第65話 告白

10時32分発の新幹線が厳かにホームに入って来ると、流衣はホームを見渡した。

「何やってんのあいつ」

一臣がまだ来ないことを受けて、ハクはイライラしていた。

「何かあったのかな……」

昨日ハクから、一臣が見送りに来ると聞いていたので、自分からは何も連絡を入れてなかった流衣は、未だ現れない一臣が心配になってメールを入れてみる、しかし返事は来ない。

「あの男の子どうしたのかしら、いつも時間に正確なのにね」

判子はんを押したように、同じ時間に現れる一臣を知っている日野も同じく心配した。

「流衣、そろそろ乗らねーと」

3分しかない停車時間にハクの方が焦って促した。

「あ、そうだね」

後ろ髪引かれながら乗り込もうとする流衣。

「一臣の奴は後でオレがぶん殴っておくから、気にしないで行ってこい」

ハクなりの冗談混じりの励ましは、横にいる日野には冗談には聞こえず少し青ざめた。身長だけでも威圧感があるのに、黒レザーファションとロン毛でデカい男の風貌とぶん殴るの一言に、日野は圧倒され緊張してしまう。

しかし、流衣が新幹線に乗ったのを見て、日野は気を取り直して呼びかけた。

「流衣ちゃん」

「はい」

「いいこと? 自信を持つのよ」

「先生……」

「あなたのここまでの苦労は誰にも真似できないものよ。狩野流衣として、自信を持って舞台に立ちなさい。あなたは私の誇りで自慢の生徒よ、今まで見て来た誰よりも、流衣ちゃんの踊りは素敵よ!」

流衣を真っ直ぐに見て、熱い瞳で語る日野に流衣は心底元気づけられた。

「はい、行って来ます!」

流衣が元気に返事すると、新幹線の入口のドアが閉まった。流衣は窓越しに日野とハクに手を振った。それでもまだ一臣は現れない、新幹線が動き出すと直ぐに2人の姿が見えなくなり、流衣は席に移動しようと荷物に手をかけようとした、その時、階段を駆け上がってくる一臣の姿を目撃した、ほんの一瞬でその姿は見えなくなったが、流衣は今日一番の笑顔になった。


——も〜心配したじゃない、臣くんのバカっ!


 ハクと日野の前まで来た一臣は、息切れで喋れなくなり膝を手で押さえて肩で息をし始めた。

「おまえどっから飛んできた?」

「大丈夫?」

ふたりが交互に声をかけると、もれなく駅員が二人ついて来ているのに気がついた。

「君! 改札を飛び越えるとはどういう了見だ!」

「切符はどうした、無賃乗車する気かね⁈」

駅員に無賃乗車の疑いをかけられても、一臣はまだ呼吸が整わないでいた、その様子を見た日野が代わりに答えた。

「あらあら、ごめんなさい。この子友達の見送りに来ただけなんですよ。急いだから入場券買えなかったのね。申し訳ありません、もう新幹線出てしまったので直ぐ出ますから」

「ああ、お見送りでしたか。それなら入場券を買っていただければ……」

大人の女性が言ったので、駅員二人も無賃乗車の誤解を解いて答えた。

「ええ、勿論買いますとも。落ち着いたら二人とも降りてらっしゃいね」

ハクと一臣に言い残し、日野は駅員二人と改札口に降りて行った。

「……おい。洒落にならねーだろ、遅れないでこいって言ったよな⁈」

「……わかってる」

一臣が口を開くと、同時に携帯にメールが入った。


『まさか……』

『寝坊……⁈』

『ありえないわ!』

『どうしたの? 何かあった?』

『遅刻で良かった(笑)』

『行って来ま〜す!』


 仙台駅の裏口である東口に自転車を捨て置き、全力疾走してる間に入ってきてた流衣のメールの羅列を読んで、最後の二行で自分の姿を流衣が見たと分かった一臣はホッとした。

「なにホッとしてんだ、オレは許さん!」

 ここぞの大事に遅刻した一臣に、ガッチリと説教しようとしたハクは、一臣の顔に殴られた跡を見つけた。

「その顔どした?」

「別に……」

「言わないとこみると、セキか?」

この辺りで一臣に喧嘩を売る奴なんかいない、唯一の例外の梶が表に出られないなら、残るのはセキしかいないとハクはふんだ。

「分かってんなら聞くなよ」

 投げやりな返事で、一臣がわざと殴らせたのだとハクは見抜いた。

「ケリつけたのかよ」

「おそらく」


——おそらくって、アバウトじゃねーか。

 って事はそれ以上聞くなって事だよな。


「それならまあいいや。んで、おまえなんで遅れたのよ?」

「……調べ物で苦戦してた」

「苦戦? って、いったいなんの探り入れてんの」

 ハクに聞かれて答えに迷うと、一臣は悲しげに言った。

「真実の扉」


 一臣はハクの追求を逃れて、導かれるようにある場所に向かった。行き詰まった一臣は、何故かここに足が向いてしまっていた。今まで一度も訪れることが無かった姉の墓所。父親の菩提寺は関西にあり、母親の家の方は地元にあるが苗字が違う、埋葬場所に困った両親は、新しく綺麗な建物の共同墓地に一旦預けた。

しかし入口まで来て足が止まった。

どうしても中に入る一歩が出ない、やはり帰ろうと思った時、中の通路を若い女性が出て来た。入口に居た一臣は、道を譲るように脇に避ける。

その若い女性は一臣に気がつくとまじまじと見つめ、一度通り過ぎると、立ち止まり振り向いて声を出した。

「ねえあなた、ひょっとして結子の弟さん?」

「え……」

一臣は驚いて顔を上げた。

「やっぱり、なんか似てるなと思って、それにその黒子ホクロ……一臣君ね?」

「そうです」

頷く一臣を見て、やはり亡き友人に似てると郷愁の想いの中、偶然の出会いに思わず笑みがこぼれた。

「私ね、結子の同級生で水瀬美奈子と言います」

「水瀬……“みなみな” って……」

「そうそれ、私が “みなみな” 初めまして、って言ってもそんな気がしないわ、ユイがいつもあなたの話してたから……」

水瀬の顔が次第に曇って行き、目から涙が溢れて口篭らせた。

「あ……ごめんなさい、なんか……信じられなくて……家族の方が辛いのに……」

「いえ……」

一臣は目を逸らした。

涙を拭い、気を落ち着かせて水瀬は話し出す。

「ごめんね、私、東京で働いてるから、一年近く経つのに、今日初めて来たの……お葬儀にも出られなかったし、知ったのもだいぶ後で……」

水瀬は事情を説明して不作法を詫びた。

「葬儀はしてません。火葬も順番待ちだったので、一度現地で土葬して、後から掘り起こして火葬したので、家族だけで見送りました」

頭を下げる姉の友人に、一臣は現実を話した。電力不足と死者の多さで、火葬場が作動できる状態でなかった、震災後はこれまでの日常とかけ離れたものだと説明すると、水瀬は少なからずショックを受けた。

「そうだったの……私、なんと言ったらいいか……、前の晩電話で話したのに、まさかこんな事になるなんてあの時は思いもしなかった……」


——前の晩の電話……!

じゃあ、あの夜……話してた相手はこの人!


一臣は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「あの」

一臣が話しかけて来たので、水瀬は顔を上げた。

「氷室圭一って知ってますか?」

「氷室圭一……まさか、安積圭一の事⁈」

「安積? 氷室じゃなく?」

だから調べても名前が出なかったのかと思った。

「なんであなたが知ってるの? 誰に聞いたの⁈」

「知ってるなら、教えて下さい。……全部」

「知らない方がいいわ、特にあなたは」

水瀬は顔を背け、辛そうにしかめた。

「それに……私の口からはとても……」

「でも、あの夜電話で話してたのは、あなただ」

水瀬はギクっとして一臣を見た。

「あなた、あの話聞いてたの?」

「合わないんだ!」

一臣が急に声を荒げ、水瀬は驚いて固まった。

「あの夜の話と、噂に出てくる話と……俺の中の姉貴のイメージが違いすぎて、どうしても合わなくて、苦しい……」

「一臣君……」


「今日はまた、どうしたのかしら」

藤本紗織は、帰って来たかと思ったら部屋に直行し、その後物音ひとつさせない息子の行動が解せない。

「何のことだ?」

リビングテーブルで上を見上げて呟く妻に、手酌酒の湯呑みが止まる父。

「あら、お父さんいたの?」

「居たら悪いのか」

久しぶりに定時で帰ってきたら、この言われよう。昼行灯扱いに父は少しむくれた。

「だっていつも仕事で遅いじゃないの、ひょっとしてご飯食べるの?」

「食べるとも」

それで夜ご飯が出てこなかったのかと思う父。

「カップ麺がいい? 袋麺がいい?」

その二択。

「袋麺、ネギ多めで」

「はいはいネギね、ちょっと待ってて」

息子が家で食事しなくなって以来、すっかり料理する気が失せた母親は、それでもインスタント麺の乾燥ネギが嫌いな旦那の為にネギを常備している。湯を沸かして麺を茹でる間にネギを刻み、お歳暮で貰った冷蔵庫の肥やしの焼豚を、ここぞとばかりに鍋に投入、火を止めスープの粉を入れてかき混ぜ、手早くドンブリに入れて仕上げに面が見えなくなるほどネギを入れた。

「それで、さっきの話はなんのことだ?」

出来たラーメンを二口啜った後に父は聞いた。

「一臣がね、今日やたら早く帰って来たと思ったら、すごく静かなの」

「昨日は一晩中私の部屋でガタガタやってたな」

デスクトップをイジる為に、一臣は時々父親の部屋に出入りする。

「あの子……最近、ようやく怪我しないで帰って来るようになって安心してたのに、年末に青痣だらけになって骨折までして、昨日また顔にアザを作ってくるし……。どうしたもんかしら」

「それは……一臣から言って来るまで聞かないと決めたじゃないか」

一臣の両親は、息子が怪我して帰って来る事に悩んで話し合った結果、本人が自分の口から言うまで、聞かない事にしようと結論を出していた。

「そう……そうね、でも」

母は記憶を探る仕草で目を伏せた。

「私……当時の事を考えると、本当に一臣に申し訳なくて……」

震災当時、娘が亡くなったショックから放心状態になり、なにも手につかない状態が続いた。

「それは仕方がないだろう」

若い娘に先立たれた親ならば、誰でも悲痛な思いでいる。ましてや母親からすれば子供は自分の分身、身を裂かれる気持ちだろうと父は理解し、自分の悲しみは押し殺していた。

「結子がもう帰ってこないと思うだけで、ただもう哀しくて、泣いてばかりいて……。ある日、一臣が血だらけで帰って来たのを見て……私、心臓が止まるかと思ったわ、なのにあの子どんなに聞いても「何でもない」としか言わないの、問い詰めようとした時にハッとしたの、なんで一臣の制服が違うのかしらって……。その時になって初めて一ヶ月以上経っていた事に気が付いたのよ……もう……」  

 血だらけの一臣を見て、この子まで失うわけには行かないと、我に帰った母はそこで自分を取りもどしたのだ。

「あの子の卒業式も合格発表も、高校の制服を注文した覚えもない、教科書を買いに行った記憶もない、入学式はあなたが出たと聞いて……、どんなに泣いても結子が帰って来る訳じゃないのに、生きてる人を大事に出来ないなんて……私って、なんて情け無い母親なのかしら……」

いくら悲しみに暮れていたとしても、我が子を蔑ろにしていた自分が悔やまれてならないのだ。

「その心配はしなくていい、一臣あいつは全部分かってるから」

妻の胸の内を黙って聞いていた夫は口を開いた。

「母さんがあの状態だから、一人で出来るかと聞いたら、あの子は黙って頷いたよ」

「それは……」

自分が嘆き悲しんでいる間に、2人がそんなやりとりをしていた事を知り、侘しさが心を支配した。

「その時に必要なものはこれで払うようにと、私のカードを渡したんだが、あの子は制服と教材費以外は一銭も使わなかった。使おうと思えばいくらでも使えたのにな」

 現金でしか買えない教科書は、カードからお金を引き出して、カードと領収書レシートと共に小銭までお釣りがキッチリと机の上に置かれていた、この律儀な性格は誰に似たのかと、父は感心を通り越して少し呆れた事を思い出した。

「今の一臣に必要なのは、暖かい言葉ではなく時間なんだ。しかしな、どんなに迷ったとしても、あの子は道を踏み外したりしないだろう、私達の子を信用しようじゃないか」

「あの子はまだ16歳なのに……それなのに、突き放しておいて、一人で成長するのを待つしかないなんて……」

「残念だが、今はそれしかないんだ」

父親は寂しそうに呟いた。


 いつの間にか日が暮れて、部屋の中は真っ暗になっていたが、灯りをつける事もなくベットの上でうずくまり、一臣は部屋の片隅を見つめていた。

震災の後、あの日からその場所は何かに占領されている。仄かに青く霞がかったその場所を何かを待つようにまんじりと見ていた。

予期せぬ携帯のメール着信音が静寂を破った。


——流衣?


 メールの着信の主に驚き、一臣は時計を見た、八時を回っている。六時の出発時刻がとうに過ぎていた。

『電話していい?』

メールの内容に妙な不安が起き、一臣は自ら電話する。

『もしもし』

3コール目に出た流衣の声はいつもの声だった。

「どうしたの?」

『うん、雪でね、出発時間が延びてるの』

「……雪?」

雪と言われて一臣は窓を見た。

窓の外には暗闇のなかに風に舞う雪が見えた。

『そっちも降ってる? こっちはもう止んでるの、道路がちょっと白くなっただけなんだけど、飛行機ってそれだけでも飛ばないんだね、びっくりしちゃった」

 ローザンヌ出場者が多いツアーの人達と一緒で、不安は感じないが、他の人たちは人それぞれ顔見知りらしく話をしているのを見て、ひとり参加の流衣はその場から少し離れた。今日は一臣とひと言も話して無い、こちらから打ったメールの返事もなく、このまま旅立つのかと侘しさを味わってしまっていたところに搭乗遅延、千載一遇のチャンスとばかりに一臣に連絡してみたら、速攻で電話が鳴って顔がほころんでしまった。

『もう少し時間が掛かるみたいなの、それで出発までに喋っておこうかなって思って……』

しかし流衣の声を聴きながら、一臣はあの日の光景を思い出し凍り付いていた。

『……臣くん?』

黙っている一臣を、流衣は呼んでみた。

「雪が降り出した……あの日も……」

『あの日って……?』

一臣の声の調子で様子がおかしい事に気が付いた流衣は、一臣の言葉を静かに繰り返した。


3月11日の朝の光景と夕方からの冷たい雪。

姉の姿がオーバーラップする。


「姉貴が……」


玄関で立ちすくむ結子の姿


何も言わずに出て行く後ろ姿


泥だらけの死体


悲鳴のような泣き声


鼻につくヘドロの臭い


「……俺が殺した……」


一臣の告白に流衣は衝撃を受けた。

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