第64話 業(カルマ)

「ふふっ」

流衣が歩きながら小さく笑った。

「なによ?」

ハクは不思議そうに尋ねる。

「だって、ハクと並んで歩くなんて初めてだから、なんかくすぐったい」

「くすぐったいかぁ……」

いつもの帰り道、隣を歩いてるのが一臣ではない違和感と、一臣より背が高いとはいえ二、三センチの差の筈が、見上げる角度がセンチ刻みでレベルが違う事に、流衣は新たな驚きを覚えた。その大きな大人の男性が、手持ち無沙汰に歩いているのを見て、小学校の帰り道に何か面白いことが無いかと、キョロキョロと歩いていた “いちにぃ” 達と重なり、親しみを感じると共に楽しくなって来た。

「並んでみると、ハクって本当におっきいね、学生の時勧誘されなかった? バスケとかハイキューとか」

「オレ、中学不登校で高校中退だし」

「居るときに」

「七日でフェイドアウト」

「あれ、残念。じゃあ、そこのお兄さん、モデル目指してみない?」

「モ……オレが⁈ じょーだん! んな小洒落て歩けるわけねーわ」

「それって練習次第じゃない? ハクかっこいいのにもったいないよ」

褒められてるはずのハクは、苦虫を噛み締めたような顔をした。

「おまえさぁ、それ悪いくせな」

「悪いくせ?」

流衣はキョトンとする。

「好きでも無い男褒めんなよ、勘違いすんだろ」

「え? あたしハク好きだよ?」

「お、マジ?」

「LOVEじゃなくて、LIKEのほうで」

「ちっ、つっまんねーの」

名探偵の決め台詞みたいに流衣がビシッと言ったと思うと、子供みたいな言い方で腕を組んでいじけて返すハク。

「プーッ!」

顔を見合わせて、似た物同士のふたりは笑い合った。

ひとしきり笑い、歩く事に集中し始めて、またしても手持ち無沙汰が再燃したハクは、煙草を取り出し火を付けた。

「歩きタバコ……」

流衣は煙草に火をつけようとしたハクを、咎めるようにジッと見つめた。

「街中じゃねーから、見逃してくんね?」

「小さい子の前で吸っちゃ、だめじゃない?」

流衣が自分を小さい子と言って、冗談混じりにハクに禁煙を促した。

「なによそれ、体がちっさいだけじゃね? 

16才だろ、大昔なら結婚してん大人だわ」

しかしハクはヤニ切れを回避するために、ご都合主義的に話をすると、流衣は真顔になった。

「あたし、3月が誕生日だからまだ15才なんだけど……」

「え? オマエまだ15なん?」


——あり? オレどっかで同じこと言ったな……。


以前に一臣に言ったことを思い出したハク。


「タバコって煙たいし」

臭いとダイレクトにいうのは避けた流衣。

「あー、じゃあ上に吐くわ」

敵もさるもの。

「体に悪いと思うんだけど」

流衣も負けずに一歩踏み込む。

「あー、それな。タバコと健康の害は関係ないらしいぞ?」

「そうなの?」

「そう言ってたぞ、一臣先生が」

一臣の名を出せば無罪放免になると思ってるハク。

「そうなんだ……」

「そうそう」

「もー、しょうがないなぁ」

流衣が渋々喫煙を認めると、ハクは勝利宣言の代わりに、煙草の煙を思いっきり吐き出した。

小さな沈黙の後、流衣が切り出した。

「聞いていい?」

「んー?」

煙草を咥えたまま返事をした。

「……見てたの?」

「え⁈」

ハクはギクりとして心臓がはやり出した。

「な、なに? を見たって⁈」

明らかに動揺してる。

「……やっぱり」

はーっと流衣はため息をつく。

「なんで……」

分かったんだ、とハクの顔はそう言ってる。

「声かけられた時……ハクの声、緊張してた」

「あー……」

もうバレバレでフォローの余地はなかった。

「……演技力なくてごめんな……」

「謝らなくても……」

恥ずかしい所を見られた上に謝られると、四面楚歌に落ちたようで、流衣は気持ちが緩んだ。

「……なんかね、最近、臣くんがよく分からないの」

緩んだ心は親しいアニキに心の中の不安を吐露した。

「ん?」

紅涙を絞るような不安定な声に、ハクはおやっと思い流衣を見た。

「前はね、一定の距離があって、ずっとそれを保ってたんだけど、今は……凄く近い時と遠い時があって……戸惑っちゃうの」


一臣のあやふやな態度に、戸惑いが隠しきれなくなって来た事を、ついハクに白状してしまった。


——さっきだって、あんな情熱的なキスしたのに、離れた後の臣くんの背中が知らない人みたいで、なんだか寂しかった……。


「あたし……どうすればいいんだろう……」


——あっちゃ〜……。


寂しそうに項垂れる流衣を見たハクは、気が咎めて目を伏せた。


——……だよな、そら悩むよな。

あんなどっち付かずな、ひらひら態度取られたら、雨の日に捨てられた仔犬みてえになるわ。

こいつ、オレでさえ拾って帰りたくなるんだから、そりゃあいつは辛いだろうさ。

さっき、一臣に偉そうに説教垂れたけど、あいつ耐え過ぎて限界なんだろうな。余計な事言ったかも知んねえな。

けどオレになにが出来んのよ。

……いや、待て待て、何でオレが悩んでんだ?

ったくもうっ、あのバカ虚無僧め!


流衣を小動物可視化し、一臣を修行僧扱いにして、一歩前に出ていた自分にぼやくハクは、いつもの存在位置の外枠に戻ると、自然に小さな笑いが出てそれを胸に収めた。

「いいよ、どうもしなくて」

ハクの口調がとても柔らかくて、流衣は思わずハクを見つめてしまった。

「お前は変わらなくていいよ、そのままで」

子供をあやすような声で言うハクに、流衣は安心して笑顔になった。

「ありがとう。……ハク優しいね」

「気付くのおせーよ」

ハクはニヤリと笑った。


 一臣とセキは、『時玄』から数100メートル離れた場所にある、7階建ての老人ホームの屋上に場所を変えた。その建物はとても古く、建物の高さの割にはフェンスは低くく老朽化も激しい、震災で追い打ちをかける様に損傷を受け、入居者も少なく管理も甘い、話を付けるのにうってつけの場所だった。

「黙ってついて来た所を見ると、やっぱ気になるんだな」

まずセキが口を開いた。

「もったいぶってないで早く話せよ」

続いて一臣も口を開いた。

「オマエの姉ちゃん、美人だったんだってな」

「それがどうした」

「オレの先輩で同級生だったのがいてな、すげえ有名だったらしいぜ?」

何かの含みを持たせ、核心を突かない話ぶりに一臣が痺れを切らす。

「……で?」

「誰とでもやらせる女って……」

一臣がセキに殴りかかる。

予測してたセキはそれを通りかわして、右拳で一臣の横面を殴り、左拳をボディに入れる。

一臣はよろけて、前のめりになったが、かろうじて倒れずに耐えた。

「フンッ。来るのが分かってんなら避けれんだよ、お前のパンチぐらい」

不敵に笑い、勝ち誇ったように言うセキ。

一臣は伏せ目がちにセキを見ると唇の血を拭った。

「2発でいいな」

一臣の言った事にセキが反応した。

「なに?」

「お前のは逆恨みだけど、俺を殴って気が済むなら2発で良いだろ」

「……んだとぉ⁈」

一臣の吐いたセリフにセキは頭に血が上り、激しい憎悪が沸き、その怒りを一臣に向け殴りかかる。

一臣はセキのパンチをかわして、反動を利用して逆に殴りかかる、セキはそれをかわそうと頭を下げるが、一臣の右脚が顔面を目掛けて飛んできてモロにくらい、体を捻って倒れ込んだ。しかしすぐさま体制を立て直して起き上がり一臣に向き直ると、返り討ちの如く、一臣の左腕がセキの頬に狙い定めた

セキは顔を横によけて避けた。しかし一臣のそれはフェイク、セキが避けた方向に待っていたかのように脚をヒットさせ、バランスを崩させると確実に懐に拳を入れて、セキを崩れさせ、倒れるセキの襟首を掴んでフェンスまで追い込むと、掴む位置を胸ぐらに変え、セキの上体をフェンスより上に持ち上げた。 

セキは一臣の腕を掴み、引き離そうと脚で蹴りを入れるが、その浮いた足を払い、払った自分の足でセキの股を押し上げ、浮ついた上体の胸ぐらを右手で掴んだまま、左手でズボンを掴み持ち上げフェンスの外に投げ出した。

「うわっ!」

セキの体は7階建ての屋上から宙吊り状態になった。身体は外側を向いており、大腿部から下が建物の外壁に沿っていて、探ってみても足場になる様な引っ掛かりは無い。手で何とかフェンスを掴んでるものの後ろ手で思うように力が入らず、上から胸元を掴んでる一臣の右手が唯一の命綱に思えた。

吊るされたセキは焦った。

「オレがここから落ちたらお前、殺人で捕まるぞ」

「そんな事気にするくらいなら、最初から喧嘩はしない」

迷いの無い一臣の口調にセキはゾッとした。

「オレを殺す気か?」

「それを決めるのは俺じゃない」

冷静なかつ冷淡な一臣に寒気がした、ここまでの経緯に僅か数分と、力の差が歴然としていることにセキは辛辣な面持ちになった。


——故障してなきゃ、梶に手こずったりしてねえってことか……。


 クリスマスの夜、梶が一臣と互角に戦っていたのを見て、自分にも勝機があるのではないかと思ったセキだったが、それは一臣の右腕が骨折していた為であり、ビハインドが無い以上実力の差は歴然としており、最早ここまでとセキは思った。

「……助けてくれ……」

「なに?」

恐ろしく小さな声でセキが言ったので、一臣は聞き返した。

聞こえてたはずだとセキはカチンと来たが。

「オレが悪かった、だから……頼む」

忸怩たる思いをかかえ、助けるように一臣に懇願した。今度はハッキリと聞こえた一臣は、両手でセキの上着を掴み、上半身をフェンスの上まで引き上げると、セキは正面からフェンスを乗り越える為に身体の向きを変えた、すると一臣はパッと手離し、両手を突き出した。

「⁈」

驚いたセキは動きが止まり、自分を見る一臣の目が、獲物を狙う野生動物のそれのようで、フェンスを掴む両手が震えた。

「いまから悪足掻きする気なら容赦しない」

ここからこのまま突き落とすというポーズで脅す一臣の仕草で、セキは心が折れた。

「……何もしねえよ。自分で上がるから退いてくれ……」

セキのか細い声は、完全に戦意喪失していた。

一臣は逸らすように横に身体を移動した。フェンスの内側に降り立ったセキは、疲れた顔でその場にどかっと座り込んだ。

「ちっ、バカバカしい」

忌々しそうに言葉を吐くセキを、一臣は何も言わずに見た。セキはさっき見た一臣から発した目の光を、いつか見た記憶の場所に重ねた。


 それは中3の試合、負けたら引退が掛かった大事な試合。

地区大会の決勝戦は、野球ならコールドの宣告される程の大量リードがついてしまった。しかも先導してるのは身長も伸び切ってない一年生、その一年生に引っ掻き回され、昨年全国大会まで行ったチームが手も足も出ず、チームは負けが確定したも同然だった。

試合は後半戦30分過ぎ、消化試合の雰囲気を出すチームメイトの中、キャプテンの赤嶺だけは一矢報いようと必死になって走った。ボールをキープし中盤まで上がってフォワードにパス、しかしフォワードがゴール前に辿り着く前に、相手のディフェンスの一年生がボールをさらって行った。

味方のフォワードもミッドもボールを取りに向かったが、絡む暇もなくまとめて抜かれて行く。フィールドのド真ん中を、100走選手の様なスピードでドリブルして行く姿は、全員が立場を忘れて見惚れてしまう。赤嶺はひとりメンツを思い出すと、ボールを取るべく一年生に向かって行った。

その時、一年は反転してこちらを向いたかと思うと止まり、味方のフォワードに見事なバックパスを決めた。


——……あん時の目だ。

馬鹿にされたような気になって、そのまま突っ込んだんだ。ブロックされて、そのまま素直に倒れりゃ良かったのに堪えようとして、右膝を捻った。

こいつの言う通り、自業自得なんだ……。


「オレはお前に嫌がらせしたかっただけなのに、殺されちゃたまんねえ」

そうセキはぼやいて、その場にゴロンと転がった。

「これで終わり?」

息巻いてきたわりには、負けを認めるのが早いセキに、一臣は問いかけた。

「気が済んだわけじゃねえ」

セキは一度目を瞑って、吐息と共に開いた。

「オレの足の代わりにおまえに走って貰わねえと」

セキは心の声を初めて出した。

「足……動いてるじゃ無いか」

セキが脚を引き摺るといった仕草など、一度も見た事は無く、それゆえにセキの正体にも気が付かなかった。

「医者もそう言ったよ、歩けるし走れる、完治した。ってな。けど前と違うんだよ、全力で走っても、スピードが……何かが」

「十字靭帯……」

「分かるか? 完治してるからこっから保険は効かねーとさ。当たり前だがな、将来性の分からん奴に金の掛かる治療なんか出来るわけねえ、……オレは完全に終わったんだよ」

ただ一点凝視するようにくうを見つめてるセキは、夜空に春先に見た映像を映し出していた。


——梶達に殴られてたおまえを見た時の衝撃より、サッカーを止めたと聞いた時のショックの方が大きかった、原因を探ってやろうと近付いたのが、オレの運の尽きだった。

興味がなくなったって言われたって、納得なんか出来るかよ、ざっけんじゃねえっ!

世界中のサッカー選手が夢でしか見れない物語を、現実で手に入れることができる奴が……! 腹が立って仕方ねぇ、憎むしかねえだろうが……。


「おまえの当たりは軽かった」

セキと同じく空を見つめて一臣が口を開いた。

「なんだって?」

「欧州の選手はたとえ子供でも、体全体を使ってつぶす様にタックルを掛けてくる、相手がアジア人なら特に容赦は無い。だからボールをキープしたら戦場で実弾を掻い潜ってるつもりで走ってた。……あれでは相手のバランスすら崩せない」

スポーツでは無く戦争だと、そう揶揄するプレースタイルを語る一臣を、セキは下から遠くを見るように見上げた。

「……やっぱり、やな野郎だな、一臣……」

セキは呆れて言う。

「せっかくお前のせいにして諦めたのに、改めて才能ないの自覚させんじゃねーってんだよ

「今更なにを言っても、流衣を傷つけたお前の罪は消えない」

一臣はセキの罪の部分を伝えた。

「そこか……」

セキは静かに目を瞑り自分の愚かさを顧みる。


——流衣あいつが拐われでもしない限り、おまえが必死になる事ねえだろうと思ったんだ。実際その通りだったしな、……けど……。


セキは話を持ちかけた時、笑った梶のこってりした表情とは対照的な、疎ましそうな顔をした安原を思い浮かべた。


「許せなんて、んな都合のいいこと言わねぇよ」

自分がしでかした事を、一臣にハッキリと断罪されると、何故かセキは胸のつかえが取れ始め、心の底から悪いと思った。

「オレを気の済むまで殴れよ、殺されても文句言わねえから」

しかし一臣の返答は気の抜けるものだった。

「さっき殴ったから、もういい」

夜空にボヤける雲の間から、輝く星が垣間みえると、浄化されるように清々しさがどんどん増していった。なんだかアホくさいとさえ思えて来た。

「ははっ」

聞こえて来たセキの笑い声は、ハッとする程に屈託の無い声だった。


 一臣はふと、新港で走り屋達を一喝したセキを思い出した。あの時のセキが演技だとは思えず、真っ黒になって一緒に単車を直してる真面目な姿からも、復讐心に燃えていたとは考えられなかった。何がきっかけなのかを聞こうとしたら、それはセキによって遮られた。

「氷室圭一って奴知ってるか?」

「……氷室圭一?」

唐突に聞かされた名前に覚えは無かった。

「そいつがお前の姉貴の噂してた男だ」

一臣の顔が俄かに血色ばんだ。

「女癖が悪くて有名な奴で、大学でもやらかして親が金で揉み消したらしい、そいつが……」

セキが口篭った。

「ハッキリ言えよ」

怒ったような口調で一臣が言う。

「3P好きの淫乱女……って言ってるそうだ」

「……」

セキは自分が言った事に、一臣は烈火の如く怒るかと思ったが、予想に反して冷静な事に驚いた。

「氷室……圭一……」

一臣は空間を眺めその名前を繰り返した。

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