、なんとかだるい身体を捩り動くと、指に鋭い痛みが走った。

「なんだここは?」

声が出たことと痛みとで意識が完全に戻り、辺りを見渡して、学校の教室のような部屋の中で、自分が椅子に縛られて自由を奪われていることが判明して圭一は混乱した。キャスター付きの事務椅子、その椅子の肘付きの部分に、自分の指が丁寧に一本づつタコ糸で括り付けられている。更に脚が椅子のベースの軸に括り付けられ、拘束されてる部分が少ない割に、何故か動けなかった。

「真司! おい起きろよ真司!」

圭一は目の前の真司に呼びかけた。

「ん……ああ、圭一?」

真司も意識が戻っていたのか、すぐ返事をした。

「ん? あ、なんだこれ⁈」

真司が我が身に起きてることが理解できず、立ちあがろうとして身体を思い切り動かした。

「ぎゃあ!」

「痛えぇっ、なんだこれ!」

手に痛みが走り、ふたり同時に叫んだ。

「動くと、指が千切れちまうぜ」

暗い部屋の隅からセキが姿を現した。

「お前、さっきの……」

圭一の言葉を遮り、セキが続ける。

「そのタコ糸がどこに繋がってるか、よく見ろよ」

そう言われて、圭一と真司は様子を見ると、タコ糸がお互いの椅子に繋がっていることに気が付く。しかも動けば締まる様に、結び目が無い状態で巻かれていた。

「タコ糸は伸縮性がないから、10センチも離れたらお互いの指が飛んじまうって、覚えておきな」

セキは火の付いてないタバコを咥えたまま喋った。

圭一と真司は薄気味悪いさが体を支配した。

「いったい何なんだよ、俺たちをどうしようっていうんだよ! 何の恨みが有るんだよ!」

「そうだ、俺たちが何したっていうんだよ、こんなことされる覚えはないぞ!」

真司に続き圭一も吠えた。

「よく言えんな」

薄暗い部屋の隅からハクが動き出す。

「胸に手ェ当ててみな、ひとーつ、ふたーつ……じゃ、きかねーくらいあんじゃねえか」

ふたりを軽蔑する視線を向けて喋った。

「よ!」

ハクは語尾を強めると同時に、2人の椅子を蹴飛ばした。

キャスター付きの椅子は同期し、壁まで滑ってぶち当たった。

「ごゃああっ!」

「ぎゃあ、痛え!」

衝撃はダイレクトにふたりの両手の指に伝わり、悲鳴が響いた。

「痛え、何でこんな目に……圭一! お前のせいだかんな!」

真司が急に圭一を非難し始めた。

「何だと真司!」

「どうせお前がどっかで騙した女のせいなんだろ⁈ さっさと謝れよ!」

「ふざけんな、大体おまえも一緒だろうが、俺がお膳立てしてやって、うまい汁だけ吸ってるくせしやがって、何度おまえの尻拭いしてやったか、覚えてんだろうな!」

ふたりは擦り合いを始めた。


——効くに耐えない……。

これビデオに撮ってSNSで流したら大炎上ね、一臣くんが止めなきゃやるのに……。


まみは一臣をチラリと見た、一臣は壁に寄り掛かり傍観しており、未だ動く気配を見せない。

ここに至る前の打ち合わせの段階で、決められた通りに事を進める。


「恐怖心を植え込む?」

「そう」

ハクの疑問を一臣は一言で返した。

一臣、ハク、セキ、まみの四人は月曜日(今日)の午後、ハクの部屋に集まっていた。

「身体に傷は付けない方向で」

「だな、怪我でもしたら、親の権力総動員しそうだもんな」

ハクはさもありなんと、タバコ煙をブワッと吐き出した。

「その、恐怖心ってどうやって植え込むの?」

まみが一臣に質問した。

「脅す」

「金で事件を解決出来る奴らに脅しが効くか?」

一臣の簡潔な一言にセキが不安気な顔をした。

「だからシチュエーションがいる。密室、暗闇、拘束、この3つで奴らに逃げられないと思わせておいて煽る」

「自由を奪っといて……煽るか」

ハクが考え込んだ。

「そう、奴らの興奮して落ち着かなくなったら、俺が合図を送るから、東京での事件のことを聞き出して欲しい」

「東京の事件?」

ハクが聞き返し、まみはキョトンとしていた。

「安積圭一が起こした婦女暴行事件、六人で起こした事件だけど、全員直ぐに釈放されてる。その中の五人は事件とは別の薬物取締法違反で捕まって、実刑判決を受けてる。その時のメンバーで無罪放免なのは安積だけだ、代議士の親の力で氷室と名を変えて、地元に帰って来ている」

「権力とお金の力ってすごいわぁ……」

まみがため息混じりに感心する。

「聞き出してどうする? その事件はおまえに関係ないだろ」

セキが疑問を投げかける。

「判断基準にする為に事件の詳細が聞きたい、本当に無関係ならその場で解放する、けど少しでも関わっているなら徹底的にやる。そうなったら黙って見てて欲しい」

強く言い切る一臣に、まみが疑問をぶつける

「ふーん、でも何でそんなことすんの? ナンパ師なんて結構いるし、Hするだけなら犯罪じゃ無いでしょお、相手の女だって承知なわけだし、簡単に誘いに乗る女なら自業自得じゃ無い? 何でその人たちだけなの? 個人的な恨み?」

まみの正論にハクも何となく頷いた。

「それは言えない」

一臣は一呼吸おいて答えた。

「は?」

まみは驚いた。

「理由は言わない、だから少しでも疑問があるなら、これ以上関わらない方がいい、俺は一人でもやる」

理由は語らないが、一臣の硬い決意を目の当たりにした三人は黙り込んだ。

ひとり概要が分かっているセキが口を開いた。

「オレは最後まで付き合うがおまえらどうする?」

「乗るかそるか、って、それオレに聞く? あ、龍希、おまえは気乗りしないなら帰って良いぞ?」

ハクは自分に異存がない事を述べると、龍希にリタイヤするなら今だと勧めた。

「何それ〜、いまさら帰れるわけ無いでしょお! もうっ死なば諸共よ!」

「さっすがキャプテン、おっとこまえ〜!」

昔から頼りになる時々乙女になる元相棒男子に、ハクは拍手を贈った。


「だからどうしろってんだよ」

圭一が言った。

「そうか分かったぞ、俺たちとやった女が、誰かの彼女だったんだろ? な? けど俺たち無理やりやったわけじゃ無いしさ、リピしてる女もいないから、一回コッキリの浮気なわけだから許してくれよ、離してくれよ、頼むから!」

真司が固定された腕と足は動かせないなか、顔と上半身だけを必死に乗り出して訴える。

「……よくいうわぁ」

まみが呆れ顔で近付いた。

「人を泥酔させようとしたくせに、よく無理やりじゃ無いなんて言えるわね、今までどんだけ酔って正気じゃなくなった女とやったのよ? それで正統性主張するなんて図々しいにも程があるわ!」

「うるさいな、偽物は黙れよ」

まみが怒り心頭で喋ると横から圭一が口を挟んだ。

「なんですってえ!」

圭一の心無い一言にまみは切れた。

「おい、相手になるなって」

「う〜っ」

ハクが暴れ馬を御するようにまみを抑えたが、まみの苛立ちは収まらない。

「金か?」

圭一が言った。

「あんた達が欲しいのは金だろ? いくら欲しいんだ? 百か? 二百か? 分かったひとりに百万ずつ払うよ、それで良いだろ? 早く俺は解放してくれよ」

「おい圭一『俺は』って何だよ、自分だけ助かる気かよ!」

圭一の言ったことを対して、真司が慌てた様に言い出した。

「何のことだよ、おまえ自分の分は自分で払えよ、俺にそんな義理はないね」

「圭一、おまえクソかよ」

「何だと⁈ おまえにクソ呼ばわりされる筋合いなんて無いぞ!」

つまらない仲間割れが始まった。


シュッ。


部屋の角でマッチをする音が聞こえた。

圭一と真司はその音に反応してそちらを見た、マッチの頼りない灯りでも、人ひとりの顔を照らすのには十分な明るさだった。

一臣が煙草に火をつけたのだ。

もう一人いたのか、と圭一と真司は思った、初めて見る男の顔に、そして今まで黙っていたことにそこはかとない恐怖を感じた。

ハクとセキとまみは顔を見合わせて頷きあった。

「あんた……安積圭一って名前なんだってな」

セキがフルネームを言うと、圭一はギョッとした。

「東京の大学にいる時、事件起こして地元帰って来てバツ悪くて名前変えて生活してんだって? 旧姓氷室ってのマジ?」

ハクが揶揄う口調で言うと真司の目の色が変わった。

「東京って……ほらみろ、俺関係ねーじゃん! 俺がとばっちりじゃん! どうしてくれんだよ圭一!」

自分は関係ないと騒ぎ出した。

「オメーは黙っとけ」

セキは真司の口に、まみのポケットからはみ出してたティッシュを取り、中身を全て突っ込み黙らせる。

「あんた達あの女の知り合いなのか?」

「あの女って誰よ?」

ハクが聞き返した。

「サークルの飲み会に来た玲奈って女だよ」

あっさり名前を言う圭一からは、罪悪感などの負の感情は感じ取れない。

「それがあんたがやっちまった女かよ?」

セキが聞いた。

「安積だか氷室だか知らないけど、いいの? あんた色んな女と遊んで、それだけじゃ物足りなくて、その女の子犯して警察に捕まったんでしょ?」

畳み掛けるようにまみが言った。

「何言ってんだよ、犯したのは俺じゃない!」

圭一が否定した。

「おまえの父親が金で揉み消したんだろうが!」

ハクが声を荒げる。

「俺は犯してないから、不起訴になったんだ、そっちこそ何言ってんだよ。巻き込まれるのが嫌だから親父が金使ったんだよ、それが何だってんだよ」

圭一も負けずに声を荒げた。

「ああ⁈ おまえが何もやってないわけねえだろうが!」

ハクが更に怒りをあらわにした。

「勝手に決めつけんなよ、あの女と関係無くてヤクザでもないんなら、お前らこそ何者なんだよ! 正義感振り翳したヒーロー気取りかよ⁈ 薄気味悪いゲイ野郎共!」

圭一の発言にカチンときたまみが、真司の椅子を引っ張った。

「ぎゃああああ」

タコ糸が指に絡みつき、引き千切られそうな痛みに、圭一は悲鳴をあげ、真司は唾液をティッシュに吸われ声を出せずに、鼻から強く息を吹き出すことしか出来なかった。

「悪いと思ってねえなら喋ったらどうなんだ」

ポケットに手を突っ込んで、メガネの下から圭一を覗き見るセキ、ガラが悪いその姿とは対照的に、唯一の救いのある一言が圭一の耳に入った。

「……俺はサークルメンバーじゃ無い、けどあの日サークルの飲み会に誘われて、行った店で隣に座った女が、同じ講義取ってるから、俺の事を前から知ってるって言い出して……」

気は一旦息を呑んで続けた。

「二軒目に行ったクラブで酔いが回って来たのか、その女が俺とやりたいって言って来たんだ、だからトイレでやったんだよ」

「やっぱ、やってんじゃねーか」

とセキが言った。

「それのどこが犯罪なんだよ、誘われてセックスしただけだろ」

「じゃあなんで事件になってんだよ、警察に捕まっただろ」

ハクが疑惑の目を向けていった。

「あのサークルの5人がトイレにやって来て、代われって言ってきたんだよ」

「は?」

「奴らは薬でハイになってて、女を引っ張って床に倒したら女が大声で騒ぎだして、暴れる女を押さえ付けて輪姦し始めた。それを聞きつけた店員が警察を呼んだらしくて、一緒にいた俺まで捕まったんだ、飛んだとばっちりだよ」 

圭一の言った事にハクとセキは言葉が出なかった。

「……気持ち悪い……あんた、それ黙って見てたの」

まみは異形なものを見る目つきで圭一を見た。

「それがどうした? 俺は何も悪いことして無い、良い迷惑だよ」

悪びれもせず正当性を主張する圭一に、ハクとセキもまみと同じく気持ち悪さを受けた。

圭一という男のその場の対応が手に取るように見えたからだ、この男は女が乱暴され泣き叫んでる姿を警察が来るまでただ眺めてたのだ、観客の様に上から、他人事として。


「もういい」

一臣が初めて声を出した。

圭一と真司はそちらに目をやると

ゆっくりと壁から背中を剥がし、一歩ずつ近づく度に男の輪郭がハッキリとしてくる。無表情の人形の様な顔が不気味に浮かび上がり、闇から処刑執行人が視線を定めて近付いてくる、そんな妄想に囚われた圭一と真司はおぞましさに震えた。

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